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06 ビッテンフェルト家の秘密

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「エイブはキミがケムたいんじゃないかな」


 

 くだらない・・・。


 

 北のぼくたちにフレンドリーに見えた帝国にも、こんなアホらしいやつがいるんだと知り、暗い気持ちになった。

「でもね、ぼくは違うよ。キミをかっこいいと思ってる。算数はデキるし、サッカーはめっちゃ上手いし、帝国語もすぐに話せるようになったしね。だからこんな話をするんだ」

 と、ジョンはウィンクした。

「わかってくれよな」

 彼はぼくの肩をポンと叩き、校庭に戻って行った。その後姿を追いかけると、その先にエイブの姿があった。体格がいい。いつも何人か取り巻きがいる。

 なんか、ドミートリーみたいなやつだな・・・。

 でも、言いたいことをズケズケ言うドミートリーのほうがまだマシに思えた。

 こういう時こそタオと話したいんだけど。

 校庭を見回してもやっぱりタオはいなかった。「ナライゴト」が忙しいんだろうな。

 仕方なく、ビッテンフェルト家に帰った。


 


 

 言葉が喋れるようになると、それまでよく知らなかったことも「見える」ようになる。言葉は「ソウガンキョウ」みたいなものだ。

 世話になっているビッテンフェルト家のこともいろんなことがわかってきた。

 ビッテンフェルト家にはけっこう驚くことが多かった。なんか、「ワイルド」な感じがした。


 

 アンネリーザ先生のアドバイスに従ってスピーチのメモを実際に喋るように書き直して練習した。ずっと部屋の中でやっていると気が滅入って来るから、下に降りてアトリウムの噴水のそばのベンチに座った。カラカラの乾燥した気候のせいなのか帝都は緑が少ない。そのせいなのか、貴族の家にはこうしたアトリウムにたくさんの木や草花を植えている家が多い。

 アトリウムはぼくのお気に入りの場所だった。噴水のせせらぎを聞きながら草花の匂いを嗅いでいると故郷の山の中を想い出してとても気分が落ち着く。

 と。

 ベンチにかけてメモを読んでいるぼくの前に編み上げサンダルの脚が立った。

「ん?」

 見上げると、めっちゃ美人の女の人だった。

「Hi! あんた、だれ?」

 帝国では栗色の髪のことをブルネットと言う。肩までのブルネットの、毛先がくりんと丸くなった背の高い人だ。男が着るテュニカみたいに裾がめっちゃ短くて、スラリと伸びた日焼けした長い脚が太ももから丸出しになっていた。それに、おっぱいが、めっちゃ大きい・・・。

 家の奥から奥様の声が聞こえた。

「コニー! 帰ったの?」

「うん、ママ! ただいま!」

 その女の人はぼくを見つめたまま声を張り上げた。どことなくビッテンフェルト男爵に似ているような気がした。

 女の人はニコッと笑った。

「あんた、なかなか、カワイイわね」


 

 その女の人は奥様の娘さんだった。

 奥様にこんなに大きな娘さんがいたなんて知ったのがまず驚きの一個目。

 彼女の名前はコンスタンツェという。奥様は彼女を「コニー」と呼んだ。ぼくの「ミーシャ」と同じだろう。

「まったくもう! 帰って来るなら来るで前もって手紙くらい寄越しなさい。女のクセに無精ったら・・・」

 夕食の食卓で、奥様はブチブチと文句を垂れた。

「だって、メンドクサいんだもん!」

 コニーはパンを千切って口に放り込みモグモグしながら答えた。

「シュクジョの嗜みですよ。いい歳してもうっ!」

 シュクジョ?

「まったくもうっ!」

 いつものようにリタが奥様の口真似をして笑った。するとコニーの隣にいたクララがいつもの口真似の代わりに、

「ねえ、ママ。今度はいつまでいられるの?」

 と、コニーに尋ねていた。

「え、ママ?・・・」

 ぼくは怪訝な顔をしていたのだろう。奥様がこう説明してくれた。

「ああ、ミーシャにはまだ話してなかったわね。クララはね、コニーの娘なの。たまたま末っ子のリタとお産が重なったのね。おほほほ・・・」

 アッサリと奥様は言い、笑った。

「ええっ?! え、、それじゃあ、リタが奥様の娘さんでとクララはコニーさんの娘さん。おばさんとメイ?・・・」

「そうなの」

「ということは・・・、奥様はクララの、おばあちゃん?」

「そうなの」

「そうなのォ!」

 リタがまた口真似をしておほほほ、と笑った。

 どっひゃあ! 

