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第2話 初めての受容
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【保護された日の夜】
施設の玄関は白い蛍光灯に照らされ、外の冷気と対照的に温かかった。
柚子と檸檬は、警察官に付き添われながら中へと足を踏み入れた。
受付にいた女性職員が、目を丸くして息が止まる。
薄汚れたパジャマ、頬のこけた姉妹、ボサボサの髪の毛に怯えた瞳。
この姉妹は一体どんなに過酷な日々を送って来たのかと察したのだろう。
「……まあ。よく来たわね。寒かったでしょう?」
柔らかな声が、檸檬の耳にはまだざらざらとノイズのように響いた。
檸檬は柚子の後ろに隠れ、耳をふさいだ。
柚子は不安を隠し、努めて礼儀正しく頭を下げた。
「よろしくお願いします……」
***
職員に案内されたのは、二段ベッドのある小さな部屋だった。
木目調の床、清潔な白いシーツ、暖かな毛布。
生活感のある空間が、姉妹の胸にじんわりと沁みた。
しかし、安心と同じくらい、別の感情も広がっていた。
――ここが、これからの「家」になるのだろうか。
柚子は檸檬の手を握りしめたまま、心の中で小さく問いかけた。
「お腹……空いているでしょ?」
と職員が声を掛けた。
檸檬の肩が震える。
声のトーン、距離の近さ、蛍光灯の光の強さ……
いくつもの刺激が、波のように檸檬の感覚を揺らした。
「き……きぃ……」
小さく呻くように声を漏らす檸檬の背中を、
柚子は優しくさすった。
「大丈夫だよ檸檬。ご飯、食べよう。ね?」
***
食堂では、温かい湯気が立ちのぼる夕食が用意されていた。
白米、味噌汁、煮物。
ありふれた献立なのに、姉妹には見た瞬間涙が滲むほどありがたかった。
だが――
檸檬は椅子の脚が擦れる音、子どもたちの話し声、
食器が触れ合う金属音に敏感に反応し、耳を塞いだまま固まってしまった。
隣の席の女の子が言った。
『あの子……どうしたの?』
『うるさいだけじゃん。変なの』
その言葉に柚子の胸がちくりと痛む。
「ごめんなさい……」と柚子が小さく頭を下げると、
職員が近寄ってきて、少し困ったように、しかし優しく言った。
「檸檬ちゃんは、静かな部屋で食べたほうがいいのね?」
「……いいんですか?」
「ええ。無理させないことが一番だから、ごめんね気が付かなくて」
その一言に、柚子は思わず涙がにじみそうになった。
姉妹にとって初めての“受容じゅよう”だった。
個室に移され、檸檬はようやくご飯を食べ始めた。
湯気を見つめ、口へ運ぶと、
ほとんど吸い込むように食べ続けた。
その食事の暖かさに、柚子の目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
声をあげて泣き叫びたかったけど、キーちゃんがびっくりすると思い、
天井を見上げて静かに涙を流せるだけ流した。
落ち着いてから一言声をかける。
「おいしいね、キーちゃん……」
柚子がそっと微笑むと、
檸檬はようやく目を合わせ、小さく頷いた。
***
施設での生活は、決して楽ではなかった。
朝は集団での支度、決まった時間の行動。
檸檬はルールや音の多さにしばしば混乱し、
甲高い声を上げるたび、周囲の子どもたちがざわついた。
『まただ……』
『耳が痛いよ……』
『なんであんなふうになるの?』
そんな声が聞こえるたび、
柚子は檸檬の肩を抱き寄せ、職員に何度も何度も頭を下げ続けた。
職員の中には、慣れていない人もいて、
対応に戸惑い、苛立つ人もいた。
だが一人、ベテランの女性職員・坂本だけは違った。
檸檬が過剰な刺激で叫んでしまったときも、
坂本はその場の空気をゆっくり落ち着かせるように言った。
『いいのよ。檸檬ちゃんはびっくりしただけ。
みんなも、びっくりしただけ。大丈夫、大丈夫。』
その柔らかな声に、檸檬は少しずつ安心する日が増えていった。
坂本さんが大丈夫って言えばきっと大丈夫なんだと。
***
ある雨の日の夕方。
窓を打つ雨音に、檸檬は怖さを覚えたのか、
柚子の布団に潜り込んできた。
「き……きぃ……」
震える声に、柚子はそっと頭を撫でた。
「大丈夫だよ。ここは安全だよ。
ママがいなくても、お姉ちゃんがいるから。
キーちゃんは、ひとりじゃないよ」
檸檬は涙をこぼしながら、柚子の服をぎゅっと掴む。
そして、震える小さな声で初めて呟いた。
「……ゆず……ちゃん……」
その瞬間、柚子の心にこれまで縛り付けていた縄の結び目がふっとほどけた。
自分だけが檸檬を守るのではない。
檸檬もまた、私を救ってくれる。
それは姉妹にとって新しい一歩の音だった。
***
施設での暮らしは、時に厳しく、時に優しく、
毎日が少しずつ形を変えながら進んでいく。
食堂の雑音に怯える日もあれば、穏やかに絵を描く日もあった。
柚子は学校にも復帰し、学ぶ時間を取り戻し始める。
檸檬は専門の支援員とともに少しずつ言葉を覚え、
外の世界との接し方を学び始めていた。
だが――
彼女たちの胸の奥には、まだ一つの影が残っている。
母の不在。
そして、理由。
柚子は毎晩、布団の中で静かに考えていた。
「どうして置いていったの……?
