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2.隣人の距離
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「でも僕は恵まれているよ。学校を卒業したばかりの実績のない若者に、翻訳の仕事を回してくれたのも。収入が不安定だろうって、自分の店でアルバイトさせてくれたのも。みんな、祖父の友人たちなんだ」
「おじいさまの人徳だな」
「本当だね。ありがたい話だよ」と微笑むリュカに、悲しみの色はない。
彼はとうに乗り越えている。彼の毎日を、楽しみながら生きている。
粉末のマッシュポテトを敬愛し、得意のキッシュをジェイミーに焼いてくれる。散歩に出掛けては、素敵なカフェを探している。蚤の市でお気に入りのカップを見つけるのが趣味で、翻訳の仕事をして、物語も書ける。ときどきアルバイトにも行く。
毎日、楽しそうに笑っているリュカが好ましい。
それでも、彼が辛い思いをしていたそのときに、そばにいてあげられたらよかったのに、とも思う。
「そういえば、アルバイトって何をしてるんだい」
考えていたらすこし悲しくなってしまって、わざとらしいくらい明るい調子で尋ねてみる。
今更な気もするが、一度口にしてしまうととても気になった。
リュカとはじめて会った日、青い顔で無理して出掛けていったアルバイト。
今でもときどき、出掛けていくアルバイト。
たしか、店主がぎっくり腰で、と言っていた。店主がリュカのご祖父様と同年代であれば、それなりの年齢であろう。さもありなんである。
「あれ、言ったことなかったっけ。古本屋だよ」
「ええっ、きみは作家なのに? 古本屋でアルバイトを?」
ジェイミーは思わず眉を顰めた。古本屋で本が売れても、作家には何も入ってこないのではないか。
「古本屋って言っても、専門書ばかりを扱った店だからさ。僕が読んでもさっぱりなんだ」
彼の祖父の友人が経営する店で、翻訳業だけではまだやっていけなかった頃に働かせてくれたという。翻訳と作家業だけでやっていけるようになった今でも、高齢の店主の手伝いになればと行っている。
ほんとうにお世話になった人だから、とリュカは微笑む。
だからフラフラでも、あの日出掛けていったのだろう。
「もし、文芸書を扱うお店だったとしても、気にしないと思うけどね。僕だって古本を買うことがあるし。それだけたくさんの人の目に触れる機会が増えるってことだから。もちろん、新しく買ってくれたら嬉しいけれど」
「ふうん、そういうもの?」
「うん、そういうもの」
といってリュカはふにゃふにゃと笑う。
そういえばこの街には古本屋が多い。マンガ専門店や、語学専門書店なんかもある。
古い物を大切にする街だと思う。そういう気質が、好ましいとも。
リュカから香る、古い紙と、インクの匂いのわけを知ってジェイミーは納得した。
食後のエスプレッソを飲んで、店を出た。
このあとはリュカの家のツリーの飾りつけをするのだが、そんなことはもう何年もしていない。そう言ったらリュカも「僕もツリーを飾るのは久しぶりなんだ。だから楽しみ」とはにかんだ笑みを見せた。
「これまではどうしてたの、クリスマス」
彼が祖父を亡くしたのは何年も前の話だ。だからもう何年も、リュカはクリスマスにひとりだったということだろうか。
「アルバイトしてる古本屋の、ご主人の家族のところにお邪魔させてもらってたんだ。けど……今は、今年からこっちの大学に通うことになったお孫さんがいっしょに住んでいて……」
本物の孫がいるのに、僕はお邪魔でしょう、とリュカはふにゃふにゃと笑う。いつもの幸せそうな、のほほんとしたふにゃふにゃ笑いではなく、すこしさみしそうだ。
「じゃあさ」
考えるよりも先に、言葉が出ていた。
「クリスマスはいっしょに過ごそう」
リュカが目を丸くしている。
「いっしょに食事をして、お酒を飲んで」と、リュカが何かを言う前に、ジェイミーは言葉を重ねた。
「それっていつもと同じじゃない?」
「そう。いつもどおりに、ふたりで過ごそう」
「いつもどおり……」とリュカは小さく呟いたきり、黙ってしまった。
