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17. 皇子、求婚する

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 改めて案内されたのは、比較的こじんまりした、落ち着いた色調の部屋だった。
 高そうな家具や装飾品があまりないことに、シャルはホッと胸を撫でおろす。
 これなら、多少、力加減を間違えても、壊れるものはなさそうだ。
 シャルは、丁寧にラッピングされた見舞いの品を、そっとテーブルの上に置いた。

 案内してくれた騎士は、ファレルという名らしい。彼女は、奥の簡易厨房らしき場所からティーカップ二つとティーサーバーを用意してくれた。慣れた手つきで、カップの一つに、サーバーから熱いお茶を注ぐ。甘い香りが室内に広がった。

「どうぞ。団長のお気に入りのお茶です」

 細心の注意を払ってカップを持つ。一口飲んで、驚いた。

「美味しいです。ほんのり甘くて」

 ファレルはにっこりして、やや自慢げに言った。

「これ、マジャル高原にある村でしか取れない茶葉で作ったお茶で、とても珍しいものなんですよ。団長って、ああ見えて、グルメなんですよね」

「マジャル高原って、あの?」

「ええ。あの『呪われた高地』です。伝説の勇者たちと魔王の最後の戦いの地って言われてる」

「そんなところに、村が?」

「荒れ地の中に、ほんの一部分ですが、肥沃な土地が存在するんです。団長、そこに農園を持っていて、任務の合間に訪れているんですよ」

 呪われた地マジャル高原。真っ黒く焼け焦げた、草一つ生えない場所だと聞いたことがある。

 シャルは、湯気の立つお茶を、今度はゆっくりと味わった。
 ほんのりと香る甘い芳香。どこかで嗅いだことがあるような気がする。
 ちょっと、焼きプリンの香りに似てるからかもしれない。

 焼きプリンはシャルの大好物の一つだった。

「シャル嬢、待たせてすまない」

 パタンと扉が開く。
 いつもの騎士団の制服ではなく、青い部屋着姿のアルフォンソ皇子が現れた。
 女騎士ファレルは、一礼すると、入れ替わりに部屋を退出した。ちらりと、シャルに意味ありげに目くばせをして。

 シャルは立ち上がって、皇子にできるだけ優雅な礼で挨拶した。
 皇子は、ソファーに座るように促すと、自分も向かいに腰を下ろす。

「こんな格好ですまない。団服を着ようとしたんだが」

 エクセルたちに止められたんだ、と、アルフォンソは不服そうな顔をした。

「いえ、お構いなく」

 何だか少し、肩の力が抜けた気がした。

 制服姿がかっこいいのはもちろんだが、私服を着た姿も年相応に若々しく違った意味で眼福かも、などと密かに思う。
 文武両道に秀で、戦場では名将との誉れも高い『黒の皇子』。
 そんな彼にも、逆らえない相手がいるというのも、ちょっと興味深いおもしろいし。

「お体の具合はいかがですか?先日は、私のせいで、お怪我までさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

 謝罪の言葉とともに、頭を下げる。
 会えたら言おうと考えていた言葉が、もっとあったはずなのに。
 こうして間近で皇子の顔を拝むと、しゃれた言葉一つ出てこない。
 大したことない、気にするなと言う皇子に、料理自慢の侍女が用意してくれたお見舞いの品を、シャルは躊躇いがちに差し出した。

「これは?」

「魔鳥リードの卵を使った焼き菓子でございます。リードの卵には滋養強壮の効果があります。よければ、ご賞味くださいませ」

「リードの卵?貴方がおっしゃっていた、ベルウエザー名物の?」

「そうです。申し上げましたように、栄養価も味も超一級。保証します。ただ賞味期間が短いので、早めのお召し上がりを」

「ありがとう。シャル嬢からの見舞いの品、喜んでいただかせてもらう」

 端正な顔に一瞬よぎった微笑みにシャルは目を見開いた。

 不思議だ、と思う。
 名工の手による作品のように整った美しい顔が、こんな風に邪気のない笑みを浮かべると、可愛く見えてしまうなんて。

「シャル嬢?」

 まじまじと見入ってしまっていたのだろう。アルフォンソが怪訝そうに、シャルを見つめていた。

「そんな風に笑われると、なんだか、可愛らしいなあって思ってしまって」

 思わず漏れた本音に、慌てて口を押える。羞恥に頬が赤くなっていくのが自分でもわかる。

「可愛い?私が?・・・そんなことを言われたのは初めてだ」

 皇子の呟きが聞こえた。上目遣いにちらりと見ると、その白い頬に、ほんのりと血が上っている。平素は強い光を宿す眼差しが、落ち着かなげに宙を泳いでいる。
 やっぱり可愛い。この照れ方、まるで・・・恥じらっている乙女みたい。

