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30.「最終話」
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最終話
あの夜から一月が経った。いつ鬼は消え、めぐみと母、聖子は死の呪縛から逃れる事が出来た。
しかし、勿論全てが元通りにはならなかった。壊れてしまったものは元には戻らない。そう強く痛感させられた一ヶ月だった。
めぐみは大きな花束を持って、青葉ダム第二駐車場の広場にいた。祖父の運転する車から降りると、礼を言う。
「お爺ちゃん、ごめんね。引越しの手伝いもしてくれてるのに」
「おおう。かわいい孫の為だ! ほら、もうベンチに座ってるじゃないか、行ってやんな」
遠めに月原がベンチに座っている姿が見えた。
こっそり近づいて驚かしてやろう。めぐみの悪戯心だ。足音を立てず、こっそりと月原の背後に近づき――
「バレバレよ。島岡さん」
「うえ、えへへ。バレたか」
どうやら月原にはお見通しらしい。そういうと、めぐみは月原の横に腰を降ろした。
「久しぶりね。どうしてたの?」
「うん――。まあいろいろあったけど、お母さんはあの後すぐに元気になったし。先生も急に治った、ってビックリしてたよ」
「そう。それは良かったわ」
そういうと、月原は静かに髪を掻き分けた。今日は少し風が強い。相変わらず、何をしても絵になる。
「……元気にしてた?」
「うん。まあ、いろいろと忙しかったけど、それなりにね」
たった一ヶ月だったが、めぐみを取り巻く状況は大きく変わった。なかでも一番大きかったものは、やはり両親の離婚だろう。
父は事のあらましを全て母に話した。母はずっと意識を乗っ取られていたが、その間の記憶は全て残っていた。だからだろう、母ははっきりと言った。野崎里美を支えるのがあなたの贖罪だと。
母は父を恨んではいなかった。そもそも父が浮気に走った原因が自分達島岡家にもあると分かっているからだ。
あの後、一度だけめぐみは里美の病室を見舞った。里美は以前と同じく、じっと壁を見つめていた。あの日、一瞬元に戻ったのはいつ鬼の力なのだろう。そう思ったが、あえて月原に何も聞かなかった。きっと、いつ鬼の力が無くても、父が側にいたらいつかは深い傷も癒えるかもしれない。大きな傷跡は残るだろう。しかし、生きている。生きていけるのだ。
病室を後にしようとした時、里美は静かに一言
「また、ね」
と小さく微笑んだ。めぐみにはそれだけで十分だった。
めぐみはベンチに座りながら大きく足を広げた。もう冬が迫る空には雲ひとつ無い。
空を見ていた視線を戻し、そして月原を見る。相変わらず、無表情だが美しい顔をしている。そして、めぐみは抱えていた最後の疑問を月原にぶつける事にした。
「あのさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「危機を告げ、いつ鬼からあなたを守った、蝶化身の本体の事?」
めぐみはもう驚かない。月原には全てお見通しなのだ。
「やっぱりあれって、桜叔母さんだったのかな」
「ええ、間違いないわね」
「でも、あの日記は――お母さんのこと、死んじゃえって」
月原は何だ、そんな事といわんばかりに口を開いた。
「たとえ、どれだけ仲が良くても、どれだけ愛していても、人間の感情は複雑よ。私にはお兄ちゃんがいるのだけれど」
「ええ! お兄さんいるんだ!」
今、明かされた驚きの真実だった。
「ええ、仲はいい方だし、好きよ。でも、たまに勝手に私のプリンを食べるの。その時口汚く罵倒するし、死ね、とも言うわ」
「そ、そうなんだ」
そういえば、月原は甘党だったと、今更ながらに思い出した。もう、あの日々が遠い昔のように思えた。
「そんなものよ。きっと、自分を置いていってしまう聖子さんやあなたを羨ましく、妬ましく思ったこともあるかも知れないわ。でも、きっと、そんな思いより、ずっと、沢山の愛情があったんじゃないかしら。いつまでも、自分の事を忘れないように、庭にあんな立派な桜の木まで植えてくれていたのですもの。ずっと、心の中で生きていたんだと思うわ」
「ずっと、一緒にいてくれたんだね」
「お母さんやおばあ様がずっと部屋を綺麗にしてくれていたのよ。時は止まってしまった空も知れない。でも、いつもあの……桜さんの部屋できっと一緒に時間を過ごしていたのよ」
「そうなんだ。でも、どうして分かったの?」
「部屋が綺麗だったし、何より花が飾られていたわ。しかも生花。こまめに入っていたのよ。だから多分、あの日記の事も知っていたのかもしれないわね。だからこそ、あなたにあの部屋に入らないようにって言ったのかもね」
