秘めごとは突然に ~地味な同僚くん、実はヤクザでした~

橘ふみの

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キスは突然に

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「篠宮さんごめん、ちょっと待っててね」

 そう言うとどこかへ行ってしまった瀧川くん。背中にあった手の温もりと優しさが消えて、それが妙に寂しくて虚しくてつらかった。文哉に触れられても離れられても何とも思わなかったのに。

 このまま置いていかれるのかな。

 さっきまでの言葉は全部嘘だった?

 なんで私に優しくしてくれたの? 

 どうして?

 そんなことばかりを考えてしまう。付き合っているわけでもなければ、恋人でも友人でも何でもないのに、ただの同期ってだけなのに。なんか嫌だな、こういうの。悲劇のヒロインぶってて、そんな自分が情けなくて仕方ない。そもそも全ては自分が蒔いた種でしょ。

 もういいや、なんだって。全部自分のせい、私のせいなんだ。

「篠宮さん、はいこれ。よかったら口ゆすぐのに使って?」

 しゃがんでうつ向く私に買って来てくれたであろうお茶を差し出してきた瀧川くん。ねえ、こういう時って水なのが相場じゃない? とか冷静に考えちゃう私もちょっとおかしいのかもしれない。

「水よりお茶のほうが口の中さっぱりするから」

 戻って来ない、そう思ってた。こんな情けない嘔吐女、見捨ててもばちなんて当たらないのに。

 このお茶を買って、戻ってきてくれた瀧川くんの優しさに胸がいっぱいになって、また情けなく涙が溢れてくる。もうどうしちゃったんだろう、私。おかしいな、本当に。こんな泣き虫な女だったっけ。

「……っ、ありがとう」
「ごめんね篠宮さん、不快な思いさせちゃって」
「ううん」

 瀧川くんからお茶を受け取って、口をゆすいでからお茶を少し飲んだ。たしかに水よりお茶のほうがさっぱりするかもしれない。

「ねえ、篠宮さん。こんなこと聞いていいのか分からないけど、なんで……どうして泣いてたの?」

 私の後ろにいる瀧川くんは今どんな表情をしてるのかな。怒ってる? 笑ってる? それとも哀れんでる?

 文哉と瀧川くんを比べてた、なんて言えるわけがない。あんな奴と瀧川くんを比べるとかそもそも失礼がすぎるよ。

「ごめん、なんでもっ」
「悪いけど、他の男と比べるようなことはしないでほしい。俺は他の男とは違うから、他の男の面影と重ねるはやめてほしいな」

 瀧川くんはなんでもお見通しなのかな。だったら、嘘は通用しないよね。そもそも瀧川くんに嘘をつく必要も意味もない。

「ごめん」
「……ずっと、ずっと、我慢してたんだ。君を好きになった瞬間から俺の失恋は決まってた。だって篠宮さんは、既に他の誰かのものだったでしょ? だから何度も諦めようとしたし、忘れようともした。何度も何度も無理やり君を奪ってやろうとも考えたよ。でも君のことが好きだから、大切だから、君を悲しませるのも泣かせるようなことも、困らせることもしたくなかったんだ」

 瀧川くんはどこまでも優しい。どうしてそんなにも優しいの? 瀧川くんの優しさは、私だけに向けられてるものなのかな。それとも誰にでもなの? なんで彼氏持ちだった私を、特になんの取り柄もない私を、そんなにも好きでいてくれたの? どうして愛してくれるの?

「だから俺は、君が幸せならそれでいいって……そう思っていたのに、君は全然幸せそうじゃなくて、つらそうで、しんどそうで──。『なんでそんな男と付き合ってるの? さっさと別れて俺のものになればいいのに』って、ずっとそう思いながら過ごしてきた。それでも別れを選択しない君の判断を、俺はただ受け入れるしかなかったんだ」

 瀧川くんとはもちろん話したことはあったし、全く関わりがなかったわけでもない。なのに私は、『宮腰くんとは関わらないでいてあげたほうがいいかな? 人付き合い苦手そうだし』とか勝手に決めつけて、遠ざけて、何も見えてなかったんだな。いや、見ようともしてなかった。

