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恋に落ちて
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「礼二、オフィスまで。」
礼二は手に持っていた単行本を箱の中に戻してため息をついた。
礼二が何かミスでもしたに違いない。幹太の声のトーンで珠希にはわかる。
礼二が叱られるところを見逃さないわけにはいかない。
珠希が用事があるふりをしてオフィスに入るとすぐに貫太の険しい表情が目に入った。
珠希は必要のないファイルを取り出して見ながら二人の会話を盗み聞きしていた。
どうやら礼二が50万で水晶を買い取ったと言う事で叱られているようだ。
「鑑別書もなしで何で50万も出せるんだ。」
「占い師だって言って予言するから、占い師が偽物の水晶持ってるって思う?」
「占い師!?何それ?」
珠希は思わず突っ込まずにはいられなかった。
「あのカメオの子だよ。珠希覚えてるだろ。」
礼二が泣きそうな顔で助けを求める。
普通ならこうい時は「知らないな~」ととぼける珠希だが、今日は違っていた。
礼二を助けたいという気持ちの余裕があった。
「お父さん、その子には借りがあるから今回は許してやって。あの子がそうやって騙したのもまあ、私のせいだから。その水晶は私がなんとかするよ。」
珠希は何も言わずに固まっている礼二に「任せといて!」と言ってオフィスを出た。
珠希は休憩室に入っていつものようにコーヒーマシーンの「ブラック」のボタンを押そうと手を伸ばす。
でもその時、隣に置いてある緑茶のティーバックに目がいった。緑茶でも飲んでみるかな。
珠希はポットに水を入れスイッチを入れた。
ゴォーとお湯が沸く音が少しずつ大きくなっていく。今まではこの時間がもったいないと思っていた。この音が嫌いだった。
でも今日はこの音がさえ気にならない。
「さっきは。。。なんか、助けてくれて、ありがとう。」
礼二が隣でコーヒーを入れながら言った。
「いいよ、私が悪いんだし。」
そう言った珠希を礼二はじっと見つめていた。
「なんか珠希、雰囲気違うよね。彼氏でも出来た?」
礼二の視線は指輪にあった。
「そうかな。」
そう言いながらも珠希は笑顔が隠せない。
「彼氏」。その可能性、将来性を感じるその響きに心の中で密かに胸を踊らせていた。
彼氏と彼女の関係っていつから始まるのだろう。
今週末ひばると会う約束をしていた。
正式な言葉はまだないが、お互いに特別な存在にであることは確かだ。
そうじゃないとメールで目がハートの絵文字は送らないはずだ。
珠希(じゃあ、土曜日に時計台のところで待ち合わせしよう。)
ひばる(了解です!週末が楽しみ😍)
「わかりやすいよなぁ珠希は。よかったね。」
珠希の笑顔が移ったように礼二も満面の笑顔になった。
礼二が休憩室を出てすぐにチャーミーがコーラを片手に現れた。反対の手にはチョコレート。
誰かの差し入れが置いてないか探しながら休憩室をうろうろしているのだ。
「珠希ちゃん、お茶珍しいね。とうとうコーヒージャンキーにも限界がきたか~。」
「コーヒーばっかり飲むの体に悪いしね。ここにハーブティとかも置くべきじゃない?」
「ハーブティ?そんなの誰が飲むの?」
「チャーミーも飲んでみなよ。ハーブティ飲むとね、なんか心が落ち着くんだよね。」
「珠ちゃん、この仕事は心理戦だからコーヒー飲んでアドレナリン出して強気で行かなきゃって言ってたくせに。ハーブティって。らしくないなぁ。」
「オススメのティーあるんだ。コンビニに売ってるらしいから買ってくるよ。」
そう言いながら珠希は無意識のうちに指輪を触っていた。
土曜の午後、珠希はひばると映画に行くという約束をしてショッピングセンタで待ち合わせをした。
約束通りの時間にショッピングセンターの大きい時計の下に行くとひばるが立っているのが見えた。
でもなぜか隣にみずきがいる。
「みずきも一緒に来てもいいですかね。この映画見たかったらしくて。」
悪びれる様子もなくひばるがそう言った。
そう言われて嫌だと言えるわけがない。
「うん、もちろんいいよ。久しぶり、みずきちゃん。」
珠希は笑顔でそう返した。複雑な気持ちが顔に出ていなければいいと思いながら。
「早く行こうよ。」
みずきは珠希を無視するようにひばるだけにそう言った。
「でも、まだ時間あるよね。そんな慌てなくていいよ。」
その態度に少しイラッとした珠希はみずきに向かって言う。
「私達、映画観るときいつも早めに行くんですよ。」
みずきは珠希に一歩近づき、挑戦的な態度を見せた。
「私達、いつものだよね。」
みずきは売店の前まで来るとひばるの手を引いて列の後ろに並んだ。
「珠希さんは?」
ひばるは珠希を気遣うように聞く。
「あ、私は、コーラ。」
みずきが言う「いつもの」はなんだろうと気になりながら答えた。
珠希が友達と映画を観るときは必ずポップコーンを食べるけど、今日はポップコーンも喉に入らないような気がしていた。
「私達、いつもキャラメルポップコーンに、烏龍茶って決まってるんです。」
みずきはわざと「私達」と「いつも」を連発してよく二人で一緒に映画に来ていることを仄めかしている。
「キャラメルポップコーン美味しいよね。」
珠希は気まずさを隠して笑顔を作る。
「行こう、にいちゃん。」
みずきはまたひばるの手を引いて先に進んで行ってしまう。
珠希は二人に言われるままに映画館の真ん中の方に座った。
上映時間の15分前で、スクリーンには予告CMがながれていた。
みずきとひばるは二人で一つの特大ポップコーンを食べているからそこには必然的に二人の空間が出来上がっていた。
「これ言ったっけ、昨日ね~変なお客さん来てね~」
みずきはひばるに昨日の出来事を話し始め、ひばるも「えーまたあいつ来た~!?」などと言い、会話が盛り上がっていた。
珠希には目の前の予告CMを観るふりをして会話を聞いていることしかできない。
ひばるはそんな珠希に気づいて、珠希に笑顔を見せてくれたり、なんとか会話に入れてくれようとした。
話の変なお客さんについても説明してくれたが珠希には全く面白くもなく、なんの感想も持てなかった。
異様な三角関係が出来上がっていて居心地が悪いな、と思いながら珠希は携帯をいじり始めた。
「もう携帯の電源切っといた方がいいんじゃないですか?」
みずきが珠希の携帯を覗きこんでそう言った。
「そうだね。」
珠希は言われるまま電源を切ってバックにしまった。
「ごめんなさい。デートなのに。」
ひばるが耳元で小声で言った。
やっぱりこれデートなんだ。でもどっちかというとみずきとひばるのデートだよな。
そう思った瞬間、館内が暗くなった。
その時、珠希は自分の手が握られたのを感じた。
体中に電流が走る。
ひばるはまっすぐ前を向いているがアームレストに置かれた珠希の手をしっかり握っていた。
次の瞬間、急にスクリーンが明るくなり、また次の予告CMが流れ始めた。
アクション映画の迫力のある音と映像。
珠希は手を握られたまま固まっていた。
「始まると思ったらこれも予告編だよー後どのくらいで始まる?兄ちゃん時計してるよね。」
みずきが大声で言ったのに反応して時計をしたひばるの手が滑り落ちるように珠希の手から離れていく。
「まだ始まらないよ。。まだ5分くらいある。みずきさー今のうちにトイレ行った方がいいんじゃない?いつも途中で行きたくなるから。」
「うん、そうだね、行ってくる。」
みずきはさっと席をたってトイレに向かった。
「ふぅ。」ひばるは大袈裟なため息をついて珠希の方に体を向けた。
「この後は二人だけでご飯食べに行きましょう。」
ひばるは珠希にウインクで合図をした。
ひばるはこういう仕草をあまりにも自然にしてしまう。
映画館が終わって3人がこれからどこにご飯を食べに行こうかという話をしていると、みずきの携帯が鳴った。
「うん、何?なんで?あ、そうなの。うん、わかった。じゃあ今から行く。」
そう言ってみずきは電話を切った。
「今から藤木ん家行くから、私もう行くね。」
「そうなんだ、じゃあ気をつけて帰ってね。」
珠希はみずきの後ろ姿を見送りながらやっと二人きりになれたことにほっとしていた。
「作戦成功。これで二人だけでご飯食べに行ける。」
ひばるは独り言のようにそう言った。
「どういうこと?」
「藤木に連絡してみずきお願いしたんですよ!」
「藤木?お願いした。。?」
その時、ショッピングセンターの外に出た二人は目の前に広がる青と白のイルミネーションに思わず息を飲んだ。
「わーきれいだね~。」
二人はなんとなくそこから続く散歩道に出て手を繋いで歩き出した。
道沿いには青と白のイルミネーションライトが続いていた。
「邪魔者がいて、なんか本当にごめんなさい。」
「みずきちゃんやきもち焼いてるみたいね。私達に。でも、ひばるとみずきちゃん仲よさそうだからちょっと羨ましいよ。私は兄ちゃんと喧嘩ばっかり。」
「僕がみずきの親みたいなもんだから。ちょっとみずきに対して甘すぎるんじゃないかと思う時もあるけど、僕がみずきを守らなきゃいけないっていう責任感みたいなものがあって。」
ひばるはその責任を噛みしめるようにそう言ってから、続けた。
「みずきが10歳の時に日本に引っ越して来たんですけど、みずきは全く日本語喋れないし、見た目も外人っぽいからこっちの生活に馴染めなくって、本当に苦労したんです。
友達もできなくてだんだん孤立していって。
心配だったからよくこっそり小学校まで行って外から様子見てたり帰り道後つけたりしてたし。いじめにあってないか心配だったからとはいえ、今思ったらやり過ぎですね。」
ひばるは、はにかみ笑いで珠希を見た。
「大変だねぇ、親代わりも。でも偉いなぁ、そこまで妹のこと想ってあげられるって。そりゃあ、こんな優しくてかっこいい兄ちゃんがいたら、一緒に出掛けたくなるよ。」
「でもデートの邪魔はされたくないなあ。」
ひばるのお茶目な笑顔に珠希は溶けそうになる。
「仕方ないよ。ひばるとみずきちゃんの絆は深いってことだよね。」
「うん。そう。そういうことかな。ありがとう。理解してくれて。」
ひばるが敬語じゃなくなったからか、気持ち的に距離が縮まった気がした。
気持ちだけでなく、体の距離も縮まっている。
肩と腕が触れ、繋いだ手が優しく、強く握り返されてくる。
二人の歩きがゆっくりになっていった。
イルミネーションがなくなり、散歩道が暗くなったところで二人の足が止まった。
もう言葉は出てこなかった。
見つめるだけでわかり合っているようだった。
二人の顔が見えない力に引き寄せられるように唇が重なった。
珠希は落ちて行くのを感じた。
未知の世界の底に沈んでいくようだった。ここなら溺れるのもいいと思うくらい心地よい世界だった。
一か月後
人を好きになると、その人のことを全部知りたいと思う。
でも、本当に全部知りたいんだろうか。
その人が考えていることを全部知ったら、どうなるんだろう。
珠希が座っている店のカウンター目の前に一冊の日記帳が置いてあった。
そのMy story book と書いた鍵付きの日記帳には鍵がかかっていなかった。
中を見てみたいと思ったが、人の日記を勝手に見るわけにはいかない。
でも、彼氏の日記帳に何が書いてあるのかが気になるのは、普通だろう。
珠希が気になっていたのはひばるが珠希のことをどう思っているかだった。
ひばると付き合って1カ月、全ては上手くいっているようだが、その日記にひばるの本音の声が書かれてあるかもしれない。
ひばるはコンビニに行ったばかりだった。コンビニはすぐそこだとはいえ、珠希には10分ほどの一人の時間がある。
珠希は日記帳を手にとってじっと見つめた。
「人の日記って読みたくなるよね。」
珠希はその声にビクッとして思わず日記帳を落とした。
ひばるが店のドアを半分くらい開けて立っていた。
目線は珠希の手にある日記帳。
「財布持ってくの忘れてたから戻ってきただけ。」
