上 下
21 / 60
第一章 潜伏

19 ミカサ、被弾す!

しおりを挟む


「どうしたんだ。君の担当はここではなかろう。石炭庫に何か問題でも?」

 クソ暑いエンジンルーム。

 その天井に近いキャットウォークでヨードルとノビレ少佐は対峙した。

「機関長、見てください! まだあと5日は航走しなくてはならないのに、残炭が10パーセントほどしかありません!」

「なんだって?」

 青い顔色をさらに青くした少佐は、ヨードルがしたように監視窓から首を差し入れ、中を覗き込んだ。

「本当だ。なんてこった・・・」

 と唇を噛んだ。

「他も確認済です。4つとも同じです!」

「うーむ・・・。ところできみはどうしてこれを?」

 真っ青になった顔で、少佐はヨードルに説明を求めた。

 それで前任の機関長カンダ少佐やノン伍長の件を話し、ルメイの対応の不可解さを訴えた。それで確認が遅れてしまい、今になった、と。

「なるほど・・・。よし、わかった。とりあえず窯の火を半分落とそう。少しでも炭を節約せねばな。機関主任!」

 少佐は手摺から身を乗り出してはるか下のエンジンの傍にいるタツローに呼びかけ、指示を下した。少佐の背後でヨードルは眼下に向かって親指を突き立てて見せた。タツローは少佐とヨードルを見上げ黙って頷いた。

「これは・・・。演習どころではないな。一緒にきたまえ、先任士官!」


 

 ノビレ少佐に続き、ヨードルはブリッジに向かってタラップを駆け上った。

 意外だったのは前を走るこの、ノビレ少佐の人となりだった。

「もう、のんきに演習などしている暇はないっ! 

 この事態を報告してすぐに対処しなければ。この巡航速度では2日もすれば燃料が尽きてしまうぞ!」

 初めてルメイに彼を紹介された折は、やせぎすで青白い皮膚に冷酷な瞳を浮かべて人を睨んでくる、なんとつっけんどんな、ヘンな奴め! と訝っていた。つくづく、人は見かけによらんものだ。

 軍服の袖で顔についた煤を拭いながら、ヨードルはブリッジへ急いだ。

 しかし、だ。

 なんでこの人の肌はこんなに青いのだろう。


 


 


 

 リュッツオーが進路を変更する束の間、小休止が発令されて砲弾の音が止んでいた。

 当番の水兵たちがブリッジに詰めるスタッフたちにコーヒーを配っていた。

「きみも当直からずっとだ。疲れたろう。一息入れたら自室に引き上げてもいいぞ」

 通信長のデービス大尉はヤヨイにカップを手渡しつつ労ってくれた。礼を言ってカップを受け取り、熱い液体を含んだ。

 確かに、いささか、疲れていた。

 だが、お気楽な学生「にわか士官」はまだ続ける必要があった。そして、やはりブリッジには出来るだけいた方がいい。

 イライラはダメ!

 自分に言い聞かせ、作り笑顔を振りまいた。

「ありがとうございます。でも、まだ大丈夫です。それにしても、通信機が好調そうでよかったです」

 デービス大尉は20台の後半だろうか。真っ白な肌に金髪碧眼は北欧系かもと思うほどに透き通っていた。

「まったくだね。これもきみたちのお陰だ。これで港に戻ればしばらくはオカだな。通信機が正式に採用になれば本体を壁のユニットに組み込むことになるだろうし、ブリッジの中じゃなくて独立した部屋に装備一式を移すことになるだろうからね。その工事で一週間は接岸だろうね」

「ところで大尉はどこで電子基板の技術を? 兵学校ですか?」

「まさか。バカロレアに決まってるじゃないか」

 大尉は笑った。

「入学したんじゃなくて、海軍から派遣されて電気の基礎を学んだんだ。これを作れるほどの技術には至っていないけれどね」

「ではわたしの先輩ですね」

「きみ、釣りは好きかい? ターラントに帰港したら、もしよかったらだけど、一緒に釣りに行かないか?」

 あらあら・・・。

 演習とはいえ作戦中にナンパですか?。

 どうやらこのデービス大尉も「シロ」、かな・・・。

「11時の方向、標的ブイを視認!」

 物見台の水兵が叫んだ。

「距離1万1000!」

 ヤヨイはカップを置き、定位置に戻った。

 と。

 青い肌のノビレ少佐とヨードル海曹長が、息せき切ってブリッジに飛び込んできた。

「艦長と司令部に報告します! 緊急事態です!」


 


 

 少佐に続いて飛び込んだブリッジは、小休止の間に追いついた標的ブイに攻撃をかけるべく、今にも司令部命令が下されようとしている最中にあった。

「艦長と司令部に報告します! 緊急事態です!」

 声を励まして叫ぶノビレのひょろ長い背中を、ヨードルは頼もしく思った。

「なんだね。演習中だぞ、あとにしたまえ」

「緊急事態とはなんだね、少佐」

 ルメイとカトー参謀長がほぼ同時に反応した。

 その時だった。


 

 ぐわんっ!


