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第二章 対決

33 フレッチャー艦隊とリュッツオー、ミカサ救援に向かう

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 5000トンの巡洋戦艦は機関を停止し、海峡の真ん中に漂泊した。ミカサを覆う煙幕は時間と共にその濃さを増していった。

 チェン少佐は躊躇することなく次々に命令を発した。

「各員は戦闘配置のまま待機。先任士官! 甲板員と砲術科の副砲担当の半数を組織して小舟の子供たちの救助に当たれ。今までのチナのやり方からすれば子供に紛れて狙撃兵や工作員が潜伏、乗船している可能性もある。若干名の水兵を武装させ、救出作業の護衛に当たらせろ」

「ですが、よろしいのですか?」

 ヨードルの反問に副長は力強く頷いた。

「貴官の懸念は承知している。これは間違いなくチナの仕掛けた何らかの策略だろう。

 しかし、我々は帝国海軍の軍人で、海の男だ。子供たちの救助を優先する!

 よろしいですね、参謀長!」

 チェン少佐の迫力に、カトー少将もワワン中将も黙したまま頷いた。

「アイ、サー! これより直ちに救助班を編成、護衛の兵を配置しつつ、漂流中の舟艇の人命救助に当たります」

 ヨードルは復唱すると艦内放送のマイクに取り付き命令を下した。

「ブリッジより全艦に達する。これより漂流中の舟艇の救助活動を行う。甲板員は内火艇下ろし方。砲術科副砲担当偶数番号砲の者は上甲板に集合。甲板員の救助活動を支援せよ!・・・」

 救護班の指揮をするためヨードルはブリッジを出ていった。緊急事態には違いないが、ミカサのブリッジにはしばしの静けさが訪れた。

「大尉。意見具申を、いいですか?」

 ヤヨイは傍らのデービス大尉に話しかけた。

「こんな時に、大学に定時報告か?」

「いいえ、違います。念のためにヴィクトリーのフレッチャー提督に今の状況を通報しておくほうがいいのではありませんか」

「あ・・・」

「そうだ。それは是非とも必要だ」

 ブリッジの片隅にいたラカ少佐がヤヨイの言葉を耳聡く聞きつけた。

「参謀長、万一のためです。ヴィクトリーにこの事態を通報しておきましょう。漂流中の多数の小型舟艇と遭遇、積載物は多数の子供。その数、数百名。本艦は機関を停止しこれを救助しつつあり、と。本艦に全員を収容する能わざる可能性あり。来援を乞う、とも」

 ところが、何故か参謀長の反応が鈍かった。

「参謀長、どうされました? 何かご懸念でも・・・」

 ラカ少佐が顔を覗き込むとやっと、

「・・・そうだな。私としたことが失念していたが、本艦には通信機が装備されていたのだったな。どうも未だ通信機のある環境に慣れていなかったものと見える」

 と参謀長は言った。

 と、

 メインマストの監視哨からの伝声管が叫んだ。

「左右両舷方向からも小舟を視認! 多数です! 」

 ヤヨイにはもう、この後の筋書きが読めていた。敵は、子供の乗った船を使ってミカサを停船させ、子供の乗った船に紛れて兵を乗り込ませる算段なのだ。

「大尉。わたしにやらせてください!」

 デービス大尉に席を譲らせ、マイクのカフを押した。

「ミカサよりヴィクトリーに達する。オーバー」

 ズズ、と雑音が入り、

「こちら、ヴィクトリー、オーバー」

 向こうが出た。たぶん、通信長のスミタ大尉だろう。

「本艦の現在位置は半島とそれに続く島嶼の海峡を東に9海里ほど入ったところ。漂流中の多数の小型舟艇と遭遇、積載物は多数の子供。その数、数百名に及ぶものと思われる。本艦は機関を停止しこれを救助しつつあり。本艦に全員を収容する能わざる可能性あり・・・」

 ラカ少佐の言葉通りの内容を伝え始めた。

 ブリッジの張り出しからは、後方の二本煙突の中央のデリックが回され内火艇が海面に下ろされるのが見えた。舷側からは、引き上げれていたタラップが下ろされ、甲板上から棒を使って小舟をタラップに誘導している兵たちの姿も。

