上 下
59 / 60
第二章 対決

57 「我、203高地を占領せり!」 そして軍神は眠りについた。

しおりを挟む

 海峡を西進していたリュッツオーはようやく目的地にたどり着いた。


 

 艦首の前には生木の大木が連なり、行く手を遮っていた。

「コイツがその『バリケード』かあ・・・」

「・・・デカいですね」

 ブリッジで腕組みしたヘイグとミヒャエルはなにいうともなく呟いた。

 煙幕はもう完全に晴れて狭い海峡の両岸にそれぞれロープが繋がれているのが視認できた。

「あ、今受信してます」

「ミカサか?」

「いいえ。ヴィクトリーからです・・・」

 ミヒャエルはふいに入って来た通信に耳を澄ませ、鉛筆を走らせた。同時にその内容を口述した。

「我、西側バリケード付近に到達せり。貴艦の現在位置を知らせ、です」

「教えてやれ。東側のバリケードに到達した、と」

「アイ、サー!」

 ミヒャエルは正確にキーを叩いた。

 すぐに返信が来た。

「ヴィクトリーから来ました。実力で東西バリケードを撤去、海峡内の障害物を一掃せよ、です」

 ヘイグはため息をついた。

「標的の次は、バリケード引っ張れってか。やれやれ・・・。おい、右舷回頭。機関微速。岸に向かい繋いであるロープを切るぞ」

「あ、また来ました。

 ・・・子供を乗せた小舟群に留意せよ。潮流に流されぬよう係留を要す、です!」

「バリケード撤去の次は、子守りしろってか。かーっ!」

 


 

 ミカサの艦砲射撃にもかかわらず、ヤヨイたちはやはり残敵の攻撃を受けた。やはり敵も海峡と根拠地である湖とをどちらも視界に収めることのできるこの高地の重要性に気付いていたものらしい。

 が、抵抗は軽微だった。

 ヤヨイの第一とノビレ少佐の第二小隊は共同してわずかな残敵を蹴散らし、その山の頂上を、占領した。

 あの北の野蛮人の時の前哨陣地とは違い、頂上は吹きさらしで何の遮蔽物もタコツボさえなかった。爆発で吹き飛ばされ、斜面を転がり落ちたのだろうか、敵兵の遺体もなかった。

 そして、爆発のせいで元々あったらしい、埋め込まれた礎石のようなものが露出していた。何かの文字が彫られていたが、ヤヨイには読めなかった。

「全隊、頂上は占拠した! 周囲に注意して登攀せよ!」

 そしてはるか北を望んだ。

 大きな湖のそこかしこに大小様々な艦船が、まるで箱庭のように一望できた。

 南を振り返ると、はるか下に狭い海峡を望めた。そのすぐ西に3本の黒い煙が立ち上っていた。洋上で別れたヴィクトリーたち3艦にふたたび合流することができたのだ!


 

 ウリル少将が教えてくれた、

「一つの任務で傷ついた心は別の任務で忘れるしかない」


 

 今、一つの任務が終わりを迎え、気が付けばようやくヤヨイの心の迷いも晴れ、傷も小さく、癒えているのを知った。

 あの忌まわしい北の野蛮人の地、前哨陣地の丘での出来事が、ヤヨイの心を責め苛んでいた傷が、ヤヨイの中で消化され、記憶の1ページになり、また新たな1ページが加わろうとしていた。


 

 ヨードルがヤヨイの傍に立った。

「やったな、ヤヨイ!」

 大男は美しい軍神を見下ろして破顔し、高らかに笑った。

 目標を達成した喜びというよりは、生きている喜びを味わうための朗らかな笑い。

 美しい軍神は大男を見上げた。感謝の意を伝えた。

「ありがとう、フレディー・・・」

 が、すぐに背嚢の通信機を取り出しダイヤルを「4」に合わせ、モールスを撃ち始めた。

 ふと、手が止まった。

 この山のことをなんと言えばいいのだろうか。

 やがてマーク達が上がって来た。

「ウッヒョー・・・。いい眺めっスねー」

「マークさん。これ、何と読みますか?」

 ヤヨイは石に刻まれた文字を指した。

「これ、数字ですね。・・・『203』だと思います」

「何だろう。標高だろうか。それとも、この陣地の番号かな」

 いぶかるヨードルを尻目に、ヤヨイは電文案をまとめるとモールスを打ち始めた。


 


 

