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第二十四話『石畳に刻まれた記憶』
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亡者の声の道を抜けた三人とトラは、肩で息をしながら霧の先へと足を進めた。やがて、ぼんやりとした光が差し込み、霧がゆっくりと晴れていく。視界が開けた瞬間、彼らの前に古びた石畳の道が浮かび上がった。
石畳は長い年月を経て苔むし、割れ目からは草や小さな花が顔をのぞかせている。緑の苔が石の縁を縁取り、湿った夜気を吸い込んで輝きを放つようだった。だが、その足触りは意外なほどしっかりしており、踏みしめるたびに城郭の堅牢さを思わせる硬質な感触が伝わってくる。まるでかつて人々がここを歩んだ記憶が、石そのものに宿っているように思えた。
「……なんやこれ……道やんけ」
アラタが驚き混じりの声を漏らした。目を大きく見開き、恐怖よりも好奇心が勝っているのが表情に表れていた。
「ほんまや……こんな森の奥に……」
ケンタは思わず言葉を失い、目を押し上げながら石畳を凝視した。声が震えていたが、その震えは恐怖だけではなく、歴史の重みを前にした畏怖でもあった。
「ここも……安土城の一部、なんやろか」
彼の言葉に、空気がさらに張り詰める。三人の間に流れた沈黙は、不気味さではなく、厳粛さに近いものだった。
ハルトは石畳にしゃがみ込み、手でそっと触れた。ひんやりとした感触の奥に、確かに人の営みの残り香のようなものが伝わってきた気がする。彼は深く息を吐き、静かに言った。
「……あぁ。安土城の残り火や。こんな森の奥にまで、まだ残っとるとはな」
アラタはその言葉を聞き、胸が高鳴った。「ほんまに……俺ら、信長の残したもんを歩いてるんやな」
ケンタは唇を噛みしめながら、小さく頷いた。「なんか……怖いけど……同時に、すごい」
そのとき、トラが前に出て、石畳の上で軽やかに一声「ニャー」と鳴いた。小さな体が青白い月光に照らされ、まるで道を示す先導者のように見えた。
「トラも……進めって言うてるみたいやな」
アラタが笑みを浮かべて言い、二人も自然と頷いた。
三人は背筋を伸ばし、互いに視線を交わした。恐怖の霧を抜けた今、彼らの胸には新たな緊張と高揚が混ざり合っていた。古びた石畳の道は、彼らをさらに深い場所へと誘っていた。
古びた石畳を進むうちに、霧が再び濃さを増していった。月明かりは木々の枝に遮られ、灯籠の青白い光だけが彼らを導いていた。三人と一匹は足元に気を配りながら歩を進めたが、やがてその石畳に異変が現れた。
ふいに、月光を浴びた石畳の上に、淡い影が浮かび上がった。最初は人の形を模したぼんやりとした影だったが、歩を進めるごとに輪郭が明瞭になっていく。アラタが息を呑んだ。
「……おい、見ろや……あれ……」
ケンタはその場に立ちすくみ、目を大きく見開いた。
「そ、そんな……なんで……」
石畳の上に浮かんだ影は、彼ら自身の姿だった。幼いころの自分、後悔や失敗の瞬間を映すかのように、幻影はじわじわと鮮明になっていった。ケンタの前には、かつて友達を助けられず逃げ出した自分の姿が現れ、怯えた表情で振り返っている。
「これ……俺が……あのとき……!」
ケンタの顔から血の気が引いていく。膝が震え、声は恐怖と罪悪感で掠れていた。
「やめてくれや……もう、見たないんや……!」
アラタの足元にもまた影が浮かび上がった。それは、無鉄砲な行動で仲間を危険に晒した自分の姿だった。自分のせいで泣いている友達の顔が幻影に映り、アラタの心臓を容赦なく締め付ける。
「ちょ、ちょっと待て……これ……全部、俺のせいやって言いたいんか……!」
