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20.「諦め」

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あきらめ」

 青葉ダムが完成したのは今から二十年前、叔母が亡くなった五年後だ。あの事故があった翌月には古川の川原も工事が始まった。

 めぐみはダムを見下みおろす柵にもたれながら空を見上げている。
「あー、星が綺麗だね」
「そうね、今日は新月だし、余計に綺麗に見えるわね」
 季節は十月。夜空の空気はみ、怖いくらいに星が綺麗に見える。しかし、その美しさも、今のめぐみにはなぐさめにもならなかった。
 月原は夜空から視線を戻し、めぐみの隣で柵にもたれかかった。
「――この青葉ダムって、暗いから星が綺麗に見えるって、お母さんが言ってた。よくお父さんとここでデートしたって」
「あら、星空を観に来るなんて、ロマンチックね」
「でもね、本当は誰かに見られたくなかったから、なんだって」
「へえ、どうして?」
 月原が不思議そうに尋ねた。
「実はね、お母さん達の結婚にお爺ちゃん達大反対だったんだ」
 めぐみは母から聞いた思い出話をぽつぽつと話し始めた。
何処どこの馬の骨か分からんような奴に娘はやれん、って。でも、お父さんとお母さんはあきらめきれなくて、ずっと付き合ってたんだ。」
「なるほど、だからこんな人気の無いところで合ってたのね」
「下の駐車場は人が多いからね」
 校外学習や家族とのドライブでこのダムには何回か来た事があるめぐみの記憶では、駐車場が二つあるが、片方はこの駐車場より下にあり、道路に隣接りんせつしている大きな駐車場だ。そちらは街灯や公衆トイレ、自動販売機もあり、よく車が止まっている。
 この駐車場は細い道を進んだ先にあり、小さなベンチと壊れた街灯しかない。今は特に真っ暗だ。
 まさにこっそりと誰かと会うにはうってつけだ。
「結局お父さんが婿養子むこようしに入るって事で許してもらえたんだ」

 めぐみは、月原をそっと見た。遠くのダムの明かりしか照らすものは無いが、夜目よめになれてきたのか、その美しい顔がほんのりと見えた。
 その視線に気付いたのか、月原もめぐみに視線を向けた。
「どうかしたの?」
「月原さん――。自分勝手な事、言っていい?」
 声がかすかに震える。その様子をみて月原は静かにうなずいた。
「私ね、しろはね、全然知らない誰かで、実は叔母さんが助けてくれてるんじゃないかって思ったの。危ないって、教えてくれたのも、病室で助けてくれた蝶化身ちょうけしんも、実は叔母さんじゃないかって」
 めぐみは声をふるわせながらも続けた。
「叔母さんが、私達に過去を見せたのも、助けてくれようとしてるんじゃないかって。でも違ったみたい」
 あの光景が何を伝えるものだったのかは分からない。しかし、みちびかれた先には何も無かった。
 お前達が行こうとしていた場所は暗く冷たいダムの底だ。もうどうあがいてもたどり着く事は出来ない。
――諦めろ
 そういうことなのだろうか。それとも、そもそも何の意味もなかったのだろうか。
「きっと叔母さん、怒ってるんだ。だから私に意地悪したのかな」
 自嘲じちょう気味にめぐみはつぶやいた。

「私には分からないわ」
 月原はあっさりと切り捨てた。そもそも月原は見えていただけで、声を聞くことは出来なかったのだ。
「あーあ……。もう、しんどいなぁ」
めぐみはそういうと、近くのベンチに座り込んだ。背もたれに体をあずけて空を見上げると、憎らしいほど綺麗な星空が目に飛び込んでくる。
「もう、いいや――
 めぐみはその続きは言葉に出せなかった。
 いつ鬼の力が増してきているからか、少しずつ死への願望が迫っているのが自分でもよく分かった。その言葉を口にしてしまったらもう全て終わってしまう。
 しかし、気力が尽きた今、口をつくのは諦めの言葉だけだ。
「そう、じゃあ諦める?」
 月原の声は相変わらず、抑揚よくようも、感情も無い。めるわけでも、なぐさめるでもない。ただ、たずねるだけ。まるで機械のようだ。
 めぐみは答えず、そっと目を閉じた。
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