「通信が入りましたっ!」

 アンはレシーバーから流れて来るツートンという音に集中しながら、今しがた起きた北側の山の爆発を眺めているフレッチャー少将らに呼び掛けた。

「ミカサか!」

 幕僚たちが通信機に詰め寄った。

「いいえ。『ミカサ陸戦隊』、からです」

「『ミカサ陸戦隊』?」

「読み上げます。

『ミカサ陸戦隊よりヴィクトリーに達する。

 ミカサ艦内の敵勢力は全て排除せり』」

「おおっ! 」

 ヴィクトリーのブリッジに大きな歓声が上がった。

「あ、続きがあります。

『並びに、我、海峡北方の203高地を占領せり。これより内陸部湖上の敵水上戦力を殲滅すべく、貴艦隊による遠距離砲撃誘導の用意あり。貴艦よりの推定距離約9000』、です!」

 フレッチャー少将が、凄みのある笑みを漏らした。

「よ~し・・・。艦長! 主砲攻撃用意! 通信長、ビスマルクとエンタープライズに連絡、これより第一艦隊は北方の敵水上戦力を撃破する、と!」

「アイ、サー!」

 ブリッジから見下ろす前部と後部の砲塔がゆっくりと北に回ってゆく。続くビスマルクもエンタープライズも、同時に4門の主砲が仰角をいっぱいに上げていった。そしてほぼ真北を指して回転が止まる。3隻の帝国海軍最新鋭の戦艦の合計12門の主砲が、発射準備を終えた。

「前部砲塔よりブリッジ。発射準備完了!」

 伝声管が伝えてきた。

「主砲、撃ち方始め!」

 ドドォーンッ!

 ヴィクトリーの主砲が火と発射煙を噴いた。

 

 ヤヨイたち、「203高地」を占領したミカサ陸戦隊のはるか上空を12発の巨弾がゴウゴウと音を立てて飛んでいった。それは美しい放物線を描いて湖のど真ん中よりやや北側に落ち、グワーンという音と共に高い水柱を上げた。

 ヤヨイは頂上に上がって来た第二小隊の砲術科の中尉に言った。

「中尉、弾着誘導をお願いできますか。中尉の指示で小官がモールスを送ります」

「わかった」

 彼は傍らの兵から双眼鏡を受け取るとたった今の弾着地点を起点にして双眼鏡を構え、

「北400、東250の鉄甲船を狙う」

 と言った。ヤヨイはそれを全艦宛て打電した。

 3艦の主砲弾は正確に誘導地点に落下し、そのうちの何発かが大型の鉄甲船に命中して火災を起こし、鉄甲船は船体を真っ二つにされて浅い湖底に沈没した。

「でかしたぞ! ヴァインライヒ少尉!」

 モールスを打ち続けるヤヨイの背後で腕組みしたノビレ少佐が唸った。

「貴官は、おなごにしておくのは勿体ない御仁だ」

 北の国出身の機関長は古めかしい言葉でヤヨイを褒めた。

 すぐ眼下の運河の出口からはミカサの巨体が湖水に進入しようとしていた。


 


 

 艦長席のワワン中将は落ち着いて命令を下していった。

「これより本艦は大きく湖面を回頭し、再び運河に進入する。その間、残弾全て敵艦に叩きこむ!

 全艦右舷砲撃戦用意! 速力微速。左舷方向に回頭しつつ、各砲適宜に射撃して宜しいっ!」

「アイ、サー! 機関微速!」

「面舵!」

「前後部主砲塔及び右舷副砲、右舷砲撃戦用意っ!」

 運河を出きってから、ミカサは一度右に大きく舵を切った。そして舵を戻して左に向かい、湖のほぼ中央をゆるやかに回頭しつつ、艦腹を敵船に向けた。

「前部主砲塔発射準備完了!」

「右舷副砲1番から5番発射準備よし!」・・・

 右舷砲撃戦の準備が整った。

 ハンター少佐は、それら伝声管に向かって命令を下した。

「主砲、及び右舷全副砲。撃ち方、始め! 」

 ミカサの全主砲と右舷の10門の副砲が一斉に火を噴いた。それまで散々に痛めつけられ、翻弄された恨みつらみを晴らすかのように。

 ミカサの砲門は、徹甲弾を撃ち続け、火を吐き続けた。

 水上の艦船だけでなく、地上の施設やドック、ありとあらゆる構造物を、ミカサの砲弾は薙ぎ払い、ヴィクトリー以下3艦の砲弾もまた天から降り注ぎ、あたりを破壊し続けた。静かだった湖はたちまちに地獄絵図となり、ゆっくりと回頭を終えたミカサが再び運河にその艦首を進入させるころには、水上地上を問わず、チナの秘匿してきた水上戦力のほとんどが火を噴き、湖底に沈み、灰燼に帰していた。

 ミカサの弾薬庫は全て空になった。

 ヴィクトリーらからの砲弾も飛来を止めた。

 陸戦隊を収容するため、ミカサは運河の西岸に接岸した。散々に咆哮した砲門も冷え、ミカサは再びその雄姿を静かに水面に映えさせていた。


 


 