怒りに似た声を上げながらも、アラタの瞳には迷いと後悔が滲んでいた。拳を握りしめても、心の奥に突き刺さる記憶から目を逸らせない。
一方でハルトは、自分の幻影を前に立ち止まった。それは、冷静さを装い、孤独を抱え込んでいた過去の姿だった。仲間に頼らず、一人で全てを背負おうとしていた少年の背中がそこにあった。
ハルトは唇を引き結び、静かに言った。
「……なるほど。これは心を揺さぶるための幻影か」
冷静な声を出そうとしたが、彼の瞳の奥には一瞬、苦痛の色が走った。幻影はただの影ではなく、彼らの心の奥底に潜む「弱さ」そのものを映し出していたのだ。
「こんなん……もういやや!」
ケンタが耳を塞ぎ、顔を背ける。「俺は……逃げたんや! あのとき、友達助けられんかったんや!」
「俺もや!」
アラタが声を荒げる。「俺のせいで怪我させたことある! それ、まだずっと心に刺さっとる!」
ハルトは拳を握り、幻影の自分をじっと睨みつけた。
「……俺は冷静ぶってただけや。本当は……怖くて、一人になりたくなかった」
三人の胸に次々と痛みが突き刺さる。過去の幻影は彼らを試すかのように、目の前で揺れながら形を濃くしていった。足を止めれば、心ごと飲み込まれてしまうような圧迫感が迫ってくる。
そのとき、トラが鳴いた。
「ニャー!」
小さな身体で三人の間を駆け抜け、幻影の足元をすり抜ける。瞬間、幻影の輪郭がかすかに揺らぎ、薄くなった。まるでトラの存在が、彼らの心を支えているかのようだった。
「仲間がおるやろ!」
アラタが声を張り上げた。「俺ら三人と一匹や! 一緒やったら負けへん!」
ケンタは涙を浮かべながら顔を上げる。
「……ほんまに……俺、一人やないんやな……!」
ハルトは小さく笑みを浮かべ、短く頷いた。
「そうや。弱さを見せてもええ。けど、仲間を信じる心があれば……進める」
三人の胸に再び力が宿った。幻影はなお揺らめいていたが、もう彼らを縛ることはできなかった。
石畳に浮かんだ幻影は、じわじわと輪郭を濃くしながら三人を取り囲んでいた。冷たい夜風に混じって、過去の記憶が形を持ったかのように迫ってくる。足を止めれば、そのまま心を呑み込まれる──そんな圧迫感が息を詰まらせた。
「……もういやや……!」
ケンタが耳を塞ぎ、震える声で叫んだ。彼の前に立つ幻影は、あの日の自分──逃げ出してしまった弱い自分だった。必死に助けを求めていた友の声を無視して走り去った後ろ姿が、何度も何度も繰り返されている。
「俺は……逃げたんや! 助けられへんかったんや!」
膝が折れそうになり、涙が頬を伝う。胸をえぐられるような痛みに、ケンタは歯を食いしばった。
「俺もや!」
アラタが拳を握りしめ、幻影を睨みつける。そこに映るのは、無鉄砲な行動で仲間を危険に巻き込んだ自分の姿だった。泣き叫ぶ友達の顔、怪我をした手──それが幻影となって彼の目の前に突きつけられる。
「俺のせいで……傷つけたんや……! こんなん、認めたくない……!」
怒鳴り声は自分自身への怒りに震えていた。拳を握りすぎて爪が食い込み、痛みが皮膚を刺す。
一方でハルトは、自分の幻影を黙って見つめていた。冷静を装い、誰にも頼らず孤独を抱えていた少年の背中。仲間を信じきれず、一人で全てを背負おうとした過去の自分だ。
「……俺は、ずっと一人やと思ってた。冷静さで隠してただけや」
低くつぶやいた声は震えていた。それでも彼は幻影から目を逸らさず、静かに言葉を続ける。
「でも、今は違う。もう一人で背負わんでもええ」
その瞬間、トラが三人の足元を駆け抜けた。「ニャー」と鳴き声が響き、幻影がかすかに揺らぎ、薄れ始める。小さな体が彼らの心に灯をともしたようだった。
「仲間がおるやろ!」
