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1972

14 You Won`t See Me

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 長兄のプレーヤーの調子が悪く、居間の父のステレオで聴くことにしました。演歌とか浪曲のレコードばかりが埃をかぶっていました。ターンテーブルに載っているそれをジャケットに入れ、代わりに買って来たレコードを載せました。

「へえ。あんたこんなの聴くんだ」

 べつにいいでしょ。言葉にはしませんでしたが、そんなふうに母を見やり、針を落としました。

「いい曲じゃないの」

 母はそう言って持ってきた洗濯物を畳み始めました。

 聴きながらライナーノーツや歌詞カードを眺めていると、なんだこれ、と暗澹たる思いに駆られました。失恋の曲ばかりだったのです。どこがいい曲か、と思いました。

 電話が鳴りました。母が取ってくれました。

「あら、ワシオ君・・・」

 え?

「・・・いいええ、お粗末様。是非また遊びにいらっしゃいね。ちょっと待って・・・ミオ、ワシオ君よ」

 出たくありませんでしたが、仕方ありません。

「・・・はい」

「ああ、帰ってたね。今打ち合わせ終わったんだ」

「・・・そう。・・・お疲れ様」

「なんだ、元気ないな。試合、負けちゃったとか・・・」

「・・・ううん。四回やって全勝。サオトメはイケ好かないヤツだけど、わたしとは息が合うみたい・・・。新しくレギュラーにした一年生のセッターがめっちゃくちゃよかったの。それも、あったかもね・・・」

「・・・なんだよ、どうしたんだ」

「気にしてくれるんだ・・・」

「当たり前じゃないか」

「ごめんね、今レコード聴いてたの」

「あ、『ラバーソウル』だね。そんなの持ってたんだ」

「ううん。今日買ったの。ワシオ君のアパートの近くで。ワシオ君を待とうかなと思って、あの喫茶店に行こうとしたの。途中でレコード屋さんがあってね、そこで買ったの。そのあと、あの喫茶店、行こうかなと思って、近くまでは行ったの。でも・・・、途中で帰ってきちゃった。四時頃だったかな・・・」

「・・・なんだ。そうだったのか。オレ、行ったんだぜ、喫茶店」

「・・・うん、知ってる。見たから・・・」

 電話の向こうから車のクラクションや日本の男女のデュオが歌うオリンピックのテーマソングが流れてきていました。

「・・・見たなら、声かけてくれればよかったのに・・・」

 そのワシオ君の言葉は胸に突き刺さりました。

「・・・ごめん、今日ちょっと張り切り過ぎたからかな、なんだか、疲れちゃった。せっかく買ったレコードも失恋の曲ばっかりで落ち込んじゃったし。もう切るね。おやすみなさい・・・」

「おい、待てよミオ。おい・・・」

 電話を切り、ターンテーブルの上から針を上げてレコードを仕舞い、そのまま演歌や浪曲の棚に放り込み、二階に駆け上がりました。

「もうすぐご飯にするからね」

 母の声を背中でききながら襖を閉めました。暖気は二階を十分に温めてくれていましたが何故か胸がスースー寒くてクッションを抱き絨毯に寝転がりました。

 ワシオ君と一緒にいたのは会計の女子でミズタという、吹奏楽部でフルートを吹いている女でした。それまで気にも留めていませんでしたが、去年の三年生の壮行会の時、ステージでギターを奏でるワシオ君の横でピアノを弾いていたのも彼女でした。

 背は小さく、栗色の髪がソバージュっぽく緩やかにちぢれてお人形さんみたいに可愛い女です。

 腹が立つというよりも、無性に寂しく、切ない気持ちになりました。

 If You Won`t See Me, You Won`t See Me・・・

 ちょっと聞いただけなのに、あのポールのフレーズが頭から離れなくなってしまいました。


 

