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第八章
いちじろく(1)
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開戦からおよそ五か月、大隅の戦線は膠着状態に陥っていた。
圧倒的な物量をもって、面的な制圧を目論むヤマトの戦術は読み切られており、大隅の隼人らは当初から七箇所の山城に分散して立て籠もった。
いわゆる籠城戦の展開だ。正面からぶつかり合えば数に劣る大隅に勝ち目はない。そこで散発的に少数精鋭が城をうって出て、地の利を活かした局地戦を仕掛けることで、じわじわとヤマトの兵力を殺いでいったのだ。
大宰府を発し、九州島の東西から二手に分かれて進軍したヤマトの将兵たちだったが、彼らは大隅隼人の精強さに戦慄していた。
どこからともなく現れ、射かけては退き、退いてはまた射かける神出鬼没の戦いぶりに、肉体ばかりか精神までをも消耗させていく者が後を絶たない。
折しも季節は炎熱を帯びる頃に突入していた。ヤマトのそれとは比べものにならない、凶猛なまでの陽射しが容赦なく兵達を焼き責めた。
行軍の際には深く濃い、南国の緑も恐ろしい障壁となって立ち塞がっていた。伐り払って道を通すことも覚束ず、そのまま杜に呑み込まれてしまうかのような畏怖を感じさせる。
さらに夏が近付くにつれ、夥しい数の蚊が発生していた。ヤマトで見るものよりはるかに巨大なそれらは、恐怖を起こさせるほどの貪欲さで人や馬にはだかり、発狂寸前に陥る者まで出るほどの脅威となっていた。
全軍の指揮を執る旅人は、兵営のさなかにあってなお、毅然とした振る舞いを崩さずにいた。しかし、さすがに異郷での長期間にわたる戦闘状態は老体に堪えているようだ。
大隅の隼人らが拠点とする七箇所の山城のうち、六月半ばにはすでに五箇所が陥落していた。だが、残る二箇所は難攻不落の堅城で、数に勝るヤマトの兵も長らく攻めあぐねている。
一つは攻め登ることが困難な「曽於乃石城(そおのいわき)」、もう一つは女の領袖が率いているとされる「比売之城(ひめのき)」で、城内には水源と耕作地まで備わっているという噂だ。
つまり、自給をしながら戦闘を継続できることを意味している。
カザトは着陣よりこの方、必死になって大隅隼人らに戦をやめるよう呼びかけてきた。しかしながら、もとより不退転の覚悟で最終決戦を挑んだ構えの彼らが、ヤマトの軍勢に侍る阿多隼人の言葉に耳を傾けるはずなどなかったのだ。
カザトは言いようのない無力感と哀しみに苛まれるばかりだった。
大隅に足を踏み入れてまず眼に付いたのは、開墾しかけたまま放置され、荒れ果てた水田の跡だった。火山灰が降り積もってできた大隅の大地は水を留める力に乏しく、コメを育てるなどもってのほかだったのだ。
だが、ヤマトの意思は強硬に稲作を大隅に強いてきた。結果として苦しい労働を強制されるだけで実りなどは何もない。それどころか飢えて命を落とす者が後を絶たない有様になった。
これまで何千年もコメなど無くても、この大地に人々の営みがあったのだ。その平穏を奪われた大隅の隼人らが、武器をとってでも抵抗するのは当然のことだったのではないか―。
日が経つにつれ、カザトの不穏な予感は確信へと変わっていった。おそらく大隅隼人らは誰一人として、生きてこの戦を勝ち抜こうなどとは考えていまい。
身命を賭して、ヤマトの圧政に一矢報いることだけを思い定めた、死兵の群れと化しているのだ。
この戦は、大隅隼人が死に絶えるまで続くのではないか―。
ふいによぎったそんな考えに、背筋が凍るような惧れを感じる。
陣中を歩きながらカザトは兵たちの様子に眼を配っていた。
激しい暑さからくる脱水症状や、甲冑の紐が皮膚に食い込んで爛れる痛みなどから、日陰で茫然と座り込んでいる者も多い。