アラタが声を張り上げた。恐怖に押し潰されそうな心を、仲間への信頼で必死に支えていた。
「……ほんまに……俺、一人やないんやな……!」
ケンタが涙を拭いながら顔を上げる。震えた声は、今度は勇気に変わりつつあった。
「そうや。弱さを見せてもええ。けど、仲間を信じる心があれば進める」
ハルトが静かに告げた。冷静さの奥に、確かな熱が宿っていた。
三人と一匹の間に、強い絆が走った。胸の奥でじんわりと熱が広がり、恐怖に押し潰されそうだった心を支えてくれる。幻影はなお揺らめいていたが、彼らを縛る力はもう失われていた。
アラタが一歩前に踏み出した。その背中にケンタとハルトが続く。石畳の上に浮かんでいた幻影は、まるで彼らの決意に押し流されるかのように形を崩し、霧の中へと消えていった。
「……行こか」
アラタの短い一言に、二人は力強く頷いた。胸に残る痛みは消えていない。けれど、それを抱えたまま進む勇気が三人の心に芽生えていた。
石畳に浮かんでいた幻影が霧の中に消え去ると、道の先に淡い光が差し込んできた。三人とトラは肩で息をしながら歩を進め、ついに石畳の果てへとたどり着く。
そこは森の奥にぽっかりと広がる広場だった。周囲をぐるりと高い木々に囲まれ、頭上からは月明かりが静かに降り注いでいる。夜露に濡れた草が銀色に光り、広場全体が夢の中のような幻想的な雰囲気に包まれていた。だが、その中心にそびえ立つ巨大な石碑の存在感は圧倒的で、彼らの足を止めた。
石碑は人の背丈の三倍ほどもあり、苔と蔦に覆われながらも堂々とそびえていた。表面には不思議な文様や古い文字が刻まれ、長い時を経てもなお威厳を放っている。月光を受けると、その文字がかすかに光を帯び、まるで生きているかのように揺らめいて見えた。
「……なんや、これ……」
アラタが唾を飲み込みながら呟いた。胸の奥がざわつき、普段の強気が影を潜めている。けれどその目には恐怖と同時に抑えきれない好奇心が宿っていた。
「文字……やと思うけど……俺、こんなん見たことない」
ケンタが石碑ににじり寄り、眼鏡を押さえながら必死に目を凝らした。指先が震えながらも、空中に文字をなぞるようにして読み取ろうとする。その顔には恐怖と知りたいという欲望が同居していた。
「ここまで来たら……やっぱり信長と関係あるもんなんやろか……?」
ケンタの声は小さく、震え混じりだったが、心の奥底に芽生えた期待がにじんでいた。
ハルトはしばらく黙ったまま石碑を見つめ、目を細めた。冷たい風が広場を吹き抜け、彼の髪を揺らす。やがて彼は低い声で言った。
「……これが次の鍵や。信長の時代から残された……何かの証やろな」
静かだが確信に満ちた声が響いた。アラタとケンタは思わず彼を見やり、互いに目を合わせた。三人の胸に走ったのは、恐怖だけでなく、ここまで辿り着いた達成感と次の試練への緊張だった。
「すごい……でも、怖いな……」
ケンタがぽつりと漏らす。肩が震えていたが、それを隠そうとはせずに吐き出した言葉だった。
「怖くても進むんや。ここで止まったら、今まで越えてきたもんが無駄になる」
アラタが強く言い切る。声は震えていたが、その眼差しは真っ直ぐだった。
そのとき、トラが石碑の前に歩み寄り、小さく「ニャー」と鳴いた。月明かりを浴びて白く輝くその姿は、まるで「ここから先が本番や」と告げているようだった。
「……トラまで、分かっとるんかもしれんな」
アラタが思わず笑みを浮かべると、ケンタとハルトも小さく頷いた。緊張の中に、ほんのひとかけらの安堵が芽生える。
「ここまで来たんや。もう逃げられへん」
アラタが拳を握る。
「……やり遂げなあかんな」
ケンタも息を詰めながらも力強く頷いた。
「そうや。これを越えた先に、真実が待っとる」
