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最終話『終わらない怨嗟の悲劇』
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皆さま、ついにやってまいりました――本作の最終話。
ここまで一緒に歩んでくださった読者の皆さま、本当にありがとうございます。
さて、今回は特別中の特別。長らく続けてきた「主人公の一人称」から、あえて三人称へと舵を切りました。ええ、決して「作者が一人称に疲れたから」ではございません。…たぶん。
理由はただ一つ、この物語のラストを、主人公の背中を少し離れた位置から見つめたいと思ったからです。近すぎると見えないものも、少し距離を置けばくっきり見えることがあります。涙も、笑みも、背中に秘めた覚悟も。
とはいえ、ここまできて急に視点が変わると「おや?」と思われるかもしれませんが、そこは温かい目で見てやってください。
きっと最後までお付き合いいただければ、「ああ、こういう終わり方も悪くないな」と思っていただけるはず……たぶん……いや、そう信じております。
さあ、これまで積み上げてきた復讐と希望、そのすべての結末を見届ける時間です。
どうぞ最後の最後まで、この物語にお付き合いくださいませ。
====================================================
少女は死に場所を求め、ノクトホロウの森を当てもなく彷徨っていた。
鬱蒼と茂る木々の枝葉が陽光を遮り、森は昼であるはずなのに薄闇に沈んでいた。湿った土の匂いが鼻を刺し、遠くで聞こえる小動物の足音は、彼女に近づくことなくすぐに途絶える。野犬や獣たちでさえ、その姿を目にした瞬間、耳を伏せて背を向け、音もなく森の奥へと消えていく。背負った負の気配が、野生の本能をも震え上がらせていた。
どれほどの時を歩き続けたのか、彼女自身にも見当はつかない。足は鉛のように重く、乾き切った喉は呼吸のたびに痛んだ。木々の影がゆらめくたび、時間の感覚はさらに曖昧になり、過去も未来もどうでもよくなる。
──このまま行き倒れても構わない。
そう思えるほどに、彼女の心は空っぽだった。なぜなら、彼女は“逃げてきた”からだ。侯爵家の高い塀を背に、全てを捨てて。それでも、あの場所に戻ることなど絶対にあり得なかった。姉たちの冷ややかな嘲笑と、軽蔑の視線。記憶に蘇るその光景だけで、胃の奥が締め付けられる。あの女たちはきっと、自分が早く死ぬことを望んでいる──その事実が、骨の髄まで染みていた。
少女の名はシャルロッテ。
それは、煌めくシャンデリアが天井を飾る、王女の披露宴でのことだった。絹のドレスが波のように揺れる人の海、その片隅で彼女はニールと出会った。長身で整った顔立ち、微笑の奥に潜む影が、まるで彼女の心の奥を覗き込むようだった。胸が熱く締め付けられ、一瞬で恋に落ちた。
ニールは巧みに彼女の警戒心をほどき、甘く危うい言葉で誘った。運命に引き寄せられるように、二人は人目を忍び、森の外れの古びた小屋へ向かった。そこでは琥珀色に輝く液体が杯に注がれ、甘く妖しい香りが立ち上る。
一口、また一口。喉を通るたび、体の芯が熱く痺れ、視界が波打つ。意識が朦朧としたその時、背後から聞き覚えのある女の声が耳を打った。侯爵家でメイドとして見かけたことのある女──今は王女の姿をしたセリーヌ。
彼女の囁きが、朧な意識に滑り込む。気づけば、手には冷たく重いナイフが握られ、鏡の中の自分へ刃を突き立てていた。皮膚が裂け、頬を流れる温かい血が顎を伝う。鉄の匂いが充満し、その匂いに惹かれた野犬の群れが闇から現れた。
低い唸り声、牙が肉を裂く感触──顔面を貪る鋭い痛みと、溶けていく意識。世界が白く砕け散る。
