ボーンネル 〜辺境からの英雄譚〜

ふーみ

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英雄奪還編 後編

七章 第三十九話 幸せな一ヶ月

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 ルミラの家の周りには本当に何もなかった。この辺りを通る者もほとんどいない。そのためルミラの家を訪ねる者はシリスしかいなかった。そして今、母親というたった一人の話し相手がいなくなっていたルミラはシリスがいてくれたことが嬉しくて堪らなかった。

「美味しかったぁ。こんなにいっぱい食べてもいいのかな。バチがあたっちゃうかも」

「いいのだ。いっぱい食べろ。ルミラが嬉しいなら私も嬉しい」

「えへへぇ。お母さんにも食べさせてあげたい。きっとお母さんもシリスのこと大好きになると思う」

「······そうか」

 立ち上がり部屋の中を移動するとその気配を感じ取ったルミラは手探りで服の裾を掴みついてきた。隣に座ると肩に頭を乗せ甘えてきた。その様子があまりにも愛おしくてずっとルミラの側にいた。その様子があまりにも愛おしくてずっとルミラの顔を見ていた。

「ルミラはいつも何してるんだ?」

「お母さんがいる時はいつもお話をしてくれるんだよ。でもひとりの時は外に出ちゃ駄目って言われてるから今は暖炉の音を聞いてる。落ち着くの、暖炉のパチパチっていう音」

「うん、いい音だぞ。ルミラ、私とちょっとだけ外に出てみないか?」

「そッ、外に!? でも外はお母さんが駄目だって····」

「大丈夫。私がいるぞ。それに外には雪が積もってるぞ。触ったことはあるか」

「うん! 前にお母さんが触らせてくれたんだあ。とっても冷たくて、でも家の中だとすぐに消えちゃった」

「なら今度はもっといっぱい触ってみるか。私と手を繋いでいれば大丈夫だ。雪を踏んだことはあるか?」

「ううん。雪がある日は外に出たことない」

「きっと面白いぞ」

 窓からは一面の雪景色が見えていた。暖炉の前で暖まるルミラを立ち上がらせシリスは自分の着ていた上着をルミラにかけた。

「外は寒いからな、さあ行くぞ」

「シリスはきちんと暖かい服着てる?」

「うん。完璧だ」

 扉をゆっくりと開けると冷たい風が部屋の中に入ってくる。
 足元を見るとくるぶしの辺りまで真っ白な雪が積もっていた。

「私の肩を持っておくのだ。靴を履かせるぞ」

「····うん」

 ルミラは少し緊張しているようだった。細く白いその足に靴を履かせ手を握り、ルミラが驚かないようにゆっくりと扉の外に向かった。近づくにつれルミラの緊張は高まっていき、シリスの手を握る力が強くなっていく。

「もう外に出た? シリス」

「まだだぞ、ゆっくりで大丈夫なのだ」

「もう出た?······シリス?」

 シリスはルミラの言葉に応じない。
 その時、足元からザクッという音が聞こえた。

「えっ、何の音? 何か踏んじゃった?」

「外だぞ。今踏んだのは雪なのだ。雪を踏むとこんな音が鳴るのだぞ」

「ほんと? えへへぇ、初めて踏んだあ」

 ルミラは無邪気な様子で小さく足踏みし雪の感触をしっかりと確かめた。

「触ってみてもいい?」

「いいぞ、ほら」

「ひゃッ——」

 冷たい雪に驚いたがゆっくりとその感触を確かめて笑う。ルミラの手の中でゆっくりと雪は溶けていきその顔になつかしそうな表情を浮かべていた。

「ずっと触ってると手が冷えるぞ。今度は私の手だ」

「うん! ねえシリス一つ聞いてもいい?」

「なんだ?」

「この周りには何があるの?」

「この周り····」

 シリスは辺りを見渡した。遠くまで見渡しても見えるのは真っ白な雪と木々。それに家のすぐ目の前には太陽の光を反射しゆっくりと流れる川が見えた。ただルミラに説明するには少し難しかった。