ハルトが短く告げる。その瞳には、冷静さを超えた確かな決意が光っていた。
三人と一匹は石碑の前に並び立ち、冷たい月明かりに照らされながら、次なる試練に備えた。恐怖と緊張、そして確かな覚悟が、彼らの胸の奥で静かに燃えていた。
石畳は長い年月を経て苔むし、割れ目からは草や小さな花が顔をのぞかせている。緑の苔が石の縁を縁取り、湿った夜気を吸い込んで輝きを放つようだった。だが、その足触りは意外なほどしっかりしており、踏みしめるたびに城郭の堅牢さを思わせる硬質な感触が伝わってくる。まるでかつて人々がここを歩んだ記憶が、石そのものに宿っているように思えた。
「……なんやこれ……道やんけ」
アラタが驚き混じりの声を漏らした。目を大きく見開き、恐怖よりも好奇心が勝っているのが表情に表れていた。
「ほんまや……こんな森の奥に……」
ケンタは思わず言葉を失い、目を押し上げながら石畳を凝視した。声が震えていたが、その震えは恐怖だけではなく、歴史の重みを前にした畏怖でもあった。
「ここも……安土城の一部、なんやろか」
彼の言葉に、空気がさらに張り詰める。三人の間に流れた沈黙は、不気味さではなく、厳粛さに近いものだった。
ハルトは石畳にしゃがみ込み、手でそっと触れた。ひんやりとした感触の奥に、確かに人の営みの残り香のようなものが伝わってきた気がする。彼は深く息を吐き、静かに言った。
「……あぁ。安土城の残り火や。こんな森の奥にまで、まだ残っとるとはな」
アラタはその言葉を聞き、胸が高鳴った。「ほんまに……俺ら、信長の残したもんを歩いてるんやな」
ケンタは唇を噛みしめながら、小さく頷いた。「なんか……怖いけど……同時に、すごい」
そのとき、トラが前に出て、石畳の上で軽やかに一声「ニャー」と鳴いた。小さな体が青白い月光に照らされ、まるで道を示す先導者のように見えた。
「トラも……進めって言うてるみたいやな」
アラタが笑みを浮かべて言い、二人も自然と頷いた。
三人は背筋を伸ばし、互いに視線を交わした。恐怖の霧を抜けた今、彼らの胸には新たな緊張と高揚が混ざり合っていた。古びた石畳の道は、彼らをさらに深い場所へと誘っていた。
古びた石畳を進むうちに、霧が再び濃さを増していった。月明かりは木々の枝に遮られ、灯籠の青白い光だけが彼らを導いていた。三人と一匹は足元に気を配りながら歩を進めたが、やがてその石畳に異変が現れた。
ふいに、月光を浴びた石畳の上に、淡い影が浮かび上がった。最初は人の形を模したぼんやりとした影だったが、歩を進めるごとに輪郭が明瞭になっていく。アラタが息を呑んだ。
「……おい、見ろや……あれ……」
ケンタはその場に立ちすくみ、目を大きく見開いた。
「そ、そんな……なんで……」
石畳の上に浮かんだ影は、彼ら自身の姿だった。幼いころの自分、後悔や失敗の瞬間を映すかのように、幻影はじわじわと鮮明になっていった。ケンタの前には、かつて友達を助けられず逃げ出した自分の姿が現れ、怯えた表情で振り返っている。
「これ……俺が……あのとき……!」
ケンタの顔から血の気が引いていく。膝が震え、声は恐怖と罪悪感で掠れていた。
「やめてくれや……もう、見たないんや……!」
アラタの足元にもまた影が浮かび上がった。それは、無鉄砲な行動で仲間を危険に晒した自分の姿だった。自分のせいで泣いている友達の顔が幻影に映り、アラタの心臓を容赦なく締め付ける。
「ちょ、ちょっと待て……これ……全部、俺のせいやって言いたいんか……!」
怒りに似た声を上げながらも、アラタの瞳には迷いと後悔が滲んでいた。拳を握りしめても、心の奥に突き刺さる記憶から目を逸らせない。
