降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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おまけ②

誕生日

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 ── 梅雨の時期が嫌いだった。

 その理由の一つは、私の“誕生日”があるから。

 お母さんとお父さんが離婚する前、毎年私の誕生日になると大喧嘩してて、それがとても辛くて『誕生日なんて無くなればいいのに』そう思ってた。

 絶え間なく降り続ける雨の音と、お母さんとお父さんが言い争う声が嫌いで、早く止めばいいのにって──。

 喧嘩の原因は、お母さんが仕事優先で私の誕生日会に間に合わない……という至ってシンプルな理由だった。私はバリバリのキャリアウーマンなお母さんのことが大好きだったし、たしかに寂しいなって思うこともあったけど、お父さんがいてくれたから全然平気だったのにな……。

 そんなお母さんに耐えきれず、お父さんは家を出ていった。私を引き取るってお父さんは言ってたけど、私がお母さんを選んだ。

 お父さんはお母さんと離婚後、再婚して新しい家庭を築いてるから、なんとなくお父さんとは疎遠になっちゃってる。でも、毎年欠かさず誕生日のメッセージはくれるから、そのメッセージには私も必ず返信してる。

 特に欲しいものないし困ってることもないから、直接会ったりとかプレゼントを貰ったりとかもしてない。今ある家庭を優先してほしい……ただそれだけだよね。

 そして親友である美冬は、私の誕生日付近になると必ず風邪を引く。だから、誕生日当日に祝ってもらったことはない。『呪われてんな、あたし』とか言って、私の誕生日付近に風邪を引かないよう、初詣の時にお願いをしてるらしい。

 けど、叶った試しがない。

『チッ。クソ使えねえ神様だなぁ、おい』とか言って、その神社にガンを飛ばす美冬を宥めるのも恒例になってるのよね。美冬は毎年土下座する勢いで謝ってくるけど、毎年ちゃんと祝ってくれるから、私は十分感謝してる。

 で、バリキャリなお母さんが私の誕生日に帰って来れるはずもなく──。そんなこんなで私は、毎年ひとりぼっちの誕生日を過ごしていた。

「はぁ」

 ── そんなこんなで今年もやってきました、私の誕生日が。

 お父さんからお祝いのメッセージが来て、美冬は高熱でブッ倒れて、お母さんは海外でバリバリ働いています。ま、もう慣れっこっていうか、ただの何気ない1日として過ごす……これが一番いい。平日だから普通に学校もあるしね。

 こういう時に限って桐生さんからメッセージもなければ、電話もないし。一昨日、仕事がちょっと立て込んでるって言ってて、昨日は一度も会ってないし連絡も取り合ってない。心配になってメッセージ送ったけど、既読にすらならなかった。

「やっぱいないか」

 エントランスに桐生さんの姿はない。

「うわぁ、雨すごいなぁ」

 大丈夫かな、桐生さん。漠然とした不安が募っていく。

 学校へ行くと、『誕生日おめでと~』と声をかけてくれる子達もいて、本当にこれだけでも十分なんだよね。なのに、ちょっと寂しいと思っちゃうのはきっと、桐生さんの存在が私の中でそれだけ大きいってことだと思う。

 そもそも桐生さんは私の誕生日なんて知らない。だって、言ってもないし……知らなくて当然なんだよね。だから、お祝いしてもらえるとかそういうのは期待してないし、ただいつも通りに桐生さんとお裾分けし合えたら、それだけで私は充分満たされる。

 今日、桐生さんに会えるかな──。

 教室の窓から外を眺めると、涙のようにほんの少しだけ降る雨。このまま止めばいいんだけど。

 ── なんて願いは叶うはずもなく、地面に叩きつけるような激しい雨が降っている。

「ほんっと、ついてないな」

 ザーザーと降りしきる雨の中、地面からの跳ね返りで足元がズブ濡れまくりながらも、“もしかしたら降りしきる雨の中、桐生さんは傘もささずに待っているかもしれない”……そう思って、急いでマンションへ向かった。

