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第二章 対決

46 黒くて可愛いハンター

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 背嚢をエンジンルームに置き、ヤヨイとヨードルはドアの外に出た。

 海曹長の部屋はヤヨイの部屋の一階下。最下層のエンジンルームからは一階上がるとそこが目指すフロアになる。先へ行こうとしたヨードルを押し留め、ヤヨイが前を行った。

 ステップの上の水密ハッチのハンドルをゆっくりと回し、少しだけ押し上げて様子を窺った。いきなり藁草履の脚が見え、ヤヨイはハッチを閉じた。

 曳航作業が一段落したので手すきの兵たちが艦内パトロールに回って来たのだと思われた。一歩遅かった。しかし、仕方がない。

「フレッド。ちょっとこのまま待っててくれませんか。自分だけ行って掃除してきます」

 何かを言おうとしたヨードルを可愛らしい笑顔でシーッと黙らせ、ヤヨイは再びハッチを開けた。

 チナ兵は通路の向こう側に背中を向けて立っていた。思い切ってハッチを跳ね上げ、身体をフロアに晒した。反対側には誰もいない。風のように背後から忍び寄って、チナ兵の肩を叩いた。

 とんとん。

 振り向いたチナ兵のみぞおちに一発を繰りこんで内臓に深いダメージを与え、蹲った敵の首をキュッとひねった。

 瞬間的に絶命したチナ兵が頽れる前に彼の銃を奪って床に置き、目を見開いている死体の瞼を閉じてやった。

 これで、3人目。

 ハッチに戻り待っていたヨードルを呼んだ。

「フレッド、済みましたよ。上がってきてください」

 ヨードルは絶命したチナ兵の身体を見下ろし、呆然としつつヤヨイを追って自室へ急いだ。


 

 ヨードルの居室には、まだチナ兵はいなかった。

 機関主任と相部屋のためか、機関部と艦全体の構造図などの図書が多かった。一番高いところにあった「艦内連絡網、及び配線経路図」の冊子を抜いて曹長が該当部分のページを探していると、

「なーご・・・」

 棚の一番上で一匹の黒猫が大儀そうに下を見下ろしていた。

「降りてきなさい!」

 艦内の士官を除く者の中で唯一、ヨードルの命令を聞こうとしない生き物が偉そうに、しかもめんどくさそうに、後ろ足で顎を掻いていた。

「カワイイ! 名前、何ていうんですか?」

「・・・クロ、です。娘が、船の上は寂しかろうとくれたんですが、もう3年も経つのにどうにも自分に懐かなくて困っているんですよ・・・」

 ページを繰りながらヨードルがボヤいたのにどこか好感が持てた。

「クロちゃん、降りておいで」

 ヤヨイが呼ぶと、クロは急に態度を変えて喉を鳴らした。

 ぐるるるるる。

「こいつ・・・。人を選びやがって。少尉、ありました。・・・ここです」

 ヨードルがあるページを開いてそのダクト部分に指を指した時だった。

 ドアの外に気配があった。

 ヤヨイはヨードルに目配せし、じっとして、というようにその腕に触れ背後に意識を集中した。

 ヤヨイの背後でドアが開いた。

「手上げる。床、膝つく!」

 片言の帝国語で敵兵が言った。火薬の匂いが鼻をついた。

 こんな状況でもいくつかの対応オプションはある。そのどれが最適かを考えていると、

「ウミャーッ!」

 なんとクロが棚の上からダイビングして敵兵に飛び掛かったではないか。

 黒猫は敵兵の顔に深々と爪を立てて引っ掻くとさっと飛び去った。もちろん、愛すべき黒猫がくれたチャンスを無駄にはしなかった。顔面を引っ掻かれて怯んだ敵兵に即座に得意の左回し蹴りを見舞った。敵兵は銃を撃つ間もなく、頸椎を折られ即死した。

 ヤヨイはまたも一瞬で敵兵を屠った。その可愛らしい外見からは信じられない鮮やかな殺人技。銃もヘルメットも要らないといったわけがわかった。

 クロは毛の長いずんぐりした体形に似合わず素早く机の上に飛び乗ってきた。

「わにゃおん・・・」とヤヨイを見上げた。

「ありがとう、クロちゃん。あなたはわたしの命の恩人ね」

 黒猫の頭を撫で、顎をくすぐった。クロは嬉しそうにぐるぐる喉を鳴らした。

「これで、4人。でもクロちゃんとポイント半々だから、3・5人、かな?」

 クロは開いた図面の上を無遠慮に踏みつけていそいそヤヨイに近づくと、その黒い毛むくじゃらな身体を彼女に擦り付け、ぐるるるるる、甘えたような声を上げた。

「どうしてコイツが懐かなかったのか、やっとわかりました。少尉。こいつ、オスなんです」

「・・・そうなんですか」

 ヤヨイはネイビーブルーの軍服シャツの胸元のボタンを外してクロを胸の中に入れた。

「連れて行きましょ。こんなところに置いておいては可愛そうですから」

 クロはヤヨイの胸元から首を出してヨードルを睨みつけると、

「ぐるるるる、なーお・・・」

 と気持ちよさそうに唸った。

 ヨードルは天井を向いて深いため息をついた。
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