 報復は、終わった。

 母なるミカサに戻った陸戦隊の面々は、甲板上に整列した。

 ヤヨイはその前に立ち、解散の辞を述べた。

「みなさんのおかげで敵の戦力を全て、壊滅することが出来ました。

 これでミカサ陸戦隊を解散します。本来の持ち場に戻ってください。ありがとうございました! 」

 水兵たちの奮闘に、軍隊にまったく似つかわしくない、市井の言葉で感謝した。

「ミカサ陸戦隊、指揮官殿に、敬礼!」

 ヨードルの発声で水兵たちは束の間自分たちの指揮官を務めた少女に対し、一斉に敬礼した。ヤヨイも恥ずかしがりつつ答礼し、右手を下ろした。

 それでも「元」陸戦隊は敬礼と整列を解かなかった。

 最上位のノビレ少佐がブリッジに上がってゆくヤヨイに敬礼したままだったからだ。仮に少佐が敬意を表するのを止めたとしても、ヤヨイの姿が消えるまで、誰一人その場を動くことはなかったのではないだろうか。


 

 ステップを登りつつヘルメットを脱ぎ小脇に抱えた。

 ヤヨイは疲れていた。とてつもなく、疲れていた。

 これで、全て、終わった・・・。そう思いたかった。

 だが、頭の片隅にしこりを見つけた。

 やるべきことが、もう一つ、あった。

 ブリッジに登り入り口にいた信号兵に銃を預け、ワワン中将に復命した。

「ヴァインライヒ少尉、ただいま戻りました。被害はありません。全員無事に帰還できました!」

「ご苦労だった!」

 ワワン長官は席を立ってヤヨイの手を取り、両手でしっかりと握った。

「帰港までゆっくり休め」

「お言葉ですが、長官。もう一つ、懸念があります」

 そう言って通信機に歩み寄ると、裏ぶたを取り外して中の基盤を引き出した。その基盤をじっと見つめると、傍に立っていたデービス大尉を睨んだ。

「大尉。この基盤にあった真空管4つ。どこにありますか?」

 大尉の額にうっすらと汗が浮かんだのをヤヨイは見逃さなかった。

 と、

 急に身を翻したデービスは、信号兵に掴みかかって、ヤヨイから預かった小銃を手にし、ブリッジの面々に向けた。

 ヤヨイは静かに立ち上がり、両手を広げてデービスに近づいた。

「大尉。銃を捨ててください。これ以上、罪を重ねてはいけません」

「く、来るなっ!」

 ヤヨイは、構わずに大尉に近づいた。

 何かを悟ったデービスが、その銃口を口に突っ込み引き金を押した。

 撃鉄は、カチン、と乾いた音を立てた。

「大尉。お気の毒ですが、全弾、山の上で使い尽くしていました」

 まだ硝煙の香りを放つ銃口を吐き出し、デービスは力なく床に頽れた。蹲ったデービス海軍大尉に、ヤヨイは、声をかけた。

「あなたのデートのお誘いに応じられなくて、すみませんでした」

 


 


 


 


 

 ヴィクトリー、エンタープライズ、ビスマルクの3艦は、運河から出てきたミカサとようやく隊列を復活させることが出来た。

 が、再集結を果たした4隻の帝国海軍主力戦艦が最初に為した作戦行動は、海峡内に未だ浮かんでいた多数の小舟の上の夥しい数の子供たちを救助することだった。

 4艦とも兵員食堂だけでは足りず、水兵たちの居住区まで使って子どもたちを収容、手当の必要な子供には医務官や水兵が総出で治療に当たり、ハラの減った子供には有り余るほど積んでいた戦闘糧食を配った。

 日頃水兵たちに不評だった、不味い戦闘糧食だったが、子供たちは瞬くうちにそれを平らげ、小一時間もするとみんなハンモックや水兵たちに抱かれて眠り始めた。


 


 