一方でハルトは、自分の幻影を前に立ち止まった。それは、冷静さを装い、孤独を抱え込んでいた過去の姿だった。仲間に頼らず、一人で全てを背負おうとしていた少年の背中がそこにあった。
ハルトは唇を引き結び、静かに言った。
「……なるほど。これは心を揺さぶるための幻影か」
冷静な声を出そうとしたが、彼の瞳の奥には一瞬、苦痛の色が走った。幻影はただの影ではなく、彼らの心の奥底に潜む「弱さ」そのものを映し出していたのだ。
「こんなん……もういやや!」
ケンタが耳を塞ぎ、顔を背ける。「俺は……逃げたんや! あのとき、友達助けられんかったんや!」
「俺もや!」
アラタが声を荒げる。「俺のせいで怪我させたことある! それ、まだずっと心に刺さっとる!」
ハルトは拳を握り、幻影の自分をじっと睨みつけた。
「……俺は冷静ぶってただけや。本当は……怖くて、一人になりたくなかった」
三人の胸に次々と痛みが突き刺さる。過去の幻影は彼らを試すかのように、目の前で揺れながら形を濃くしていった。足を止めれば、心ごと飲み込まれてしまうような圧迫感が迫ってくる。
そのとき、トラが鳴いた。
「ニャー!」
小さな身体で三人の間を駆け抜け、幻影の足元をすり抜ける。瞬間、幻影の輪郭がかすかに揺らぎ、薄くなった。まるでトラの存在が、彼らの心を支えているかのようだった。
「仲間がおるやろ!」
アラタが声を張り上げた。「俺ら三人と一匹や! 一緒やったら負けへん!」
ケンタは涙を浮かべながら顔を上げる。
「……ほんまに……俺、一人やないんやな……!」
ハルトは小さく笑みを浮かべ、短く頷いた。
「そうや。弱さを見せてもええ。けど、仲間を信じる心があれば……進める」
三人の胸に再び力が宿った。幻影はなお揺らめいていたが、もう彼らを縛ることはできなかった。
石畳に浮かんだ幻影は、じわじわと輪郭を濃くしながら三人を取り囲んでいた。冷たい夜風に混じって、過去の記憶が形を持ったかのように迫ってくる。足を止めれば、そのまま心を呑み込まれる──そんな圧迫感が息を詰まらせた。
「……もういやや……!」
ケンタが耳を塞ぎ、震える声で叫んだ。彼の前に立つ幻影は、あの日の自分──逃げ出してしまった弱い自分だった。必死に助けを求めていた友の声を無視して走り去った後ろ姿が、何度も何度も繰り返されている。
「俺は……逃げたんや! 助けられへんかったんや!」
膝が折れそうになり、涙が頬を伝う。胸をえぐられるような痛みに、ケンタは歯を食いしばった。
「俺もや!」
アラタが拳を握りしめ、幻影を睨みつける。そこに映るのは、無鉄砲な行動で仲間を危険に巻き込んだ自分の姿だった。泣き叫ぶ友達の顔、怪我をした手──それが幻影となって彼の目の前に突きつけられる。
「俺のせいで……傷つけたんや……! こんなん、認めたくない……!」
怒鳴り声は自分自身への怒りに震えていた。拳を握りすぎて爪が食い込み、痛みが皮膚を刺す。
一方でハルトは、自分の幻影を黙って見つめていた。冷静を装い、誰にも頼らず孤独を抱えていた少年の背中。仲間を信じきれず、一人で全てを背負おうとした過去の自分だ。
「……俺は、ずっと一人やと思ってた。冷静さで隠してただけや」
低くつぶやいた声は震えていた。それでも彼は幻影から目を逸らさず、静かに言葉を続ける。
「でも、今は違う。もう一人で背負わんでもええ」
その瞬間、トラが三人の足元を駆け抜けた。「ニャー」と鳴き声が響き、幻影がかすかに揺らぎ、薄れ始める。小さな体が彼らの心に灯をともしたようだった。
「仲間がおるやろ!」
アラタが声を張り上げた。恐怖に押し潰されそうな心を、仲間への信頼で必死に支えていた。
「……ほんまに……俺、一人やないんやな……!」
ケンタが涙を拭いながら顔を上げる。震えた声は、今度は勇気に変わりつつあった。
