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1.新生活のはじまり
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しおりを挟む「具合が悪いなら家で休んでないと」とジェイミーは諭すように言った。
リュカは小さくなって「バイトだったんです」と応える。
「休めなかったのかい?」
「アルバイトは僕しかいないので……」
「それでも具合が悪いなら休まなきゃ。僕が見つけなかったらどうするつもりだい」
ほんのりと香る蜂蜜の香り。ジェイミーはアルファの中でも、特別に鼻が良い方だ。彼はオメガで間違いないだろう。
発情期ではないようだが、弱ったオメガほど非力な者はいない。魔法も使えないふつうの人間であったのなら尚更だ。治安のいい街だとは聞いているけれど、すべての人間が善人とは限らない。
「すみません。ご迷惑をおかけして……」と縮こまってしまったリュカに罪悪感を覚える。
別に迷惑とは思っていないけれど、あまり危機感のなさそうなリュカが心配ではあった。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ。お邪魔したね」
リュカが使ったカップを洗って、ジェイミーは早々に自分の部屋に戻ることにした。こんな時間に、恋人でもないオメガの部屋に居座るもんじゃない。
ジェイミーが玄関に向かうと、リュカも立ち上がってついてきた。扉に手を掛けるジェイミーの背中に向かって「ありがとう、ハッターさん」と声を掛ける。
ジェイミーは振り返って微笑んだ。
「ジェイミーって呼んで」
「じゃあ、僕のこともリュカと」
「リュカ。お隣同士、よろしくね。お大事に」
ドアが閉まる少し前、微笑むリュカの顔が目に入る。彼の瞳の色は、緑だった。
*
「おはよう、リュカ」
翌日、買い物に行くために部屋を出ると、ちょうどリュカも出掛けるところだったらしい。玄関先でかち合った。「おはよう、ジェイミー」とはにかむリュカの顔色は昨日と比べると随分といい。
「今日もバイトかい?」
「今日は買い物に行くところ。冷蔵庫が空っぽで」
昨日見たリュカの家の冷蔵庫の中身を思い出しながら、ジェイミーは「ああ」と頷いた。リュカが気恥ずかしそうに笑う。
「ジェイミーは?」
「僕も買い物だよ。いろいろ揃えなきゃね。その前に何かお腹に入れたいんだけど、おすすめの店はあるかい」
「それならいいカフェがあるよ。僕もいっしょに行っていい? 昨日のお礼にご馳走させてよ」
一度は遠慮したジェイミーだが、リュカが是非にと言ってくれるので、お言葉に甘えてご馳走になることにした。
隣を意気揚々と歩くリュカを横目で観察しながら、ジェイミーは安心した。
陽の光の下で見るリュカは、昨晩の顔色の悪さが嘘のようにキラキラと輝いて見えた。昨日はぐっすり眠ったのだろう。
リュカが連れて行ってくれたのはアパルトマンから1ブロック歩いたところにあるカフェだ。この辺りで人気のブーランジェリーが昨年出したばかりの2号店だという。月曜日の今日は、朝八時半から十一時半まで朝食のアラカルトを提供している。日曜日だけは朝十時から昼の二時までブランチのセットになるらしい。
「ブランチも美味しいので、気に入ったら是非日曜日にも来てみてください」とリュカはニコニコしながらメニューを開く。
おすすめのメニューをひとつひとつ解説してもらい、ジェイミーはスクランブルエッグとチーズクロワッサン、カプチーノを注文した。
昨日の大人しそうな印象とは違い、リュカはよく喋ってよく笑った。
旬のフルーツジャム(今日はイチジクだ)がたっぷりかかったフレンチトーストを嬉しそうに頬張るリュカに、ジェイミーは尋ねた。
「よくああして具合が悪くなるのかい?」
「昨日は本当に、たまたま……仕事で徹夜したところに、急遽バイトに行かなきゃいけなくなっちゃって」
「仕事?」
成人はしているだろうとは思っていたけれど、バイトと言うくらいだから、てっきり学生か何かだと思っていた。よくよく考えてみれば、学生にあのアパルトマンは高価すぎるだろう。家族の持ち物なら別だが、どうやらひとりで暮らしているようだし。
考えていることが顔に出ていたのだろう。リュカは頬を膨らませて「僕、二十七歳」と言った。
「えっ」
まさか年上とは思わず、ジェイミーは絶句する。
「本業とは別に、知り合いの店をときどき手伝ってるんだ。昨日はバイトの日じゃないんだけど、店主がぎっくり腰になっちゃって。病院に行っている間の店番を急遽頼まれたんだ」
「寝不足の上貧血でフラフラだったのに? お人好しだな」
「責任感が強いと言って。昔からお世話になってる人だから、力になりたかったんだ」
そう言ってフレンチトーストを頬張る。口いっぱいに食べ物を頬張るなんて子どもっぽい。おまけに唇の端にイチジクのジャムまでついている。
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