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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
76 ペールとノラ
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クリスティアンだけではなかった。
ペールの後には、誰に命じられたのでもない、かつて共に遊び、共に叱られ、共に神に祈りを捧げていた若い「黒装束の騎兵」たちが10騎ほど、ぬかるんだ街道脇を泥水を跳ね上げつつ続いていた。
いかに親しかった友と言えども掟は厳然としてあった。
神を冒涜こそしなかったが、ことごとく掟に背き、仲間の花嫁まで奪って、挙句の果てに幼馴染の間でもひと際可愛かったノラまで拐(かどわ)かしたヤツ!
しかし、バロネン・ヴァインライヒ、ノルトヴェイト公爵家の血筋をひく帝国貴族の存在が全てを変えた。
彼女と共に村に現れたペールはもう「掟破りの追放者」ではなかった。
ハーニッシュ族には同じキリスト教徒とはいえ、教会と司祭というシステムを持つカトリック教徒には一種の敵対心があった。それは、図らずも旧文明の中世から近世にわたり度々繰り返されてきた宗教戦争と同じ構図だった。
彼らハーニッシュに取り、神と人との間に立って権威を振りかざす存在を持つカトリックの教義が我慢ならなかったのである。神を敬うポーズをとりながら、現世の快楽を追及して華美な風を追い求める輩たちが許せなかったのである。
決して我がことで怒ってはならない。
そうした掟も彼らの鬱積した憤怒まで鎮めるには至らなかった。むしろ、ノラの父のムンクや最長老であるハンヴォルセンまでもが心中に抱いてきた思いそのものだったのである。
「これは決して私憤ではない。神の怒りである!」と。
ペールの吐いたささやかなウソは、こうしてハーニッシュ族の大儀になった。
ましてや、血気盛んな若者たちにおいておや。
故に、義憤に駆られたペールの幼馴染たちは、むしろ鬱積し、鬱屈した思いの捌け口を得た思いでペールに付き従ってきているのだった。
幼馴染たちはペールをノール語でいうFrigjører フリーヨレル、「解放者」として迎え、尊敬の念すら抱いていたのだった。
彼らはみな無言だった。だが、後ろを振り返ったペールの目には、どの顔にも熱い血潮の滾(たぎ)りが見て取れた。この降り続く鬱陶しい雨を蒸発させるかのような、熱い滾りが。その気持ちはペールもよくわかっていた。
「ペール! 」
ふいに並行して馬を疾駆させているクリスティアンが彼方を指さした。
雨の向こう。それを超えるとあとは王都まで続く小麦畑である低い丘陵が連なる稜線の上に、ノール陸軍の歩兵部隊のヘルメットが延々と並んでいるのが見えたのだ。
防衛線だ!
おそらくは2万~3万に及ぶ王都防衛の陸軍の部隊、その全軍か一部かがもう、出張ってきているのだ! 予想外に王国の対応が早い!
ペールは左手を上げ右に振った。
一団は進路を変え丘陵を南に迂回する道を採った。
帝国の払い下げ品とは聞いていたが、ハーニッシュの持つ滑とう式の旧式銃よりもはるかに性能のいいライフル銃をふんだんに持ち、大砲まで備えている軍隊とマトモにやりあったりド真ん中を突っ切るバカはない。
幸いに雨はまだ降り止む気配を見せてはいなかった。雨の上げる水煙と雨音がペールたちの姿と蹄の音を隠してくれるはずだ。
数マイルほども南下して、ペールたちはノール軍の前衛を躱すことに成功した。
前代未聞!
国王自ら王都オスロホルム防衛の先頭に立つとは!
