Hope Man

如月 睦月

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高校編

たかが五千円

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帰宅した龍一はすぐさまシャワーに入ろうと服を脱いだ。

『いてて、いてっ、ぬわっ』

服が擦れて身体中が痛いのだ、服が破れているわけでもないが、外部からの刺激と生地が擦れてできたキズなのだろう、それが身体中にできていた。

擦れて出来た傷はストレスを感じる程の嫌な痛みを感じるのだった。

もちろん打撲痕もあちこちに出来ており満身創痍と言ったところだろう。

その痣を見て、過去に受けた「いじめによる暴力」を思い出す。

奥歯を噛みしめ、つま先から這い上がって来る震えを深い深呼吸をすることで抑え付けた、閉じた目を開けるとそこには今があった、今がある事に安心すると少し口角を上げて風呂場に入った。

熱いシャワーを浴びた途端に激痛が全身を包み込んだ、沁みる。

あちこちについた擦り傷がみるみる赤みを増し、龍一の身体にある痛覚が悲鳴を上げた、だが龍一はそれが楽しくもあった。

痛みが楽しいのだ、痛いのは今日の成果、その痛みは働いてきた証、そう思うと痛いけど笑顔がこぼれた。



シャンプーすると泡が出ず、真っ黒な泥水となって風呂場の床に流れ出すのが見えた。『きたねぇ…なんだこれ』洗い流してシャンプーを繰り返し、3回目のシャンプーでやっと白くて綺麗な泡になった。



---------------------------------------------------



学校から帰って来た龍一が食卓につく。

テレビを見ている父親、ソファーに座っている母親。

龍一が口を開く。



『今日のバイトさ、めちゃくちゃ大変でさ』



『龍一、仕事ってものは大変なものなんだ』



『いや、そう言う事じゃなくて』



『いいか、働いてお金を貰うって事はだな…』



『うるせぇな、また始まるのかよ』



『なんだと!なんて言った今!』



『話の腰を折るなよ、大変なのはわかってるよ、俺が話したいのはそう言う事じゃないんだよ、話しをちゃんと聞いてくれよ』



『お前は社会での経験がないんだから1日くらい働いたからと言ってな』



『聞けって言ってんだろ』



いつもこうだ、龍一が口を開けばすぐに話の腰を折る、一言一言にいちいち持論を説いて来る、話が進まないのもあるし、わかり切った事を改めてさもさも説法を解くかのように言われるのが本当に嫌いだった。だから父親とは話をするのが嫌で距離を置いてしまう、父親はもともと寡黙なので余程の事が無い限り、父親である康平から話しかける事はない。時々優しい言葉をかける事もあり、距離が縮まったと感じる事もあったが、いつもこう言う事で喧嘩になり、また距離を感じる。

歩み寄りたいと言う気持ちでも無ければ仲良くなりたいとかそう言う感情ではない、ただただ普通に話をしたいだけなのにうまく行かない。



『親父さん、龍一の話し聞いてあげなさいよ』



母親が康平に声をかけるが康平は聞く耳を持たない。

『1日仕事しただけだろ?それで大変だって話しだろ?そんな話なんか聞かなくてもいい』と言い、ガンとして受け入れる気がなく、立ち上がって煙草を買いに行く始末。



龍一はとても悲しくなって、食事も半分にして部屋に戻った。

どんな仕事だったとか、こんな人と仕事したとか、そんな事を話したかっただけだったのだが、康平が話を受け入れずにすっかり気持ちが沈んでしまう。

『くそがよ』

ガッカリしたとはいえ、怒りの感情が無いわけではない。

なぜ話を聞かないのか、なぜ勝手に話を作り、なぜ勝手に怒るのか、

一方的に自分の考えをベラベラとしゃべり、反論も意見も聞かずに煙草を買いに行く、カードゲームで言えば次は俺のターンじゃないのか?言いたいこと言って立ち去るのか?なんだそれ…考えれば考える程にムカムカと腹が立って仕方がない。