「毎日同じ空間に輝いてる君がいて、俺の視界にはいつも愛おしい君の姿があって、それがどうしようもなくもどかしくて、どうにかなりそうだった。こんなにも近くにいるのに、手が届きそうで届かなかった。喉から手が出るほど欲しくてたまらなかったのに、君が手に入ることはなかったんだ」

 私が瀧川くんの気持ちに気づくはずもなくて、こんなにも想ってくれている人がすぐ傍にいただなんて、そんなの知る余地もなくて──。

「篠宮さんがあの人と別れたって話を聞いた時、悪いけどチャンスだと思ったよ。このチャンスを逃すわけにはいかないって、だから色々と考えてた。どう接点を作ろうか、どう取り繕おうか……とかさ? 本名も素性もこの正体も、卑怯だけど確実に篠宮さんが手に入るまでは黙っているつもりだった」

 なんで瀧川くんはそこまでして私のことを欲しいって思ってくれるの? この先、こんなにも私のことを想ってくれる人は現れる? たぶん現れないと思う。瀧川くんが最初で最後だよ、こんなにも私を想ってくれる人は。

「まあ、もうバレちゃったものは仕方ないし、結果オーライというか……俺達“だけ”の秘密ができたのは素直に嬉しいなって、そう思うよ。これに関しては柄悪男不粋な真似をした奴に少しくらいは感謝してあげてもいいかな? ハハッ」

 秘めごとは突然にって、そういうことですか? ていうか、そんな物騒なことに感謝しないで? お願いだから。

「ねえ、こっち向いて? 篠宮さん」

 私の真後ろに瀧川くんの気配を感じる。きっと私と目線を合わせるためにしゃがんで近づいたんだと思う。瀧川くんの優しい声に導かれるように後ろへ振り向いた。

 やっぱり瀧川くんと目が合って、とても優しい瞳をして愛でるように頭を撫でてくる。

「篠宮さん、俺のものになってよ。君が欲しい……君の全てを俺にちょうだい」

 文哉とは違う、こんなにも求められたことはない。きっと瀧川くんは本気で私のことを──。でも、瀧川くんのことよく知らないし、好きとかそういう感情がないのに中途半端なことをするのは、瀧川くんにも失礼だよね。中途半端なことはしたくない、年齢的も会社的にも。

「あの、瀧川くんの気持ちはすごく嬉しいけどっ」
「今すぐ答えは出さなくてもいいよ? 俺は君のことずっと好きだったからあれだけど、篠宮さんからしたらいきなり過ぎるもんね。ゆっくり考えてくれればいい。その間、俺は君にたくさんの愛を伝えていくよ。これでもかってくらい、君が俺に溺れるまで……ね? もう我慢する必要も遠慮する必要もないし。あ、安心して? 大丈夫だよ、必ず惚れさせるから。心も体も、篠宮さんの全てを俺のものにして、俺なしじゃ生きられないようにしてあげる。だから不安になる必要はないよ?」

 いやぁ、あのぉ……激重だよ、瀧川くん。謎の宣言? をした瀧川くんの顔がおもむろに近づいてきて、軽く触れ合った唇。

 ── キスは突然に

「ごめん、もっと欲しいな」
「え、ちょっ、んっ!?」

 瀧川くんが再び甘くて深いキスを求めてくる。蕩けそうで、全身が絆されるいくような濃厚なキスを──。

「んんっ」

 瀧川くんの舌から逃げようとしても、ねっとり絡ませてきて逃がしてくれない。舌先から充分すぎるくらい伝わってくる……私のことを大切に想って、丁重に扱ってくれているのが。口の中を甘く犯していくこの舌遣い……そして、瀧川くんの色っぽい息遣いが私を興奮させた。歯並びを確認するように瀧川くんの舌が丁寧に這って、ぞくぞくする。

