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12.「祖父」

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 母、聖子の部屋でめぐみと月原は机をはさみ、桜の日記を開いていた。

『お姉ちゃんなんて、死んじゃえばいいのに』

『なんでお姉ちゃんみたいに綺麗じゃないんだろう』

『お父さんもお母さんもお姉ちゃんの事が大切なんだ』

『お姉ちゃんさえ、いなかったら』


 まるで呪いのような、暗くどろどろした言葉。自分の母親に対しての恨み、憎しみを目の当たりにして、めぐみは思わず目を背けた。
「本当に叔母さんなのかな……」
「いつ鬼は水死者にかれる。お母さんに恨みを持つもの。ひとまずはこの条件にはあてはまるわね」
 その言葉でようやく納得がいった。まだ付き合って短いが、月原は無駄な事はしない。そんな月原がなぜ叔母である桜の部屋に興味を持ち、探りを入れたのか。恐らく祖母の話を聞いて、桜が水死したと聞いた時点で怪しいと思っていたのだろう。
「だから叔母さんの部屋に入ったの?」
「ええそうよ。あなたのお母さんの部屋を見てからと思っていたけど、桜さんの部屋の方が近かったから」
「あ、そうなんだ……」
 めぐみはまた溜息をついた。
 叔母が母を恨んでいたかもしれない。めぐみは一人っ子だ。姉妹や兄弟の関係は分からない。
 友達から「お姉ちゃんウザイとか、弟が生意気」そんな事は聞いたことはある。しかし、本気で死を願う人はいなかった。
 しかし現実に、自分の母と叔母が――
 想像するだけで辛かった。
「でも分からない事があるわ。もししろが桜さんだとしても、何故あなたにまで影響が出たのか。日記を見る限り、おじい様、おばあ様は分からなくは無いけど」
「そうだよね、私叔母さんと会った事も無いのに」
「桜さんはあなたの事を知っているかもしれないけど」
「えーっと、幽霊になって私を見てたとか」
 めぐみは冗談のつもりだったが、月原に「そうよ」と肯定こうていされてしまう。
 幽霊なんてオカルトじみた話は以前のめぐみなら毛ほども信じていなかっただろう。
「桜さんのお墓にイタズラでもしたの?」
「そ、そんなことするように見える?」
 唐突且とうとつかつ、不名誉な発言に抗議の声を上げるが
「ごめんなさい。冗談よ」
 とあしらわれてしまった。
 この状況でなくても全く笑えない冗談だ。やはり月原はどこか変わっている。めぐみは更に抗議をしていると、不意にドアをノックする音が響いた。
 祖母にしては、粗雑なノックだ。そうなると、恐らくノックの主は――
「おーい、めぐみ! じいちゃんだぞ」
 言い終わるや否や、返事も返さないうちに勢いよくドアが開かれた。
 見事なはげ頭に、恰幅かっぷくのいい体型。ギラギラとした目からは活気がみなぎっている。とても七十歳を超えているとは思えない、めぐみの祖父、島岡元(しまおか げん)が嬉しそうな表情をのぞかせた。
「お爺ちゃん、帰ってたんだ。あ、この子は友達の月原さん」
「始めまして、月原と申します」
 座ったままの礼だが、相変わらず美しい所作だ。
 祖父は嬉しそうな顔で月原を見た。
「おう、婆さんから聞いたぞ。エライべっぴんさんの友達を連れてきたってな。確かにこりゃあ美人さんだな。まあ、めぐみも負けてないがよ!」
「お、お爺ちゃん、本当に恥ずかしいからやめて……」
 恥ずかしくてめぐみの顔が真っ赤に染まった。
祖父は先代から事業を引き継ぎ、その豪腕で会社を更に成長させた地元でも名の知れた実業家だ。
 会社の人間からは『鬼』として有名で、そうとうなワンマン経営者らしかったが、娘である母や、孫であるめぐみを溺愛し、はちみつのように甘かった。
 恥ずかしさで頭から湯気がでそうになっているめぐみを無視し、月原が口を開いた。
「今日は急に押しかけてしまって申し訳ありません。じつは、おばさまの――」
「おう、事情は聞いてるぞ。まあ、なんだ、ゆっくりしていきな。帰りは俺が車で送ってやるから」
 祖父はそういうと、ハンドルを握る真似をしていた。年の割には言葉使いも若く、どこかお茶目な性格だった。
「ありがとうございます。もしよければ、お庭を見てもいいですか? 先程ちらっと池が見えて。なんでも、とても立派な錦鯉にしきごいがいるって」
「お! そうなんだよ。うちの鯉は立派でな。それにあの池も俺が重機じゅうきに乗って作ったんだ」
 祖父は何でも自分でやりたがる性格で、おまけに器用だ。池を作ると、その延長でこの庭もほとんど自分で作ってしまったくらいだ。
「庭はお爺ちゃんが殆ど手入れもしてるんだよ。すごいよね」
「ジジイの暇つぶしだよ」とはいいつつ、満更でもない表情だ。

「――あの桜の木も、ですか」
 月原は窓から見える、庭の木を見つめていた。先程蝶化身が姿を見せた桜の木だ。
 庭の中央に一本だけ植えられている桜の木は祖父が毎年剪定せんていや害虫の駆除をしている。他にもある松の木などと比べると、特に力を入れているように思えた。
 めぐみは昔桜の木に悪戯をした時に、普段は甘いこの祖父から酷く怒られたことを思い出していた。
「んー、まあそうだな」
 祖父ははげ頭をきながら答えた。
「お爺ちゃん、あの桜すっごく大切にしてるもんね。何か思い出とかあるの?」
 祖父の顔が少し曇っている。どうにも複雑な表情だ。めぐみは慌てて
「お爺ちゃんどうしたの? 私変な事聞いちゃった?」と尋ねた。
「いや、うん。そんな事は無いぞ。さて俺もそろそろ風呂にでも――」
 祖父の言葉を聞きながら、めぐみの視線は月原の指に、正しくは指差された日記に注がれていた。
 叔母さんの日記――
 頭よりも先に口が動いた
「あ、もしかしてあの桜って、叔母さんの」
 そこまで言うと思わずめぐみは自分の口を手で覆ったが、どうやら遅かったようだ。
 漫画のようなリアクションをとる祖父をみて月原が
「正解だったみたいね」とめぐみにしか聞えないような小さな声で呟いた。
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