 次の日の朝練では日曜日の練習試合での全戦全勝の勢いがそのままみんなの気持ちに出ていました。

「気合い入れてくよっ! 昨日の調子なら絶対インハイ行ける。気ぃ抜かないようにねっ!」

 サオトメが俄然気合が入っていて、わたしのダルな気分を少し引き上げてくれていました。

 三時間目はまたあの数式教師の数学の時間でした。たまには真面目に板書きのポイントを書き写してみようかとコリコリノートを取っているわたしの目の前にチェックのハンカチに包まれたわたしのお弁当がトンと置かれました。

「(そろそろ腹減ったろ)」

 ヤマギシ君がニヤニヤ笑いながら振り向いてきてました。わたしは、ふふっと笑い返してやりました。

 昼錬の時に写真を撮らせてやることにしました。

 時間がありませんからネットなどは張れません。サオトメを騙して写真部の依頼に協力するということでユニフォームを着て二人でトスアタックをし、そこを自由に撮らせる形にしました。

 何度かサオトメとわたしが交互にアタックする形を作りましたが、

「ありがとう。今日はこの辺にしようか」

 ヤマギシ君はいつものおちゃらけた彼らしくない、神妙というか深刻な眼差しをしていました。

「イイの撮れた?」

 わたしもよくわかりませんでしたが、わたし以上に事情を分かっていないサオトメがウキウキしているのがとてもウザかったです。

 制服に着替え菓子パンを買いに購買部に走るサオトメを見送り、トボトボ歩くヤマギシ君の後ろをついてゆきました。

「なんか、マズかった?」

 彼に声を掛けました。

「んー、なんていうかな・・・。ハヤカワ、今日調子悪いんか」

「いや、別に」

「そうか・・・。なんか、違うんだよな。・・・んー、いつもの、なんつーか、エロさがない・・・」

「はあ?」

 人をそんな目で見ていたのか、という怒りもさることながら、心当たりのあるわたしは、それ以上彼を問い詰めることもなく、しばし呆然とその場に立ちすくんだまま五時間目の始業のチャイムを聞いていました。


 

 その日の放課後、体育館の前でワシオ君が待っていました。女子バレー部の何人かにその場を見られましたが、もうどうでもいいやと思っていました。

 体育館の裏の、日陰で堆く積もって溶けにくくなった雪の壁と体育館の壁の間に連れていかれました。

「オレはお前に対して何もやましいことはないぜ。終わったら会計と話を詰めることは話してあったじゃないか。臨時会にヤベとナカガミは来なかった。あの二人はつるんでるからな。それでミズタに相談していたんだ。会計を無視するとまた痛くもないハラを突かれるから。あの喫茶店に行ったのは付き合ってくれたお礼だよ。お前と最初に行ったときだって・・・。あ、ごめん・・・」

 彼が失言に気づいてくれただけ良かったと思いました。今の言い方だと、わたしとミズタの扱いがまるきり一緒だともとれましたから。そうではないんだと。そういう意味の「ごめん」だと思いたかったのです。

「ワシオ君は天才だよ。なんでもできる。でも、そうじゃないときもあるんだね。わたしの気持ちも全部わかってくれてると勝手に思い込んでた。思い込む方が、悪かったんだね・・・」

「その『天才』はやめてくれよ。お前からそんな言われ方すると思わなかった。オレだって、普通の人間なんだ。・・・気分、悪いよ」

「しばらく会わない方がいいかもね。お互いに自分の気持ちに向き合う時間を持った方が・・・」

「オレも今そう思った。そこは気が合うんだな、オレたち・・・」

 これで終わってしまうのか、と思いました。ずいぶん呆気なかったな、と。

「じゃ、部活があるから・・・」

 わたしはワシオ君を置いて体育館の中に戻りました。

 ワシオ君とわたしが微妙な状況になっていたのはみんなに知られてしまったはずですが、そういう場合にすぐ嫌味を言ってくるサオトメが妙に気を遣ってくるので、やっぱりウザかったです。

「まあ、ハヤカワさ、人生、いろいろだよ・・・」とか。

 お前は黙ってろと言いたかったです。
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