セピア色の恋 ~封印されていた秘め事~

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1974

17 Killer Queen

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 ワシオ君との別れから二年後の、1974年、春。

 わたしは東京のお堀端にある女子大に入学することが出来ました。

 担任に合格を報告すると、

「嘘だろ、何かの間違いじゃないのか。本当だとしたら、奇跡だ! 奇跡が起きた・・・」

 もちろん学校の誉れという名誉な意味ではなく、お前の成績で入れるなんてどんな番狂わせが起きたんだ、世の中どうなっているんだ、的なものであることは明らかでした。今思えば酷い言われ方をしたものです。

 それでも不思議と腹は立ちませんでした。何といっても自分が一番驚いていたからです。

 思い返せばわたしの人生はこの「番狂わせ」の連続だったように思います。振り返る度に思うのですが、とてもじゃありませんがわたしのごとき凡才が歩めるような人生ではなかったと。歳を取った今でもゾッとして身震いが走るほどなのですが、当時はあまり自覚がありませんでした。めくら蛇に怖じず。畏れ多いことではありました。


 

 わたしは大きなリュックサックを一つ肩にかけ、ジョン・レノンがかけていたようなまん丸のサングラスをしてチューインガムを膨らませながら、大きな動物園の下にある古いその駅に降り立ちました。

 パンタロン風のジーンズにチェックのシャツ。スエードのベスト。踵の高いサンダルを履いていました。その当時、それが流行りのファッションでした。元々が大女ですからたいていの男性たちの目線より高く、皆が見上げてくるのが気持ちよかったです。

 黄色い電車に乗り換えて、何度も見返してボロボロになりつつあった案内図を頼りにお堀端にある大学からほど近い女子寮へ向かいました。

 ちょうどお堀沿いのサクラが満開でとても綺麗でした。優雅にボートを漕いでいるアベックがいて、彼らのボートの上を春風にのって桜吹雪が舞っていました。春の東京は暖かくてのどかな佇まいの中にありました。

 駅から歩いて十分ほど。たどり着いたのはコンクリート製でこざっぱりした三階建ての建物でした。

 わたしの部屋は一階の二人部屋でまだ相方は到着していないようでした。わたしの大学だけでなく様々な大学の女子学生が入居していました。学校の運営する寮もあったのですが、より多くの人と知り合いたかったし、なによりも寮費が安かったのと門限が緩かったことからそこに決めました。門限が緩いことは母には伏せて、です。

 早い者勝ちです。ドアは開いていたのでわたしは二段ベッドの上を取りました。先に荷物を広げて大きな顔をしていれば大丈夫でしょう。

 窓に向かって左右に勉強机があります。その左を取りました。机の上には安っぽい蛍光灯のスタンドがついていました。

 衣類を備え付けのロッカーに放り込んでまだ二時でした。大学に行って学生証の交付を受け、授業で使うテキストの購入目録やガイダンスなどの予定の資料を貰ってくる余裕は十分にありました。それともう一つ。是非ともチェックしたいところがありました。

 学校までは歩いて三十分。そのうち自転車を調達することにして門をくぐりました。前の日の朝、母に見送られて家を出て丸々一日と数時間。建学の祖とかいう、どっかのおばちゃんの胸像を見上げました。

「おお・・・。はるばる来てやったぜ、コンチクショウ・・・」

 両手を腰に当て、長旅を経て到着した感慨と、大学生という肩書を手にした喜びとにしばし、耽りました。

「ほんじゃ、そういうことで。これから四年間よろしくね、おばちゃん!」

 学生課に行き、面倒な手続きやらを済ますと体育館に行きました。

 ちょうど春休みでバレー部は終日練習日となっているようでした。

「こんにちわー、見学させてくださいー」

 するとウエアの上にジャージを羽織りバインダーを手にしたショートボブの人がつかつか来てくれました。見るからに頭の良さげな、理知的な美人。最初コーチ? と勘違いしました。

「・・・新入生?」

「はい・・・」

「じゃ、これに名前書いてくれる? 学部は?」

「理学部です」

「ふうん。高校でやってた?」

「はい!」

「成績は?」

「去年道内で準優勝でした」

「そお・・・ポジションは、ブロッカーか・・・」

 そのひとはわたしの背丈を下から上まで眺めながらそう言いました。

「ウィングです。・・・でした」

「・・・ちょっと、打ってみる?」

 望むところでした。ジーンズの裾をまくり上げ素足でコートに立ちました。

「トス、お願いします」

 ネットの向こう側に上級生でしょうか、それっぽい人が入りました。

 トスが上がる雰囲気で踏み出してジャンプし、思いきり叩き込みました。受験で半年ほどブランクがあり、ベストの時の七、八割ぐらいのパフォーマンスではありましたが。

 ボールが上級生の横にバシーンと決まり、てんてん弾んで広い体育館の隅に転がっていきました。

 気が付けば先輩たち全員の視線を浴びていました。

「ダメ・・・、ですかね・・・」

 さっきのショートボブの先輩がレシーブ役の先輩を「ちょっと・・・」と呼んでなにやら話してました。なんだろな、と思っていると、

「決まりね。明日から来て。なんなら、今日からでもいいよ」

 ショートボブさんが言いました。

「あなたが来てくれればもしかすると今年こそ万年最下位リーグ、脱出できるかも・・・」

 そのようにしてなんとなく入部が認められました。

 

