62 / 83
第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
62 ペールの嘘
しおりを挟むハーニッシュを追放になったばかりで途方に暮れていたころ。
ノール陸軍に入隊しようかどうか迷った挙句、ペールは兵営まで行ったことがある。
結局、兵隊にはならなくて、その代わりにアニキに声をかけられて拾われたわけだけれど。
兵営では古式ゆかしい戦列歩兵の演習真っ最中だった。
どんどんどんどんどんどんどこどん、どこどんどんどこどこどんどこどん・・・。
「ブリティッシュ・グレナーディアーズ」というらしい。その古めかしい太鼓と笛の音に合わせ、兵たちが横一線に一糸乱れずに敵陣へ向かって行進してゆく。
そんな悠長な行進してたら、たちまちにマトになってしまうだろうな。そう思って、バカバカしくなったのを思い出す。
でも、その太鼓の音が妙に耳に残っていた。
今。
降り続く雨の暗闇の中で、無意識にか、かつての故郷に入り込んでいたペールの胸は、その行進の太鼓の音よりもはるかに大きく高鳴っていた。
自分がかつて暮らした家は、もうそこにはない。
不埒を繰り返し、神の教えに背いた不肖の息子を苦にし、父も母もとうに天に召され、家も空き家になっている。親友のクリスティアンからはそう聞いてはいた。
無意識のうちに、ノラの家のドアの前に立っていた。
自分はこの家の大切な一人娘を奪い、自分と同じ追放者にしてしまった。
だから、ホントなら顔を出せた義理ではない。どの面下げて! そういわれるのがオチだ。でも、他に寄る辺はなかった。
ドアを叩いた。
真っ暗だった窓辺にほの明るい灯が浮かび上がり、やがて、ドアの向こうから重々しい声が響いた。
「どなたですか」
若い男にとり、ただでさえ、彼女の父親というのは鬼門だ。ましてや、ペールには、特に。
「・・・ペールです、ムンクさん」
しばしの沈黙があった。
ギイ、とドアが鳴った。
黒い影がカンテラを下げて立っていた。下からの灯りに浮かび上がった不気味な貌がペールを睨んでいた。思わず、身が竦んだ。
「しばらくです、ムンクさん」
黒い影の恐ろしい貌に表情はなかった。
沈黙が、長かった。
胸の高鳴りは、最高潮に達していた。太鼓の音が、より一層ペールを揺さぶった。
「・・・遅い時間に、すいません」
ふいに、太鼓の音が止んだ。
目の前が、急に暗くなった。
目の覚めるようなブルーのアビ・ア・ラ・フランセーズもぐっしょりと濡れ、納屋の横木に掛けられていた。しずくの落ちる藁積みの向こうには荷馬車を曳くロバが休んでいた。
「このような嵐の夜に、しかも王都から休ませもせずに駆けさせてきた、とは・・・」
ムンクは干し藁の上に横たわったペールを顧みながら、藁束で横たわった黒毛の腹を擦り続けた。
「幸い、疝痛(せんつう)までは起こしてはいないようだ。馬は濡れるのを嫌う。人間と同じだ。よかったな。強靭な馬に、感謝するのだ」
濡れた馬を放置すると腹が冷え、悪化すると胃潰瘍を起こし、時には死ぬことさえある。馬のことをよく知りもせずに平気で乗り回し続けていたペールは、少し申し訳ない気持ちになった。
「お前を母屋に入れることはできん。悪く思うな」
「いいえ、ありがとうございます、ムンクさん」
藁の褥の上で、ペールは首(こうべ)を垂れた。
ムンクは藁束を捨て、黒毛の腹を、首筋を幾度か撫でてから、やおら立ち上がった。ペールに背を向けたまま、壁に掛けられたカンテラを取った。
「わたしは今、・・・耐えている」
白髪の混じった長い金髪を背中に垂らした、ムンクの肩が震えていた。そして、声も。
「里の掟を破っただけではない、お前は、わたしのたった一人の可愛い娘を奪い、里に居れなくした。わたしにとってお前は、憎っくき悪魔だ!
だが、私事で怒りを露にすることは神の教えに背く。
神の御慈愛と、ノルトヴェイトさまの御恩情に感謝し、神に許しを請うことだ。朝になったら、帝国へでもどこへでも好きに行くがいい。サッサと立ち去れ!」
そう言いおいて納屋を出ようとするムンクに、半ば無意識に、声をかけていた。
「ムンクさん!」
「礼ならば、無用だ」
「違います。オレがなぜ帝国に行こうとしていたか、本当のことをお知らせしたかったんです!」
「・・・本当のこと?」
嘘を吐くことは神の教えに背く。
だが、ペールにはもう神などどうでもよかった。神も、この世も、どうとでもなればいい。
めちゃくちゃにしてやる!
そんなわけのわからない理不尽な思いに駆られた。
なぜだか、そんな想像をめぐらすと、気がスーッと、晴れた。
そうだ。全て、めちゃくちゃにしてやる!
「そうです、ムンクさん。
バロネンに、ノルトヴェイトさまに危機が迫っているんです!」
「なんだと?」
ムンクは、ゆっくりと振り向いた。
「ノルトヴェイトさまの従者は、あれは、ニセモノです! 王国の諜報の手の者と密会していました。もしかすると、ノルトヴェイトさまを快く思わない、皇太后の手下かも。
だからオレは、それを、バロネンの危機を帝国に知らせに行こうと・・・」
ムンクの大きな、黒い影が藁の褥に身を起こしたペールに近づいた。
「・・・もう一度、説明しろ! きちんと。筋道を立てて!」
ペールは、もう後へは引けないウソをついてしまった。
もっとも、全てがウソではなかった。彼が無意識に吐いた出まかせの一部には真実も含まれていた。
ノール王国転覆を企てるアニキこと「もぐら」の計画。
それを阻止しようと計画したグロンダール卿と帝国のウリル機関。そして送り込まれたエージェント・ヤヨイと彼女が偽装している「ノルトヴェイト家」の伝説。
そうとは知らずに王家存続の障害になると思い込み、ノルトヴェイト抹殺を果たした皇太后。
その全ての真実を知らぬまま、ペールはパンドラの函を開けてしまった。
それはつまり、ハーニッシュ30万の一斉蜂起を意味していた。
一度動き出せば、それはもう誰にも止めることはできない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる