如月書店

如月 睦月

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裏世界・古都編

第31話 奪われた古都の炎

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岩の道を乗り越え、石畳のゆるやかな坂を登り切ったとき、オランジェットとクラフティは息を呑んだ。



そこに現れたのは――

山の斜面に沿って半円を描く巨大な石壁。灰褐色の石を積み上げた壁は、苔むした場所もありながら、今なお鋼鉄のような威圧感を保っている。高さは十数メートル、幅も厚みも見当がつかず、二人の想像していた“街の壁”という規模を明らかに超えていた。



圧倒的だった。



中央にそびえる門は、巨人が出入りするために作られたかのような大きさだ。

門扉もんぴは分厚い石板で、所々に走る亀裂が古さを物語る。それでも、その亀裂一つ一つが別の意味を持っているような、奇妙な迫力を持っていた。



クラフティがそっと手を伸ばした。

指先が触れた瞬間――



ビリッ、と指先に鋭い痺れが走る。



『っ……冷たい!』

『……この冷たさ、なんだろう……』



オランジェットも自分の手を門に当ててみる。

表面には雪解け水を閉じ込めたような冷気があり、肌に吸い付くように冷たかった。身体全体が一瞬で冷え切るほどだった。

『まるで街全体が冷え切っているみたいだね』



まるで門そのものが生きている証のような感触――。



上から、乾いた金属音が響いた。

ギギ……と、錆びた鉄の引きずるような音。



門の両脇に設置された監視所。

小窓の蓋が横に滑り、そこから髭の濃い男が顔を半分だけ出した。



鋭く、しかし眠気を含んだような目が二人を見下ろす。



『……古都に用事か』



どこか訝いぶかしむような声音だった。



クラフティは肩をすくめ、オランジェットが一歩前へ出る。



『はい。旅の者です。古都に入りたいのですが……』



男は二人をじろりと見回す。

少しの間、風の音と、門の上で揺れる鉄板のカチャカチャという音だけが響いた。



『……旅人か。珍しいな。最近は誰もここを通らん。南か? 北か?』



『えっと……藍の森のまだ向こうから、荒野を抜けて来ました。』

とオランジェットが答える。



男は鼻を鳴らした。

その動作一つで、この巨大な門が日常の一部であることが伝わってくる。



『ここは長く閉ざされた古都だ。外に出る者も、入る者も滅多にいない。……で、何をしに来た?』



『探し物です。ある灯りを……』

言いかけたクラフティの言葉を、男の低い声が遮った。



『理由はあとで聞く。まず――門の前に立つな。』

『え?』



『その石は“測り”だ。触れると冷たかったろう。心の熱を奪う……それが役目だ』



オランジェットとクラフティは思わず足を見る。門の影が地面に濃く落ち、二人の影を飲み込むように揺れていた。



『心の熱?測り……?』



『ああ。街に入る者が“何を背負っているか”を確かめるためのものだ。……まぁ、悪い気は感じん。通しても問題なさそうだ』



男は小窓を閉じた。

今度は門の隙間の奥で重い金具の外れる音が響いた。



ガチャン……!

ギギギギギ……ッ!



