ちゃんちゃら

三旨加泉

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「ちゃんちゃら」73話

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「ちゃんちゃら」73話


 水城は職場がある建物の路地裏に立っていた。水城は胸の前で手を組んで立っている。まるで聖職者のような佇まいに海斗の緊張感は増していった。まるでシスターに懺悔をしにいくような気分だった。海斗が恐る恐る近づくと、水城は海斗の存在に気づいた。
 彼女は特に驚く様子もなく立っている。いつも柔らかい笑顔を浮かべている彼女の顔は、まるで人形のように無の表情だった。それが海斗には恐ろしく感じ、徐々に海斗の身体は縮こまっていく。水城が海斗の元へ歩いてくる。前日練習したはずの謝罪の第一声は海斗の乾いた口からは中々出てこなかった。
 とりあえず海斗は口が開かない代わりに頭を下げようとしたところ、水城が海斗の手を取った。
 驚いて顔を上げると先程までの能面のような表情がくしゃりと歪み、瞳が潤い始める。海斗は驚きに身を任せて口を開く。
「ご、ごめんなさい。おれ、」
「ごめんなさい。」
 吃り気味の自分の声とは違って、水城ははっきりとした声で謝罪する。海斗が目が点になっている間に水城は静かに涙を流しながら話し始めた。

「私、てっきり自分の指輪だと思って。貴方に聞きもせずに勝手に持って行ってしまいました。本当に、申し訳ございませんでした。」
 深々と頭を下げる水城を海斗は呆然と見つめる。すると、手に硬い感触が当たる。何かと思い、下を見遣ると水城がリングケースを海斗の手の平の上に置いていた。あまりにも水城の自責の念に駆られた態度に海斗は圧倒されていたが、なんとかリングケースを自分の力で開けた。
 そこには、あの時見た、小さく青く光る指輪が挨拶していた。海斗はホッとしたのと同時にやはり水城に何も言わなかったことを後悔した。

「ごめんなさい。俺、ちゃんと言えば良かったのに、何も言わなくて、すみませんでした。」
 海斗がようやく練習通りにちゃんと謝罪できたと思うと、水城はさらに深く頭を下げてくる。
「あんなことを言われたら渡してしまうのも無理ありません。私がそうさせてしまったんです。本当にごめんなさい。」
 彼女の目は相変わらず潤んでいたが、眉はキリッと上がり、彼女の誠実さが滲み出ていた。
「水城さん、怒ってないんですか?」
 海斗の問いに水城はポカンと口を開けている。
「怒る?どうしてですか?」
 海斗の頭の中では水城が違う指輪を態と渡され、意地悪をされたと怒っている可能性があると考えていたからだ。しかし、水城の呆気に取られた顔を見ると、そんな気は微塵も感じられなかった。
「私はてっきり、海斗さんの方が指輪を強引に奪われて怒ってると思っていました。」
 水城の不安そうにこちらの顔を窺ってくる様子を見て、海斗はお互い同じことを考えていたことに気づき、自然と口角が上がっていった。
「あの、お詫びをさせて下さい。」と水城がまた頭を下げたので慌てて海斗はそれを制止させる。
「いや、俺が悪いんで、気にしないで下さい。」
「いえ、この一件は私に非があります。」と水城は一歩も引かない様子だった。これはこのまま話しても押し問答が続くだけだということを海斗は察した。海斗が頭を捻ると、一つの考えが頭に浮かぶ。

「じゃあ、お互いのお願いを聞くっていうのは、どうすか?」
 海斗の提案に水城は目をぱちくりさせる。
「例えば、どんなお願いですか?」
 首を傾げている水城に海斗は気恥ずかしげに口を開いた。
「その、婚約者がいるんですよね?俺、相談に乗って欲しいというか、聞いて欲しいというか」
 もじもじと両手の人差し指をくっつけたり離したりしている海斗を見て、またも水城は驚いている様子だった。
「いいんですか?相談に乗る相手が私で」
 海斗はうんうんと首を縦に振る。その様子に水城の表情は段々といつもの笑顔に戻りつつあった。
「じゃあ、わたし、行きたいカフェがあるんです!一緒に行ってくれませんか?相談もそこで乗りましょう。」
 さっきまで気まずかったはずの雰囲気は一気に変わり、二人が笑い合っていると、冷たい風が二人の髪を撫で、鳥肌を立たせた。二人は顔を見合わせ、ようやく今が冬で、つい昨日初雪を記録したばかりであることを思い出した。
「もう休憩時間も終わりますし、戻りましょう。」
 海斗は頷き、二人は予定を決めながら職場のドアに手を掛ける。

「でも結局、水城さんのリングケースはどこにいったの?」
 水城は溜息をつく。
「それがまだ見つからないんです。心当たりがあるとすれば、帰り際に職場で一回だけバッグを落としたことくらいしか。」
「あぁ、それで職場で探してたんだ。」
 水城が凹んでいるのは一目瞭然だった。自分と違ってあんなに喜んでいたのだから、どうか見つかって欲しいと切に願っていると、ドアの向こうから野太い悲鳴が聞こえてきた。
 驚いて二人が職場に入ると、海斗たちを目視した土中が大慌てでこちらへやってくる。
「ちょっとちょっと!水城くん!指輪失くしてたの!?」
 二人は顔を見合わせる。どうして土中がそのことを知っているのか、見当もつかなかったからだ。
「動揺し過ぎでしょ」とスマホを眺めながら池田先輩は後ろの方で笑っていた。流川は何がなんなのか分からない様子でこちらを見ていた。
 土中は顔の汗を拭くことも忘れ、震えた手の平を差し出してくる。その上には見覚えのある四角いケースが置かれてあった。水城は動揺しながらもそれを受け取る。中を開けると、そこには真ん中に一つの淡いピンク色の宝石が輝く指輪が入っていた。水城は胸がいっぱいだと言わんばかりに指輪を手に取って胸に当てる。
「班長、これをどこで?」
 指輪が見つかったことにより、みんな喜んでいたが、土中だけは顔を真っ青にして今にも倒れそうな雰囲気だった。土中は観念したように顔を俯かせ、後ろの方を指差す。見ると、そこには彼がたまに履く、他人より一回り大きい作業靴が置かれてあった。
「ぼ、僕の、靴の、中に」と土中はボソボソと呟いている。
 彼の作業靴はよく彼のデスクの下らへんに置かれてある。そして、彼のデスクの目の前は水城の検査机だった。海斗はそれを見て、恐らく水城がバッグを落とした際に運悪く土中の作業靴の中へ入ってしまったのだろう。土中は靴を履く機会が無い場合はシューズボックスに靴を仕舞うので、海斗たちが探す頃には既に靴はここには無かったのだ。
「ね、ねぇ、これは盗んだことになるの?ねぇ、違うよね?」と土中は必死に水城に確認を取ろうとする。
 どれだけ探しても見つからないわけだと海斗と水城は笑い合った。そんな二人に流川と池田先輩も釣られて笑う。

「ちょっと!笑ってないで答えてよぉ!」
 普段、静かな職場が明るい笑い声で包まれる中、土中の嘆きが職場内で響いていた。


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