 それから学生協や神田の本屋を回ってテキストを買い込み、寮に戻りました。

 食堂の調理場に寮の管理人のおばちゃんがいたので挨拶しました。

「規則はそこに貼ってあるからよく読んどいてね。部屋はこまめに掃除してね」

 夕食用の薄っぺらいトンカツを揚げながら、五十がらみのそのおばちゃんは言いました。見ると窓の上のところに額縁に入った「寮則」が掲げられています。

 曰く、

 一つ、いかなるときも大和撫子たる自覚を持ち、清廉潔白、純真無垢な日常を心がけること。

 一つ、門限は厳守のこと。

 一つ、自室や施設は清潔に保つこと。

 一つ、寮内に異性を入れないこと。やむを得ない場合は食堂に限ること。

 一つ、寮生同士での金銭の貸し借りは厳禁のこと。

 一つ、玄関以外の場所からの出入りは厳禁のこと。

 ・・・。

 まだほかに三つ四つあったような気がしますが、覚えているのはそのぐらいです。大和撫子でもなく、純真でも清廉でもなく、食堂でセックスするつもりもないし、門限は最初から破るつもりで来ていますので、ふ~んと見上げていただけでした。長きにわたる受験勉強で禁欲生活を強いられましたから、頭の中には大学生活を大いに満喫すること以外、ありませんでした。


 

 朝食は6時半から7時半。夕食は18時から19時。お盆と年末年始を除いて変わらずそのスケジュールでした。

 管理人は常駐しません。門限は十時。時間が来ると近所からおばちゃんの誰かが来て正面玄関と裏口に施錠します。朝晩にいるのは常時二人で数人の近所のおばちゃんたちでローテーションしているみたいでした。そのせいなのか、妙にアットホームで気さくな雰囲気の寮でした。帰りが遅くなり夕食に間に合わなかった子のために毎晩調理場のカウンターにおにぎりを置いておいてくれるのです。四年間、わたしはこれのおかげで飢え死にせずに済みました。

 二日後に入学式を控えるわたしと同じような新入生たちが数人いました。その子たちと自然に仲良くなりました。

「あたし博多からきたの、あんたどこから?」

「・・・北海道」

「おおっ! さずが東京だなあ・・・。あんたは?・・・」

 そんな会話をしながら、なんとなく大学を超えた新入生同士のグループが出来つつありました。

 わたしたちが薄っぺらいトンカツをつついている横に牛乳やコーヒー牛乳や瓶入りのリンゴジュースを売る自動販売機があり、その横にかすかに腐った食物の匂いを放つゴミ箱があり、その横にピンクの電話が置いてありました。その電話の前に赤いビニールを張った座面の丸椅子が置いてあり、いつも誰かしらが座っていて電話機の上に積んだ十円玉の山から一枚ずつスロットに入れては長い時間深刻そうな顔をしてました。ボソボソ話し込む人もいれば、「そーなのー。でさー・・・」と寮中に響き渡る大声でガハガハ笑っている人もいました。

 十円玉の受け箱と言うんでしょうか、その箱が一杯になってもう十円玉を受け付けなくなると電話がかけられなくなります。そうするとやっとピンク電話の前の人はいなくなります。誰かがおばちゃんに「電話、掛けられないんだけど」と言えば済む話なのに、みんなそれを面倒がっていました。朝晩の賄いに来たおばちゃんズの誰かがそれに気づき箱の中の十円玉を回収するとまた誰かしらが電話の前に居座る。そういう具合でした。自分の住む環境をよりよくするのに必要な知性の有無は学歴に左右されない、というのを、わたしはこの女子寮で学びました。

 当然ですが、誰かが電話をしているあいだは電話がかかってきません。

「ねえ、おばちゃん。もう一つ電話置いてよ。長電話するヤツ多くて電話かけられないって文句言われるんだよ」

 と、どこかの大学の上級生が自分も長電話組の一人のくせにおばちゃんに直訴したこともありました。

「ハイハイ。言っとくよ・・・」

 その度に軽くいなされ、ついにわたしがその女子寮を去るまでの間、ピンク電話が増設されることはありませんでした。

 食事を終えて自分の部屋に戻りました。お風呂まではもう少し時間がありました。

 二段ベッドに上り、リュックから出し忘れたカセットデッキを取り出してお気に入りのテープをかけました。

 She keeps her Moet et Chandon In her pretty cabinet・・・。

 そのころ、またまた英国からデビューした四人組のバンドが日本で人気が出てきていました。その、いまだかつて聴いたことのないような斬新なメロディーラインに惚れました。すぐにファンになり、田舎でダビングしたテープを持ってきていたのです。

