ぼくのともだち 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 番外編 その1】 北の野蛮人の息子、帝都に立つ

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22 いつまでもともだち

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 ぼくは、ケンカで負けたことは一度もない。

 あの2つ年上のドミートリーでさえ、ぼくをからかいこそすれ、絶対に仕掛けてはこない。ぼくがコワいからだ。

 それにぼくは、こういう場合の心得を父から教わっていた。里の山で狩りをしていると、急に他の村のヤツと出くわすことが多かったからだ。接近戦では弓は使えないし、少しぐらい剣ができるからとなまじ大人相手にまともに剣を抜かない方がいい、と。

 父は言った。

「いいか、ミハイル。

 剣を持った相手に対する時は、絶対に相手の目から視線を外すな。相手が仕掛けてくるときは、必ず目に現れる。そして間合いを詰め、まず相手に仕掛けさせるのだ」

 父は革袋を被せた剣を持つぼくの前に丸腰で立ち、手本を見せてくれたものだ。

 ぼくは父の落ち着いた澄んだ目を見つめながら、仕掛けた。でも、次の瞬間、打ち込んだぼくの剣はヒラリと躱され、逆に剣を持った腕を掴まれてカンタンに転がされてしまった。

「わかったか、ミハイル。剣を持った敵は剣を頼んで、むしろスキが大きくなるものなのだ。そのスキを、確実に突くのだ」


 


 

 常日頃から稽古をしていない者が振り回しても、重い剣は思うようには使えない。

 まず、大振りさせることだ。抜き身の剣を持ったエイブに対し、ジリジリと間合いを詰めながら、ぼくは父の言葉を思い出していた。

 と。

「火事だああああああああああっ!」

 ぼくの後ろでタオの大声がした。すると、

「火事ですよおおおおおおおおおおっ!」

「火事ーっ、カジカジカジ、火事だああああーっ!」

 奥様やコニーまでが大声で叫んだ。

 エイブから目を離さないようにしつつ、ぼくは辺りを窺った。どこにも火事なんてないじゃないか。・・・なんなんだ?

 タオたちが叫んだわけは、すぐにわかった。

 周りの貴族たちの屋敷から家事奴隷や使用人たちが大勢わらわら、ゾロゾロと街路に出て来て、抜き身の剣を持ったエイブとぼくたちを見つけた。

「お前たち、いったいそこで何をしているっ!」


 



 

 後で知ったことがふたつある。

 その一つは、帝都では火事を起こすのはたとえそれがうっかり、過失というヤツだとしても重い罪になるってことだ。

 貴族たちの家は高台でほとんどが石作りだからいいが、丘と丘の間に犇めくようにして建っている平民の人たちの家々は壁はレンガや石だけど屋根や梁に木が多く使われている。だから、火事になるとすぐに燃える。しかも帝都は年中乾燥していて風がある。あっという間に燃え広がった火が大火事になって、過去何百年の間に何度も帝都の大きな部分が焼野原になったと聞いた。

 で、イザ「火事!」ともなれば、平民貴族の別なく、市民総出で火消しにかかる。

 タオは、ちゃんとそれを知っていたのだ。

 あんな物騒なモノを構えてブラブラしてるヤツにまともに相手をしようとしていたぼくなんかに比べれば、彼の方がよっぽど賢い、というワケ。

 で、もう一つはエイブ、アーブラハムのことだ。

 彼は小学校を退学になっていた。これはぼくには全く関係なく、結局新年度で3度目の落第が確定したからだった。そして、新しい年度を待たずに帝都のなんだかいう親方のところに修行に出たのだが、彼はそこに馴染めなかったらしい。

 親方のところを飛び出して、家にも居場所が無くて、しばらくモンモンとした日々を送っているうちに、自分がこうなったのはあの北の野蛮人(つまり、ぼくのこと)のせいだと、逆恨みもいいとこの思いを抱くようになったらしいのだ。で、家にあった、だいぶ昔の兵隊が使っていた古い歩兵用正式剣を持ち出してぼくを待ち伏せていた、ということらしい。