 

 鈍い、だが重い振動が刹那艦を揺さぶった。

「なんだ。何事だ」

 カトー少将が上ずった声を上げた。

 とっさに艦内放送と伝声管にとりついたヨードルは、

「ブリッジより全艦に達する。異常な揺れを感知した。各部点検し、状況を報告せよ!」

 その放送が終わらないうちに、後部監視哨と左舷後部副砲塔に繋がる伝声管から報告があった。

「艦尾左舷に爆発を感知!」

「左舷後部喫水線下に被弾!」

「海面が一瞬、大きく盛り上がりました!」

 次いで機関室からも。

「左舷推進機に異常発生! 出力が落ちています!」

 そして後部監視哨から切迫した声が伝声管に響いた。

「後続するビスマルクが異常に接近しています!」

「なんだって?!」

「艦長っ! 」

 チェン少佐はルメイの指示を仰ごうとしたが、ルメイは混乱しているのか動揺して沈黙するばかりだった。

「緊急転舵! レフトフォーフルラダー(取舵一杯)! 機関停止!」

 独断で、チェン少佐が命令を発した。ブリッジの水兵たちはこれに冷静に応えた。

「レフトフォーフルラダー、アイ!」

「機関停止、アイ!」

 ミカサはゆっくりと左舷に回頭し、戦列を離れてゆく。その右舷スレスレを、ビスマルクが高速で通過しようとしていた。


 


 

「艦長! ミカサに異変! 急に転舵して隊列を離れていきます!」

 リュッツオーのマストの上に登って旗艦に揚がる信号旗を注視していた監視兵の声が伝声管から聞こえた。

「・・・何だって?」

 ヘイグ艦長はすぐにブリッジの外に出て双眼鏡を構えた。

「おいおいおい・・・。何がどうしたってんだ、おい・・・」

「どうしたんですか?」

 ヘイグ艦長の傍でミヒャエルも後方に目を凝らした。

「わっからねえ・・・。

 だが、ノンキに演習してる場合じゃなさそうだな。マイク! 機関半速。取り舵。ワイヤーを巻き込まないように注意して、ミカサの傍に戻るぞ」

「アイ、サー!」


 


 

 それまで一言も口を開かなかった司令部のラカ参謀が初めて言葉を発した。

「通信長! 各艦に連絡。

『ミカサに異常発生。ビスマルクは運動旗を掲揚。ビスマルクは後続艦を適宜誘導し、停止せよ』

 よろしいですか、参謀長」

「よかろう・・・」

 カトー参謀長は口髭を捩りながら応えた。

「あ、アイ、サー・・・」

 デービス大尉は束の間虚を突かれたが、復唱し、その内容をアナウンスした。

 チェン少佐はルメイに詫びた。

「すみません、艦長。ビスマルクに追突されると思ったものですから・・・」

 五千トンの巨艦はすぐには止まれない。

 ミカサは惰性で数キロ走った後、ゆっくりとスピードを落とし、波間に漂った。

「いいや、少佐。君の判断は正しかった」

 カトー参謀長は冷徹な目をルメイに向けた。そしてルメイに向かい、

「で、艦長。今の状況の原因は?」

 と質した。

「先任士官がすでに現場に向かっています」

 ブリッジ付きの水兵が、上ずった声で答えた。いつの間にかヨードル曹長の巨体がブリッジから消えていた。

「で、機関長。さっきの君の『緊急事態』とは・・・」

 参謀長が質問を口にしてブリッジの入り口を振り返ったたころにはもう、機関長の姿もそこにはなかった。

「機関長はエンジンルームに状況の調査に向かわれましたっ!」

 これもまた、緊張している水兵が答えた。

「艦長。いい部下を持って羨ましいな。君の命令がなくとも、ミカサは立派に事態に対処しているようだ」

 カトーの皮肉にも聞こえる言葉を、ルメイは黙って受け止めていたように見えた。

 それらすべてを見、聞いていたワワン中将は変わらない微笑を浮かべ、ゆったりと司令官席に座っていた。
しおりを挟む

処理中です...