 ワシオ君を思い出すビートルズはまだ、聴けませんでした。

 彼と別れても新しいボーイフレンドを作ることもなく、自分のお粗末な知力とありあまる体力とをただひたすら部活と勉強にだけ注ぐ一年間を過ごしたのですが、そのわたしのともするとささくれがちだった心を、彼らの曲が慰めてくれていたのでした。

 二段ベッドの上でお気に入りの曲を聞きながら、ごく自然に胸と股間に手を伸ばしました。受験勉強中は頻繁に自慰行為をしたものでした。ワシオ君とのセックスで開発された旺盛な性欲を宥めるために、です。頻繁に音楽を聴くようになったのもそうですが、やはりワシオ君との出会いでセックスに目覚めたせいだったと思います。

 すぐ近くの食堂の電話が鳴りだしました。どうせ誰かが出るでしょう。そのまま慰め行為を続行しました。新しい環境のせいかなかなかピークが訪れないでいる間、電話はしつこく鳴り続けていました。それでも行為を続行していると廊下のリノリウムの床をシパシパ歩くスリッパの音がしてやっと電話は鳴りやみました。

 続いてドアがノックされました。自分の部屋とは思わず無視していると、

「ここハヤカワって一年生の部屋じゃないの? いるんでしょ?」

 あ、わたしだ。

 行為を中断してベッドを降りドアを開けました。

「あんた、ハヤカワさん?」

「・・・ハイ、そうですけど・・・」

「あんたに電話。それから・・・」

 その先輩はドアをグッと開けて手で抑えつけ、まくしたてました。

「電話に出るのは、この部屋の住人の役目。一番食堂に近いでしょ。今度から気をつけてよね!」

 一方的に言いたいことだけ言って、彼女はシパシパと自分の部屋に消えました。

 はあ~っ、・・・キョーレツ。これが東京かあ・・・。

 しばし不思議な感動を覚えたあと、自分にかかっている電話のことを思い出しました。相手は予想通りの人物でした。

「もしもし、ミオなの? あんた、無事着いたのね」

 受話器の向こうで、母は深いため息をついていました。

「着いたら電話しなさいってあれほど言ったじゃないの人を心配させて何度も電話したのよずっと話中でどうなってるのか気が気じゃなかったちぃ兄さんのとこまで電話しちゃったわよそしたらそのうち連絡あるから心配するなって舗道は大丈夫だったのそっちは雪はないの石投げられたりしてない?角材振り回したり火炎瓶とか投げる人いない?お母さんもう心配で心配で今夜の夜行でそっちに行こうかしらって本気で思っちゃったわよあんた少しマヌケなとこあるから心配なのホントに元気なのねお夕食は食べたのお風呂は入ったの?お腹痛くなったりしてないあんた小さいころから緊張するとお腹痛くなったり熱出たりする子だったから小学生の頃はそれでよく学校休んだわよねリュックの中にお薬入れておいたの気付いた?でも飲み過ぎはダメよお酒もあまり飲んじゃだめよおうちならいいけどほどほどにしなさいねそれから他人様に迷惑かけないようにね落ち着いたら様子を聞かせて手紙も書いてねお母さんも書くからお金に困ってない東京はスリも多いっていうし・・・」

 放って置くと一晩中喋りそうだったので切りのいい所で切りました。

 ずっと後になって、長女が大学生になりかつてのわたしと同じように一人で東京に出ていったとき、当時の母の気持ちがやっとわかりました。そのことをできれば母に伝えたかったのですが、そのときはすでに、母はこの世の人ではありませんでした。

「入学式の時、お振袖着るの?」

「まさか。要らないからね、そんなの」

 へたな返事をすると本当に振袖一式を持って母が来てしまいそうだったのでキッパリお断りしました。要はこざっぱりしてりゃいいだろうと、とっておきのジェーン風のワンピースでまとめました。地元に家がある金持ちはそれなりの服で来ましたが、わたしと同じく田舎からの上京組は大体がわたしと同じ風だったので少し安心しました。


 

 そのようにしてわたしの大学生活がスタートしたわけです。

 ですが、授業やクラブが始まってしばらくするともう最初の一波乱がありました。


 

 最初の一週間が過ぎると「新入生歓迎コンパ」というものがあったのですが、波乱はその新歓コンパの前日にありました。

 部活動は高校と違い毎日ではなく月水金の週三日でした。もちろん、朝練昼錬などはありません。土日は有志のみで体育館を使わないランニングや筋トレを行います。つまり高校に比べてはるかにユル~いクラブだったのです。

「万年最下位リーグの最下位チーム」

 弱いのも道理でした。

 金曜日のクラブが終わって新一年生が集められました。わたしの同期は8人でした。

 三年生のある先輩がこう言いました。

「明日の5時からあなたたちの歓迎コンパを開きます。そこで聞いておきたいんだけど、この中でまだ処女の人、手を挙げて」

 はあ?

 近頃の若い人流に言えば、「マジで、目がテンに」なりました。


 
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