悩んでいるのだろうか。ジェイミーが心配になりはじめた頃、リュカは口を開いた。
「それ、いいね」
いつもの、幸せそうな、のほほんとしたふにゃふにゃの笑顔を浮かべて。
「おじいさまの人徳だな」
「本当だね。ありがたい話だよ」と微笑むリュカに、悲しみの色はない。
彼はとうに乗り越えている。彼の毎日を、楽しみながら生きている。
粉末のマッシュポテトを敬愛し、得意のキッシュをジェイミーに焼いてくれる。散歩に出掛けては、素敵なカフェを探している。蚤の市でお気に入りのカップを見つけるのが趣味で、翻訳の仕事をして、物語も書ける。ときどきアルバイトにも行く。
毎日、楽しそうに笑っているリュカが好ましい。
それでも、彼が辛い思いをしていたそのときに、そばにいてあげられたらよかったのに、とも思う。
「そういえば、アルバイトって何をしてるんだい」
考えていたらすこし悲しくなってしまって、わざとらしいくらい明るい調子で尋ねてみる。
今更な気もするが、一度口にしてしまうととても気になった。
リュカとはじめて会った日、青い顔で無理して出掛けていったアルバイト。
今でもときどき、出掛けていくアルバイト。
たしか、店主がぎっくり腰で、と言っていた。店主がリュカのご祖父様と同年代であれば、それなりの年齢であろう。さもありなんである。
「あれ、言ったことなかったっけ。古本屋だよ」
「ええっ、きみは作家なのに? 古本屋でアルバイトを?」
ジェイミーは思わず眉を顰めた。古本屋で本が売れても、作家には何も入ってこないのではないか。
「古本屋って言っても、専門書ばかりを扱った店だからさ。僕が読んでもさっぱりなんだ」
彼の祖父の友人が経営する店で、翻訳業だけではまだやっていけなかった頃に働かせてくれたという。翻訳と作家業だけでやっていけるようになった今でも、高齢の店主の手伝いになればと行っている。
ほんとうにお世話になった人だから、とリュカは微笑む。
だからフラフラでも、あの日出掛けていったのだろう。
「もし、文芸書を扱うお店だったとしても、気にしないと思うけどね。僕だって古本を買うことがあるし。それだけたくさんの人の目に触れる機会が増えるってことだから。もちろん、新しく買ってくれたら嬉しいけれど」
「ふうん、そういうもの?」
「うん、そういうもの」
といってリュカはふにゃふにゃと笑う。
そういえばこの街には古本屋が多い。マンガ専門店や、語学専門書店なんかもある。
古い物を大切にする街だと思う。そういう気質が、好ましいとも。
リュカから香る、古い紙と、インクの匂いのわけを知ってジェイミーは納得した。
食後のエスプレッソを飲んで、店を出た。
このあとはリュカの家のツリーの飾りつけをするのだが、そんなことはもう何年もしていない。そう言ったらリュカも「僕もツリーを飾るのは久しぶりなんだ。だから楽しみ」とはにかんだ笑みを見せた。
「これまではどうしてたの、クリスマス」
彼が祖父を亡くしたのは何年も前の話だ。だからもう何年も、リュカはクリスマスにひとりだったということだろうか。
「アルバイトしてる古本屋の、ご主人の家族のところにお邪魔させてもらってたんだ。けど……今は、今年からこっちの大学に通うことになったお孫さんがいっしょに住んでいて……」
本物の孫がいるのに、僕はお邪魔でしょう、とリュカはふにゃふにゃと笑う。いつもの幸せそうな、のほほんとしたふにゃふにゃ笑いではなく、すこしさみしそうだ。
「じゃあさ」
考えるよりも先に、言葉が出ていた。
「クリスマスはいっしょに過ごそう」
リュカが目を丸くしている。
「いっしょに食事をして、お酒を飲んで」と、リュカが何かを言う前に、ジェイミーは言葉を重ねた。
「それっていつもと同じじゃない?」
「そう。いつもどおりに、ふたりで過ごそう」
「いつもどおり……」とリュカは小さく呟いたきり、黙ってしまった。
悩んでいるのだろうか。ジェイミーが心配になりはじめた頃、リュカは口を開いた。
「それ、いいね」
いつもの、幸せそうな、のほほんとしたふにゃふにゃの笑顔を浮かべて。
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