幻を追い求めて

三旨加泉

文字の大きさ
5 / 30

「幻を追い求めて」5話

しおりを挟む
「幻を追い求めて」5話


 教師が職員室の扉を開け、自身のデスクの椅子に座った。
 成瀬もゆっくりと既に開いてる扉を潜った。
 教師の方を見ると、いつものように怠そうにしている教師が、少し表情を強張らせていた。

「成瀬。ずっとお前の絵を見てると思うんだが、」
 教師は外の風景を見ながら口を開く。もうそろそろ冬も終わりを告げるように桜の木の蕾が膨れ上がっていた。

「お前にはどうも自分らしさが無い。それっぽいのが初日に描いたあの絵くらいだ。」

 握っていた手に力が入り、画用紙にシワが大きく入る。
 自分自身、迷走しているのは分かっていた。

 教師の視線は外の桜の木から成瀬に移る。
「いくら何でも追田の描き方に寄せすぎだ。相手の良いところを見て学ぶのも大事だが、それで自分の個性を完全に潰すのは悪手だぞ。」

 一瞬、教師が何を言っているのか分からなかった。

「一度考えるのを止めて描いてみたらどうだ?」

 それ以降、教師は何か口を動かしていたが、その内容が成瀬の耳に届く事はなかった。



 ふらふらと教室に足を踏み入れる。
 持っていたシワ塗れの画用紙を震えた指で広げる。
 そこには憎い男の顔がこちらを見ていた。冷や汗が頬を伝った。
 ふと視線を感じ、後ろを勢いよく振り返る。

 そこには、優秀な例としてまだ飾られてある自分自身がこちらを眺めていた。
 どこか緊張して眉を顰めた自分が自分を見ている。

 成瀬は足早に教室を出た。
 もう辺りは日が落ちかけていて、遠くから運動部の生徒の笑い声が聞こえる。
 どんどん足の動きは速くなる。
 渡り廊下に差し掛かった際にようやく顔を上げた。

 そこにはちょうど追田も渡り廊下に足を一歩踏み出すところだった。
 横を見ると、恐らく普通科の生徒であろう女子もいた。
 追田は成瀬に気がつくと少し女生徒の前を歩いて横に一つスペースを空けた。
 成瀬は走ってその場を逃げるように通り過ぎた。
 女生徒がびっくりしたような顔でこちらを見たのは端に見えたが、追田の顔は確認できなかった。
 いや、確認したくもなかった。


 通学路の反対方向にある少し雨で泥濘んだ道を歩く。歩く度に潮の香りが風と共に感じる。
 もう波の音がすぐそこまで聞こえるくらいまで泥塗れになった靴を動かした。その靴は泥に砂がくっつき、砂塗れになっていった。

 目の前には広い海が広がっている。もう日は落ちてる為、海は昼間の綺麗なコバルトブルーが今では真っ黒にくすんでいた。

ー「井の中の蛙大海を知らず」

 もし蛙がこの海を見た時、どう思っただろうか。

 恐怖で慄く?それとも見なかったフリをする?
 そもそもこれが何なのか理解出来ない?

 成瀬は持っていた画用紙をくしゃくしゃに丸める。

 そうして、それを思いっきり振りかぶり、投げた。

 その割には、遠くまで行くこともなく、ポチャンとした音も鳴らず、それは暫く海の上を転がっていた。

 涙は出なかった。これからはあの画用紙が全部、代わりに水分を吸ってくれるだろうから。

 その日、自分らしく描いていたあの絵は、幻となって消えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

サラリーマン二人、酔いどれ同伴

BL
久しぶりの飲み会! 楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。 「……え、やった?」 「やりましたね」 「あれ、俺は受け?攻め?」 「受けでしたね」 絶望する佐万里! しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ! こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

僕の部下がかわいくて仕方ない

まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

ショコラとレモネード

鈴川真白
BL
幼なじみの拗らせラブ クールな幼なじみ × 不器用な鈍感男子

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

処理中です...