 ぼくの母のマリーカとさほど変わらない歳だと思っていたのに!

 これが驚きの2つ目。

「ねえ、ママ! いつまでいられるのってきいてるじゃん!」

「まだわかんないの。ちゃんと前向いて食べなさい」

 クララに言い含めると、コニーさんは呆気に取られているぼくに、腕組みしてテーブルに身を乗り出すようにして話しかけて来た。

「ところで、ねえミーシャ。あんた今何年生? こんどさ、ピクニック行かない? リタとクララも連れて。どう?」

 ただでさえ大きなおっぱいの谷間が余計に深くなった。ドキドキした。どうしてそんなにおっぱいが気になるのか、どうにもわからなかった。

 

 奥様はぼくにいろいろ説明してくれた。

「この子ったらね。結婚してクララを産んではあ、やっと落ち着いてくれたわ、って思ってたらすぐに離婚して出戻って来ちゃったのよォ。まったく、情けないったらありゃしないわ! 」

 リコン? デモドリ?

「ママ。やめてよ。クララの前でしょ」

「もうちょっとガマンしてれば徴兵にも行かずに済んだのに・・・。この子ったらもうっ!」

「離婚」とか「出戻り」とか「徴兵」という言葉は、イリアのくれた簡易辞書にも載っていなかった。ぼくの里にもない言葉だ。

「でね? ご近所の目もあるから徴兵明けてからは荘園の管理やらせてるの」

 ショーエン?

 ぼくがアタマの中を? だらけにしているとコニーさんは頬をぷーッと膨らませてそっぽを向いた。

「田舎よ、田舎。ド田舎!」

「南に馬で一日かかるところに農場を持っているの。そこで働いてくれてる人たちの管理をさせているのよ。家でブラブラされるよりいいからね」

 後で知ったのだが、帝国の貴族はビッテンフェルト家のように大農場を経営したりいろんな工場や商売をして収入を得ている家が多い。当主は陸軍士官になるのが慣例だから携われないが家族や人を使ってそういう「副業」を営んでいるのだ。もっとも、貴族にとってはその「副業」こそが本業で、そこから得られる収益は莫大なものになる。士官の俸給などは貴族からすれば言わば「ボランティア」程度のものでしかないらしい。

「もういい加減、アキたわ。ねえ、ママ。もういいでしょう? そろそろ帝都に戻りたいわ。クララだって寂しがってるし・・・」

「おだまりなさい! 親の諫めも聞かずにホイホイ離婚したバツです! もうしばらくガマンなさい」

「しばらくって、いつまでよ?」

 そこへ男爵が帰って来た。

「今戻ったぞっ!」

 黒のマントをメイドに脱がせてもらいながらダイニングに入って来た准将はコニーさんを見て大きく顔をほころばせた。

「おおっ! コンスタンツェ、帰っておったのかっ! 厩に栗毛が繋がれておったからもしやと思ったが。元気でやっておるようだなっ! わが農場の経営は順調であるか!」

 そう言って席に着こうとした男爵に、

「男爵、お手とお顔を洗ってお召し物を変えてからになさいませ。埃だらけで食卓についてはいけません。リタとクララとミーシャの教育上もよくありません」

「よいではないか。愛する娘が久々に帰って来たのだ。そのようなカタいことを言うでない」

「お召替えをなさいませ!」

「なさいませ!」

「ませ!」

 奥様とリタとクララに睨まれて、男爵は渋々名残惜しそうに席を立った。2000人以上の兵士を従える近衛軍団最強「ヴァルキューレ」歩兵旅団の旅団長も、家ではカタなしみたいだった。故郷の父もよく母のマリーカやエレナに行儀の悪さを叱られていたなあ。それを思い出して、ちょっと可笑しかった。

 北の里も帝国も、家庭を取り仕切るのは女の役目なのは同じだなと思ったし、奥様がリタやクララと同じようにぼくを思って下さっているのを知り、嬉しかった。


 