石が擦れる低い振動が足元まで伝わる。



クラフティが息を飲む。

オランジェットの心臓も自然に高鳴る。



古都の巨大な門が、ゆっくりと、ゆっくりと開いていく。



その隙間から、薄闇と、古い街の匂い――乾いた石と風化した木の匂いが流れ出てくる。



見張りの男の声が、門の内側から響いた。



『……旅人よ。ようこそ古都へ。中は広い。迷うなよ』



オランジェットとクラフティは、自然と背筋を伸ばしながら、その古き街へと最初の一歩を踏み入れた――。



陰影の深い門の向こう側に、木造の街並みが少しずつ姿を現した。



二人は、ただその場で固まった。

門をくぐった瞬間、まるで別の時代――別の国へと足を踏み入れたようだった。



木の線路が続いていた。

その両脇に広がるのは、これまで旅で見てきたどんな街とも違った。



低く長い屋根。

黒光りする木の梁。

白い漆喰の壁。

格子のついた窓。

そして、どこか懐かしさを感じさせる紙張りの扉。



ひとつひとつの家並みが、まるで絵巻物の中から切り取ってきたような静けさと端正さを保っていた。



風に揺れるのは赤い小さなのぼり旗。

軒先には竹で組まれた籠。

路地の奥からは、木の板が軋むような乾いた音がかすかに響く。



クラフティは言葉をなくし、口をぱくぱくとさせる。

オランジェットも目を大きく見開いたまま、歩き出すことさえ忘れていた。



『……これ……ジパングの……?』



絞り出すようなクラフティの声。

その語尾が震えているのを、オランジェットははっきり感じた。



視界の先――

すらりと伸びた塔の黒い影が、薄曇りの空に凛と立っていた。

塔の先端には金色の相輪そうりんが光り、どことなく神聖な緊張を漂わせている。



クラフティが、ゆっくりと、オランジェットの袖をつまむ。



『……ここ……』



彼の瞳がわずかに揺れ、涙の光を帯びはじめる。



『お父さんが……見た景色だ』



その一言が落ちた瞬間、

周囲の静けさがさらに深く、二人を包んだ。



冷たい風が、ふっと二人の間を通り抜ける。

遥か遠くにすら感じる記憶の断片――父が語った“遥か東の島国の物語”。

その語り口の熱さ、目の輝き、修行の辛さ。

すべてが、この街の景色と重なっていく。



オランジェットは胸の奥が熱くなるのを感じた。

父の記憶が、突然この現実に触れ、息づき始めた気がした。



『……クラフティ。行こう』



そっと、妹の手を取る。

クラフティは小さく頷いた。



二人は、父が見たのと同じ世界の中へ――

ひとつ、またひとつと、足を踏み出していった。



『あ、ちょっとまて』



監視塔にいた男に呼び止められた。



『俺はクロワッサン・オ・ザマンド、この街のたった一人の門番だ、ある灯りとは帰還のランプの炎のことか?』



クロワッサンは、差し出されたランプをしばらく見つめていた。

その瞳の奥に、言葉にし難い迷いと、どこか痛みのような影が揺れている。



『あ、はい。このランプを灯す“帰還の灯り”が古都にあると聞きました』



オランジェットの声は期待にわずかに震えていた。

だが、クロワッサンは唇を固く結ぶと、深く息を吐き――



『……折角だが、その炎はもうないんだ』



まるで、かすかに凍った空気を割るような声だった。



『え?』



クラフティが思わず前のめりになる。



『そんな……! 妹が……妹の命がかかってるんだ! 帰らなくちゃ……!』



叫びは、寒風に吸い込まれるように広がった。

古都の空気は異様に冷たい。吐く息がすぐ白くなり、石畳の上で溶けずに漂うように見えた。



クロワッサンは視線を落とし、静かに言った。



『すまねぇ……。死神が突然現れたんだ。

帰還の炎を奪っていきやがった。……でっかい“タコ”に乗った死神だった』



その言葉を聞いた瞬間、街の冷気がさらに深く2人の体に染み込んだ。



『もしかして……この寒さって……』



『ああ。炎は“この街そのものの火”だ。

奪われた今、古都は芯まで冷え切っちまってる』



本で見たジパングの景色によく似ていてその異様さに気付かなかったが、

改めて視線を落とすと、広場の噴水も薄い氷を張り、家々の窓は白く曇っている。

人々は焚き火の周りで肩を寄せ、誰もが不安そうに空を見上げていた。



クラフティは唇を震わせながら訊く。



『そ……その死神はどこに……』



クロワッサンは石畳の向こう、霧が濃く漂う西の外れを指差した。



