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MINO 1930s 海を見た山狸
差別なんて、微塵もなかった
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梅雨の季節がやって来た。
人間は雨を鬱陶しがるが、大概の野生動物は冬場や豪雨でない限り、あまり意に介しないのが普通だ。タチノーでも、どしゃ降りでなければどの運動部も普通に外で練習をしていたし、時に芝生(しぼう)まで出かけては神通力で雨を呼び、定番のイタズラをしては里の女たちからご馳走やらおやつやら巻き上げたものだった。濡れたところで、変化(へんげ)を解いて狸に戻れば、身震いひとつで毛についた水はきれいに払い落とせる。
その夜も雨が瓦屋根をたたく音を聞きながら、おミヨは行李の中でうつらうつら眠っていた。
雨ごんごん! 雨ごんごん!
雨を呼ぶ呪文を唱えながら、数匹の狸が走り回っている。狸は次第に人間の少年たちの姿に変化して、降りしきる雨の中、傷んだ夏みかんをボールに見立て、棒切れを振り回して野球の真似事をしている。…誰だろう? 自分の一番近くにいて、自分が一番よく知っているはずの狸たち。
いまひとつすっきりしない目覚めの中、店のテレビをつけた。古いテレビの画面にも雨が降っている。
テレビ番組は地方ニュース、夏の県予選間近ということで高校野球特集だ。いくつかのチームの紹介のあと、蜂須賀商業が登場した。今大会の最有力候補という触れ込みで、エース投手の紹介でもするのかいなと思っていたら…時折揺れる画面に映ったのは、捕手の防具を身に付けた二人の選手だった。
雑音混じりのアナウンサーの声が切れ切れに聞こえる。3年の梅沢と2年の近藤、近藤の方が一回り大柄だ。お互いに競い合い、高め合うライバル同士、という紹介だった。
「みっちゃん、おみいさんしかないんやけど、ええで?」
「海四(みよん)さん、冷蔵庫のちっか切ります?」
「ああ忘れとった。あれええ加減に食べななー」
居間に広げたちゃぶ台の上に、海四がおみいさんの鍋をおく。おミヨは入れ替わりに台所に入り、冷蔵庫から竹輪を二本出して竹筒を抜いた。
…甲子園で勝てるメンバーにするなら、蜂商の監督は、二人のうちのどちらを選ぶのだろうか? とおミヨは竹輪を切りながらぼんやり思った。
この日の夕方、おミヨと海四は誰言うとなく二階のセラピー室に向かった。おミヨは狸の姿に戻って行李に入り、海四はその傍らに座り、水晶の玉を引き寄せた。
海四がカウントする数字を追うように、おミヨはそろそろと過去世の扉を開いた。
ーー夏の大会が終わり、投手の武市さんはじめ先輩たちが引退して、美馬農林野球部は新チームになりました。今度はうちらが最上級生です。
新チーム最初のミーティングで、後藤監督は梅吉をキャプテンに指名しました。去年の夏の大会で正捕手の座をうばわれた形となった梅吉は、それでも板東が怪我せんように、変化球の捕り方などあれこれ教えたり、ピッチャーの練習相手も毎日のようにしよりました。監督は、梅吉のそういうところをちゃんと見とったんです。
他の学校やら職場やらでは、住んどる地域によって、あこの人とは関わらん方がええだの、あこに行ったらあかんだの、つまらん差別がずいぶん残っとりますが、美馬農林だけは不思議とそんなことは全くありませんでした。人と狸の関係も同様でした。
差別なんてものは、本当に微塵もなかったんです。それもみな、岡田校長や後藤監督みたいな人のおかげです。
おミヨを通じてカノが語る言葉を聞きながら、海四の表情に影が差した。カノの話に一点の虚偽もないことは百も承知だったが、何とも名状しがたい心許なさを禁じ得なかった。
……神社の広い境内、子狸の頃の遠い記憶……あの頃はカノも梅吉も平助も七兵衛もみな思い思いに人間の子に化け、重清村の子どもたちに混じっては、鬼ごっこに相撲に草野球に夢中になって毎日過ごしたものだった。
子どもに化けた子狸たちは、美馬農林のグラウンドのまわりをうろうろしては飛んでくるボールを拾い、それで仲間たちと遊んだりもした。
ある時など、子狸たちがボールを拾っていると、見上げるような背丈の美馬農林野球部員たちに囲まれて、さっさとボールを返せと迫られたことがあった。その時大人の人がやって来て、いきり立つ部員たちをたしなめると、子狸たちをグラウンドまでいざなった。そして一匹ずつバットを構えて打席に立つよう言った。投手の球は目がくらくらするほど速く、とても打つどころではなかった。
「このボールはおまはんらにはまだ早い、早よ大きいなって美馬農林に来い、そしたら一緒にやろう」
あの大人の人が後藤監督だったのだ。
子狸を卒業する時分になると、カノも梅吉も七兵衛も平助も、あのボールで野球がやりたいその一心で、美馬農林に入るために大の苦手の勉強に励んだものだった。
ーーうちらは晴れて合格、美馬農林初の狸生徒になったんです。うちらを皮切りに、後輩の子狸たちも続いて入学してくるようになりました。
あはは、うちも、野球やりたくてタチノーに入ったようなもんやし、狸の考えることって、ホンマ昔も今もそう変わらんなあ。
人間は雨を鬱陶しがるが、大概の野生動物は冬場や豪雨でない限り、あまり意に介しないのが普通だ。タチノーでも、どしゃ降りでなければどの運動部も普通に外で練習をしていたし、時に芝生(しぼう)まで出かけては神通力で雨を呼び、定番のイタズラをしては里の女たちからご馳走やらおやつやら巻き上げたものだった。濡れたところで、変化(へんげ)を解いて狸に戻れば、身震いひとつで毛についた水はきれいに払い落とせる。
その夜も雨が瓦屋根をたたく音を聞きながら、おミヨは行李の中でうつらうつら眠っていた。
雨ごんごん! 雨ごんごん!