疲れたって……なんのこと……?」
問いの答えはまだ、どこにもない。
それでも、明日は来る。
施設の玄関は白い蛍光灯に照らされ、外の冷気と対照的に温かかった。
柚子と檸檬は、警察官に付き添われながら中へと足を踏み入れた。
受付にいた女性職員が、目を丸くして息が止まる。
薄汚れたパジャマ、頬のこけた姉妹、ボサボサの髪の毛に怯えた瞳。
この姉妹は一体どんなに過酷な日々を送って来たのかと察したのだろう。
「……まあ。よく来たわね。寒かったでしょう?」
柔らかな声が、檸檬の耳にはまだざらざらとノイズのように響いた。
檸檬は柚子の後ろに隠れ、耳をふさいだ。
柚子は不安を隠し、努めて礼儀正しく頭を下げた。
「よろしくお願いします……」
***
職員に案内されたのは、二段ベッドのある小さな部屋だった。
木目調の床、清潔な白いシーツ、暖かな毛布。
生活感のある空間が、姉妹の胸にじんわりと沁みた。
しかし、安心と同じくらい、別の感情も広がっていた。
――ここが、これからの「家」になるのだろうか。
柚子は檸檬の手を握りしめたまま、心の中で小さく問いかけた。
「お腹……空いているでしょ?」
と職員が声を掛けた。
檸檬の肩が震える。
声のトーン、距離の近さ、蛍光灯の光の強さ……
いくつもの刺激が、波のように檸檬の感覚を揺らした。
「き……きぃ……」
小さく呻くように声を漏らす檸檬の背中を、
柚子は優しくさすった。
「大丈夫だよ檸檬。ご飯、食べよう。ね?」
***
食堂では、温かい湯気が立ちのぼる夕食が用意されていた。
白米、味噌汁、煮物。
ありふれた献立なのに、姉妹には見た瞬間涙が滲むほどありがたかった。
だが――
檸檬は椅子の脚が擦れる音、子どもたちの話し声、
食器が触れ合う金属音に敏感に反応し、耳を塞いだまま固まってしまった。
隣の席の女の子が言った。
『あの子……どうしたの?』
『うるさいだけじゃん。変なの』
その言葉に柚子の胸がちくりと痛む。
「ごめんなさい……」と柚子が小さく頭を下げると、
職員が近寄ってきて、少し困ったように、しかし優しく言った。
「檸檬ちゃんは、静かな部屋で食べたほうがいいのね?」
「……いいんですか?」
「ええ。無理させないことが一番だから、ごめんね気が付かなくて」
その一言に、柚子は思わず涙がにじみそうになった。
姉妹にとって初めての“受容じゅよう”だった。
個室に移され、檸檬はようやくご飯を食べ始めた。
湯気を見つめ、口へ運ぶと、
ほとんど吸い込むように食べ続けた。
その食事の暖かさに、柚子の目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
声をあげて泣き叫びたかったけど、キーちゃんがびっくりすると思い、
天井を見上げて静かに涙を流せるだけ流した。
落ち着いてから一言声をかける。
「おいしいね、キーちゃん……」
柚子がそっと微笑むと、
檸檬はようやく目を合わせ、小さく頷いた。
***
施設での生活は、決して楽ではなかった。
朝は集団での支度、決まった時間の行動。
檸檬はルールや音の多さにしばしば混乱し、
甲高い声を上げるたび、周囲の子どもたちがざわついた。
『まただ……』
『耳が痛いよ……』
『なんであんなふうになるの?』
そんな声が聞こえるたび、
柚子は檸檬の肩を抱き寄せ、職員に何度も何度も頭を下げ続けた。
職員の中には、慣れていない人もいて、
対応に戸惑い、苛立つ人もいた。
だが一人、ベテランの女性職員・坂本だけは違った。
檸檬が過剰な刺激で叫んでしまったときも、
坂本はその場の空気をゆっくり落ち着かせるように言った。
『いいのよ。檸檬ちゃんはびっくりしただけ。
みんなも、びっくりしただけ。大丈夫、大丈夫。』
その柔らかな声に、檸檬は少しずつ安心する日が増えていった。
坂本さんが大丈夫って言えばきっと大丈夫なんだと。
***
ある雨の日の夕方。
窓を打つ雨音に、檸檬は怖さを覚えたのか、
柚子の布団に潜り込んできた。
「き……きぃ……」
震える声に、柚子はそっと頭を撫でた。
「大丈夫だよ。ここは安全だよ。
ママがいなくても、お姉ちゃんがいるから。
キーちゃんは、ひとりじゃないよ」
檸檬は涙をこぼしながら、柚子の服をぎゅっと掴む。
そして、震える小さな声で初めて呟いた。
「……ゆず……ちゃん……」
その瞬間、柚子の心にこれまで縛り付けていた縄の結び目がふっとほどけた。
自分だけが檸檬を守るのではない。
檸檬もまた、私を救ってくれる。
それは姉妹にとって新しい一歩の音だった。
***
施設での暮らしは、時に厳しく、時に優しく、
毎日が少しずつ形を変えながら進んでいく。
食堂の雑音に怯える日もあれば、穏やかに絵を描く日もあった。
柚子は学校にも復帰し、学ぶ時間を取り戻し始める。
檸檬は専門の支援員とともに少しずつ言葉を覚え、
外の世界との接し方を学び始めていた。
だが――
彼女たちの胸の奥には、まだ一つの影が残っている。
母の不在。
そして、理由。
柚子は毎晩、布団の中で静かに考えていた。
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問いの答えはまだ、どこにもない。
それでも、明日は来る。
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