ひばるは何事もなかったようにカウンターに置いてあった財布をポケットに入れた。
「何も見てないよ。」
珠希は慌てて言って床に落ちた日記帳を拾ってひばるに渡す。
ひばるは優しく珠希を見た。
「これにね、ポエム風に思ったことを書き留めてるんだよね。」
ひばるは日記帳を手に取り、パラパラとめくりながら苦笑いをした。
「ポエムって、作ってる時はいいんだけど、次の日見たら、あー恥ずかしいってなるんだよなぁ。」
「だから、人には見られたくないんだよね。本当に、見てないから。」
「見たい?別に何か隠してるわけじゃないから。」
「見たいような、少し怖いような。」
「何が怖いの?」
ひばるはそう言って珠希を後ろからぎゅっと抱きしめてから頭にキスをした。
珠希には怖いものなどなかった。
「今度、珠希さんにもポエムプレゼントするから。」
「うん。楽しみにしてるよ。」
ひばるに会う前の珠希は「こういううのって本人はカッコつけてるつもりかもしれないけどダサいよね。」というタイプだったが、今は違った。
ひばるが言うこと、やること、作るもの、全てに興味があった。
本当は今すぐにそのポエムノートを見てみたかった。
「珠希さんは日記とか付けてる?」
「スケジュール帳ならあるけど。私のはやらなきゃいけないことの箇条書き。現実の塊だよ。」
「日記だって現実の塊じゃない?その時思ったことを素直に書いてるわけだから。日記って後から読み返すと恥ずかしくなるようなことも書いちゃうんだけど、でもその時に思ったり感じたこと書き留めておかないと、そう思ったことを思い出すこともないし、きっと忘れちゃうんだよ。それって寂しくない?僕はこの今の気持ちを忘れたくないんだ。」
今の気持ちを忘れたくない、かぁ。
ひばるといるとポエムも書けそうな気分になってくる。
珠希はひばるの家からの帰り道、愛のポエムを考えようとした。
自分の気持ち。
ひばるへの気持ち。
ひばるを好きだという気持ち。
。。。
全くポエムになるような言葉は何にも思い浮かばなかった。
珠希にとって気持ちを言葉にするのは難しいことだった。
礼二は手に持っていた単行本を箱の中に戻してため息をついた。
礼二が何かミスでもしたに違いない。幹太の声のトーンで珠希にはわかる。
礼二が叱られるところを見逃さないわけにはいかない。
珠希が用事があるふりをしてオフィスに入るとすぐに貫太の険しい表情が目に入った。
珠希は必要のないファイルを取り出して見ながら二人の会話を盗み聞きしていた。
どうやら礼二が50万で水晶を買い取ったと言う事で叱られているようだ。
「鑑別書もなしで何で50万も出せるんだ。」
「占い師だって言って予言するから、占い師が偽物の水晶持ってるって思う?」
「占い師!?何それ?」
珠希は思わず突っ込まずにはいられなかった。
「あのカメオの子だよ。珠希覚えてるだろ。」
礼二が泣きそうな顔で助けを求める。
普通ならこうい時は「知らないな~」ととぼける珠希だが、今日は違っていた。
礼二を助けたいという気持ちの余裕があった。
「お父さん、その子には借りがあるから今回は許してやって。あの子がそうやって騙したのもまあ、私のせいだから。その水晶は私がなんとかするよ。」
珠希は何も言わずに固まっている礼二に「任せといて!」と言ってオフィスを出た。
珠希は休憩室に入っていつものようにコーヒーマシーンの「ブラック」のボタンを押そうと手を伸ばす。
でもその時、隣に置いてある緑茶のティーバックに目がいった。緑茶でも飲んでみるかな。
珠希はポットに水を入れスイッチを入れた。
ゴォーとお湯が沸く音が少しずつ大きくなっていく。今まではこの時間がもったいないと思っていた。この音が嫌いだった。
でも今日はこの音がさえ気にならない。
「さっきは。。。なんか、助けてくれて、ありがとう。」
礼二が隣でコーヒーを入れながら言った。
「いいよ、私が悪いんだし。」
そう言った珠希を礼二はじっと見つめていた。
「なんか珠希、雰囲気違うよね。彼氏でも出来た?」