奇しくも、深紅のヤヨイと同じ、近衛騎兵正式軍装に身を包んだスヴェン27世と幕僚の一行「首都防衛総司令部」が、揃いのピコルヌ帽から雫を垂らしつつ布陣した最前線の幕舎に入った。
「皆の者、大儀である! 諸事どのようになっているか」
いち早く出張った近衛騎兵連隊の連隊長も、後続して布陣しつつある王都防衛の軍団司令官以下幕僚たちも、突然の国王自らの臨席にみな血相を変えて辞立し、控えた。
あまりに突然な行幸に一同委縮し無言でいるのを、国王に従ってきた国防大臣ビョルンソン大将が見かねて介添えした。
「誰でもいい。現況を説明したまえ! 」
司令部の幕舎が恐懼の空気に覆われてしどろもどろしている間にも、国王の一行に遅れて王都周辺の駐屯地から出動してきた増援部隊が次々に到着し、諸部隊の指揮官の号令の下、泥水を跳ね上げ、軍靴を鳴らし、砲車を押して最前線の左翼右翼へと散っていった。
「では申し上げます! 目下の部隊配置は・・・」
幕舎の空気を察した騎兵連隊の参謀少佐気鋭の一人が進み出、幔幕の中央に設えられた図面卓指し示めつつ、説明を始めたときだった。
「伝令! 」
南の方角から声を張り上げつつやってきた騎兵が馬から下りるのももどかし気に大声を張り上げて報告した。
「南6マイル地点で、東へ向かう騎馬隊を発見! 第五連隊の一部がこれを追跡! 近衛騎兵にも追撃の要ありと意見具申します! 」
なんと!
ハーニッシュの突破を許したのか!
一瞬にして幕舎は騒然となった。
「して、兵力は? 」
全防衛部隊を統括する司令官が問いただした。
「おおよそ一個分隊、30騎ほどかと。あいにく雨のため視認困難にて・・・ 」
「後続の軍勢は? 」
「現在までのところありません! 」
「わかった。ご苦労! 即時騎兵の一隊を追撃に差し向けると伝えよ」
伝令を送り出した司令官はビョルンソン大将を振り仰いだ。
大将には司令官の言わんとするところがわかった。
それで、ピコルヌ帽を小脇に抱え兵力配置図の載った卓のそばに立っている国王に恭しく進言した。
「陛下。申し上げたき儀がございます」
「なんだ、大将」
聡明ではある。そして、国王たるに相応しい威厳も備え始めていた。だが、いかんせんまだ若すぎ、経験がなさ過ぎた。こういう場合の自分の立ち位置というものが把握できていない。だから、大将は慎重に言葉を選んだ。
「陛下直々のお出ましにより、前線の士気も大いに上がりました。この雨の中、あれらの兵たちの一兵に至るまで、陛下の国を思うお気持ちは充分に伝わったものと拝察いたします 」
「で? だから、なんだ! 結論を申せ、大将! 」
「はい。この際、陛下には一度王宮にお戻りいただき、王宮の守りの陣頭指揮に専念されてはいかがかと存じます。 」
「後方へ下がれと申すか」
小部隊とはいえ、一部の敵部隊の後方への通過を許してしまっている以上、この後の戦況の推移は予断を許さぬ情況に来ていた。
現場としては、万一を考え、玉体の安全を図るのが第一だった。かけがえのない王位は、万難を排して守り参らせねばならぬ。
「これ以上の賊軍の進攻は絶対に阻止せねばなりません。この上は我が軍幹部、士官、兵たち全て、この線を死守する腹積もりにございます。その激しさいかんでは、いかな陛下の御威光をもってしても想像を絶するような場にならぬとも限りませぬ。
戦場には流言飛語はつきもの。それには、王都の民や王宮の者たちの心を安んじ、心騒がせぬよう、陛下の御存在が必要なのでございます! 」
スヴェンは反駁しかけた。
だが、そこは辛うじて自制した。
聡明なるがゆえに軍務大臣の言わんとするところが理解できたからである。あまりに早く即位し過ぎたため、スヴェンにはまだ戦闘の激しさ、真の恐ろしさというものが理解できていなかった。若輩は、自覚していたのである。
「わかった。前線に出て、卿ら幹部と兵たちの高い士気に触れ、余も安堵した。ここは王宮に下がり、卿らが後顧の憂いなく存分の働きを務められるよう余自ら銃後の守りに就き、務めようと思う。
大将。配慮、大儀であった」