 

 あの後。

 アーブラハムは貴族の家の使用人たちに取り押さえられ、憲兵隊に引き渡され、即決で二か月の強制労働刑を受けた後、どこだかの駐屯地にある陸軍の下士官を養成する幼年学校に入れられたらしい。まだ子供で誰も怪我をさせていないとはいえ、動機が悪質で再犯の恐れがあったから、という理由だそうだ。

 今はもう、どこかの連隊で下士官でも務めているかもしれない、と思う。


 


 

 話を、元老院で証言した直後、小学校四年生の最後の日々に戻そう。


 


 

 6月 Juni ユーニから 7月 Juli ユーリ、そして8月 August アウグストへ。

 学校は長い夏休みを迎えた。


 

 4年生最後の授業で、アンネリーザ先生と校長先生、そしてクラスのみんなは別れを惜しんでくれた。

「まあ、里に帰ってしまうわけじゃなし。毎月の10の付く日はビッテンフェルト家に帰って来るし、夏休みや冬休みにも帰って来る。時々は小学校に遊びに来るといい。またキミのスピーチを下級生たちに聞かせてくれたまえ」

「ミハイル。短い間だったけれど、あなたを教えることが出来てとても誇りに思うわ。リセでも頑張ってね。クラスのみんなと一緒にずっとあなたのことを思っているわ」

「ミーシャ、がんばれ!」

「元気でね、ミーシャ!」

「みんな、ありがとう。元気でね」

 クラスのともだちに別れを告げるのは、ちょっと、辛かった。


 


 

 そして、夏休みに入り、コニーも再びビッテンフェルト家の農場に帰ることになった。

 その前に、と。

 ぼくたちはピクニックに出かけた。

 ぼくとタオ、コニーとリタとクララを乗せた馬車はいつもの馭者の代わりにコニーとぼくで馬を馭し、あの茶色いピアノのあるウリル少将の家の、さらに向こうにある低い山の連なる渓谷にある渓流へ向かった。

 その場所は、タオが教えてくれた。

 帝都を流れる大きな川の水源の一つになるというその渓流は、ぼくの北の里の懐かしい風景に、とてもよく似ていた。

「へえ! 帝都のすぐ近くにこんなとこがあったなんて、知らなかったわあ!」

「いいとこでしょ? ぼくの秘密の場所なんだよ」

 キラキラと流れる小川の畔には熱い陽射しを遮る格好の木陰があり、ぼくたちはそこにじゅうたんを敷いて木洩れ日のきらめきを愉しみ、持ってきたお弁当を開き、グリル(バーベキュー)をしてビュルスト(ソーセージ)やヒューン(鶏肉)を焼いて食べた。

 コニーは、はち切れそうなほどのムネと大きなお尻を小さな布だけで覆ったような水着を着てさっそく淵に飛び込んでいた。

「ヒャッホー! つーめたくて、きーもちいいわよおっ! ミーシャもタオもおいで!」

 タオは全然ヘーキそうだったが、ぼくは無性に顔が赤くなってしまい、困った。

 そんな風にして、ぼくたちは穏やかで麗しい緑の中で存分に遊び、つかの間のバカンスを楽しんだ。


 


 

 ぼくがリセ進学を決めたのは、奥様の一言だった。

「ミーシャ。

 あなたはお父さんから使命を託されてこの帝都にやって来たのよね。

 まだ遊びたい盛りのあなたにこういうことを言うのはちょっとキビシイかもしれないけれど、今はあなたのお父さんの思いを考えるべき時よ。

 そのためには、一日でも早く、少しでも多く、より高い所を目指して、学ぶべきだと思うの。普通は受験しなきゃ入れない学校に推薦してくれるなんて、滅多にない大きなチャンスよ。せっかく帝国に来たんですもの。自分を試してごらんなさい。

 そうでなきゃ。ね?」

 そして、男爵も。

 奥様がいないところで、こんなことを言ってくれた。

「それがしも、そちが居なくなるのは寂しいのであるっ!