 ヤヨイも、眠くて仕方がなかった。

 なにしろここ数日というもの、満足に寝ていなかったし、この数時間で気力と体力の全てを使い尽くしていたからだ。

 それでも最後の力を振り絞り、長官に願い出た。

「長官、チェン少佐とルメイ艦長のお見舞いをしたいのですが」

 老提督はそれを聞いて微笑した。

「副長は治療を受けて鎮静剤を打たれ、今、眠っている。ルメイの部屋に行くなら私も一緒に行こう」

 ワワン中将に伴われて、ルメイの個室に向かった。

 部屋の前で長官はヤヨイに呟いた。

「君に伝えておく。彼の傷は、だいぶ深いらしい。今夜が、峠だそうだ」

 ベッドの傍らには女性看護兵が付き添っていた。

 彼女は中将に気付くと席を立ち敬礼した。

 長官が彼女の耳元で何かを囁くと看護兵はゆっくりと首を振り、部屋を出ていった。

 ルメイは入って来たヤヨイと長官に気付くと汗の浮いた瞼を少し開いた。何か言いたそうに口を開こうとしたが、なかなか言葉にならなかった。

「もういい。何も言うな。今はゆっくり休むことだ」

 大佐はうん、と頷き瞼を閉じた。

 目尻から一筋の涙が流れ落ちた。

 そして再び目を開け、ヤヨイを手招いた。

 軍神マルスの娘は横たわる亡命志願者の口に耳を寄せ、彼の言葉を待った。

 それはあまりにも小さすぎてほとんどが断片ばかりの言葉だった。

 彼は自分の胸にゆっくりと手を当て、言った。

「バカ、ロレア、学生・・・」

 ルメイは自分の胸を弱々しく叩いた。

「ばあろん、ヴァイン、ライヒ、友達・・・」

「え? バロン?」

 今、なんと?


 

 ルメイは大きくウンと頷いた。

「やっと、・・・思い出して・・・。飛び級、・・・友達・・・。彼だけ」

 恐らくは、痛みを抑える鎮痛剤のせいだろう。意識が混濁しているのだと思われた。

「ヴァインライヒ男爵? その人が大佐のバカロレアでの友達だったのですか? そうなのですか、ルメイ大佐!」

 するとルメイは激しい発作を起こした。すぐに看護兵が入ってきて、

「申し訳ありません。これ以上は・・・」

「わかった。済まなかったな、軍曹」

 老提督は、マルスの娘のか細い肩を抱いてルメイの部屋を後にした。


 

 それから1時間もしないうちに、ルメイの命の灯は消えたという。

 彼は並み以上の才能を持ちながら、そのあまりにも強すぎる虚栄心のために道を誤り、命を縮めた。

 この数日間に及ぶ「ミカサ事件」による帝国海軍の死者は、彼一人だけだった。

 


 

 ルメイが死に際にもたらした思いがけない話を胸に抱きつつも、ヤヨイもまた、限界を迎えていた。

 疲れ切った身体を何とか自室まで引きずって、ベッドに倒れ込んだ。


 


 


 

 それからまるまる3日間。

 ヤヨイは眠り続けた。


 

 彼女が目を覚ましたのはエンタープライズとビスマルク2艦に曳航されたミカサがターラントの港に入る直前だった。

 彼女の居室のベッドの足元には、ヨードルの愛猫、クロが、身を丸くしていた。まるで、真の主人であるヤヨイを守る衛兵であるかのように。

 ヤヨイが目を覚ますと、クロは吼えた。

「みゃうわあああーんっ!」

「あー・・・。よく寝た」

 ヤヨイは、舷窓からの眩しい光に目を顰めつつ身体を起こした。まだ身体中が気怠くて立ち上がるのが億劫だった。

「ふにゃあ~ん?・・・」

 クロは甘えたようにヤヨイに寄り添い、体を擦りつけた。

「クロちゃん。ずっとそばに居てくれたの? ありがとう!」

「わおんっ! うにゃああんっ!」

 クロは、そう応えた。ずっと見守っていたヤヨイが目を覚ましたのが嬉しかったのだろう。そして、自らすすんで軍神マルスの娘の腕の中に納まった。

 コンコン。

「ヴァインライヒ少尉、目が覚めましたか?・・・」

 ヨードルの声に、「はい」と答えた。

「入ってもよろしいですか」

「・・・はい」

 クロを置いて立ち上がろうとしたが、またすぐよろけ、ベッドに座り込んだ。まだダメージから回復していなかったのだな。そう思わざるを得なかった。クロがヤヨイの膝の上に乗った。

 入って来たヨードルはヤヨイの顔を見て顔を綻ばせた。

「ああ、よかった。丸3日間も眠ったままだったんですよ。心配しました」

 そう言ってドアを閉めるとヤヨイに寄り添い、そっとその肩を抱いた。

「本当に心配したんだよ、ヤヨイ」

 うにゃ! 

 クロは、ヨードルをいぶかるように、唸った。

「・・・フレディー」

「頑張ったな、ヤヨイ・・・」

 先任士官は言った。

「あと2時間で桟橋に着く。何か飲むかい? 」

 ヨードルの温もりに、ヤヨイは、記憶の無い父親の慈愛を感じた。

 死に際にルメイが話してくれた、「ヴァインライヒ男爵」という人。

 その人も、こんな感じだったのだろうか。

 暇が出来たら、是非バカロレアの学生課に問い合わせてみなければ・・・。

 ヤヨイはヨードルのつぶらな瞳を見つめた。

「あのう・・・、お腹がすきました。戦闘糧食以外の食べ物は、ありますか?」

 2人のやり取りを待っていたクロは、ふたたびヤヨイの胸に飛びつき、

 ぐるるるるるるる・・・。

 喉を鳴らした。
しおりを挟む

処理中です...