『ノクトホロウの魔女に選ばれし復讐者──幻眼の乙女』

カトラス

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第十一話『セリーヌの決意』

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 ノクトホロウの森の奥深く、血塗られた祭壇の前に立つ私の足元には、腐肉と蛆虫が蠢く肉塊が横たわっていた。血の臭いと湿り気を帯びた空気が、喉の奥を焼くように絡みついてくる。



 祭壇に背を向けていたヴァルセリアが、ゆっくりとこちらを振り返る。闇に浮かぶその姿は、黒百合のように妖しく、美しく、そしておぞましいほどに気高かった。



「雑魚どもの復讐は終わったわね。──まあ、今回はあなたに“私”という存在を見せるための演目だったけれど」



 その声音は、あくまで優雅で、冷ややかな余韻を残して耳に響いた。



 私は返す言葉を持たず、ただ口元を固く結ぶ。



「ねえ、あなた。私のように“怨嗟の中に生きる者”になりたい? 力が欲しいと願うなら、それ相応の代償を覚悟してもらわないとね」



 ヴァルセリアの金色の瞳が、闇を切り裂くように私を見据える。



「……なりたい。私は、あなたのような“魔女”になりたい」



 震えながらも、私ははっきりとそう答えた。



 その一言に、ヴァルセリアの口元が笑みに歪む。



「ふふ……ようやく口にしたわね。その覚悟が聞きたかった。──でも、あなたはまだまだ未熟。今のあなたは、ようやく“基本”を理解した段階にすぎない。復讐の味を知っただけ。力の本質を手にするには、もっと深い闇に踏み込まなければならないのよ」



 私はごくりと唾を飲み込む。心の中で何かが蠢き、疼いていた。血が熱い。渇望が、骨の髄まで染み込んでいた。



「強い魔力を得るには──人間であることを捨てなければならない。たとえば……罪のない赤子の生き血を、すすれるかしら?」



「……っ」



 一瞬で空気が凍った。息が止まり、言葉が喉に張り付いたまま動かない。



 その問いは、単なる試練ではなかった。魂の深奥に突き立てられる刃だった。



「人を呪わば穴二つ。代償のない力など、存在しないわ。あなたが望む力は、他者の命と引き換えにしか手に入らない。これは“業”よ、甘い夢なんかじゃない」



 ヴァルセリアはゆっくりと歩み寄り、私の目の前に立った。



「私が“悪しき契約”を結べるようになるまでに──三百年かかったわ。人を喰い、血をすすり、夢を潰し続けてきた。そうして私は、魔女になった」



 その言葉には、誇りも後悔もなかった。ただ、事実としての重みだけがあった。



「だから、あなたにも聞くわ。魔女になりたいというなら、あなたの中の“人間”を、この場で殺しなさい」



 私の胸の奥に、再び熱が広がっていく。憐れみや良心では拭いきれない、強く暗い炎。



 その炎の正体が──ようやくはっきりと見えた気がした。



 私は口を開き、しっかりと、ゆっくりと──



「私は、魔女になりたい。復讐のために、人を捨てる覚悟がある」



 その声は、かつての私が持っていたどんな願いよりも、澄んでいた。



 ノクトホロウの森の黒煙と霧が交じる中、私は魔女ヴァルセリアの祭壇の前に立っていた。血と呪いの気配が漂うその空間で、魔女はまるで旧友に話しかけるように静かに言った。



「さて、ここからが“本番”よ。お前が本当に復讐したい相手は──侯爵家の三姉妹と、あの第三王子レオンハルトだろう?」



 その名が口にされた瞬間、私の胸に焼けつくような怒りが広がった。爪の先まで熱を持ち、視界が歪む。



「……ええ。奴らこそが、私を地獄に突き落とした連中です」



 ヴァルセリアは皮肉めいた微笑を浮かべ、赤黒く光る爪で空気をなぞった。



「さきほどの雑魚メイドたちのように──私が魔力を介して関与すれば、あいつらを殺すのも造作もない。けれどね、それじゃ意味がないのよ。だって私、あなたに義理立てして助けてやる理由なんて、どこにもないもの」



 冷徹な声だった。だが、そこには正直な真理の匂いがあった。不思議と、反発は覚えなかった。



「だったら……なぜ私を助けるんですか」



 私の問いに、ヴァルセリアはふわりと笑った。その笑みには情愛も軽蔑もない。ただ、純粋な興味と愉悦だけが滲んでいた。



「あなたの“復讐心”と、それを達成した時に生まれる“事象”が──私の糧になるからよ。怨念は滋養、憎悪は贅。復讐こそ、最高の御馳走なの」



 その言葉を背に、霧の中から一体の人影がぬっと現れた。鋭い赤い瞳と、つぎはぎだらけの裸の肌。片耳が裂け、体には奇怪な縫い跡が走る。それでも、その姿はどこか懐かしく、親しみ深い。──使い魔、ニールだ。



「お前を魔女の元に運んできたのもこいつ。そしてさっきの雑魚どもを狩るのも手伝った。こいつを、しばらく“貸して”あげるわ。復讐を成すには手足も知恵も要るでしょう。ニールはその両方を備えている。あとはあなた次第」



 ニールが私の足元で軽く顎をしゃくった。その仕草が、妙に愛らしく思えた。



「お前の中には十分な“カルマ”と“ヘイト”がある。だからこそ、私は興味を持ったの。だが……」



 ヴァルセリアはそこで声を潜め、私の耳元にそっと囁くように言った。



「本物の魔力が欲しいなら──人間を捨てなさい。覚えておくことね。あの三姉妹も王子も、“雑魚”とは違う。貴族であり、権力で守られている。だからこそ、真正面からぶつかればお前が死ぬ」