礼二の視線は指輪にあった。
「そうかな。」
そう言いながらも珠希は笑顔が隠せない。
「彼氏」。その可能性、将来性を感じるその響きに心の中で密かに胸を踊らせていた。
彼氏と彼女の関係っていつから始まるのだろう。
今週末ひばると会う約束をしていた。
正式な言葉はまだないが、お互いに特別な存在にであることは確かだ。
そうじゃないとメールで目がハートの絵文字は送らないはずだ。
珠希(じゃあ、土曜日に時計台のところで待ち合わせしよう。)
ひばる(了解です!週末が楽しみ😍)
「わかりやすいよなぁ珠希は。よかったね。」
珠希の笑顔が移ったように礼二も満面の笑顔になった。
礼二が休憩室を出てすぐにチャーミーがコーラを片手に現れた。反対の手にはチョコレート。
誰かの差し入れが置いてないか探しながら休憩室をうろうろしているのだ。
「珠希ちゃん、お茶珍しいね。とうとうコーヒージャンキーにも限界がきたか~。」
「コーヒーばっかり飲むの体に悪いしね。ここにハーブティとかも置くべきじゃない?」
「ハーブティ?そんなの誰が飲むの?」
「チャーミーも飲んでみなよ。ハーブティ飲むとね、なんか心が落ち着くんだよね。」
「珠ちゃん、この仕事は心理戦だからコーヒー飲んでアドレナリン出して強気で行かなきゃって言ってたくせに。ハーブティって。らしくないなぁ。」
「オススメのティーあるんだ。コンビニに売ってるらしいから買ってくるよ。」
そう言いながら珠希は無意識のうちに指輪を触っていた。
土曜の午後、珠希はひばると映画に行くという約束をしてショッピングセンタで待ち合わせをした。
約束通りの時間にショッピングセンターの大きい時計の下に行くとひばるが立っているのが見えた。
でもなぜか隣にみずきがいる。
「みずきも一緒に来てもいいですかね。この映画見たかったらしくて。」
悪びれる様子もなくひばるがそう言った。
そう言われて嫌だと言えるわけがない。
「うん、もちろんいいよ。久しぶり、みずきちゃん。」
珠希は笑顔でそう返した。複雑な気持ちが顔に出ていなければいいと思いながら。
「早く行こうよ。」
みずきは珠希を無視するようにひばるだけにそう言った。
「でも、まだ時間あるよね。そんな慌てなくていいよ。」
その態度に少しイラッとした珠希はみずきに向かって言う。
「私達、映画観るときいつも早めに行くんですよ。」
みずきは珠希に一歩近づき、挑戦的な態度を見せた。
「私達、いつものだよね。」
みずきは売店の前まで来るとひばるの手を引いて列の後ろに並んだ。
「珠希さんは?」
ひばるは珠希を気遣うように聞く。
「あ、私は、コーラ。」
みずきが言う「いつもの」はなんだろうと気になりながら答えた。
珠希が友達と映画を観るときは必ずポップコーンを食べるけど、今日はポップコーンも喉に入らないような気がしていた。
「私達、いつもキャラメルポップコーンに、烏龍茶って決まってるんです。」
みずきはわざと「私達」と「いつも」を連発してよく二人で一緒に映画に来ていることを仄めかしている。
「キャラメルポップコーン美味しいよね。」
珠希は気まずさを隠して笑顔を作る。
「行こう、にいちゃん。」
みずきはまたひばるの手を引いて先に進んで行ってしまう。
珠希は二人に言われるままに映画館の真ん中の方に座った。
上映時間の15分前で、スクリーンには予告CMがながれていた。
みずきとひばるは二人で一つの特大ポップコーンを食べているからそこには必然的に二人の空間が出来上がっていた。
「これ言ったっけ、昨日ね~変なお客さん来てね~」
みずきはひばるに昨日の出来事を話し始め、ひばるも「えーまたあいつ来た~!?」などと言い、会話が盛り上がっていた。
珠希には目の前の予告CMを観るふりをして会話を聞いていることしかできない。
ひばるはそんな珠希に気づいて、珠希に笑顔を見せてくれたり、なんとか会話に入れてくれようとした。
話の変なお客さんについても説明してくれたが珠希には全く面白くもなく、なんの感想も持てなかった。