「そうや。弱さを見せてもええ。けど、仲間を信じる心があれば進める」
ハルトが静かに告げた。冷静さの奥に、確かな熱が宿っていた。
三人と一匹の間に、強い絆が走った。胸の奥でじんわりと熱が広がり、恐怖に押し潰されそうだった心を支えてくれる。幻影はなお揺らめいていたが、彼らを縛る力はもう失われていた。
アラタが一歩前に踏み出した。その背中にケンタとハルトが続く。石畳の上に浮かんでいた幻影は、まるで彼らの決意に押し流されるかのように形を崩し、霧の中へと消えていった。
「……行こか」
アラタの短い一言に、二人は力強く頷いた。胸に残る痛みは消えていない。けれど、それを抱えたまま進む勇気が三人の心に芽生えていた。
石畳に浮かんでいた幻影が霧の中に消え去ると、道の先に淡い光が差し込んできた。三人とトラは肩で息をしながら歩を進め、ついに石畳の果てへとたどり着く。
そこは森の奥にぽっかりと広がる広場だった。周囲をぐるりと高い木々に囲まれ、頭上からは月明かりが静かに降り注いでいる。夜露に濡れた草が銀色に光り、広場全体が夢の中のような幻想的な雰囲気に包まれていた。だが、その中心にそびえ立つ巨大な石碑の存在感は圧倒的で、彼らの足を止めた。
石碑は人の背丈の三倍ほどもあり、苔と蔦に覆われながらも堂々とそびえていた。表面には不思議な文様や古い文字が刻まれ、長い時を経てもなお威厳を放っている。月光を受けると、その文字がかすかに光を帯び、まるで生きているかのように揺らめいて見えた。
「……なんや、これ……」
アラタが唾を飲み込みながら呟いた。胸の奥がざわつき、普段の強気が影を潜めている。けれどその目には恐怖と同時に抑えきれない好奇心が宿っていた。
「文字……やと思うけど……俺、こんなん見たことない」
ケンタが石碑ににじり寄り、眼鏡を押さえながら必死に目を凝らした。指先が震えながらも、空中に文字をなぞるようにして読み取ろうとする。その顔には恐怖と知りたいという欲望が同居していた。
「ここまで来たら……やっぱり信長と関係あるもんなんやろか……?」
ケンタの声は小さく、震え混じりだったが、心の奥底に芽生えた期待がにじんでいた。
ハルトはしばらく黙ったまま石碑を見つめ、目を細めた。冷たい風が広場を吹き抜け、彼の髪を揺らす。やがて彼は低い声で言った。
「……これが次の鍵や。信長の時代から残された……何かの証やろな」
静かだが確信に満ちた声が響いた。アラタとケンタは思わず彼を見やり、互いに目を合わせた。三人の胸に走ったのは、恐怖だけでなく、ここまで辿り着いた達成感と次の試練への緊張だった。
「すごい……でも、怖いな……」
ケンタがぽつりと漏らす。肩が震えていたが、それを隠そうとはせずに吐き出した言葉だった。
「怖くても進むんや。ここで止まったら、今まで越えてきたもんが無駄になる」
アラタが強く言い切る。声は震えていたが、その眼差しは真っ直ぐだった。
そのとき、トラが石碑の前に歩み寄り、小さく「ニャー」と鳴いた。月明かりを浴びて白く輝くその姿は、まるで「ここから先が本番や」と告げているようだった。
「……トラまで、分かっとるんかもしれんな」
アラタが思わず笑みを浮かべると、ケンタとハルトも小さく頷いた。緊張の中に、ほんのひとかけらの安堵が芽生える。
「ここまで来たんや。もう逃げられへん」
アラタが拳を握る。
「……やり遂げなあかんな」
ケンタも息を詰めながらも力強く頷いた。
「そうや。これを越えた先に、真実が待っとる」
ハルトが短く告げる。その瞳には、冷静さを超えた確かな決意が光っていた。
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