 だが、小学校よりもリセの方が数段面白いことだけは請け合いなのであるっ!

 勉強はちとタイヘンであるが、スポーツはすこぶる楽しかったし、何を隠そう、このそれがしが初めておなごとつきあい、一個の男子となったのもリセにおいてであるっ。

 あ、言うまでもないが、最後の一件は絶対にエミーリエにはナイショであるぞ。男と男の約束であるぞ、ミハイル!」

 そう言ってぼくを笑わせるとともに励ましてくれたのだった。


 

 今、懐かしさと共に思うのだけれど、帝都にやって来て世話になった家庭がこのビッテンフェルト家だったことは、ぼくにとってとても幸運なことだった。


 


 

 帝都郊外の渓流でのピクニック。

 遊び疲れたコニーが木陰で寝てしまい、ぼくとタオでリタとクララのために石を積んでお城を作っていた時だった。

「ここ、お姫様の塔ね」

「んで、王子様が馬でやってきました。ひめ、どうかぼくと結婚してくださいな」

「イヤですわ。わたしはもっとイケメンでお金持ちの王子様がいいのですわ」

「そんな! つめたいことイワナイデください、ひめ!」

 ぼくは、そんなおませな二人のやり取りに思わず噴き出したのだが、タオは急に顔を曇らせて顔を伏せたのを見た。

「・・・どうしたの、タオ」

「ごめん。ごめんね、リタ、クララ・・・」

 そして、つと立ち上がると、渓流のそばにあった大きな木の向こう側に走り込んでいった。

 心配になったぼくは、もちろん、後を追った。

 木の根元のところにしゃがみこんだタオは、俯いて肩を震わせていた。

 ぼくは、察した。

 ぼくの気配を知ったのか、タオは涙を拭いて作り笑いを浮かべた。

「ごめんね、えへへ。ナイグンにいたころのこと、思い出しちゃっ・・・」

 でも、タオはまた泣き出した。

「ごめんね、ごめんね。でも、でも、どうしても、涙が出ちゃうんだよ。

 寂しいよ、ミーシャ。キミと毎日学校に通えなくなるなんて、ぼく、やだよ! うわ~んっ!」

 タオの泣き声を聞いて昼寝していたコニーも起き出し、リタもクララも心配してやってきた。

 ぼくはそっと彼の肩を抱いてやった。

 無理もないのだ。

 だって、彼はまだ8つでしかない。本来ならまだ二年生が終わって三年生に上がる歳だ。マーサさんが言っていたけれど、まだお母さんの温もりが恋しいころなのだ。

 そして、9月になれば、ぼくともはなれなければならなくなる。

 しゃくりあげを続けるタオに、ぼくは言葉をかけた。

「ごめんね。タオ。でも、ぼく、どうしても行かなきゃ。

 手紙書くよ。毎日。10の付く日は会おう。家だって近いし、キミだって再来年にはリセに入れる。

 どこにいたって、きみはぼくのともだちだ。それは、ずっと、変わらないよ。約束する。

 絶対だよ、タオ」


 

 渓流からの帰り道にウリル少将の家に寄るころには、タオも元気を取り戻していた。たっぷり泣いたからだろうと思った。

 コニーも、リタもクララも。みんな初めてタオのピアノを聴くことになった。

 タオの伴奏で小さな子供向けの歌をみんなで歌ったあと、やっぱりあの曲を弾いてくれた。らふまにのふとかいう、タオが「ふるさとの夕陽」と名付けた曲だ。

 しばらくはこの曲を聴くのもお預けになるな。

 そう思いながら聴いていると、ピアノの優しい音色が、いつにも増してぼくの心の中に、深く、沁み透っていった。
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