「····ここから少し遠いけどたくさん家があって人もいるぞ」

「ほんと!? 誰か見える?」

「うん、見えるぞ。こっちに手を振ってる」

「ほんとほんと!? どこにいるの?」

「あっちだ」

 シリスは興奮した様子で抱きついていたルミラを引き二人は笑顔で誰もいない場所に向かい手を振った。

「ルミラ、今日は私と一緒にあたたかいお風呂に入ろう。いつもはどうしてるんだ?」

「ちょっと待って。私の手を見ててね······ほら」

 ルミラの手から小さな水の塊が生み出された。シリスが目を凝らしてみると僅かな魔力が見えていた。

「このお水で身体を拭いてるの」

「水は出せないけど、私が魔法で温められるぞ」

「で、でも私だとちょっとしか水が出せないの。無くならないくらいいっぱい魔力があればいいんだけど······ごめん」

「うぅ~ん····そうだ。近くの川で水を汲んでくる。それなら一緒に入れるだろ?」

「い、いいの!?」

「ああ、この私に任せておけ」

 お風呂と言ってもまだ昼過ぎ。二人は手を繋いだまま外の空気に触れていた。
 そしてしばらく経ってからシリスはルミラを家の中につれていき暖炉の前で一緒に座った。

「よし、私は川から水をとってくるぞ」

「ま、待って······すぐに帰ってきてくれる?」

「安心してくれ、すぐそこだ。一度には運べないからお風呂場に少しずつ運ぶ」

「分かった! 扉開けとくね」

 ルミラは扉を開けたままその前に立ち、シリスは桶を持ち家の前にあった川から水を運んだ。
 お風呂場の浴槽を水でいっぱいにするまで何度も家の中と外を行き来したが家に戻ってくるたびルミラが笑ってくれるため、ただただこの時間が楽しかった。

 終わった頃に二人は疲れ、いつの間にか抱き合ったまま眠っていた。
 昼寝というには少し長かったが日が暮れる頃にシリスは目を覚ましルミラを起こさないようにお風呂場に向かう。
 浴槽に貯めた水へ慎重に魔力を込め、徐々に水温が上がってきた。

(慎重に····慎重に······)

 今までで一番魔法の扱いに注意を払った。今までは力任せに解放していたその強大な魔力を抑え、赤子を撫でるように丁寧に。するとその時、後ろから気配を感じた。

「シリス? どこ?」

 ルミラが手探りでお風呂場の中に入ってきたのだ。 

「わ、私の魔力は危ないぞ。少し後ろに下がっておくのだ。もう少しであたたかいお湯ができるぞ」

「ううん。シリスの魔法はとっても優しい。見えなくても分かるよ」

「····うん」

 その言葉はあまりに嬉しかった。安心し魔力は今までにないほど静まり身体の一部のようにうまく扱えることができたのだ。

「よし、完成したのだ。冷めると駄目だからご飯の前に入るぞ」

「うん! ワクワクする!」

 ルミラの服を脱がせ手を繋ぎ、二人は足先からゆっくりと湯船に入った。

「ふぅ~」

二人は同時に息を吐き顔がとろけた。
二人が入れるほどの大きさで肩まで浸かることもできる。

シリスは後ろからルミラを抱きしめルミラはシリスに頬ずりし安心するように手を握った。シリスはいつの間にかその顔に笑みを浮かべた。身体の芯まであたたまるようなお湯。そして何よりも目の前にルミラがいてくれる。それがいつしかぽっかりと空いた心を埋めていた。

「私は雪が好きじゃなかった。冷たいし、疲れて嫌な時に降ってくる。でもルミラが笑ってくれるなら私も嬉しいぞ。私も雪が好きになったぞ」

「えへへぇ。あんなにいっぱい触ったのは初めてだよ」

「····よし、身体を洗ってやるぞ。そのままの姿勢でいいからな」

「うん!」

 ルミラはシリスに身体を預け、優しく優しく撫でるように洗った。

(細すぎるぞ。もっと食べさせてやらないと)

 同じくらいの身長ではあるがルミラの身体はあまりにも痩せ細っていた。シリスがいなければ食事を調達することは出来ず間違いなくルミラは命を失っていた。だからこうしてルミラに出会えたことが誇らしかったのだ。 

「母親がいた時には一緒に入っていたのか?」

「多分····お母さんは入ってない。あたたかいお湯で私のことだけ洗ってくれた」

「そうか····なあルミラ。大事な話をしてもいいか?」

「なあに?」

「······お母さんはどれくらい帰って来てないんだ」

「えっと、お母さんが出かける前、置いてあったパンが十個あったから····丁度十日かな。もうパンしかなかったから、お母さん私のために食べ物を取りに行ってくれてるの」

