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2.隣人の距離
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友人ふたりがジェイミーの部屋にやってきたのは、このアパートメントに引っ越して二か月ほど経った頃だった。
「へえ。二か月でずいぶんと綺麗にしたじゃない」
荷物に圧し潰されそうになったリーアムは、穏やかな笑顔とは裏腹に口調は皮肉っぽい。
しかしジェイミーは気にも留めずに「そうだろう」と満足げに頷く。
この一か月、毎日少しずつ整えた部屋は、自分でも満足な仕上がりだ。
もっとも、本を読みはじめたらそのまま一日が終わってしまう日もあるので、厳密には毎日とは言えない。
魔法公爵とは別の著作を借りて以降、リュカからおすすめの本を借りる習慣ができた。リュカの著作はすべて面白いのに、残念なことに、まだ三冊しか世に出回っていないのだ。その三冊はすべて購入した。
「この間は手伝いに来られなくて悪かったな。これ、引っ越し祝い」
と、リクエストした蜂蜜酒の瓶を差し出すのは、引っ越しのときは顔を見せなかったもうひとりの友人、レイフだ。
やや癖のあるチョコレート色の髪を無造作に流したこの友人は、大層美しい男だ。鼻筋の通った凛々しい顔立ち。魔法学校一の美形だった。もちろん、モテる。
「おお、ありがとう」
指定した銘柄は、母国でも一般の酒屋ではあまり流通のない貴重なものだ。ここの蜂蜜酒が一番美味い。手に入れるのは難しいが、そこはレイフの人脈である。実家は代々続く純粋な魔法族の家系にして、伯爵家様だ。三男のレイフはすでに家を出ており、商売をはじめているようだが、そこはご実家の伝手もあって人脈は太い。
ジェイミーが酒を嬉々として受け取ると、リーアムが不思議そうに「蜂蜜酒? めずらしいね」と言った。
酒は何でも好きだが、最近ジェイミーは蜂蜜酒にハマっている。リュカからほんのり香る蜂蜜の匂いを思い出すと、飲みたくなるのだ。
だがそれを正直に伝えるのは憚られて、ジェイミーは簡潔に「最近好きなんだ」とだけ答えた。
レイフが意外そうに「それにしても、ハウスエルフも雇ってないんだな?」と言う。
それに対し、リーアムは微笑みながら家の中を見回して言った。
「でも、その割にはまともに暮らしているようじゃない?」
「失礼だなあ、きみたちは。僕がひとりじゃ生活できないみたいに。学生時代だって寮暮らししていたんだから。身の回りのことくらいできて当然じゃないか」
「前は旅先でだってハウスエルフを雇っていたのに」
「あのときは……エリスがいたし」
恋人のエリス。オメガのエリス。庇護の対象。彼に何かをやってもらおうなんて考えもしなかった。
貧乏子沢山を地で行く彼の家では、長男のエリスは常に家事や育児に追われていた。家族のことは嫌いではないけれど、彼はそんな状況にうんざりしていた。
何も不自由させることなく、すべてを与えてあげたいと思っていた。そうするのが正しいと思っていた。
彼と暮らしたのは学校を卒業してからの二年半。世界のあちこちをふたりで旅して回り、旅先に飽きればヨークシャーにあるハッター家の屋敷に戻ってきて、そしてまた旅に出る。そんな暮らしを二年半。これからもそんな暮らしが続くのだと思っていた。
両親は随分前に拠点をハンプシャーの別荘に移し、ヨークシャーの家には、今は誰も住んでいない。
「食事はどうしてるんだ?」とレイフ。
意識が過去に飛んでいた。いけない、いけない。
「レトルトか、外に食べに行くか、だな」
――あとはリュカの家でご馳走になるか、だ。
リュカとは、数日置きにいっしょに食事を取る関係が続いている。その度におすすめの本を借りたりして、ご飯仲間や読書仲間という感じだ。
大体は夕食を、ときどき昼食やブランチを。
主にリュカの家でご馳走になって、ときどき外にも食べに行く。
リュカの作ってくれる食事も、半分は出来合いのものだけれど、ひとりで同じ物を食べるより、ふたりで食べると不思議と美味しかった。知らない街で、ひとりぼっちが骨身に染みるのだろうか。(もっとも、自分で望んだ生活だけれども)リュカという友人の存在がとてもありがたかった。