『この街の外れに“和三盆墓地わさんぼんぼち”がある。

ヤツはそこにいる。

だけど……会うつもりか?』



風が一瞬止まり、静寂がそっと舞い降りた。



『タコなんか、見上げるほどデカいんだぞ。

全部の足にランプをぶら下げてる。

その灯りに照らされたら……“見つかり”、 “追われ”、 “捕まり”、そして――吸われる』



『吸われる……?』



2人の声が重なった。



クロワッサンの顔に、隠しきれない恐怖が走る。



『魂だ』



その瞬間、オランジェットもクラフティも、喉の奥で音を立てて息を飲んだ。

胸の奥が冷たく締めつけられる。

風のないはずの街路で、灯されていないランプだけが、オランジェットの手の下で、かすかに揺れた。



まるで“死神がどこかで息をしている”かのように。



オランジェットの手が、無意識にランプを強く握りしめていた。

その表面は貼り付く程に冷たく、まるで炎を失ったこの古都の温度を写し取っているかのようだった。



クラフティが震えた声で口を開いた。



『……和三盆墓地って、どんな場所なんですか』



クロワッサンは目を伏せる。

その頬に、霜のように細かな粉雪が落ち、音もなく消えた。



『街の外れの丘だよ。

名前だけ聞けば可愛いが……実際はぜんぜん違う。

墓地の霧は甘い匂いがしてな、死神の息に混じって漂ってるんだ。

あそこに踏み込むってことは……生きて帰れないってのと同じ意味だ』



風が吹き抜け、屋根瓦が鳴った。

灰色の空から落ちてくるものが雪なのか、それとも冷えた灰なのか、見分けがつかないほど寒々しい。



オランジェットは、ゆっくりと顔を上げた。

その目には、恐怖だけではなく強い決意が宿っている。



『行きます。妹を……助けないと』



声は震えていなかった。

だが、その背中には、これまで感じたことのない重い影がかかっていた。



クラフティも頷く。



『クロワッサンさんさん、私も行きます。冒険家の娘ですから。』



『さんが一つ多いぞ娘…』



クロワッサンはしばらく2人の姿を見つめていた。

その表情は険しいまま、だがどこか深い誠意が滲んでいる。



『……覚悟はできてるってわけか』



『はい』



『はい』



2人の返事は短く、しかし迷いがなかった。

クロワッサンはゆっくりと背を向け、ポケットから石を取り出した。



『なら、せめてもの力になってやる。

これは“古都の火鉱石ひこうせき”だ。

死神の灯りほどじゃねぇが……闇に呑まれにくくなる。そしてこれは石同士が共鳴し合うんだ、もしも…炎を手に入れたらこの石を炎にかざしてくれないか』



クロワッサンの手には、赤く脈打つ石が3つ、微かに鈍い光を放っていた。

冷え切った空気の中で、その光だけが命の鼓動のように温かい。



『わかりました』



『俺が行かずに子供に託すなんて情けねぇよな、この足じゃ歩くのもやっとなんだ、こんなデカい街だけど炎が消えて機能は麻痺している、戦える奴ももう残ってねぇんだ…すまねぇ』



クロワッサンの右足は木でできた粗末な義足だった。



『きっと!きっとこの街に炎を取り戻します!』



クロワッサンは石を2つ、2人に渡しながら、低く呟いた。



『どうか……無事に帰ってくれ。

もう、誰も吸われるのは見たくねぇんだ、託したくせに矛盾してるけどよ、あぁそうだ、その帰還のランプに火鉱石をかざせば灯りは灯せる、帰れるわけじゃないけどな』



ジュッ!



音をたてて帰還のランプに火がともった。

なんと温かな炎だろうか。

そしてクロワッサンとクラフティの持つ石の赤みが強くなった。



『共鳴…』



『そういうことだ、この石が赤いうちはお前らが無事だと分かる』



オランジェットが静かに息を吸い込む。

冷気が肺に刺さるように痛い。



『必ず……帰ります、そしてこの街に炎を灯します』



店の扉を押して外へ出ると、古都の空気はさらに重く冷たく感じられた。

遠く、街の西。

薄く甘ったるい霧が、ゆっくりと這うように立ち上っている――和三盆墓地の方角だ。



2人は互いにうなずき、足を踏み出した。



死神のいる霧の中へ。

魂を吸う巨大なタコの影が待つ闇の中へ。



それでも、行かねばならない。



妹の命の灯りは――そこにしかないのだから。
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