次に目を開けた時、彼女は侯爵家の寝台に横たわっていた。顔には厚い包帯が巻かれ、薬草と血の混じった匂いが鼻を刺す。生きているという安堵の影で、胸の奥では説明のつかない恐怖が静かに膨れ上がっていた。
侯爵家に戻った当初、シャルロッテの姉たちは、まるで長い夢から目覚めたかのように優しく微笑み、温かな手で彼女を迎えた。膝をつき、傷だらけの妹の手を握り、未来を諦めるなと囁いた。その瞬間だけは、暗闇に小さな灯がともったように感じられた。
しかし、医師の冷徹な言葉が全てを変えた。「顔は二度と元には戻らない。将来を考えれば……」その一言が、姉たちの笑みを凍らせ、眼差しを曇らせた。距離は日ごとに広がり、声は上辺だけのものとなり、やがて視線すら交わさなくなった。
包帯を取り替えるためにやって来るメイドたちも、膿の酸っぱい匂いと、放置すれば白い蛆がうごめく顔の惨状に息を呑んだ。彼女たちは震える手で最低限の処置だけを施し、吐き気を堪えながら早足で去っていく。その背中は冷たい壁のように遠ざかり、閉じる扉の音がシャルロッテの胸に深い穴を空けた。
そうして彼女は、ある日ふらりと屋敷を去った。誰も引き止めず、探す者もいなかった。姉たちの胸にあったのは、失われた妹を惜しむ感情ではなく──厄介払いができたという、密やかな安堵だけだった。
霧が立ち込めるノクトホロウの森の中、シャルロッテは足元を引きずるように歩いていた。白い吐息は瞬く間に霧に飲まれ、視界は乳白色に閉ざされている。
「……なぜ、死なせてくれないの?」
掠れた声は霧に溶け、誰の耳にも届かない。身体は鉛のように重く、心はそれ以上に沈んでいた。どれほど歩いたのかも分からない。木々の影はゆらめき、闇と霧が境界を失っていた。
ふと、霧の切れ間に何かが現れた。そこには巨大な屋敷が佇んでいた。白亜の壁に高くそびえる塔、鋭い屋根飾り──森の奥にあるには不釣り合いなほど豪奢な建物が、霧の中で不気味な威圧感を放っている。
(……どうしてこんな場所に?)
疑念と同時に、胸の奥に微かな好奇心が芽生える。濡れた枯葉を踏みしめながら、重い足を屋敷へと向けた。玄関の前に立つと、軋む音を立てて扉がひとりでに開く。
中から姿を現したのは、全身を深い黒のローブに包んだ女だった。霧の光を吸い込むような布地、その奥から覗く瞳は夜よりも冷たい輝きを放っている。
その名を口にすれば誰もが恐怖に息を呑む──大魔女ヴァルセリアであった。
ヴァルセリアは、霧の中に立ち尽くすシャルロッテを見据え、低く艶やかな声で呼びかけた。
「……シャルロッテ」
その名を聞いた瞬間、彼女の心臓が一拍、強く跳ねた。どうして、この大魔女が自分の名を知っているのか――驚きと警戒が胸を満たす。しかし、ヴァルセリアの眼差しは揺らぐことなく、まるで全てを見通しているかのようだった。
「こちらへおいで」
抗えぬ力に引かれるように、シャルロッテは足を踏み出す。足元の枯葉が湿った音を立て、霧が二人の間を薄く裂いた。
「……なぜ、私のことを?」
問いかける声はかすれ、冷えた空気に消え入りそうだった。ヴァルセリアはゆっくりと口角を上げる。
「知っているとも。お前がここに至るまでの経緯も……セリーヌにされたことも、すべて」
シャルロッテは息を飲む。ヴァルセリアの言葉には、嘲笑ではなく確信があった。
「お前には素質がある。禍々しい怨嗟と、濃く重いカルマ……そして何より、燃え盛るヘイト。それは軽くセリーヌを凌駕している」
大魔女の声は甘く、しかし背筋を撫でるような冷たさを孕んでいた。
「シャルロッテ、セリーヌに復讐したいか?」
彼女の瞳が、霧の奥で赤く煌めく。シャルロッテは震える唇を結び、視線を逸らさずに答えた。
「……できるのですか?」
ヴァルセリアは短く笑い、その声には不思議な確信があった。
「えぇ、やってやれないことはないわよ」
「どうして……私を?」
その問いに、ヴァルセリアはほんの一瞬、愉悦を帯びた瞳を細めた。