何よりも、予想をはるかに超える大隅隼人との激戦に気力も体力もぼろ布のように磨り減っているのだ。体裁上、一万人の兵を動員するという軍編成ではあったが、実際にはとてもその員数には達していないのではないかとカザトは感じていた。
兵を起こすということは、ただ単に人を集めれば事足りるわけではない。彼らが身に付ける防具に武器、口にする食糧や飲み水、そして寝起きするための場所の確保など、人ひとりに必要な項目だけでもかなりの負担だ。
それを単純に一万人分、しかも、もう間もなく半年に及ぼうとする長期間にわたって供給し続けるほどの貯えが本当にヤマトにあるのか―。
もちろん、戦線の規模に合わせて兵員を調整しているため、大隅隼人の拠点があと二つの山城のみとなった今では、当初のような大軍ではなくなっている。
それでも働き盛りの男たちが兵役に駆り出されれば、その分普段の田作りへの人手が手薄となり、民にとっても等しく負担となっているはずだ。こんなことがいつまで続くのだろうか。焦点の合わない眼をした兵たちを横目に、カザトは暗澹たる思いに駆られながらも本陣の置かれた幕舎へと歩を進めた。旅人から呼び出しを受けているのだ。
日除けの幕をめくって入室すると、旅人が胡床に腰をかけており、奥には貴志麻呂も控えていた。旅人はこの戦の間にげっそりと頬がこけ、まるで病を得た人のようだ。だがヤマトからのものと思しき書状を手に、炯々と眼だけを光らせている。
「右大臣様が身罷られた」
カザトを見やるなり、絞り出すような声でただそれだけを伝えた。
右大臣・藤原朝臣(あそみ)不比等―。
古代豪族の蘇我氏を衰退に追い込み、先王権の樹立に功のあった藤原鎌足の二男で、藤原氏繁栄の礎を築いた大公卿だ。
ヤマトの政の全てを掌握し、その影響力はミカドをも凌ぐと噂されてきた実質上の最高権力者と言ってもいいだろう。
「弔いのため、捕虜を引き連れて帰京せよとの命が出ておる」
旅人は書状から目をはなすと、やるせないといった風に首を振った。
大隅での戦闘が長期化していることの要因の一端は、可能な限り隼人らと交渉をもとうと苦悩する旅人の方針にあるとして、その責任をヤマトは厳しく追及していた。
右大臣の死を口実に旅人をヤマトへ呼び戻し、副将軍二人に指揮権を譲渡させようという意図がありありと読み取れる。
「……老体の役目はこれまでのようだ。カザトは捕虜を護送してわしとともにヤマトに帰れ。無念だがこれ以上の交渉は不可能だろう」
驚くカザトに貴志麻呂が深く頷いてみせる。
確かに旅人が指揮から外れれば、副将軍たちが残る二城に総攻撃をかけて、戦を終わらせようとするのは明らかだ。カザトの役目もまた、これまでに違いない。
悄然と退出するカザトの横に、いつの間にか貴志麻呂が並んでいた。彼もまた着陣以来、人が変わったように口数が少なくなり、笑顔を見せることなども絶えて久しい。彼はこのまま大隅に留まり、副将軍の補佐につくのだ。
「辛い役目をさせちまったな」
一緒に歩きながら、苦しげに貴志麻呂が呟く。
「なあカザト、人なんて打ちどころが悪ければ殴っただけでも死んでしまうんだ。なのになぜ、こんなに大勢が鉾やら弓矢やらで血を流さなきゃならないんだ。どうしても争いが収まらないのなら、一番偉い奴同士が殴り合って決めたらいいんだ」
拳を震わせて一息にそう言った貴志麻呂は、カザトに向き合うとその両肩をしっかりと掴んで眼を見据えた。
「カザトはこれからの世に絶対必要な人間だ。ヤマトと隼人の架け橋になれる者がいなけりゃ駄目なんだ。だから、必ず生き延びてその時を見届けてほしい。それと……」
と、一瞬の躊躇いを見せながらも意を決したように、
「姉上のことを頼む」
と頭を下げた。
必ず守る、と約束した貴志麻呂の姉の顔が脳裏に蘇る。
出陣の決まったカザトと貴志麻呂を彼女は顔色ひとつ変えず、決然と見送ったのだった。そんな彼女の強さを思う時、カザトは胸が掻き毟られるような思いに苛まれていたのだ。