 ほかの家のことは知らないが、ビッテンフェルト家の食卓はいつも賑やかだった。

 ぼくが学校で遠足のエピソードをスピーチすることになったのを話すと、

「おお! それは良いことであるなっ! 大いに語るべきであるっ! して、ミハイル。そちはわが陸軍の演習で何が一番印象に残ったか」

「やっぱり、戦車です。めっちゃ、カッコよかった」

「さようであるか。やはりそちもおのこであるな。しかしな、ミハイル。いくさというものは敵を叩けば勝つというものではないのだぞ。戦術的に勝利しても戦略的に勝利せねば意味がない。『ピュロスの勝利』という言葉があってな・・・」

「男爵!」

 奥様が准将の話を遮った。

「何事だエミーリエ。そのような怖い顔をするでない」

「食卓に相応しい話題ではありません。せっかくミーシャが言葉を話せるようになっているのに」

「あ、そうそう。ねえ、ミーシャの家族のことを教えてよ。兄弟はなん人?」

 コニーが気を利かせて話題を振ってくれた。

「えーと、ぼくの上に姉のハナと兄のボリス、下に弟のヨハンとイワノフ、それに妹のカーチャで、6人、かな」

「あ、うちと同じだ」

「え? そうなんですか?」

「あたし2番目なの。あたしの上に姉がいて、下に弟が3人。そしてリタよ」

「コニーさんの上にも娘さんがいらっしゃったんですか?」

「そうよ。この子よりひとつ上。でもエリザベートはちゃあんと家庭を守ってるわ。だれかさんと違ってね」

「ちょっと、イヤミ?」

 ワインのカップをドン、と置いてコニーは奥様を睨んだ。

「言われたくなかったら少しは辛抱というものを知りなさい」

 ピシャリと娘を叱ると、奥様はこう続けた。

「エリーには子どもも3人いるの。だからクララは4人目のマゴなの」

「そういえば、そちの父上は村の族長であったな」

 男爵が言った。

「はい」

「して、母上は、美人か?」

「はい。どちらも」

「なに? どちらも?」

「そうそう。ミーシャのお母さんは二人いるのよね」

 奥様が「ふぉろー」してくれた。

「はい。上の母のマリーカがハナとボリスとヨハンの母で、下のエレナがぼくと残りの弟妹のです。でも、2人とも小さいころからぼくたちを同じように愛してくれました」

「なんと! すると、そちは『メカケ』の子か?」

 メカケ?

「男爵!」

 突然、奥様が怒り始めた。

「なんだ、エミーリエ。なぜそのように怖い顔ばかりするのだ」

「当たり前です! どこの世界に母親を『おめかけさん』呼ばわりされて喜ぶ人がいますか! ミーシャの里はそういう風習なのです。きっとひとりでも多く子宝に恵まれるようにそういう習わしができたのですわ」

「何を言うか! 正妻があれば残りはメカケではないか」

「リック!」

 男爵の正式な名前は「リヒャルト・なんたらかんたら・フォン・ビッテンフェルト」というのだけれど、奥様が男爵を愛称で呼ぶのを初めて聞いた。普段から外でも家の中でも「男爵」と呼んで夫を立てている、「リョーサイケンボ」?の鏡のようなひとなのに。よほどハラを立てているのだと思った。

「あなたはときとしてデリカシーに欠けすぎるのです! コトバは受け取る方の気持ちを考えておっしゃい、と申し上げているんです! あなたがそんなだから娘が出戻ったりして来るんです!」

「ちょっと! なんでこっちに話をトバすわけ?」

「その通りだ、コンスタンツェ! そちの母上は時にA(アー)の話をB(べー)へC(ツェー)へとすり替える名手なのだ! ほんに、困ったものであるっ!」

 すると奥様は、声を落としてこう言った。

「・・・まさか、そういう御方がいらっしゃるのじゃないでしょうね。おめかけさんが」

「それがしがか? 」

「他にだれがおいでになりますか? そういう言葉が簡単にぽろっと出てくるようでは疑わしいと申し上げているんです!」

「まさか! いるわけがないではないか! それがしは正真正銘、天地神明に誓って妻はそちだけであるっ! そち一筋であるっ! 最近は、スブッラにも通っておらぬし・・・」