 パンは丁度昨日シリスがもらったものが最後であった。十日間、一日小さなパンひとつで飢えを凌いでいたのだ。言わなければならなかった。シリスや魔物でさえ耐えられないほどの猛吹雪。イースバルトの不安定な天候の中、一人で生き抜くことは不可能に近かった。実際シリスも吹雪の中倒れる者の姿を何人も見てきた。

「外の世界は····とても危険なんだ。私もいっぱい傷ついた」

「だ、大丈夫? 怪我してない?」

「もう····大丈夫なのだ。もう本当に····それで····その」

 言葉が出てこなかった。言えばきっと傷つけてしまうから。きっとその顔から笑顔を奪ってしまうから。
 でも言わなかった分、希望を残した分、最後にはルミラを傷つけてしまう。それはもっと嫌だった。

「ルミラ······ルミラのお母さんはッ——」

「もう帰ってこない」

 だがその言葉はルミラの口から発せられた。
 呆気に取られ一瞬硬直する、そんなシリスをルミラは優しく抱きしめた。

「実はね。ずっと前に私のお父さんもお母さんと同じように食べ物を取りに外に出て行ったまま帰ってこなかったの」

「そう····なのか」

「きっと大変だったと思う。それで私、一人だと何も出来ないからお母さんがたくさん手伝ってくれた。食べ物もお風呂も全部私を優先してくれた。辛かったと思う、きっとお母さんもたくさん食べ物を食べたかったと思う。背中まで浸かれるくらいのお風呂に入りたかったと思う。私がいなくなればお母さんはもっと」

「そっ、そんなことは」

「でもね。お母さんはいつも笑ってた。私が生まれてからずっとその笑い声で安心させてくれた。私のことを産んでくれてとても感謝してる。だからお母さんには生まれ変わって幸せになってほしい。それでね、私は一つだけ夢があるんだ」

「夢?」

「生まれ変わって目が見えるようになった時、どんなに短い間でもいい。お母さんの子どもになってこの目でお母さんの顔が見たい」

「······いい夢だな。なら私の夢は生まれ変わったルミラに会いに行くことだ」

「えへへぇ、待ってるよ」

 二人の間にはその後しばらく沈黙が流れた。しかし気まずさなど微塵もない。満たされたまま二人はあたたかいお風呂に浸り幸せな時を過ごしたのだ。

 そしてお風呂を出た後、二人はまた同じように一緒にご飯を作って食べた。
 食べ終わるとお互い肩を寄せ合って暖炉の前で暖まった。
 シリスはその間ずっと顔に笑みを浮かべていたのだ。
 ルミラがいるだけで幸せだった。



 しばらくした後、ろうそくを一本だけつけ二人は仲良く毛布にくるまった。
 お互い息がかかるほど近い距離に顔を近づけシリスは愛おしそうに目を瞑ったままのルミラを見つめる。

「ルミラ····目が見えないのは生まれつきなのか」

「うん」

「······その····いま幸せか」

 ただルミラの気持ちを知りたくなっていた。今まで独りで生き抜いてそれなりに辛い思いをしてきた。それでも自分の目でこの世界を見ることができる、自由に外を動き回れるそしてルミラの顔を見ることができる。何も見えないという感覚は想像もできなかった。だがこの小さな空間に生きるルミラは輝いて見えた。今まで見てきた誰よりも生きているのが楽しそうに見えたのだ。

「うん。シリスが隣にいてくれてる。こんなに美味しい食べ物を食べられて暖かい毛布の中で眠れる。それに今日は気持ちいいお風呂にも入れた。だから私は、世界で一番幸せな子だと思う」

「なら私は世界で一番ルミラのことが好きだ」

「私もシリスのこと大好き」

「どれくらいだ?」

「······実は、目が見えないのは呪いのせいなんだ。だからこれから何が起こるか分からない。でもね、私はたとえこの目でシリスの顔を見られなくても耳が聞こえなくなってシリスの声が聞こえなくても、喋れなくなってシリスとお話ができなくなってもシリスのことが大好き」

「そう····か」

 正直、返す言葉が見当たらなかった。
 しかしルミラはその顔に柔らかい笑みを浮かべていた。

「明日も明後日もその先もず~っと一緒にいるからな。ルミラが呼びかけたらすぐに私はお前の元に行く」

「うん! 約束だよ!」

 その後もシリスはルミラを支え一緒に暮らした。まるで今までこの日々の為だけに辛い思いをしてきたのだと、そう思えるほどの幸せな日々。話さずとも隣にいるだけで全てが満たされた。