「少々、セリーヌのことが鼻につきだしてね」
その言葉は、霧よりも濃い闇の予兆を孕んでいた。
【おしまい】
ここまで一緒に歩んでくださった読者の皆さま、本当にありがとうございます。
さて、今回は特別中の特別。長らく続けてきた「主人公の一人称」から、あえて三人称へと舵を切りました。ええ、決して「作者が一人称に疲れたから」ではございません。…たぶん。
理由はただ一つ、この物語のラストを、主人公の背中を少し離れた位置から見つめたいと思ったからです。近すぎると見えないものも、少し距離を置けばくっきり見えることがあります。涙も、笑みも、背中に秘めた覚悟も。
とはいえ、ここまできて急に視点が変わると「おや?」と思われるかもしれませんが、そこは温かい目で見てやってください。
きっと最後までお付き合いいただければ、「ああ、こういう終わり方も悪くないな」と思っていただけるはず……たぶん……いや、そう信じております。
さあ、これまで積み上げてきた復讐と希望、そのすべての結末を見届ける時間です。
どうぞ最後の最後まで、この物語にお付き合いくださいませ。
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少女は死に場所を求め、ノクトホロウの森を当てもなく彷徨っていた。
鬱蒼と茂る木々の枝葉が陽光を遮り、森は昼であるはずなのに薄闇に沈んでいた。湿った土の匂いが鼻を刺し、遠くで聞こえる小動物の足音は、彼女に近づくことなくすぐに途絶える。野犬や獣たちでさえ、その姿を目にした瞬間、耳を伏せて背を向け、音もなく森の奥へと消えていく。背負った負の気配が、野生の本能をも震え上がらせていた。
どれほどの時を歩き続けたのか、彼女自身にも見当はつかない。足は鉛のように重く、乾き切った喉は呼吸のたびに痛んだ。木々の影がゆらめくたび、時間の感覚はさらに曖昧になり、過去も未来もどうでもよくなる。
──このまま行き倒れても構わない。
そう思えるほどに、彼女の心は空っぽだった。なぜなら、彼女は“逃げてきた”からだ。侯爵家の高い塀を背に、全てを捨てて。それでも、あの場所に戻ることなど絶対にあり得なかった。姉たちの冷ややかな嘲笑と、軽蔑の視線。記憶に蘇るその光景だけで、胃の奥が締め付けられる。あの女たちはきっと、自分が早く死ぬことを望んでいる──その事実が、骨の髄まで染みていた。
少女の名はシャルロッテ。
それは、煌めくシャンデリアが天井を飾る、王女の披露宴でのことだった。絹のドレスが波のように揺れる人の海、その片隅で彼女はニールと出会った。長身で整った顔立ち、微笑の奥に潜む影が、まるで彼女の心の奥を覗き込むようだった。胸が熱く締め付けられ、一瞬で恋に落ちた。
ニールは巧みに彼女の警戒心をほどき、甘く危うい言葉で誘った。運命に引き寄せられるように、二人は人目を忍び、森の外れの古びた小屋へ向かった。そこでは琥珀色に輝く液体が杯に注がれ、甘く妖しい香りが立ち上る。
一口、また一口。喉を通るたび、体の芯が熱く痺れ、視界が波打つ。意識が朦朧としたその時、背後から聞き覚えのある女の声が耳を打った。侯爵家でメイドとして見かけたことのある女──今は王女の姿をしたセリーヌ。
彼女の囁きが、朧な意識に滑り込む。気づけば、手には冷たく重いナイフが握られ、鏡の中の自分へ刃を突き立てていた。皮膚が裂け、頬を流れる温かい血が顎を伝う。鉄の匂いが充満し、その匂いに惹かれた野犬の群れが闇から現れた。
低い唸り声、牙が肉を裂く感触──顔面を貪る鋭い痛みと、溶けていく意識。世界が白く砕け散る。
次に目を開けた時、彼女は侯爵家の寝台に横たわっていた。顔には厚い包帯が巻かれ、薬草と血の混じった匂いが鼻を刺す。生きているという安堵の影で、胸の奥では説明のつかない恐怖が静かに膨れ上がっていた。