貴志麻呂の姉が好意以上の思いを自分に抱いてくれていることは、カザトもよく分かっている。そして自身もまた、彼女にどうしようもなく心惹かれていることも事実だ。
しかし出仕の隼人と官人の令嬢とでは、それ以上どうなるものでもないのだ。それを承知で貴志麻呂はたった一人の肉親である姉を頼む、とカザトに頭を下げたのだ。
そんな心や、この大隅の惨状や、愛しい人たちのことが綯い交ぜになって、カザトはただただ切ない思いに苛まれていた。
圧倒的な物量をもって、面的な制圧を目論むヤマトの戦術は読み切られており、大隅の隼人らは当初から七箇所の山城に分散して立て籠もった。
いわゆる籠城戦の展開だ。正面からぶつかり合えば数に劣る大隅に勝ち目はない。そこで散発的に少数精鋭が城をうって出て、地の利を活かした局地戦を仕掛けることで、じわじわとヤマトの兵力を殺いでいったのだ。
大宰府を発し、九州島の東西から二手に分かれて進軍したヤマトの将兵たちだったが、彼らは大隅隼人の精強さに戦慄していた。
どこからともなく現れ、射かけては退き、退いてはまた射かける神出鬼没の戦いぶりに、肉体ばかりか精神までをも消耗させていく者が後を絶たない。
折しも季節は炎熱を帯びる頃に突入していた。ヤマトのそれとは比べものにならない、凶猛なまでの陽射しが容赦なく兵達を焼き責めた。
行軍の際には深く濃い、南国の緑も恐ろしい障壁となって立ち塞がっていた。伐り払って道を通すことも覚束ず、そのまま杜に呑み込まれてしまうかのような畏怖を感じさせる。
さらに夏が近付くにつれ、夥しい数の蚊が発生していた。ヤマトで見るものよりはるかに巨大なそれらは、恐怖を起こさせるほどの貪欲さで人や馬にはだかり、発狂寸前に陥る者まで出るほどの脅威となっていた。
全軍の指揮を執る旅人は、兵営のさなかにあってなお、毅然とした振る舞いを崩さずにいた。しかし、さすがに異郷での長期間にわたる戦闘状態は老体に堪えているようだ。
大隅の隼人らが拠点とする七箇所の山城のうち、六月半ばにはすでに五箇所が陥落していた。だが、残る二箇所は難攻不落の堅城で、数に勝るヤマトの兵も長らく攻めあぐねている。
一つは攻め登ることが困難な「曽於乃石城(そおのいわき)」、もう一つは女の領袖が率いているとされる「比売之城(ひめのき)」で、城内には水源と耕作地まで備わっているという噂だ。
つまり、自給をしながら戦闘を継続できることを意味している。
カザトは着陣よりこの方、必死になって大隅隼人らに戦をやめるよう呼びかけてきた。しかしながら、もとより不退転の覚悟で最終決戦を挑んだ構えの彼らが、ヤマトの軍勢に侍る阿多隼人の言葉に耳を傾けるはずなどなかったのだ。
カザトは言いようのない無力感と哀しみに苛まれるばかりだった。
大隅に足を踏み入れてまず眼に付いたのは、開墾しかけたまま放置され、荒れ果てた水田の跡だった。火山灰が降り積もってできた大隅の大地は水を留める力に乏しく、コメを育てるなどもってのほかだったのだ。
だが、ヤマトの意思は強硬に稲作を大隅に強いてきた。結果として苦しい労働を強制されるだけで実りなどは何もない。それどころか飢えて命を落とす者が後を絶たない有様になった。
これまで何千年もコメなど無くても、この大地に人々の営みがあったのだ。その平穏を奪われた大隅の隼人らが、武器をとってでも抵抗するのは当然のことだったのではないか―。
日が経つにつれ、カザトの不穏な予感は確信へと変わっていった。おそらく大隅隼人らは誰一人として、生きてこの戦を勝ち抜こうなどとは考えていまい。
身命を賭して、ヤマトの圧政に一矢報いることだけを思い定めた、死兵の群れと化しているのだ。
この戦は、大隅隼人が死に絶えるまで続くのではないか―。
ふいによぎったそんな考えに、背筋が凍るような惧れを感じる。
陣中を歩きながらカザトは兵たちの様子に眼を配っていた。