いっそこの感情が怒りではなく虚無感だったらどんなに楽だったろうとさえ感じる。龍一の経験上、虚無感は眠れるが怒りの感情は鎮まるまで寝られない。

やることもないし体中が痛いし疲れているので眠りたい、だがベッドに横になり、目を閉じても瞼を上げたくなる、何か目に見えない力でこじ開けられるかのように。



しかし、数十分後には疲れが後押しして知らぬ間に眠りに堕ちた龍一。



---------------------------------------------------



午前7時。

目覚めて居間に行くと、母親だけが居た。



『おはよう』



『おはよう』



『昨日渡そうと思ってたんだけどさ…』



そう言うと、5.000円を母親に差し出した。



『ん?なに?』



『いや、居候って約束だから少ないけどまずさ…』



『5.000円貰ったって何にもならないから使いなさい』



『え?』



『5.000円貰ったってどうすんのさ』



『あ、少なすぎて足しにもならないって事?』



『入学でいくらかかったと思ってんの、5.000円ってあんた…』



『初給料だから貰って欲しかったんだけどね、喜んでくれると思ったよ』



『いらない』と言いながら手で払う動きをした。

邪魔ものを追い払うシッシッの動作、あれである。



『何が気にくわないんだよ言ってくれよ』



『早くしっかり仕事して家にまとまったお金入れてちょうだいや!』



『それが本音か…わかったよ』



立ち上がると玄関に座り込み『出かけるわ』と一言告げる龍一。

靴を履いている時にはもう涙がこぼれ落ちそうで奥歯を噛みしめた。

行先なんか決まっちゃいない、プラプラと歩き出しただけだ。

『このまま消えて無くられたらいいのになぁ…蒸発して水蒸気みたいに空にフワッと…』学校はそれとなく続けられそうな雰囲気だが、相反して家族として続けるのがとても苦しくなってきたのだった。一難去ってまた一難とは言うけれど、龍一はずっと一難ばっかりが続いている気がしていた、一難どころか難しかないとさえ。



『俺の人生って何なんだ…何なんだ?難だけに?ふふっ』



あまりのバカくささに笑みがこぼれたが、一緒に涙もこぼれ落ちた。

哀しみではなく、悔しさ。

喜んでくれると思っていた5.000円。

3.000円のはずが5.000円貰ったから渡したくなったのではない、最初から全部渡すつもりでいたのだ、が故に悔しさが込み上げる。少ないのはわかっている、だが受け取っても貰えないとは思わなかった、ありがとうって言ってくれると思っていた。母親にしてみればたかが5.000円なのだろう。『たかが5.000円か…いくらなら受け取るんだ…どんな思いして手にした5.000円だと思ってるんだ』



話しも聞いてもらえない、頑張ったお金は受け取ってもらえない。



気が付いた時は裏山に来ていた。

エロ本通り四丁目、タカヒロとよく来ていたあの場所だった。

タカヒロに別段思いがあるわけではない、去る者は追わない龍一。

良い事なんか何もなかったと思っていたが、自分の心地よい空間はちゃんと作っていたようだった、考えて見たら中学卒業まで1つも良い思い出が無いなんてことは考えにくいわけで、龍一もちょっとばかりは良い思い出があったようだ。この場合は良い思い出と言うよりは、心地よい場所と言うべきなのだけれど。

あの日の土管は無いけれど、あの土管より大きくて短い土管があり、龍一はその中に入ってマルボロを深く深く吸った。

目を閉じると途端に泣きたくなったので、目を見開いた。

目を見開くと煙草の煙が思い切り目に刺さって涙が出た。



『結局涙が出るんじゃねーかよ』



土管の中で泣きながら煙草を吸う、悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。

『なにやってんだ俺…』



涙が止まりだしたころ、雨が降っている事に気が付いた。

地面に落ちる雨音が土管の中で反響する、なんと心地よいことか。



『これは船なんだ、川を下って海に出るんだ、そして広い世界に』



妄想、空想、それが龍一の現実逃避の手段。

現実逃避と言っても彼の妄想と空想にはいつも希望があった。



諦めなければ永遠に輝き続ける希望が。
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