侯爵家に戻った当初、シャルロッテの姉たちは、まるで長い夢から目覚めたかのように優しく微笑み、温かな手で彼女を迎えた。膝をつき、傷だらけの妹の手を握り、未来を諦めるなと囁いた。その瞬間だけは、暗闇に小さな灯がともったように感じられた。
しかし、医師の冷徹な言葉が全てを変えた。「顔は二度と元には戻らない。将来を考えれば……」その一言が、姉たちの笑みを凍らせ、眼差しを曇らせた。距離は日ごとに広がり、声は上辺だけのものとなり、やがて視線すら交わさなくなった。
包帯を取り替えるためにやって来るメイドたちも、膿の酸っぱい匂いと、放置すれば白い蛆がうごめく顔の惨状に息を呑んだ。彼女たちは震える手で最低限の処置だけを施し、吐き気を堪えながら早足で去っていく。その背中は冷たい壁のように遠ざかり、閉じる扉の音がシャルロッテの胸に深い穴を空けた。
そうして彼女は、ある日ふらりと屋敷を去った。誰も引き止めず、探す者もいなかった。姉たちの胸にあったのは、失われた妹を惜しむ感情ではなく──厄介払いができたという、密やかな安堵だけだった。
霧が立ち込めるノクトホロウの森の中、シャルロッテは足元を引きずるように歩いていた。白い吐息は瞬く間に霧に飲まれ、視界は乳白色に閉ざされている。
「……なぜ、死なせてくれないの?」
掠れた声は霧に溶け、誰の耳にも届かない。身体は鉛のように重く、心はそれ以上に沈んでいた。どれほど歩いたのかも分からない。木々の影はゆらめき、闇と霧が境界を失っていた。
ふと、霧の切れ間に何かが現れた。そこには巨大な屋敷が佇んでいた。白亜の壁に高くそびえる塔、鋭い屋根飾り──森の奥にあるには不釣り合いなほど豪奢な建物が、霧の中で不気味な威圧感を放っている。
(……どうしてこんな場所に?)
疑念と同時に、胸の奥に微かな好奇心が芽生える。濡れた枯葉を踏みしめながら、重い足を屋敷へと向けた。玄関の前に立つと、軋む音を立てて扉がひとりでに開く。
中から姿を現したのは、全身を深い黒のローブに包んだ女だった。霧の光を吸い込むような布地、その奥から覗く瞳は夜よりも冷たい輝きを放っている。
その名を口にすれば誰もが恐怖に息を呑む──大魔女ヴァルセリアであった。
ヴァルセリアは、霧の中に立ち尽くすシャルロッテを見据え、低く艶やかな声で呼びかけた。
「……シャルロッテ」
その名を聞いた瞬間、彼女の心臓が一拍、強く跳ねた。どうして、この大魔女が自分の名を知っているのか――驚きと警戒が胸を満たす。しかし、ヴァルセリアの眼差しは揺らぐことなく、まるで全てを見通しているかのようだった。
「こちらへおいで」
抗えぬ力に引かれるように、シャルロッテは足を踏み出す。足元の枯葉が湿った音を立て、霧が二人の間を薄く裂いた。
「……なぜ、私のことを?」
問いかける声はかすれ、冷えた空気に消え入りそうだった。ヴァルセリアはゆっくりと口角を上げる。
「知っているとも。お前がここに至るまでの経緯も……セリーヌにされたことも、すべて」
シャルロッテは息を飲む。ヴァルセリアの言葉には、嘲笑ではなく確信があった。
「お前には素質がある。禍々しい怨嗟と、濃く重いカルマ……そして何より、燃え盛るヘイト。それは軽くセリーヌを凌駕している」
大魔女の声は甘く、しかし背筋を撫でるような冷たさを孕んでいた。
「シャルロッテ、セリーヌに復讐したいか?」
彼女の瞳が、霧の奥で赤く煌めく。シャルロッテは震える唇を結び、視線を逸らさずに答えた。
「……できるのですか?」
ヴァルセリアは短く笑い、その声には不思議な確信があった。
「えぇ、やってやれないことはないわよ」
「どうして……私を?」
その問いに、ヴァルセリアはほんの一瞬、愉悦を帯びた瞳を細めた。
「少々、セリーヌのことが鼻につきだしてね」
その言葉は、霧よりも濃い闇の予兆を孕んでいた。
【おしまい】
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