「はぁっはぁっ……はぁっ……いない……か」

 今頃どこかでズブ濡れになってないかな。

「……桐生さん、大丈夫なのかな──」

 何かあったんじゃないかって心配で、不安で……連絡がないことがこんなにも苦しいだなんて知らなかった。少しでもいいから声が聞きたい、少しでもいいから桐生さん感じたい。

 ── ねえ、桐生さん。

「会いたいよ……」
「── 梓」

 後ろから私を呼ぶ声が聞こえる。振り向くと、傘もささずに私のもとへ走ってくる桐生さんの姿があった。

「桐生さん!」

 私は桐生さんに駆け寄って傘をさす。元気そうでよかった……と心底ホッとして安堵のため息が出てしまう。

「はぁぁもう……いい加減にしないと本当に風邪引きますよ? 桐生さん」

 鞄からタオルを取り出して、桐生さんの頭を拭こうとした時だった。私の手を強く握って、私の目をしっかり見てくる桐生さんにドキッと胸が高鳴る。

「悪い、梓。仕事でトラブった挙げ句、スマホぶっ壊れて連絡が取れなかった。他の端末から連絡しても、怖がらせちまうと思って。悪かった」
「それは大変でしたね……お仕事お疲れ様でした。もう大丈夫なんですか? 私のことはいいんですよ、別に。桐生さんが無事なら何だっていいです」
「……悪い」

 きっと、『俺のせいで不安にさせて悪い』ってことだと思う。

「ほら、拭いてっ」
「梓、誕生日おめでとう」
「……え?」

 予想外の言葉に目が点になる私。

「遅れて悪い」
「な……んで……私、教えてないのに」
「あ? 知らねぇはずがねえだろ」

 ── これでまた、梅雨嫌いの要因が一つ無くなった。

 私も単純だなって思うけど、それでも好きな人に『誕生日おめでとう』って言われるのはとっても嬉しいし、“特別”で“格別”。あんなにも『誕生日なんて無くなればいい』そう思っていたのに、全てが覆ってしまった。

「今夜、空いてるか」
「え、あ、はい。空いてます」
「そうか」

 ── それから高級ホテルでディナーして、最上階の部屋に連れて来られた。

「梓」
「はい」
「俺と結婚してくれ」
「はい…………ええっ!?」

 思わず返事しちゃったけど、予想外すぎる展開だし結婚て……さすがにちょっと気が早すぎるっていうか。

「今すぐにとは言わねえ。結婚を前提にっつー話だ」
「あ、ああ……なるほど。びっくりしたぁぁ」

 結婚とか考えたことなかったし、意識したことすらなかったけど……何となく私は桐生さんとこのまま結婚するんだろうなって、そう思ってた節はある。

「……俺には梓が必要だ。心も体も、これからの未来も……全部俺にくれ。お前の全てが欲しい」

 そう言いながら、とても綺麗なネックレスを私につけてくれた桐生さん。

「やっぱ似合うな」
「ありがとうございます」
「で、返事は」
「桐生さんの全てを私にください。くれるなら、私の全てをあなたにあげます」
「くれてやる、いくらでも」

 優しく微笑みながら私の顎を持ち上げると、私の唇にキスを落とす桐生さん。

「あの……桐生さん……」

 ── “心も体も繋がりたい”。

「梓、俺はお前のことが何よりも大切だ。だから、高校を卒業するまでは何もしねえ」
「……分かりました」
「そんな顔すんな、俺だって我慢してんだ」

 私を宥めるように頭を撫でてくれる桐生さん。

「悪いことしないでくださいね」
「するわけねえだろ……もうお前以外を抱くつもりはない」

 ── 『もうお前以外を抱くつもりはない』なんかこの発言、気に入らない!!

 こうして私の誕生日に、私達は初めての喧嘩をした。

「もう最っっ低!!」
「あ? んなこと言ってもしゃーねえだろ」
「しゃーなくない!!」
「だったらどうしろっつーんだよ」

 私達の言い合いはひたすら続いて、結局は桐生さんが謝り倒してきて、事なきを得た。

 色んな意味で忘れられない誕生日になったのは、言うまでもないよね?


『降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。』ー 完 ー
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