異様な三角関係が出来上がっていて居心地が悪いな、と思いながら珠希は携帯をいじり始めた。
「もう携帯の電源切っといた方がいいんじゃないですか?」
みずきが珠希の携帯を覗きこんでそう言った。
「そうだね。」
珠希は言われるまま電源を切ってバックにしまった。
「ごめんなさい。デートなのに。」
ひばるが耳元で小声で言った。
やっぱりこれデートなんだ。でもどっちかというとみずきとひばるのデートだよな。
そう思った瞬間、館内が暗くなった。
その時、珠希は自分の手が握られたのを感じた。
体中に電流が走る。
ひばるはまっすぐ前を向いているがアームレストに置かれた珠希の手をしっかり握っていた。
次の瞬間、急にスクリーンが明るくなり、また次の予告CMが流れ始めた。
アクション映画の迫力のある音と映像。
珠希は手を握られたまま固まっていた。
「始まると思ったらこれも予告編だよー後どのくらいで始まる?兄ちゃん時計してるよね。」
みずきが大声で言ったのに反応して時計をしたひばるの手が滑り落ちるように珠希の手から離れていく。
「まだ始まらないよ。。まだ5分くらいある。みずきさー今のうちにトイレ行った方がいいんじゃない?いつも途中で行きたくなるから。」
「うん、そうだね、行ってくる。」
みずきはさっと席をたってトイレに向かった。
「ふぅ。」ひばるは大袈裟なため息をついて珠希の方に体を向けた。
「この後は二人だけでご飯食べに行きましょう。」
ひばるは珠希にウインクで合図をした。
ひばるはこういう仕草をあまりにも自然にしてしまう。
映画館が終わって3人がこれからどこにご飯を食べに行こうかという話をしていると、みずきの携帯が鳴った。
「うん、何?なんで?あ、そうなの。うん、わかった。じゃあ今から行く。」
そう言ってみずきは電話を切った。
「今から藤木ん家行くから、私もう行くね。」
「そうなんだ、じゃあ気をつけて帰ってね。」
珠希はみずきの後ろ姿を見送りながらやっと二人きりになれたことにほっとしていた。
「作戦成功。これで二人だけでご飯食べに行ける。」
ひばるは独り言のようにそう言った。
「どういうこと?」
「藤木に連絡してみずきお願いしたんですよ!」
「藤木?お願いした。。?」
その時、ショッピングセンターの外に出た二人は目の前に広がる青と白のイルミネーションに思わず息を飲んだ。
「わーきれいだね~。」
二人はなんとなくそこから続く散歩道に出て手を繋いで歩き出した。
道沿いには青と白のイルミネーションライトが続いていた。
「邪魔者がいて、なんか本当にごめんなさい。」
「みずきちゃんやきもち焼いてるみたいね。私達に。でも、ひばるとみずきちゃん仲よさそうだからちょっと羨ましいよ。私は兄ちゃんと喧嘩ばっかり。」
「僕がみずきの親みたいなもんだから。ちょっとみずきに対して甘すぎるんじゃないかと思う時もあるけど、僕がみずきを守らなきゃいけないっていう責任感みたいなものがあって。」
ひばるはその責任を噛みしめるようにそう言ってから、続けた。
「みずきが10歳の時に日本に引っ越して来たんですけど、みずきは全く日本語喋れないし、見た目も外人っぽいからこっちの生活に馴染めなくって、本当に苦労したんです。
友達もできなくてだんだん孤立していって。
心配だったからよくこっそり小学校まで行って外から様子見てたり帰り道後つけたりしてたし。いじめにあってないか心配だったからとはいえ、今思ったらやり過ぎですね。」
ひばるは、はにかみ笑いで珠希を見た。
「大変だねぇ、親代わりも。でも偉いなぁ、そこまで妹のこと想ってあげられるって。そりゃあ、こんな優しくてかっこいい兄ちゃんがいたら、一緒に出掛けたくなるよ。」
「でもデートの邪魔はされたくないなあ。」
ひばるのお茶目な笑顔に珠希は溶けそうになる。
「仕方ないよ。ひばるとみずきちゃんの絆は深いってことだよね。」
「うん。そう。そういうことかな。ありがとう。理解してくれて。」
ひばるが敬語じゃなくなったからか、気持ち的に距離が縮まった気がした。