 微かに頬を染めたまま、アルフォンソは、手ずから、空いたカップにお茶を注いだ。
 ごくりと飲んで・・・噎せて咳き込んだ。

「大丈夫ですか」

「ちょっと熱かったようだ」

 バツが悪そうに答えたその眦には、涙まで滲んでいた。

 帝国の『黒の皇子』。類なき美貌の無敗の戦神。伝説の守護竜の再来とまで称えられる御方。
 なぜだろう?誰よりも強い殿方のはずなのに、どこか可愛く思える。
 夜を閉じ込めたような美しい黒い瞳に黒い髪も。無表情に見えて、さりげなく優しいところも。

 やっぱり、アルフォンソ様って・・・うちの愛犬ケリーに似てる。
 失礼なことを考えて、シャルはクスリと笑ってしまった。

*  *  *  *  *

 アルフォンソは、慌ててベッドから抜け出ると、寝間着から、一番見苦しくなさそうな部屋着に~いつもの黒い制服は許可してもらえなかったので~急いで着替えた。

 鏡の前で、包帯が服の間から見えないのを確認する。ついでに、自分の顔色をチェック。束ねる暇も惜しいので、さっと癖のない髪を手櫛で整える。

 三日間も臥せっていたことは、彼女シャルには気づかれたくなかった。
 自分でも変だと感じる。他人の評価などどうでもいいと明言してきたのに。

 彼女と『彼』は全然違う。それは、はっきりと分かった。共通点もある。けれど異なる点の方がはるかに多い。
 それでも、よく思われたかった。

「いつも通りカッコいいから安心しろ、アル」

 エクセルがニヤニヤ笑う。
 それから、一転、まじめな顔になる。

「俺は、ベルウエザー嬢を手放すべきではないと思う。彼女の安全のためにも。それに・・・やっと見つけた相手だろ?」

 その問いに答えることなく、アルフォンソはシャルが待っているはずの部屋へ向かった。

*  *  *  *  *

 可愛い。
 それが、彼女の顔を見て最初にアルフォンソが感じたことだった。

 この前のピンクのカクテルドレス姿も素敵だったが、このペールブルーのワンピースも、彼女の華奢な肢体にとてもよく似合っている。
 一生懸命に貴族令嬢らしく振舞おうとするその姿は、どこか小動物を思わせる愛らしさだ。

 昔からアルフォンソは豪華なバラより、小鳥やリスを鑑賞する方が好きだった。

 眼鏡の奥から瞬きもせず見つめてくる大きな琥珀色の瞳。肩に流れる少し癖のある銀髪。かつての『あの女』と同じ色合いなのに、他人に与える印象は、おそらく全然違うだろう。
 ややハスキーな柔らかな声は、耳に心地よい。そして、その唇は見かけよりずっと・・・
 一度触れたその感触を、アルフォンソは無理やり脳裏から振り払った。

 あれは治療だ。ただの治療・・・

 魔鳥リードの卵を使った焼き菓子か。
 彼女が馬車の中で教えてくれたベルウエザー領のおすすめの一つ。

 第二皇子の彼にとって、貴族からの高価な贈り物なんて日常茶飯事。それでも、彼女からの素朴な見舞いの品は、素直にうれしいと感じられた。

*  *  *  *  *

 ご令嬢シャルから、突然、可愛いと言われて・・・

 なぜか、鼓動が早まった気がした。
 何と言えばいいのか、わからなかった。
 おかしい。魔物退治の遠征時でさえ、こんなに心臓がどきどきしたことも、困惑?したこともないのに。

 不覚にも、自分が猫舌なのも忘れて、熱いお茶を一気飲みし、無様に咳こんでしまった。こんな失態、エクセル以外には見せたことなかったのに。

 それを見て、彼女が笑った。

 エクセルに言われたことが、頭を過る。
 やっと巡り合えたのは、きっと奇跡。少しの間でもいい。一緒にいられたら・・・

「シャル嬢、どうか私と結婚していただけないだろうか?」

 気がつくと、そう口走っていた。

 ティーカップを口元に運ぼうとしていた華奢な手が止まる。
 眼鏡の奥の大きな瞳が、さらに大きく見開かれた。
 次の瞬間、ティーカップの柄が粉砕し、カップがテーブルにストンとほぼ垂直に落ちて砕けた。

*  *  *  *  *

 テーブルに散らばるカップの残骸を、シャルは呆然と見つめる。
 中身をほぼ飲み干していたのは、不幸中の幸いだった。

「大丈夫か?けがは?」

 アルフォンソが、慌ててシャルの手を取った。

「申し訳ありません。カップを・・・壊してしまいました」

 驚きのあまりカップの柄を握りつぶすという、令嬢にあるまじき失態。
 というより、屈強な戦士でも、指力だけでは、不可能な力技では?

