求めたのはデカダンス

吉田美野

文字の大きさ
上 下
23 / 36

23

しおりを挟む

 両手いっぱいの買い物袋を提げ、ふたりは伊織の家に帰って来た。

「明日香、シャンパン冷やしといて」
「オッケー」

 少量のアルコールは緊張をほぐし血流もよくする。だが飲み過ぎはよくない。アルコールの分解のために亜鉛が大量に消費されてしまうし、飲み過ぎのせいでせっかくの甘いキスの記憶が朧げだなんていただけない。

「明日香、そこにエプロンあるから使えよ」
 自宅で料理教室もやるので、部屋には予備のエプロンがいくつかある。
「何から作る?」
「パスタソースの準備からはじめよう」
 買ってきた魚介を下処理し、細かく刻んだニンニクをたっぷりのオリーブオイルと一緒にじっくり低温で加熱する。鷹の爪と塩もみして綺麗に洗った海老の殻もフライパンに投入した。

「へえ、殻も入れるの?」と、明日香は興味津々だ。
「今日は殻付きの貝がないから。魚介の香りを立たせるために入れるんだよ」

 殻はあとから取り出す。殻に残っていた水が油と喧嘩してパチパチと跳ねたが、そもそも低温なので大した威力ではない。それでも小さく悲鳴を上げた明日香に思わず笑ってしまう。並大抵のことでは動じない彼女に、悲鳴を上げさせるのは難しい。

 幼馴染みの思わぬ弱点に笑いを噛み殺しながら、伊織は生のアーティチョークを買い物袋から取り出した。日常的に使うにはすこし遠いが、あのスーパーは他では扱っていない野菜も手に入れることができるので気に入っている。

「これは何を作るの?」
「タコとアーティチョークのアンチョビソテー。冷めても美味しいから、作り置きして前菜にする。パスタはペスカトーレ・ビアンコ。デザートはラムレーズンのアイスクリーム」
「美味しそう! 既によだれ出そう」

 アイスクリームは昨日のうちに仕込み済みだ。
 マダガスカル産のバニラビーンズをたっぷりと使った、濃厚なアングレーズソースで作った手作りのバニラアイス。そこにとっておきのラム酒に一晩漬け込んだレーズンを刻んで加えた。(オリーブオイル同様に、棚には度数と値段順にラム酒コレクションが並んでいる)砕いた全粒粉のビスケットをデザートグラスの底に敷き、食感にもアクセントを加えた。

 明日香には前菜の準備を手伝ってもらうことにした。
 タコは下茹でしてあるものを買ってきたので、ぶつ切りにしてニンニクとオリーブオイルと炒める。アーティチョークは茹でて、一枚一枚指で剥がしていく。

「明日香、バジルとパセリ採ってきて」
「Oui、シェフ!」

 広々としたベランダは、ちょっとした家庭菜園だ。夏はナスとトマトも育てた。
 寒さに弱いハーブ類は、冬の間は窓際の日当たりのいい場所に置いてある。

 渡したボウルいっぱいにバジルとパセリを採取した明日香はうきうきとして「伊織の家のベランダ楽しい! わたしも何か育てたーい」とご機嫌だ。観葉植物やサボテンですら枯らす明日香だ、止めておけばと喉まで出かかったが、水を差すこともないと止めておいた。

 代わりに、伊織は一瞬息を詰めたのち、意を決した様子で「あのさ、明日香」と声を掛けた。改まった様子に明日香も感じるものがあったのか、訝しげに「え? 何、どうしたの」と言った。
 伊織は「あのさ」ともう一度言った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

旦那様、私の顔をお忘れですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:24

そして彼女は僕のドレスを纏って踊る

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:13

思い付いた閑話をまとめるところ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:22

異世界では香りに包まれて幸せに暮らします

児童書・童話 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:156

元お人形は令嬢として成長する

mio
恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:20

仄暗く愛おしい

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:5

詩のようなBL SS集

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

【僕は。シリーズ短編集】僕は〇〇です。

ミステリー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

エデルガルトの幸せ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:302

処理中です...