この幸せな日々がいつまでも続いてほしいそう思ったのだ。


 ************************************


シリスがルミラと一緒に住み、三週間が経った。

その日いつものように抱き合ったままの状態でシリスは目を覚ました。貯めていた食事が少なくなっていたのでルミラを起こさないようにゆっくりと起き上がり外に出た。

「ルミラ、待っててくれ」

 ルミラを心配させないように食事を調達しに行く時は早朝に起きそしてできるだけ早く帰ってくる。
 その日もすぐに取り終え家に戻っていった。

「ただいまルミラ」

「おかえりシリス。怪我してない?」

「うん」

 見ると毛布を足にかけルミラは座っていた。いつものように無邪気な笑みを浮かべていた。

「今日はたくさん美味しいものが取れたぞ。早速朝ごはんだ」

 ルミラの前でしゃがみその手を握る。
 いつものようにルミラとの幸せな料理作りをするのだ。

「······どうした?」

「············」

 立ち上がらせようとするとその手は強く握り返された。
 ルミラは目を瞑ったまま笑顔を浮かべ、シリスの方を見つめる。

「ごめんね」

 笑みを浮かべたまま、何故かルミラは謝った。
 だがなぜ謝られているのかわからない。首を傾げルミラは見つめるが特に変わった様子はない。

「疲れているのか? 私が作るぞ、待っててくれ」

「····ありがとう」

 そしてシリスは一人で料理を作った。その間二人でいつものように他愛もない話をし、いつものようにルミラは満面の笑みで美味しそうに料理を食べた。

 暖炉の前で暖まりながら手を繋ぐ。だがいつもと何か違う。
 シリスはそれが気になって仕方なかった。

「なあルミラ、どうかしたか? 何でも言ってくれ」

「······えっと····」

 何を言われても受け止めるつもりだった。
 たとえ出ていってと言われてもルミラがそう言うなら別に構わなかった。
 ルミラのためならどれだけ苦しいことでもやりたかった。

「足が····動かなくなっちゃった」

「えっ——」

 そのはずが頭が真っ白になった。

 確かにルミラは帰ってきてから場所を移動していない。足が動かなくなったという現実を受け入れそれでもルミラは笑みを浮かべていた。

「私がッ——私がいる。だから何も心配しなくてもいい。これからも私と一緒だ」

「うん、ありがとう」

 歩けなくなったルミラをシリスは必死に支え続けた。
 だが微塵も辛いとは思わなかった。ただルミラと過ごせる時間が幸せだった。
 目が見えず、足が動かない。そんな状況でもルミラはずっと笑顔だった。

 だがルミラの体調は日を追うごとに悪化していき、二人が会ってから一ヶ月が経った頃ルミラは完全に動けなくなった。

「私がいなくなっても寂しくなったら周りの家の人がきっと助けてくれるよ。シリスは可愛くて優しいから誰とでも仲良くなれるよ」

「······そうだな」

「ねえシリス、今までありがとう。シリスのおかげでずっと幸せだった」

「····うん」

 思っていることをうまく言葉に出来なかった。
 目の前でルミラの呼吸は弱くなっている。それでも苦しそうな素振りは見せずシリスに笑顔を向けていた。
 握ったその手は次第に冷たくなっていた。

「シリス」

「······なんだ?」

「私のこと、忘れないで」

「うん、絶対に忘れないぞ····」

「私、お母さんとお父さんに会ってくるよ。後でシリスも逢いに来て」

「うん」

 ルミラは静かに目を瞑った。その顔にシリスの大好きな笑みを浮かべて。
 暖炉からパチパチという音が聞こえてきた。
 ただそこに寝息は聞こえなかった。


 ************************************


 ルミラと話していると幸せだった。
 だから全て放り出してお前に話しにいった。

 ルミラに会えると嬉しかった。
 だからたくさんお前に逢いに行った。

 ルミラの笑顔が大好きだった。
 だからお前の笑顔もすぐに大好きになった。

 ルミラの声が大好きだった。
 だからお前の声もすぐに大好きになった。

 私にとって、ルミラは生きる理由だった。
 だからお前は私の生きる理由になった。
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