 どう取り繕うべきかわからずに、シャルはただアルフォンスを見つめた。
 彼は、握りこんだシャルの手を、何度も角度を変えながら、ほんの少しの傷でも見逃すまいと一心に調べている。

「破片は刺さっていないようだが。ほら、ここに血が滲んでいる」

 傷ついた手のひらに、もう片方の手でそっと触れる。
 その指先がわずかに銀の光を帯びた。
 優しく何度もその指で手のひらを撫ぜられて、シャルの鼓動が再び跳ね上がった。

「これで大丈夫だと思うが、念のため、医師に診てもらった方がいい。貴方には、やはり治癒の術は効きにくいから」

 ようやくアルフォンソが、握っていた手を離して、顔を上げた。
 真っ赤になったシャルと、まともに視線が合う。
 自分の不躾な行為に思い至ったのか、騎士にしては白いうなじが、見る間に、赤くなった。

 二人は真っ赤な顔をして、お互いをただ見つめあっていた。
 シャルがなんとか言葉を取り戻すまで。

「あの、今のお言葉、本気ですか?」

「今の言葉とは?」

「本気で私を娶りたいと?大国の皇子でいらっしゃる殿下が?こんな小国の辺境貴族の、私のような何のとりえもない娘を?」

「シャル嬢は十分魅力的で個性的な方だと思うが?私には、貴方のその個性がとても好ましく思える。貴方が思う以上に」

 シャルの貴族的ではない至極率直な疑問に、アルフォンソは真剣そのもののに応じる。
 頬を染めたままの美貌がシャルを見つめていた。ひどく切なげに。

、貴方を大切にすると誓う。どんなことをしてでも。私では、ダメだろうか?」

 アルフォンソの瞳に宿るのは何だろう?
 その双眸に真摯な想いと同時に危うさを感じて、シャルは困惑を覚えずにはいられなかった。

「まだお会いして1週間足らずですのに?殿下なら、どんなご令嬢も選び放題でしょうに」

 アルフォンソは、シャルから視線を外すことなく、首を振った。

「私が一緒にいたいのは、シャル嬢、貴方だけだ。守りたいと思うのは、貴方だけだ。どうか、少しでも長く、傍にいさせてもらえないだろうか?」

 その簡潔な飾らぬ告白は、いろいろあって恋愛ごとに縁遠かったシャルの心の琴線に触れた。

 問題ありの自分をこんなに想ってくれるなんて。こんな奇特な殿方はもう現れないかもしれない。いや、現れないに違いない。それでも、やっぱり・・・ 

「アルフォンソ様は、私にはもったいない高貴な御方。私みたいな粗忽者が王家に嫁ぐなんて・・・無理です。どう考えても」 

「それは、私は貴方にふさわしくないという意味だろうか?」

 似つかわしくない心もとなげな口調に驚いて、シャルはまじまじと皇子を見つめた。

 まさか、本気で言ってる?
 自分の方が私にふさわしくないなんて。

 シャルの気持ちを推し量ろうと一心に見つめてくる黒い瞳に嘘は微塵も伺えない。
 美貌自体はあまり変化がないが、よく見れば、口元が微かにゆがみ、肩がしょんぼりと落ちている。
 見捨てられた子犬のような雰囲気をなぜか感じてしまって、シャルはすっかりうろたえた。

「ふさわしくないなんて、とんでもない!アルフォンソ様は、誰から見ても、素敵なお方!どんなご令嬢でも、願ったり叶ったりの最上級のお相手だと断言できますわ!」

、そう思ってくださると、私を好ましく思ってくださっていると解釈していいのだろうか?私が王族でさえなければ、私の申し出を考える余地はあるのだと?」

「もちろんです!」

 なおも不安げに言い募る皇子をこれ以上傷つけたくなくて、シャルは再度力いっぱい断言してやる。

 しばしの沈黙の末、皇子はシャルから視線を外すと長々と息を吐いた。

「そういうことなら・・・必ずしも、貴方がローザニアン王家に入られる必要はない」

 再び顔を上げて話し出した皇子の声は、急に明るく弾んだように感じられた。

「聞くところによると、貴方の御父君、現ベルウエザー卿も他所から婿養子に入られたとか。もともと王族の地位に未練はない。私が婿養子になればいいのではないだろうか?」

 ローザニアン帝国の第二皇子が、ベルウエザーに婿入りする?
 思いもかけない解決策に、シャルは、はしたなくも、あんぐりと口を開けてしまった。

「私がベルウエザーの籍に入り、王位争いから完全に身を引いたとなれば、今後、面倒に巻き込まれることもなくなるだろう。私は辺境地にも魔物退治にも慣れている。魔物の料理もそれなりに得意だ。少しでも貴方の役に立てるように努力する。だから、どうか前向きに考えてもらえないだろうか?」

 前向きに?超優良物件で誰もが憧れる皇子様が?私の婿に、辺境子爵の婿養子になりたいと、本気まじで?

「・・・とりあえず、持ち帰って検討しても、よろしいでしょうか?」

「ぜひ、お願いする。よい返事を待っている」

 勢いに押されてなんとか返答したシャルに、アルフォンソは笑いかけた。
 初めて目にするほど見事なほほ笑みだった。
 彼の表情筋が形成できるとは信じがたいほどのはっきりとした笑み。
 本気の笑顔の眩さに、思わずテーブルの端を掴んだシャルは、今度は、危うくテーブルに見事なヒビを入れかけた。

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