気持ちだけでなく、体の距離も縮まっている。
肩と腕が触れ、繋いだ手が優しく、強く握り返されてくる。
二人の歩きがゆっくりになっていった。
イルミネーションがなくなり、散歩道が暗くなったところで二人の足が止まった。
もう言葉は出てこなかった。
見つめるだけでわかり合っているようだった。
二人の顔が見えない力に引き寄せられるように唇が重なった。
珠希は落ちて行くのを感じた。
未知の世界の底に沈んでいくようだった。ここなら溺れるのもいいと思うくらい心地よい世界だった。
一か月後
人を好きになると、その人のことを全部知りたいと思う。
でも、本当に全部知りたいんだろうか。
その人が考えていることを全部知ったら、どうなるんだろう。
珠希が座っている店のカウンター目の前に一冊の日記帳が置いてあった。
そのMy story book と書いた鍵付きの日記帳には鍵がかかっていなかった。
中を見てみたいと思ったが、人の日記を勝手に見るわけにはいかない。
でも、彼氏の日記帳に何が書いてあるのかが気になるのは、普通だろう。
珠希が気になっていたのはひばるが珠希のことをどう思っているかだった。
ひばると付き合って1カ月、全ては上手くいっているようだが、その日記にひばるの本音の声が書かれてあるかもしれない。
ひばるはコンビニに行ったばかりだった。コンビニはすぐそこだとはいえ、珠希には10分ほどの一人の時間がある。
珠希は日記帳を手にとってじっと見つめた。
「人の日記って読みたくなるよね。」
珠希はその声にビクッとして思わず日記帳を落とした。
ひばるが店のドアを半分くらい開けて立っていた。
目線は珠希の手にある日記帳。
「財布持ってくの忘れてたから戻ってきただけ。」
ひばるは何事もなかったようにカウンターに置いてあった財布をポケットに入れた。
「何も見てないよ。」
珠希は慌てて言って床に落ちた日記帳を拾ってひばるに渡す。
ひばるは優しく珠希を見た。
「これにね、ポエム風に思ったことを書き留めてるんだよね。」
ひばるは日記帳を手に取り、パラパラとめくりながら苦笑いをした。
「ポエムって、作ってる時はいいんだけど、次の日見たら、あー恥ずかしいってなるんだよなぁ。」
「だから、人には見られたくないんだよね。本当に、見てないから。」
「見たい?別に何か隠してるわけじゃないから。」
「見たいような、少し怖いような。」
「何が怖いの?」
ひばるはそう言って珠希を後ろからぎゅっと抱きしめてから頭にキスをした。
珠希には怖いものなどなかった。
「今度、珠希さんにもポエムプレゼントするから。」
「うん。楽しみにしてるよ。」
ひばるに会う前の珠希は「こういううのって本人はカッコつけてるつもりかもしれないけどダサいよね。」というタイプだったが、今は違った。
ひばるが言うこと、やること、作るもの、全てに興味があった。
本当は今すぐにそのポエムノートを見てみたかった。
「珠希さんは日記とか付けてる?」
「スケジュール帳ならあるけど。私のはやらなきゃいけないことの箇条書き。現実の塊だよ。」
「日記だって現実の塊じゃない?その時思ったことを素直に書いてるわけだから。日記って後から読み返すと恥ずかしくなるようなことも書いちゃうんだけど、でもその時に思ったり感じたこと書き留めておかないと、そう思ったことを思い出すこともないし、きっと忘れちゃうんだよ。それって寂しくない?僕はこの今の気持ちを忘れたくないんだ。」
今の気持ちを忘れたくない、かぁ。
ひばるといるとポエムも書けそうな気分になってくる。
珠希はひばるの家からの帰り道、愛のポエムを考えようとした。
自分の気持ち。
ひばるへの気持ち。
ひばるを好きだという気持ち。
。。。
全くポエムになるような言葉は何にも思い浮かばなかった。
珠希にとって気持ちを言葉にするのは難しいことだった。
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