率先して騎乗し大雨もものともせずに最前線まで出てきたのにも驚いたが、部下の諫言を素直に聞き入れるのもまた名君に相応しい資質だ。
若き君主は力の入りすぎていた肩を落とし、ふうと息を吐いた。
衒いやムダな気負いのない実直なその姿に、軍務大臣ビョルンソン大将もまた、真に仰ぐに値する君主に対する礼をとり、深く頭を垂れた。
「おい、起きろ、ノラ。起きてくれよ!」
気が付けば晩餐会の折に来た従者溜りの長椅子に寝ていた。傍らにはグンダーの困ったような顔。それに、その部屋の開いたドアの向こうの廊下をせわし気に行きかう侍従や女官たちの姿が見えた。
「あ、痛・・・」
少し、頭が痛い。
あのペールを追っていった港の13番倉庫に突入しようとして気を失った時と同じだった。
「あの、黒い人たちは?」
「さあな」
ヤレヤレと首を振りながら、グンダーもまたアタマを搔きむしりつつ、せわし気な廊下の様子を見やった。
「オレも今目が覚めたところだったんだ。たぶん、クスリか何かで眠らされていたんだろうさ」
「いったい、何事なの?」
そう問いかけて、そういえば王宮の衛兵が「ハーニッシュが攻めてきた」と言っていたのを思い出した。
「そうだわ! ハーニッシュよ! それには、イングリッド様を! 」
と。
開け放したドアの向こうから大きくはあるが低い落ち着いた厳しい女の声が響いてきた。
「手の空いている者はテーブルクロス、ナプキン、何でもいいから掻き集めて! 侍従は動かせるだけのテーブルを全て大広間へ! 今に傷ついた兵たちが大勢運び込まれてくるわ! 急いでちょうだい! 」
その声の主は、数人の女官と侍従たちを引きつれてドアの前を通りかかり、ふとノラたちと目が合った。
「あなたたちは誰? 何用あって王宮へ? 」
ひと際背が高く、それだけに黒一色の官服の圧力は大きかった。ノラは、その鋭い目つきの女官の頭のような人に言った。
「あ、はい! あ、・・・」
勢いで立ち上がったおかげで少し頭が痛んだが、それを押して申し出た。
「バロネン・ヴァインライヒ様の付きの者です! バロネンをお迎えに参ったのですが、思いもかけずにこんな有様になってしまって・・・」
その黒衣の長身の女官はしばし冷たい目でノラを見下ろしていたが、やがてこう言った。
「バロネンは、もうここにはいない。あなたはゴルトシュミット卿の家の者ね。すぐに屋敷に帰りなさい。もうすぐ、ここは傷病兵で溢れるかもしれないから」
「ですが、バロネンをお迎えにあがったのです! バロネンと、イングリッド様とご一緒でなければ! 」
すると、黒衣の女官はずい! とノラの前に歩を進めた。
「ヴァインライヒ女男爵様は、もうここにはいない。今は大聖堂においでになるが、お前程度の者が行くところではない。ただちに屋敷に帰りなさい! 」
「大聖堂ですね。では、参ります! グンダー! 」
「待ちなさい! 行ってはいけない! 」
制する女官を押しのけるように、ノラはトリコーヌを被った。
「わたしはハーニッシュの出です! 彼らが攻めてくるなら、バロネンにお願いして間を取り持っていただきたい。そうすれば、彼らも、王国軍の兵隊さんたちも、傷つかずに済みます! 」
ノラは、押し切った。そして風のように従者溜りを出て行った。
女官長ヴェンケ、帝国のエージェント「ジュピター」は、敢えてそれを止めなかった。
口の端をニヤ、と引き上げ、しばし雨の中を駆けてゆく男装の娘を見送った。
そして、パンパンと手を叩いた。
「あなたたち! ボヤボヤしない! このテーブルと長いすも全部運び出すのです! 早く大広間へ! 」
ペールの後には、誰に命じられたのでもない、かつて共に遊び、共に叱られ、共に神に祈りを捧げていた若い「黒装束の騎兵」たちが10騎ほど、ぬかるんだ街道脇を泥水を跳ね上げつつ続いていた。
いかに親しかった友と言えども掟は厳然としてあった。
神を冒涜こそしなかったが、ことごとく掟に背き、仲間の花嫁まで奪って、挙句の果てに幼馴染の間でもひと際可愛かったノラまで拐(かどわ)かしたヤツ!