雨を呼ぶ呪文を唱えながら、数匹の狸が走り回っている。狸は次第に人間の少年たちの姿に変化して、降りしきる雨の中、傷んだ夏みかんをボールに見立て、棒切れを振り回して野球の真似事をしている。…誰だろう? 自分の一番近くにいて、自分が一番よく知っているはずの狸たち。
いまひとつすっきりしない目覚めの中、店のテレビをつけた。古いテレビの画面にも雨が降っている。
テレビ番組は地方ニュース、夏の県予選間近ということで高校野球特集だ。いくつかのチームの紹介のあと、蜂須賀商業が登場した。今大会の最有力候補という触れ込みで、エース投手の紹介でもするのかいなと思っていたら…時折揺れる画面に映ったのは、捕手の防具を身に付けた二人の選手だった。
雑音混じりのアナウンサーの声が切れ切れに聞こえる。3年の梅沢と2年の近藤、近藤の方が一回り大柄だ。お互いに競い合い、高め合うライバル同士、という紹介だった。
「みっちゃん、おみいさんしかないんやけど、ええで?」
「海四(みよん)さん、冷蔵庫のちっか切ります?」
「ああ忘れとった。あれええ加減に食べななー」
居間に広げたちゃぶ台の上に、海四がおみいさんの鍋をおく。おミヨは入れ替わりに台所に入り、冷蔵庫から竹輪を二本出して竹筒を抜いた。
…甲子園で勝てるメンバーにするなら、蜂商の監督は、二人のうちのどちらを選ぶのだろうか? とおミヨは竹輪を切りながらぼんやり思った。
この日の夕方、おミヨと海四は誰言うとなく二階のセラピー室に向かった。おミヨは狸の姿に戻って行李に入り、海四はその傍らに座り、水晶の玉を引き寄せた。
海四がカウントする数字を追うように、おミヨはそろそろと過去世の扉を開いた。
ーー夏の大会が終わり、投手の武市さんはじめ先輩たちが引退して、美馬農林野球部は新チームになりました。今度はうちらが最上級生です。
新チーム最初のミーティングで、後藤監督は梅吉をキャプテンに指名しました。去年の夏の大会で正捕手の座をうばわれた形となった梅吉は、それでも板東が怪我せんように、変化球の捕り方などあれこれ教えたり、ピッチャーの練習相手も毎日のようにしよりました。監督は、梅吉のそういうところをちゃんと見とったんです。
他の学校やら職場やらでは、住んどる地域によって、あこの人とは関わらん方がええだの、あこに行ったらあかんだの、つまらん差別がずいぶん残っとりますが、美馬農林だけは不思議とそんなことは全くありませんでした。人と狸の関係も同様でした。
差別なんてものは、本当に微塵もなかったんです。それもみな、岡田校長や後藤監督みたいな人のおかげです。
おミヨを通じてカノが語る言葉を聞きながら、海四の表情に影が差した。カノの話に一点の虚偽もないことは百も承知だったが、何とも名状しがたい心許なさを禁じ得なかった。
……神社の広い境内、子狸の頃の遠い記憶……あの頃はカノも梅吉も平助も七兵衛もみな思い思いに人間の子に化け、重清村の子どもたちに混じっては、鬼ごっこに相撲に草野球に夢中になって毎日過ごしたものだった。
子どもに化けた子狸たちは、美馬農林のグラウンドのまわりをうろうろしては飛んでくるボールを拾い、それで仲間たちと遊んだりもした。
ある時など、子狸たちがボールを拾っていると、見上げるような背丈の美馬農林野球部員たちに囲まれて、さっさとボールを返せと迫られたことがあった。その時大人の人がやって来て、いきり立つ部員たちをたしなめると、子狸たちをグラウンドまでいざなった。そして一匹ずつバットを構えて打席に立つよう言った。投手の球は目がくらくらするほど速く、とても打つどころではなかった。
「このボールはおまはんらにはまだ早い、早よ大きいなって美馬農林に来い、そしたら一緒にやろう」
あの大人の人が後藤監督だったのだ。
子狸を卒業する時分になると、カノも梅吉も七兵衛も平助も、あのボールで野球がやりたいその一心で、美馬農林に入るために大の苦手の勉強に励んだものだった。
ーーうちらは晴れて合格、美馬農林初の狸生徒になったんです。うちらを皮切りに、後輩の子狸たちも続いて入学してくるようになりました。
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