 そのとき、ニールがそっと私の裾を引いた。視線を落とすと、彼が静かに目を合わせてくる。



 ──考えろ。どうすれば勝てるのか。どうすれば、あいつらを自らの手で裁けるのか。



「使い魔と相談しながら、自分で考えるのよ。どうやって“侯爵家を崩すか。どうやって“王族”から引きずり降ろすか。……ただし、失敗したら──それはお前の死を意味する」



 ヴァルセリアは最後に、わざとらしく肩をすくめた。



「まぁ、それも一興だけどね。ふふ……さあ、あなたも私のようになりたいのでしょう? だったら──“まずは人を捨てること”が、最初のヒントよ」



 私は、ニールの腕にそっと手を伸ばした。彼は抵抗することもなく、ただ静かに受け入れた。



 この異形は、私にとって唯一の“味方”なのかもしれない。



「行こう、ニール。……私の復讐は、まだ始まってすらいない」



 胸の奥に、黒く蠢く炎がある。その炎こそが、私を人ではない何かへと変えていくのだろう。



 復讐の道は、確かにここから始まっていた。



 ノクトホロウの森にひっそりと建つ、あの不気味な魔女の館。



 私は、ヴァルセリアから与えられた一室で静かに息を吐いた。分厚い石壁に囲まれたこの部屋には窓はなく、代わりに天井の小さな明かり取りから差し込む魔法灯の光が、ほのかに空間を照らしている。淡い紫の灯りが、棚に並んだ奇怪な瓶や、呪術の文様が描かれた床を浮かび上がらせていた。



 部屋の隅では、つぎはぎだらけの人型の使い魔──ニールが片膝を立てて座っている。無機質な白い肌に継ぎ接ぎの縫い目。額から伸びた黒い角と、無表情の奥に潜む奇妙な優しさが、不気味さと親しみを同居させていた。



「考えてる顔してるな、セリーヌ」



 ニールが口を開いた。その声は乾いていて、それでいて妙に落ち着く響きがあった。



「ここから先はあんた自身の手で動かさなきゃいけない。王族や貴族に復讐なんて話、夢のようだけど、簡単な道じゃない」



「……分かってるわ」



 私は床に描かれた魔法陣の前で膝を抱えたまま呟いた。



「けど、どうすれば……? この腐った封建社会の中で、私が奴らに復讐するなんて」



「魔力を得るには、まずどうすりゃいいか。セリーヌ、いっそ魔女の真似から始めたらどうだ?」



「……魔女の真似?」



 私は顔を上げ、ニールを見た。



「そう。ご主人様──ヴァルセリア様は、何百年もかけて契約を結び、力を得てきた。だが、真似るだけでも力の道筋は見えてくるさ。禁術の構成、呪術の構築、儀式の手順……全部、真似して体に叩き込むんだ」



「……魔女になれってことね」



 私は思わず笑った。



「いいじゃないの。どうせなら、とことん人間やめてやる」



「ふふ、気が合うな」



 ニールが、わずかに口元を吊り上げた。



「じゃあ、その上で考えよう。どうやって王族に近づくか。やっぱり正攻法しかないんじゃないのか?」



「正攻法って?」



「お前自身が“上”に行くんだよ。王宮に忍び込んで、内部からあいつらを崩す。身分の低い者じゃ、どれだけ美しくても王族の慰み者で終わる。でもな、王妃になれば話は別だ」



「王妃……? 私が?」



 その言葉に、私は目を見開いた。



「無理に聞こえるかもしれないが、あながち夢物語じゃない。レオンハルトには兄がいただろう? その兄と結婚できれば、正当な王家の一員になる」



「私みたいな元メイドに、そんなこと……」



「その“元メイド”って立場を脱ぎ捨てるんだよ」



 ニールはくすっと笑った。



「どうせやるなら、他国の姫になっちまえばいい。外交の名目で王城に入り込む。正妻よりも強力なカードだ。ただしな、誰かに成り代わるには、それ相応の魔力が必要になる」



「変身……心を操る魔法……」



「その通り。ヴァルセリア様のように魔王を召喚する力までは要らない。けど、乗っ取りには肉体変質系と精神浸食系の呪術、それなりの儀式が必要だ」



 私は立ち上がり、部屋の奥の鏡台の前に立つ。



 魔女の術で修復された自分の顔が、ぼんやりと映っていた。整った容姿、透き通る肌、そして憎しみに染まりかけた瞳。



「……王妃になって王家に入り込み、奴らを“家族”として迎え入れて、そして──壊す」



 私の呟きに、ニールは満足げに頷いた。



「それだよ、セリーヌ。中から喰らう、最高の復讐だ」



 私は拳を強く握る。



「そのためには、強力な魔力が必要……」



「当然さ。でも、あんたの中には素質がある。憎しみと怒り、それこそが魔力の根源になる」



 その瞬間、部屋の隅で黒い煙が立ち昇り、小瓶がひとりでに倒れて割れた。



 まるでこの部屋自体が、私の復讐の熱を感じ取ったかのようだった。



「……やってやる。レオンハルトも、三姉妹も、王宮も、全部私の手で崩してみせる。そうよ、私は王妃になる。そして──魔女になる」



 ニールがにやりと笑い、ゆっくりと立ち上がった。



「さぁ、復讐劇の準備を始めよう。まずは……誰の皮を被るか、決めなきゃな」



 私は魔術書のページをめくりながら、胸の奥に燃え上がる復讐の炎を、そっと静める。



 これから始まる血と呪いの舞台の主役は──間違いなく、私自身なのだから。

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