恋する彼のアパルトマン

吉田美野

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1.新生活のはじまり

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「へえ、これがきみの新しい家かい」

 引っ越しを手伝いに来てくれた学生時代の友人が、大した感動も感慨もなく、目の前の建物を見上げて言った。
 彼の視線に釣られるように、ジェイミーもこれから暮らす家を見上げる。

 白い石造りの、七階建ての古いアパルトマン。

 周りには、同じような石造りやレンガ造りの建物がひしめき合うように建てられている。この辺りの建物は総じて古く、築百年なんてのもめずらしくない。建物の高さや屋根の傾斜までが統一された古い街並みは、独特の情緒があった。

 ジェイミーは一目でこの街を気に入った。縁もゆかりもない場所だが、新しく人生を始めるなら、この街がいい。けれど目の前の友人は「古くて陰気な家だな」と思っているだろう表情を隠そうともしない。

「何とでも言ってくれ、リーアム。僕は気に入っているんだからいいのさ」
「僕まだ何も言ってないけど」
「きみが何を考えているかくらいわかるさ」
 被害妄想だね、とゆるゆると笑みを浮かべたリーアムは、家主より先に建物の中に入っていった。



 七階建ての三階部分にジェイミーの部屋はある。
 天井が高く、バルコニーのついた二ベッドルームの部屋だ。
 部屋の中をあちこち見回したリーアムが意外そうに「中はまあまあ綺麗じゃないか」と呟いた。
 建物は古いが、中はあちこち手が入れられていた。キッチンなどの水回りは最新の設備になっている。そうかと思えばヘリンボーン張りの床や暖炉、バルコニーの凝った鉄細工は建築当時のままだ。このバルコニーから臨む街並みも、ジェイミーは気に入っている。

「それで? 片付けを手伝えって言うから来たけど、何をどうすれば?」
 部屋の中は空っぽだ。備え付けの本棚などはあるようだが、中身はない。
 ジェイミーは「荷物は全部この中さ」と、傍らに置いたトランクを指す。
 ジェイミーが学生時代から愛用している古いトランクだ。リーアムだって〈非魔法使いふつうの人間〉のように引っ越しのトラックがやってくるとは思っていないけれど、これには不思議そうしている。

 これは少しばかり改良してあるのだ。「見てて」とジェイミーは得意げに言った。

 人差し指の先で、トランクをコツコツと軽く叩く。それを合図にバタンッと大きな音を立ててトランクが開いた。そしてひとりでに荷物が飛び出してくる。リーアムの澄ました顔が驚愕に満ちて、ジェイミーはにんまりとした。

 荷物は出てくる。どんどん出てくる。
 ぴゅん、ひゅん、と勢いよく飛び出した荷物は鈍い音を立てて床に着地した。お気に入りのダイニングテーブル。猫足のバスタブ。アンティークのひとり掛けのシェルソファに、たくさんの衣装ケース。
 キッチンと一続きになったリビングは広々としていたはずだが、次々出てくる荷物に浸食され、ヘリンボーンの床が見えなくなっていく。

「これ、いつまで出てくるんだい」

 リーアムが普段は穏やかな表情を引きつらせて言った。
 しかしそれはジェイミーにもわからない。
 ふたりはどんどん部屋の隅に追いやられ、そろそろちょっとマズいかな? と思ったそのとき、飛び出してきたピローケースがリーアムの顔面に当たった。ジェイミーの顔の横を、曾祖父の肖像画が掠める。いつぞや夢中になって集めていたガラクタたち。引越しの荷物とは関係のない物まで、ぽんぽんと飛び出してくる。

「ジェイミー止めてくれ!」

 祖母の趣味であるパッチワーククッションにまみれたリーアムが叫ぶ。

「えーっと、どうやって止めるんだっけ」
「ジェイミー!」

 リーアムに怒鳴られ、ああ、そうそう、と手を打ち鳴らす。その瞬間、ぴたりと荷物の襲撃は止んだ。

 ふたりしてほっと息を吐いた直後、キンコーン、と不思議な音が部屋の中に響く。それがドアの玄関ブザーの音だと気付くのにしばらくかかった。

 誰かが玄関の呼び鈴を鳴らしているのだ。――誰が? なんて、そんなのここの住民に決まっている。

 あれほど騒がしくしたのだ、苦情のひとつやふたつ出るのも道理だ。

 ジェイミーは荷物を掻き分け、慌てて玄関に向かった。

 ――なんということだ。これが噂のご近所トラブルというやつだろうか!

 穏やかな新生活をスタートさせる予定だったのに、はじめから躓いてしまった――にもかかわらず、ジェイミーはどこか嬉しそうだ。生家であるハッター家の屋敷で暮らしていた頃は、ふつうのご近所付き合いとは無縁だったのだ。


「やあ!」とジェイミーが扉を開ける。

 そのあまりの勢いに、扉の前に立っていた青年がビクリと震えた。

「あの、僕は隣の者なんですけど……」
 満面の笑みで飛び出してきたジェイミーに困惑を隠せない様子だ。

「すごい音がしたので……大丈夫ですか?」

 大人しそうな隣人は、おどおどした様子でジェイミーを見上げる。

 小柄で華奢な青年だった。

 ミルクティーのような優しいブラウンの髪はふわふわで、肌は透けるように白い。くりっとした大きな目、小さな鼻の上に丸い大きな眼鏡が乗っている。

 彼からは古い紙と、インクの匂いがした。

 想像したような苦情ではなさそうで、ジェイミーはにっこり笑って「どうもはじめまして」と挨拶した。

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