しかし、なぜだかリュカの話題になるのはできるだけ避けたい気がして、よく食事を取る友人の存在には触れず「この辺りは美味しい店がたくさんあるんだ」と話題をぼかした。
それなのに。
「へえ。二か月でずいぶんと綺麗にしたじゃない」
荷物に圧し潰されそうになったリーアムは、穏やかな笑顔とは裏腹に口調は皮肉っぽい。
しかしジェイミーは気にも留めずに「そうだろう」と満足げに頷く。
この一か月、毎日少しずつ整えた部屋は、自分でも満足な仕上がりだ。
もっとも、本を読みはじめたらそのまま一日が終わってしまう日もあるので、厳密には毎日とは言えない。
魔法公爵とは別の著作を借りて以降、リュカからおすすめの本を借りる習慣ができた。リュカの著作はすべて面白いのに、残念なことに、まだ三冊しか世に出回っていないのだ。その三冊はすべて購入した。
「この間は手伝いに来られなくて悪かったな。これ、引っ越し祝い」
と、リクエストした蜂蜜酒の瓶を差し出すのは、引っ越しのときは顔を見せなかったもうひとりの友人、レイフだ。
やや癖のあるチョコレート色の髪を無造作に流したこの友人は、大層美しい男だ。鼻筋の通った凛々しい顔立ち。魔法学校一の美形だった。もちろん、モテる。
「おお、ありがとう」
指定した銘柄は、母国でも一般の酒屋ではあまり流通のない貴重なものだ。ここの蜂蜜酒が一番美味い。手に入れるのは難しいが、そこはレイフの人脈である。実家は代々続く純粋な魔法族の家系にして、伯爵家様だ。三男のレイフはすでに家を出ており、商売をはじめているようだが、そこはご実家の伝手もあって人脈は太い。
ジェイミーが酒を嬉々として受け取ると、リーアムが不思議そうに「蜂蜜酒? めずらしいね」と言った。
酒は何でも好きだが、最近ジェイミーは蜂蜜酒にハマっている。リュカからほんのり香る蜂蜜の匂いを思い出すと、飲みたくなるのだ。
だがそれを正直に伝えるのは憚られて、ジェイミーは簡潔に「最近好きなんだ」とだけ答えた。
レイフが意外そうに「それにしても、ハウスエルフも雇ってないんだな?」と言う。
それに対し、リーアムは微笑みながら家の中を見回して言った。
「でも、その割にはまともに暮らしているようじゃない?」
「失礼だなあ、きみたちは。僕がひとりじゃ生活できないみたいに。学生時代だって寮暮らししていたんだから。身の回りのことくらいできて当然じゃないか」
「前は旅先でだってハウスエルフを雇っていたのに」
「あのときは……エリスがいたし」
恋人のエリス。オメガのエリス。庇護の対象。彼に何かをやってもらおうなんて考えもしなかった。
貧乏子沢山を地で行く彼の家では、長男のエリスは常に家事や育児に追われていた。家族のことは嫌いではないけれど、彼はそんな状況にうんざりしていた。
何も不自由させることなく、すべてを与えてあげたいと思っていた。そうするのが正しいと思っていた。
彼と暮らしたのは学校を卒業してからの二年半。世界のあちこちをふたりで旅して回り、旅先に飽きればヨークシャーにあるハッター家の屋敷に戻ってきて、そしてまた旅に出る。そんな暮らしを二年半。これからもそんな暮らしが続くのだと思っていた。
両親は随分前に拠点をハンプシャーの別荘に移し、ヨークシャーの家には、今は誰も住んでいない。
「食事はどうしてるんだ?」とレイフ。
意識が過去に飛んでいた。いけない、いけない。
「レトルトか、外に食べに行くか、だな」
――あとはリュカの家でご馳走になるか、だ。
リュカとは、数日置きにいっしょに食事を取る関係が続いている。その度におすすめの本を借りたりして、ご飯仲間や読書仲間という感じだ。
大体は夕食を、ときどき昼食やブランチを。
主にリュカの家でご馳走になって、ときどき外にも食べに行く。
リュカの作ってくれる食事も、半分は出来合いのものだけれど、ひとりで同じ物を食べるより、ふたりで食べると不思議と美味しかった。知らない街で、ひとりぼっちが骨身に染みるのだろうか。(もっとも、自分で望んだ生活だけれども)リュカという友人の存在がとてもありがたかった。
しかし、なぜだかリュカの話題になるのはできるだけ避けたい気がして、よく食事を取る友人の存在には触れず「この辺りは美味しい店がたくさんあるんだ」と話題をぼかした。
それなのに。
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