降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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Episode.3

お裾分け④

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 こんな言い方したら気を悪くしちゃうかな、失礼だったかな。桐生さんが今どんな顔をしているのか怖くて確認できない。チラッと見ることもできず、うつ向くことしかできない。

「……そうか」

 低いけど、とても優しい声がしてゆっくり顔を上げてみると、目を細めて鼻で笑ってる桐生さんと目が合った。

「あ、あの! でも、そういう人はみんな絶対に悪い人だ! みたいな、そんなことは一切思っていないので。偏見みたいな感じになっちゃって、本当にすみません」
「いや、別に。怖いって思うのが妥当だろ。それが当たり前で普通だ」

 そう言って、傘もささずに外へ出ようとする桐生さん。

「ちょっ!」

 思わず桐生さんの腕を掴んでしまった。ガッシリとした太くて逞しい腕……じゃなくて! 何をしてんのよ、私!

「あ、あの……すみません」

 掴んでしまった腕をゆっくりと離した。

「どうした」

 いや、そんな真顔で『どうした』って言われても……こっちが『どうした?』って聞きたいんですけど。なんで桐生さんは降りしきる雨の中、傘をささないの……?

「傘、買ったらどうですか?」

 余計なお世話すぎるでしょ、この発言は……。もしかしたら桐生さんは、雨に打たれるのがめちゃくちゃ好きな人なのかもしれないじゃん。

「学校、時間大丈夫か」

 ・・・あ、やっばあっ! 今日寝坊しちゃったから電車の時間がマジでやばい!

「大丈夫……ではないです! はいこれ! 傘! それ使ってくださいね!」

 桐生さんに傘を押し付けて、私は走りながら折り畳み傘を広げた。

「気をうけて行って来いよ、梓」
「桐生さんもーー!!」

 私はちょっとだけ振り向いて桐生さんに手を振った。桐生さんが手を振り返してくれることはないって、そんなことは分かっていたけど、無意識で手を振ってしまった私って相当やばいなって、すぐ我に返る。

 私は何事もなかったことにしたくて、無心で駅までダッシュした。そして、今になって桐生さんとのやり取りが頭に浮かんでくる。

『気をつけて行って来いよ、梓』
『桐生さんもーー!!』

 ── え、え? うえぇえっ!?

 な、なっ……なんで下の名前呼び!? 『梓』って言ってたよね!? いやいや、どういうこと? どういう魂胆!? え、なんで? どうして!?

 ・・・うーん。でもまぁ、何となく桐生さんが月城呼びするのは、ちょーっと違和感があるかも? それに『梓』って呼ばれたからって浮かれすぎっていうか、パニックになりすぎだし。

 そもそも“女はもれなく下の名前呼び”ってパターンかもしれないじゃん。桐生さんはそういう人なのかもしれない。そう思ったら、スーッと冷静になっていく。

「……免疫がないのも考えものだなぁ」

 これからどう桐生さんと接していけばいいのか。せっかく知り合った……というか、お隣さんなわけだし、話すような仲にとなったわけだし。桐生さんさえ迷惑じゃなければ、夕飯のお裾分けとか……っていやいや、ないない、ありえない。さすがに気持ち悪すぎるでしょ。

 美冬に相談……と思ったけど、今日バイト先が忙しいから学校休むって言ってたなぁ。

 そんなこんなで、美冬がいないってことも相まって、ただボーッとしながら考えることを放棄した。

 今日はどこにも寄らずそのまま帰宅して、桐生さんに出くわすこともなかった。お母さんに恒例の帰宅メッセージを送って、録画してあるドラマやアニメをダラダラと観て過ごす。

「そろそろ夕飯作んなきゃ」

 夕飯を作り終えて、一息ついていた時にピンポーンとインターホンが鳴った。玄関先にいるのは桐生さんだろうなって、なんとなくそう思った。モニターを確認するとそこにいたのは、やっぱり桐生さん。

 ドッタンバッタンしながら、ちょっとお洒落な部屋着に着替える私……いや、冷静に考えたらマジで何してるんだろうってなる。

「……って、桐生さんを待たせたらやばい!」

 慌てて玄関ドアを開けると、もちろん真顔な桐生さんが立っていた。

「す、すみません。開けるの遅くなっちゃって……」
「いや、いい」

 そう言いながら、今朝貸した傘と昨日のタッパーと小袋に入ったフルーツらしき物を渡してくる桐生さん。

「あ、あの……」
「旨かった」
「え?」
「カレー」
「ああ、それはよかった……です」

 ・・・あの、このフルーツはなんでしょうか。

「やる」
「へ?」
「食いきれねぇから」
「……あ、ああ、ありがとうございます」

 お裾分け、ということかな?

「あの! 夜ご飯食べましたか?」
「いや」
「に、肉じゃが! 作りすぎちゃって……あの、よかったらその、フルーツのお礼と言いますか、お裾分けということで」
「ああ」

 予想外の返事に『ええっ!?』って大きな声が出そうになったのを必死に押さえた。てっきり『要らねえ』って言われるかなって思ってたから、当たって砕けろ的なね。

「ちょっと待っててください!」

 彩りやバランスを考えつつ、急いでタッパーに肉じゃがを詰めて、桐生さんのもとへ戻る。

「お待たっ」

 桐生さんが誰かと電話をしてることに気づいて、すぐさまお口にチャックをした。

「かけ直す」

 そう言って電話を終わらせた桐生さん。

「悪い」
「あ、いえ。すみません、タイミング悪くて……あの、これ」

 肉じゃがの入ったタッパーを差し出すと、それを受け取りながら私の頭をポンッと撫でる桐生さん。顔色ひとつ変えないから、何を思って私の頭に触れているのかさっぱり分からない。

「ありがとな」
「……いえ、こちらこそ。フルーツありがとうございます」
「さっさと寝ろよ」
「あ、はい。おやすみなさい」
「ん」

 いやぁ、本当に掴めない人だなぁ……桐生さんは。

 それから私と桐生さんは、毎日のようにお裾分けをし合うようになった。

「これって、なんか……」

 “お裾分け”っていうより“物々交換”……みたいな感じになってない? 美冬は『ま、害がなきゃ別にいいんじゃなーい?』って思ったより他人事だし。

 正直、本当になんの害もないし、この物々交換……じゃなくてお裾分けし合うのがちょっと楽しみになってる自分もいる。今まで美冬がちょくちょく食べてくれるだけで、ほぼ自分の為にしか作ってこなかった手料理が、毎日桐生さんに食べてもらえて、毎回『旨かった』って言ってもらえるのが嬉しかったりして──。

「旨かった」
「ありがとうございます」

 今日も今日とて、私と桐生さんはお裾分けをし合う。

 こうして私と桐生さんは日々、お裾分けをし合うという、めちゃくちゃ謎な関係性になった。ちなみに桐生さんは相変わらず降りしきる雨の中、傘をさそうとしないから毎度私の傘を貸してる。これも日課みたいな感じになってきた。

「あの、桐生さん。そろそろ傘買ったらどうですか?」
「買わねえ」

 とか言って、私が傘を貸すとちゃっかりその傘は使うんだもんなぁ。まぁ、別にいいんだけどね?

「そうですか。じゃあこれ、使ってください」
「ありがとな」
「いえいえ」
「気をつけて行って来いよ、梓」
「桐生さんも」

 このやり取りも日課になったのは、言うまでもないよね。
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