「そう……なのかな。うん、そうなのかも」
「……あなたも、お母さんも、不思議と何度も首吊りを失敗したのもきっと、桜さんが守ってくれてたのよ。それにいつ鬼と一緒にいたからこそ、きっと、野崎さんの記憶を覗き見て、あのダムに導いてくれたのね」
めぐみは話を聞き終えると、徐に立ち上がり指輪が落ちていた場所へと向かった。
その場に花を添えると月原と共に静かに手を合わせた。
「でもさ、回りくどいよね」
めぐみはまだ手を合わせたままで呟いた。
「何が?」
「だって、導いてくれるなら、もっとストレートに言ってくれたらいいのにって、思わない?」
「それは――」
「憑き物には憑き物の考え方がある、人間には理解できない、かな?」
「あら、よく分かっているじゃない」
そう言うと月原は静かに目を開けた。
「憑き物の考え方、いいえ、他人の考えている事なんてまるで分からない。でも、それでいいのよ……それくらいがちょうどいいのよ。私はそう思うわ」
そう言った月原の横顔は、凛としていて、いつにも増して綺麗でめぐみは思わず見とれていると、ふいに月原が顔を向けてくるので目が合ってしまった。以前なら、気恥ずかしいか、怖いと感じて逸らしてしまっていたであろう月原の目を、めぐみはまっすぐに見つめた。
「島岡さん――」
「月原さん――」
二人が声を出したのはほぼ同時だった。それが何故か無性におかしくて、めぐみは笑い出してしまった。月原もつられて――とは流石にならず、相変わらずロボットのような無表情だが、めぐみは知っている。その無表情の下にはきっと、優しい笑顔が隠れているのだと。
「さてと、じゃあ私、そろそろ行くね。おじいちゃん待たせてるし。あ、月原さんものっていきなよ」
「大丈夫、今日はバイクで来たから。ほら、あそこに止まっているでしょ」
月原が指差す先には新聞配達に使うようなカブと言われるバイクがあった。
「ええ! 月原さん免許持ってたの」
「最近取ったの。だから大丈夫。さ、おじい様を待たせたら駄目よ」
「うん、じゃあ行くね」
そういうと、めぐみは駆け出した。しかし、少し走ると、足が止まった。そうだ、最後に。最後に一つ。
「ねえ、月原さん」
「どうしたの」
聞きたいことが
「私たち――
友達――だよね
めぐみが振り返る。
答えは要らなかった。
めぐみの瞳には優しく笑う月原の姿が映っていた。
あの夜から一月が経った。いつ鬼は消え、めぐみと母、聖子は死の呪縛から逃れる事が出来た。
しかし、勿論全てが元通りにはならなかった。壊れてしまったものは元には戻らない。そう強く痛感させられた一ヶ月だった。
めぐみは大きな花束を持って、青葉ダム第二駐車場の広場にいた。祖父の運転する車から降りると、礼を言う。
「お爺ちゃん、ごめんね。引越しの手伝いもしてくれてるのに」
「おおう。かわいい孫の為だ! ほら、もうベンチに座ってるじゃないか、行ってやんな」
遠めに月原がベンチに座っている姿が見えた。
こっそり近づいて驚かしてやろう。めぐみの悪戯心だ。足音を立てず、こっそりと月原の背後に近づき――
「バレバレよ。島岡さん」
「うえ、えへへ。バレたか」
どうやら月原にはお見通しらしい。そういうと、めぐみは月原の横に腰を降ろした。
「久しぶりね。どうしてたの?」
「うん――。まあいろいろあったけど、お母さんはあの後すぐに元気になったし。先生も急に治った、ってビックリしてたよ」
「そう。それは良かったわ」
そういうと、月原は静かに髪を掻き分けた。今日は少し風が強い。相変わらず、何をしても絵になる。
「……元気にしてた?」
「うん。まあ、いろいろと忙しかったけど、それなりにね」
たった一ヶ月だったが、めぐみを取り巻く状況は大きく変わった。なかでも一番大きかったものは、やはり両親の離婚だろう。
父は事のあらましを全て母に話した。母はずっと意識を乗っ取られていたが、その間の記憶は全て残っていた。だからだろう、母ははっきりと言った。野崎里美を支えるのがあなたの贖罪だと。
母は父を恨んではいなかった。そもそも父が浮気に走った原因が自分達島岡家にもあると分かっているからだ。
あの後、一度だけめぐみは里美の病室を見舞った。里美は以前と同じく、じっと壁を見つめていた。あの日、一瞬元に戻ったのはいつ鬼の力なのだろう。そう思ったが、あえて月原に何も聞かなかった。きっと、いつ鬼の力が無くても、父が側にいたらいつかは深い傷も癒えるかもしれない。大きな傷跡は残るだろう。しかし、生きている。生きていけるのだ。
病室を後にしようとした時、里美は静かに一言
「また、ね」
と小さく微笑んだ。めぐみにはそれだけで十分だった。