「救助した子供たちはひとまず兵員食堂に入れるように伝えろ。あたたかいブランケットと食べ物を。医療班を食堂へ」

 副長は自ら艦内放送のマイクに取りつき的確に指示を出しはじめた。

 すると監視哨の伝声管が、

「左右両舷に接近中の小舟の中に紛れて銃で武装した兵を発見! 子供の中に紛れています。距離、300!」

「くそ、やはりか・・・」

 航海長が海図をドンと叩いた。

 ヤヨイの予感はその時ブリッジにいた全員のものでもあった。

 またしてもチナは『盾の子供たち』を使い、ミカサを捕捉せんとしていた。


 


 

「艦長!」

 リュッツオーのブリッジのミヒャエルは、レシーバーを抑えたまま、叫んだ。

「ミカサから緊急通信が来ています!」

 波浪による艦体の同様だけではなかった。震える手ももどかしく、ミヒャエルは傍受した電文の翻訳を紙に書き止め、読み上げた。

—ミカサよりリュッツオー、我、チナに捕捉されんとす。現在位置は・・・、—

「おいおい・・・、おいおいおいおい。予想より早ェじゃねえかよ・・・」

 ヘイグ艦長はそう呟き食い入るように海図に見入った。コンパスの代わりに人差し指と親指で大きな島の周りにやっとこやっとこと距離を測ると、しばし腕を組んで沈思した。自艦の位置と速度。そしてヴィクトリー他三隻の位置と速度を頭の中で計算しているんだ。ミヒャエルには、そう見えた。

「よ~し・・・。ミカサを挟み撃ちするぞ!」

 まるでこれからミカサを標的艦にした演習でも行うかのように、快活にヘイグは言った。日頃標的艦ばかりやらされている鬱憤を晴らすかのように。

「ここが現在の本艦の位置。そしてここが現在のフレッチャー艦隊の位置だ」

 言いながらヘイグは海図上の一点を指さした。半島から海峡を挟んで浮かぶ大きな島の南端あたりに、今リュッツオーはいた。それよりやや北の西岸をフレッチャー少将旗下の3艦が北上しつつある。

「戦艦は鈍足だから本艦にはついてこれん。ヴィクトリーには海峡の西側から。おれたちは海峡の東側からミカサを挟み撃ち、いや、救援する」

「・・・はい」

 ミヒャエルとしてはとりあえずそう応えておくしかなかった。

「ミック、今の方針をヴィクトリーに伝えてくれ。

 よ~し・・・。このリュッツオーさまの本領を発揮する舞台がようやく巡って来たようだぜ! むっふっふ・・・。行くぞ、野郎ども! 」

 ヘイグ艦長はブリッジの左舷、背の高いスツールに軽く腰を掛け、片脚を操作卓の縁に掛けた。ミヒャエルもすぐにそれに倣った。身体を安定させないと、酷い目に遭うのがもうわかっていたからだ。それにこの艦長は恐い。だが、逆らいさえしなければ、これほど頼りになりそうな人もいないのではないかと思った。

「このバカでかい島を迂回して海峡の東出口を目指すぞ。機関全速前進! 進路155!」

「アイ、サー。機関全速」

「進路155!」

 舵輪とスロットルを担う水兵が復唱するのと艦尾がグッと沈み込み、舳先が持ち上がるのとがほぼ同時だった。小兵リュッツオーは今ミカサを救援すべく、赤く燃えた粉塵混じりの真っ黒い煙を勢いよく煙突から吐き出しつつ、最大速32ノットで海峡の東側を目指し波を蹴散らしながら猛進を開始した。

 

 そしてヴィクトリーでも・・・。

「ミカサに続きリュッツオーより通信。我、最大速にて海峡東側出口に向かいミカサを救援せんとす、です!」

 アンが電文を読み上げるとフレッチャー少将はニヤリとほくそ笑んだ。

「艦長! 所定の通り、艦隊はミカサ救援に向かう。ビスマルク、エンタープライズにも連絡、第一戦隊は海峡西側より進入、ミカサを救援せんとす。艦隊最大戦速にて我に続航せよ、だ」

「アイ、サー! 機関全速前進! コース020」

「アイ、サー! ・・・ヴィクトリーより第一艦隊全艦に達する。第一艦隊はこれより・・・」

 さあ、いよいよ大詰めだぞ・・・。

 隣でスミタ大尉が僚艦ビスマルクとエンタープライズに向け命令を送信しているのを聞きながら、アンはプライヤーを手にした提督がニンマリしながら独り言ちているのを見た。それは朗らかな笑いではなく、どこか強かな、長年の仇敵を追い詰める老ハンターのような凄みのある笑みだった。
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