しかし、バロネン・ヴァインライヒ、ノルトヴェイト公爵家の血筋をひく帝国貴族の存在が全てを変えた。
彼女と共に村に現れたペールはもう「掟破りの追放者」ではなかった。
ハーニッシュ族には同じキリスト教徒とはいえ、教会と司祭というシステムを持つカトリック教徒には一種の敵対心があった。それは、図らずも旧文明の中世から近世にわたり度々繰り返されてきた宗教戦争と同じ構図だった。
彼らハーニッシュに取り、神と人との間に立って権威を振りかざす存在を持つカトリックの教義が我慢ならなかったのである。神を敬うポーズをとりながら、現世の快楽を追及して華美な風を追い求める輩たちが許せなかったのである。
決して我がことで怒ってはならない。
そうした掟も彼らの鬱積した憤怒まで鎮めるには至らなかった。むしろ、ノラの父のムンクや最長老であるハンヴォルセンまでもが心中に抱いてきた思いそのものだったのである。
「これは決して私憤ではない。神の怒りである!」と。
ペールの吐いたささやかなウソは、こうしてハーニッシュ族の大儀になった。
ましてや、血気盛んな若者たちにおいておや。
故に、義憤に駆られたペールの幼馴染たちは、むしろ鬱積し、鬱屈した思いの捌け口を得た思いでペールに付き従ってきているのだった。
幼馴染たちはペールをノール語でいうFrigjører フリーヨレル、「解放者」として迎え、尊敬の念すら抱いていたのだった。
彼らはみな無言だった。だが、後ろを振り返ったペールの目には、どの顔にも熱い血潮の滾(たぎ)りが見て取れた。この降り続く鬱陶しい雨を蒸発させるかのような、熱い滾りが。その気持ちはペールもよくわかっていた。
「ペール! 」
ふいに並行して馬を疾駆させているクリスティアンが彼方を指さした。
雨の向こう。それを超えるとあとは王都まで続く小麦畑である低い丘陵が連なる稜線の上に、ノール陸軍の歩兵部隊のヘルメットが延々と並んでいるのが見えたのだ。
防衛線だ!
おそらくは2万~3万に及ぶ王都防衛の陸軍の部隊、その全軍か一部かがもう、出張ってきているのだ! 予想外に王国の対応が早い!
ペールは左手を上げ右に振った。
一団は進路を変え丘陵を南に迂回する道を採った。
帝国の払い下げ品とは聞いていたが、ハーニッシュの持つ滑とう式の旧式銃よりもはるかに性能のいいライフル銃をふんだんに持ち、大砲まで備えている軍隊とマトモにやりあったりド真ん中を突っ切るバカはない。
幸いに雨はまだ降り止む気配を見せてはいなかった。雨の上げる水煙と雨音がペールたちの姿と蹄の音を隠してくれるはずだ。
数マイルほども南下して、ペールたちはノール軍の前衛を躱すことに成功した。
前代未聞!
国王自ら王都オスロホルム防衛の先頭に立つとは!