めぐみはベンチに座りながら大きく足を広げた。もう冬が迫る空には雲ひとつ無い。
空を見ていた視線を戻し、そして月原を見る。相変わらず、無表情だが美しい顔をしている。そして、めぐみは抱えていた最後の疑問を月原にぶつける事にした。
「あのさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「危機を告げ、いつ鬼からあなたを守った、蝶化身の本体の事?」
めぐみはもう驚かない。月原には全てお見通しなのだ。
「やっぱりあれって、桜叔母さんだったのかな」
「ええ、間違いないわね」
「でも、あの日記は――お母さんのこと、死んじゃえって」
月原は何だ、そんな事といわんばかりに口を開いた。
「たとえ、どれだけ仲が良くても、どれだけ愛していても、人間の感情は複雑よ。私にはお兄ちゃんがいるのだけれど」
「ええ! お兄さんいるんだ!」
今、明かされた驚きの真実だった。
「ええ、仲はいい方だし、好きよ。でも、たまに勝手に私のプリンを食べるの。その時口汚く罵倒するし、死ね、とも言うわ」
「そ、そうなんだ」
そういえば、月原は甘党だったと、今更ながらに思い出した。もう、あの日々が遠い昔のように思えた。
「そんなものよ。きっと、自分を置いていってしまう聖子さんやあなたを羨ましく、妬ましく思ったこともあるかも知れないわ。でも、きっと、そんな思いより、ずっと、沢山の愛情があったんじゃないかしら。いつまでも、自分の事を忘れないように、庭にあんな立派な桜の木まで植えてくれていたのですもの。ずっと、心の中で生きていたんだと思うわ」
「ずっと、一緒にいてくれたんだね」
「お母さんやおばあ様がずっと部屋を綺麗にしてくれていたのよ。時は止まってしまった空も知れない。でも、いつもあの……桜さんの部屋できっと一緒に時間を過ごしていたのよ」
「そうなんだ。でも、どうして分かったの?」
「部屋が綺麗だったし、何より花が飾られていたわ。しかも生花。こまめに入っていたのよ。だから多分、あの日記の事も知っていたのかもしれないわね。だからこそ、あなたにあの部屋に入らないようにって言ったのかもね」
「そう……なのかな。うん、そうなのかも」
「……あなたも、お母さんも、不思議と何度も首吊りを失敗したのもきっと、桜さんが守ってくれてたのよ。それにいつ鬼と一緒にいたからこそ、きっと、野崎さんの記憶を覗き見て、あのダムに導いてくれたのね」
めぐみは話を聞き終えると、徐に立ち上がり指輪が落ちていた場所へと向かった。
その場に花を添えると月原と共に静かに手を合わせた。
「でもさ、回りくどいよね」
めぐみはまだ手を合わせたままで呟いた。
「何が?」
「だって、導いてくれるなら、もっとストレートに言ってくれたらいいのにって、思わない?」
「それは――」
「憑き物には憑き物の考え方がある、人間には理解できない、かな?」
「あら、よく分かっているじゃない」
そう言うと月原は静かに目を開けた。
「憑き物の考え方、いいえ、他人の考えている事なんてまるで分からない。でも、それでいいのよ……それくらいがちょうどいいのよ。私はそう思うわ」
そう言った月原の横顔は、凛としていて、いつにも増して綺麗でめぐみは思わず見とれていると、ふいに月原が顔を向けてくるので目が合ってしまった。以前なら、気恥ずかしいか、怖いと感じて逸らしてしまっていたであろう月原の目を、めぐみはまっすぐに見つめた。
「島岡さん――」
「月原さん――」
二人が声を出したのはほぼ同時だった。それが何故か無性におかしくて、めぐみは笑い出してしまった。月原もつられて――とは流石にならず、相変わらずロボットのような無表情だが、めぐみは知っている。その無表情の下にはきっと、優しい笑顔が隠れているのだと。
「さてと、じゃあ私、そろそろ行くね。おじいちゃん待たせてるし。あ、月原さんものっていきなよ」
「大丈夫、今日はバイクで来たから。ほら、あそこに止まっているでしょ」
月原が指差す先には新聞配達に使うようなカブと言われるバイクがあった。
「ええ! 月原さん免許持ってたの」
「最近取ったの。だから大丈夫。さ、おじい様を待たせたら駄目よ」
「うん、じゃあ行くね」
そういうと、めぐみは駆け出した。しかし、少し走ると、足が止まった。そうだ、最後に。最後に一つ。
「ねえ、月原さん」
「どうしたの」
聞きたいことが
「私たち――
友達――だよね
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答えは要らなかった。
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