 唇がゆっくり離れると、ツーッと唾液が糸を引いた。至近距離で見つめ合う私達。

「篠宮さん、もっと舌を絡めて? これでもかってくらい俺を求めてよ」
「そっ、そんなの……できないよ」

 改めて自分の経験値の低さを実感すると共に、瀧川くんは経験値マックスの人だって嫌でも思い知らされる。私って年齢のわりにキス下手すぎない……? なんか恥ずかしいんだけど。『え、篠宮さんキス下手。笑』とか思われてないかな。

「ククッ。ほんっと可愛いなぁ、篠宮さんは。たまんないね」

 そんな心配をよそにチュッと触れるだけのキスを落として、『口開けて?』と言わんばかりに舌でねっとり唇をなぞってくる瀧川くん。

 ちょ、待って、待って? 待って!? まだ求めてくるの!?  私は堪らず瀧川くんの胸元をポンポン叩いた。すると、色っぽい表情をしながら名残惜しそうに離れる瀧川くんに真っ赤な顔をしてるであろう私。

「ごめん、嫌だった?」
「いやっ、あの──」

 私は思い出した、思い出すには遅すぎた、かなり重要なことなのに。

「ん? どうしたの? ごめん、調子に乗っちゃったかな」
「……いや、あの、ごめん。私……吐いた後だった」

 ひっそりと静まり返り、無表情で見つめ合う私達。そんな沈黙を破ったのは瀧川くんで。

「え?」

『何を言ってるの? 篠宮さん』みたいな顔をして私を見ている瀧川くん。『「え?」ってなに? 普通嫌でしょ、え?』みたいな顔をして瀧川くんを見る私。私達は、ぽけーっとするしかなかった。

「あ、ああ、ごめんね? 俺は全然そんなこと気にしないんだけど……篠宮さんだし」
「いや、吐いた後だよ? 気にして。どう考えてもありえないでしょ」
「そうかな? だって相手は君だよ? なんの問題もないと思うけどなぁ、何か問題でもあるの?」

 問題しかないよ? 『キスしたいです!』みたいな瞳で私を見つめてくるのはやめて、瀧川くん。そんな物欲しそうな瞳から私はすーっと目を逸らした。

「ククッ……へぇ、なるほどね? でも“キス自体”は嫌じゃないんだね? よかったよ、嬉しいな」
「っ!? いやっ、それはっ、違くてっ!」

 慌てて瀧川くんのほうへ視線を戻すと、嬉しそうに微笑みながら色っぽい笑みを浮かべてジッと見つめてくる瀧川くん。

「俺とのキス気持ちいい? 気に入った?」
「べっ、別にそんなんじゃっ」
「だって篠宮さん、気持ちいいって顔するだもん。ほんっと可愛いよね、メチャクチャにしたくなっちゃうな」
「そ、そんなっ」
「あぁごめん、ちょっとヤバいなぁ。君が壊れちゃうくらい致死量の愛を注ぎたい、愛らしい篠宮さんの心にも体にも……ね」

 ぞくっとするような艶やかな瞳で、私の瞳の奥底を覗き込んでくるような瀧川くんに、胸がドキドキしすぎて苦しい。26歳にもなってこんなにも胸が高鳴るなんて思ってもなかった。

「篠宮さんが『待て』と言えば待つし、『よし』と言えば全て喰らい尽くすよ。俺はいつだって篠宮さんの“命令”に従うから。だから早く『よし』って言ってもらえるよう励むよ。ああ、幸せだなぁ……俺達だけの“秘めごと”がこれからもたくさん増えるといいね?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の唇に触れるだけのキスを落とす瀧川くん。

「……あの、秘めごとばっか増えても管理が困るんだけど」

 ムッとする私をあやすように頭を撫でてクスクス笑ってるけど、笑い事じゃありませんよ瀧川くん。

「篠宮さんがデキる人だっていうのは俺が一番知ってるからね、ずっと見てきたから。管理とか得意でしょ? あ、ちなみに俺……実はちょっとした会社の社長もやっててさ」

 はい? なんだって?

「……え?」
「これも“秘めごと”でお願いね? 篠宮さん」
「は、はあ……もう、秘めごとは勘弁して」

 こうして瀧川くんとの秘めごとが増えてしまった。
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