奇しくも、深紅のヤヨイと同じ、近衛騎兵正式軍装に身を包んだスヴェン27世と幕僚の一行「首都防衛総司令部」が、揃いのピコルヌ帽から雫を垂らしつつ布陣した最前線の幕舎に入った。
「皆の者、大儀である! 諸事どのようになっているか」
いち早く出張った近衛騎兵連隊の連隊長も、後続して布陣しつつある王都防衛の軍団司令官以下幕僚たちも、突然の国王自らの臨席にみな血相を変えて辞立し、控えた。
あまりに突然な行幸に一同委縮し無言でいるのを、国王に従ってきた国防大臣ビョルンソン大将が見かねて介添えした。
「誰でもいい。現況を説明したまえ! 」
司令部の幕舎が恐懼の空気に覆われてしどろもどろしている間にも、国王の一行に遅れて王都周辺の駐屯地から出動してきた増援部隊が次々に到着し、諸部隊の指揮官の号令の下、泥水を跳ね上げ、軍靴を鳴らし、砲車を押して最前線の左翼右翼へと散っていった。
「では申し上げます! 目下の部隊配置は・・・」
幕舎の空気を察した騎兵連隊の参謀少佐気鋭の一人が進み出、幔幕の中央に設えられた図面卓指し示めつつ、説明を始めたときだった。
「伝令! 」
南の方角から声を張り上げつつやってきた騎兵が馬から下りるのももどかし気に大声を張り上げて報告した。
「南6マイル地点で、東へ向かう騎馬隊を発見! 第五連隊の一部がこれを追跡! 近衛騎兵にも追撃の要ありと意見具申します! 」
なんと!
ハーニッシュの突破を許したのか!
一瞬にして幕舎は騒然となった。
「して、兵力は? 」
全防衛部隊を統括する司令官が問いただした。
「おおよそ一個分隊、30騎ほどかと。あいにく雨のため視認困難にて・・・ 」
「後続の軍勢は? 」
「現在までのところありません! 」
「わかった。ご苦労! 即時騎兵の一隊を追撃に差し向けると伝えよ」
伝令を送り出した司令官はビョルンソン大将を振り仰いだ。
大将には司令官の言わんとするところがわかった。
それで、ピコルヌ帽を小脇に抱え兵力配置図の載った卓のそばに立っている国王に恭しく進言した。
「陛下。申し上げたき儀がございます」
「なんだ、大将」
聡明ではある。そして、国王たるに相応しい威厳も備え始めていた。だが、いかんせんまだ若すぎ、経験がなさ過ぎた。こういう場合の自分の立ち位置というものが把握できていない。だから、大将は慎重に言葉を選んだ。
「陛下直々のお出ましにより、前線の士気も大いに上がりました。この雨の中、あれらの兵たちの一兵に至るまで、陛下の国を思うお気持ちは充分に伝わったものと拝察いたします 」
「で? だから、なんだ! 結論を申せ、大将! 」
「はい。この際、陛下には一度王宮にお戻りいただき、王宮の守りの陣頭指揮に専念されてはいかがかと存じます。 」
「後方へ下がれと申すか」
小部隊とはいえ、一部の敵部隊の後方への通過を許してしまっている以上、この後の戦況の推移は予断を許さぬ情況に来ていた。
現場としては、万一を考え、玉体の安全を図るのが第一だった。かけがえのない王位は、万難を排して守り参らせねばならぬ。
「これ以上の賊軍の進攻は絶対に阻止せねばなりません。この上は我が軍幹部、士官、兵たち全て、この線を死守する腹積もりにございます。その激しさいかんでは、いかな陛下の御威光をもってしても想像を絶するような場にならぬとも限りませぬ。
戦場には流言飛語はつきもの。それには、王都の民や王宮の者たちの心を安んじ、心騒がせぬよう、陛下の御存在が必要なのでございます! 」
スヴェンは反駁しかけた。
だが、そこは辛うじて自制した。
聡明なるがゆえに軍務大臣の言わんとするところが理解できたからである。あまりに早く即位し過ぎたため、スヴェンにはまだ戦闘の激しさ、真の恐ろしさというものが理解できていなかった。若輩は、自覚していたのである。
