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21.「友達」

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「友達」

 もういいや――
 そう口にしたが、やはり生きる事への執着しゅうちゃくは簡単に捨てることが出来ない。
 人から見ると平凡で退屈な人生かも知れない。それでもめぐみにとっては、たった一回のかけがえの無いものだ。
 柵にもたれ目をつむっていても、今までの人生が脳裏のうりめぐる訳でも無い。ただ、死への恐怖と『首を吊って楽になりたい』という気持ちだけがふくららんでくる。
 
 風が吹くと肌寒い。めぐみは少し身震みぶるいし目を開くと先程まで隣にいたはずの月原の姿が見えない。
 相変わらず物音一つ立てずに歩いて行ってしまう。
 周囲を見渡すと、少し離れた所に明かりが見えた。目を凝らすと月原がスマートフォンのライトで地面を照らししゃがみこんで何かを探している姿がうつった。
 めぐみはすでに重くなった腰を上げ、月原の隣に立った。
「何してるの?」
「何か手がかりが無いか探しているの」
 月原は振り返ることなく答えた。よくみると膝や手が泥で汚れている。
「手……汚れてるよ」
「地面に手と膝をついていたら汚れるのは当たり前でしょう」
「もういいよ……」
 月原はめぐみの言葉がまるで聞こえていないように、黙々と周囲の捜索そうさくをしている。
「な、何かあてはあるの?」
「無いわ」
「そ、それならもう……いいよ」
 自分はもうあきらめようとしているのに――
「神様や妖怪は気まぐれだけど、意味の無い事はしないわ。ましてやあれだけはっきりとしたメッセージを残したんだもの。きっと何か――ここにはある。それは何か分からないけど」
「そういう事じゃないの」
 めぐみは月原の言葉をさえぎった。一言、口からこぼれると止まらない。
「私は、もういいって。言ったよ……私が諦めたのに、どうして月原さんが、そんなに泥だらけになって探すの? もうやめて」
 もういいじゃないか。自分は良く頑張った。母がおかしくなってから、ずっと辛くて、悲しい思いを抱えてきた。
 周囲から心無い言葉を浴びせられた事もあった。憑き物の影響でおかしくなる自分と必死に戦ってきた。しかし、次第に周囲の人間は気味悪がって去っていった。
 孤独だった。
 そんなどうしようもない時に、月原に救われ、ようやく見えた希望の光。
 しかし、もうその光は見えない。いや、元々光なんて無かったのだ。

 立ち尽くすめぐみをよそに月原は手を止めない。その姿につい、感情がたかぶぶってしまった。
「やめてっていってるじゃない!」
 めぐみは月原の肩を強く引き寄せた。しかし、ちょうど動こうとしていたのか、月原はバランスをくず尻餅しりもちをついてしまった。
「――ご、ごめんなさい! 私、そんなつもりじゃ」
 月原はゆっくりと立ち上がり、スカートについた泥を払い、地面に落ちたスマートフォンを拾い上げた。
 土の上だからか、画面に傷は無いようだ。
「も、もし壊れたなら弁償べんしょうするから――
 言い終わる前に、月原の鋭い視線を感じ口ごもってしまった。
 めぐみはゆっくりと月原の顔を見ると目が合った。暗いが、これだけ近いとよく分かる。怒っても、悲しんでもいない。

 一瞬の沈黙を破ったのは月原だった。
「邪魔しないでくれる?」
 言葉だけを拾い上げると、怒っているとしか思えない。しかし、口調は相変わらず一定だ。
ひどい事をしてごめんなさい。でも、もういいよ、月原さんにここまでやってもらう理由がないもん。だからもう帰ろう」
 めぐみはそっと手を差し出した。しかし、月原は応じることは無かった。
「私はまだここにいるわ。帰りたいなら止めないわ」
「――月原さん、私はもういいから」
「諦めるんでしょ? そう決めたなら好きにしなさい」
 突き放すような言葉にめぐみは何も言い返せない。
「――行動も、思いも、価値観も、自分の命をどうするかも、決めるのはあなた自身よ。私はあなたの選択を受け入れるし止めない」
「だったら、どうして月原さんは――
「私も自分で決める。あなたが諦めると言っても私は諦めない。全く見当違いの事をしているのかもしれない。この行動に何の意味も無いのかもしれない。でも私はやるの。あなたを助けるって決めたから」
 月原の意思は揺らぐ事は無い。何故、どうして――
「そこまでしてくれるの」
 去年から一緒のクラスだった。しかしほとんど話したことも無いし、今の関係だってまだ三日しか経っていない。ここまで手を貸してくれる理由が分からない。
 月原は静かに、ささやくように
「――第一号だから」と呟いた。

 第一号。何処かで聞いたことがある。
そう、確か――
「連絡先を交換した時、言ってたね」
 めぐみの言葉に月原は頷いた。
「家族以外の連絡先、あなたが第一号。それに、私は変わっているから。今まで友達なんて出来た事は無かったわ。そんな私の事を友達って言ってくれたの、あなただけだもの」
 あまりにも予想外の言葉に、めぐみは中々二の句がげない。それでも、少し頭を整理し、言葉を吐いていく。
「で、でも、友達って初めて言ったのはお父さんの前だよね。どうしていきなり助けてくれたの?」
 友達だから助けてくれている。しかし、それならば友達と宣言するまでの期間はどうなのだろうか。色々な予想が頭を巡るが、月原の口から語られた答えはまた意外なものだった。
「――今年のクラス発表の時、仲良くしようって言ってくれたから。初めてそんな事言われたから。ずっと気になってたのよ」
 通りすがり、たまたま偶然ぐうぜん、同じクラスメイトだから。そのどれでもなかった。
 めぐみはクラス発表の時もただ何となく声をかけただけだった。ただ、誤魔化ごまかす為に「友達」と言った。ただ連絡を取りやすくする為に連絡先を交換した。
 たったそれだけだ。それだけの事で、こんな時間に、地面に膝をついて泥だらけになりながら、なんの当ても無い手がかりを探し求めている。
 馬鹿。頭がおかしい。人とズレている。そう言ってやろうと思った。しかしめぐみは上手く言葉を出す事が出来ない。
 めぐみの目には涙があふれ、こぼれ落ちているせいだ。
涙が零れると、しだいにめぐみの中に溜め込んでいた想いが溢れてくる。その想いが口をついた。

「――月原さん、わたし……まだ、いっぱいやりたい事があるの。またみんなと遊びたいし、彼氏とかも作ってみたい……。大学にも行きたい……それに、お母さんと一緒に、家に帰りたい。お母さんのご飯が食べたい……お母さんに怒られて、甘えて……」
 涙で濡れ、鼻声で何を言っているか自分でもよく分からない。しかし、月原は黙って聞いている。
「――わたし、まだ死にたくない……まだ、諦められない。だから、一緒に、探して。何かは分からないし、何も無いかもしれないけど――
 泣きじゃくるめぐみに背を向け、月原は呟いた。

「当たり前でしょう。友達なんだから――」
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