「最近は? ということは以前は頻繁にお通いだったのですか?」

「また、ひとの言葉尻を捕まえる。昔も今も通ってはおらぬっ!」

 なんだかハラハラドキドキしてきてしまったぼくに、コニーがテーブルの向こうから身を乗り出してきた。またおっぱいの谷間が迫ってきてそっちのほうでもドキドキした。

「大丈夫よ、ミーシャ。いつもの夫婦喧嘩。みてなさい。じきに収まっちゃうから」

 と、小声で教えてくれた。リタもクララもこういうのは慣れっこみたいで、平然とスプーンを使っていた。

「悪いが、ちとつむりが痛んで参ったので寝所へ引き上げるとする」

 そう言って男爵は席を立った。

「歯をお磨きになるのをお忘れになりませんように」

 ダイニングを出て行く男爵の背中にこう投げかけると、奥様は何事もなかったようにまた話しはじめた。

「ごめんなさいね、ミーシャ。でも気にしないで。いつものことだから。しばらく経てば花を持ってきてくれるのよ。『そこでそちのように美しい花を見かけたので手折って参ったのだ』とかいって。御覧なさい」

 奥様は壁に飾られたいくつものフレームを指した。どれもキレイな花の絵が描いてある。

「今までのはぜんぶああしてドライフラワーにしてあるの」

 と奥様は言った。

「男爵は、あれでお可愛い所もおありになるのよ」

 そしておほほほ、と笑った。

「おありになるのよ」

「なるのよ」

 リタとクララがまた真似をした。

「ほらね? 言ったでしょ?」

 と、コニーも笑った。


 


 

 ぼくがお世話になっているビッテンフェルト家はそういう家だった。

 おかげで学校でのエイブのことを相談しそびれてしまったが、よく考えたら言わなくてよかったと思った。世話になっている上に余計な心配をかけてしまうのは良くないと思ったのだ。

 故郷の家を思い出し、急に家族に会いたくなった。


 


 


 

 次の日。

 

 登校でタオには話した。エイブのことだ。

 そしたら、

「ああ、アイツか」

 と、事も無げにタオは言った。

「気にしなくていいよ、あんなヤツなんて。ぼくも去年ここへ来た時アイツにカラまれたんだ。そのうち忘れるからほっとけばいいよ」

「去年? タオってどっか別のところから来たの?」

「そうだよ。ぼくはずっと西のナイグン、って街から来たんだ」

 そこで学校に着いてしまった。

 校門のところであのエイブと顔を合わせた。取り巻きたちと一緒だった。ボケッとに手を突っ込んでガム? をにちゃにちゃさせながらぼくを見ていた。

「行こ、ミーシャ」

 タオに促され、教室へ急いだ。ハッキリ言って、あまり気分はよくない。


 

 放課後。

「じゃあ、また明日ね」

 タオと別れ、校庭に行ったんだけど、途中でなんだかサッカーするのがイヤになったのでまっすぐ帰ることにした。すると、

「おい! そこの! お前だよ、新入り!」

 またエイブと取り巻きたちが門のところにいてぼくにカラんできた。エイブと男子が2人、女子がひとり。みんな、どっか、ガラが悪いカンジ。

 ぼくの里でさえ族長の息子であるぼくにこんなに失礼な、無遠慮な口を利く者はいない。せいぜいあのドミートリーぐらいのものだった。だけど、アイツはアホなので無視することができた。それにタオの「あどばいす」もある。

 ぼくは彼らを無視して門を出ようとした。すると、

「おい新入り、無視すんなよ。ちょっと、ツラ貸せ」

 と、エイブは言った。

「ツラ、って顔のこと?」

 と、ぼくは答えた。

「はあ?」

「顔はアタマについてるし、アタマは身体についてる。カオだけ貸したら痛い。だから、貸せない」

 ぼくはそう言って踵を返した。

 エイブたちはそれ以上カラんでは来なかった。タオの言った通りだ。

 と。門を出たところでタオの後姿を見つけた。

 一緒に帰ろう! 声を掛けようと思ったら、タオはなぜか丘とは反対のほうに、街の中心の方に歩いてゆく。

 どこに行くんだろう。そう言えば、「ナライゴト」とか言ってたな。

 興味を惹かれたぼくは、彼には悪いと思いつつ、タオの後を歩いて行った。
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