「わかった。前線に出て、卿ら幹部と兵たちの高い士気に触れ、余も安堵した。ここは王宮に下がり、卿らが後顧の憂いなく存分の働きを務められるよう余自ら銃後の守りに就き、務めようと思う。
大将。配慮、大儀であった」
率先して騎乗し大雨もものともせずに最前線まで出てきたのにも驚いたが、部下の諫言を素直に聞き入れるのもまた名君に相応しい資質だ。
若き君主は力の入りすぎていた肩を落とし、ふうと息を吐いた。
衒いやムダな気負いのない実直なその姿に、軍務大臣ビョルンソン大将もまた、真に仰ぐに値する君主に対する礼をとり、深く頭を垂れた。
「おい、起きろ、ノラ。起きてくれよ!」
気が付けば晩餐会の折に来た従者溜りの長椅子に寝ていた。傍らにはグンダーの困ったような顔。それに、その部屋の開いたドアの向こうの廊下をせわし気に行きかう侍従や女官たちの姿が見えた。
「あ、痛・・・」
少し、頭が痛い。
あのペールを追っていった港の13番倉庫に突入しようとして気を失った時と同じだった。
「あの、黒い人たちは?」
「さあな」
ヤレヤレと首を振りながら、グンダーもまたアタマを搔きむしりつつ、せわし気な廊下の様子を見やった。
「オレも今目が覚めたところだったんだ。たぶん、クスリか何かで眠らされていたんだろうさ」
「いったい、何事なの?」
そう問いかけて、そういえば王宮の衛兵が「ハーニッシュが攻めてきた」と言っていたのを思い出した。
「そうだわ! ハーニッシュよ! それには、イングリッド様を! 」
と。
開け放したドアの向こうから大きくはあるが低い落ち着いた厳しい女の声が響いてきた。
「手の空いている者はテーブルクロス、ナプキン、何でもいいから掻き集めて! 侍従は動かせるだけのテーブルを全て大広間へ! 今に傷ついた兵たちが大勢運び込まれてくるわ! 急いでちょうだい! 」
その声の主は、数人の女官と侍従たちを引きつれてドアの前を通りかかり、ふとノラたちと目が合った。
「あなたたちは誰? 何用あって王宮へ? 」
ひと際背が高く、それだけに黒一色の官服の圧力は大きかった。ノラは、その鋭い目つきの女官の頭のような人に言った。
「あ、はい! あ、・・・」
勢いで立ち上がったおかげで少し頭が痛んだが、それを押して申し出た。
「バロネン・ヴァインライヒ様の付きの者です! バロネンをお迎えに参ったのですが、思いもかけずにこんな有様になってしまって・・・」
その黒衣の長身の女官はしばし冷たい目でノラを見下ろしていたが、やがてこう言った。
「バロネンは、もうここにはいない。あなたはゴルトシュミット卿の家の者ね。すぐに屋敷に帰りなさい。もうすぐ、ここは傷病兵で溢れるかもしれないから」
「ですが、バロネンをお迎えにあがったのです! バロネンと、イングリッド様とご一緒でなければ! 」
すると、黒衣の女官はずい! とノラの前に歩を進めた。
「ヴァインライヒ女男爵様は、もうここにはいない。今は大聖堂においでになるが、お前程度の者が行くところではない。ただちに屋敷に帰りなさい! 」
「大聖堂ですね。では、参ります! グンダー! 」
「待ちなさい! 行ってはいけない! 」
制する女官を押しのけるように、ノラはトリコーヌを被った。
「わたしはハーニッシュの出です! 彼らが攻めてくるなら、バロネンにお願いして間を取り持っていただきたい。そうすれば、彼らも、王国軍の兵隊さんたちも、傷つかずに済みます! 」
ノラは、押し切った。そして風のように従者溜りを出て行った。
女官長ヴェンケ、帝国のエージェント「ジュピター」は、敢えてそれを止めなかった。
口の端をニヤ、と引き上げ、しばし雨の中を駆けてゆく男装の娘を見送った。
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