激しい暑さからくる脱水症状や、甲冑の紐が皮膚に食い込んで爛れる痛みなどから、日陰で茫然と座り込んでいる者も多い。
何よりも、予想をはるかに超える大隅隼人との激戦に気力も体力もぼろ布のように磨り減っているのだ。体裁上、一万人の兵を動員するという軍編成ではあったが、実際にはとてもその員数には達していないのではないかとカザトは感じていた。
兵を起こすということは、ただ単に人を集めれば事足りるわけではない。彼らが身に付ける防具に武器、口にする食糧や飲み水、そして寝起きするための場所の確保など、人ひとりに必要な項目だけでもかなりの負担だ。
それを単純に一万人分、しかも、もう間もなく半年に及ぼうとする長期間にわたって供給し続けるほどの貯えが本当にヤマトにあるのか―。
もちろん、戦線の規模に合わせて兵員を調整しているため、大隅隼人の拠点があと二つの山城のみとなった今では、当初のような大軍ではなくなっている。
それでも働き盛りの男たちが兵役に駆り出されれば、その分普段の田作りへの人手が手薄となり、民にとっても等しく負担となっているはずだ。こんなことがいつまで続くのだろうか。焦点の合わない眼をした兵たちを横目に、カザトは暗澹たる思いに駆られながらも本陣の置かれた幕舎へと歩を進めた。旅人から呼び出しを受けているのだ。
日除けの幕をめくって入室すると、旅人が胡床に腰をかけており、奥には貴志麻呂も控えていた。旅人はこの戦の間にげっそりと頬がこけ、まるで病を得た人のようだ。だがヤマトからのものと思しき書状を手に、炯々と眼だけを光らせている。
「右大臣様が身罷られた」
カザトを見やるなり、絞り出すような声でただそれだけを伝えた。
右大臣・藤原朝臣(あそみ)不比等―。
古代豪族の蘇我氏を衰退に追い込み、先王権の樹立に功のあった藤原鎌足の二男で、藤原氏繁栄の礎を築いた大公卿だ。
ヤマトの政の全てを掌握し、その影響力はミカドをも凌ぐと噂されてきた実質上の最高権力者と言ってもいいだろう。
「弔いのため、捕虜を引き連れて帰京せよとの命が出ておる」
旅人は書状から目をはなすと、やるせないといった風に首を振った。
大隅での戦闘が長期化していることの要因の一端は、可能な限り隼人らと交渉をもとうと苦悩する旅人の方針にあるとして、その責任をヤマトは厳しく追及していた。
右大臣の死を口実に旅人をヤマトへ呼び戻し、副将軍二人に指揮権を譲渡させようという意図がありありと読み取れる。
「……老体の役目はこれまでのようだ。カザトは捕虜を護送してわしとともにヤマトに帰れ。無念だがこれ以上の交渉は不可能だろう」
驚くカザトに貴志麻呂が深く頷いてみせる。
確かに旅人が指揮から外れれば、副将軍たちが残る二城に総攻撃をかけて、戦を終わらせようとするのは明らかだ。カザトの役目もまた、これまでに違いない。
悄然と退出するカザトの横に、いつの間にか貴志麻呂が並んでいた。彼もまた着陣以来、人が変わったように口数が少なくなり、笑顔を見せることなども絶えて久しい。彼はこのまま大隅に留まり、副将軍の補佐につくのだ。
「辛い役目をさせちまったな」
一緒に歩きながら、苦しげに貴志麻呂が呟く。
「なあカザト、人なんて打ちどころが悪ければ殴っただけでも死んでしまうんだ。なのになぜ、こんなに大勢が鉾やら弓矢やらで血を流さなきゃならないんだ。どうしても争いが収まらないのなら、一番偉い奴同士が殴り合って決めたらいいんだ」
拳を震わせて一息にそう言った貴志麻呂は、カザトに向き合うとその両肩をしっかりと掴んで眼を見据えた。
「カザトはこれからの世に絶対必要な人間だ。ヤマトと隼人の架け橋になれる者がいなけりゃ駄目なんだ。だから、必ず生き延びてその時を見届けてほしい。それと……」
と、一瞬の躊躇いを見せながらも意を決したように、
「姉上のことを頼む」
と頭を下げた。
必ず守る、と約束した貴志麻呂の姉の顔が脳裏に蘇る。
出陣の決まったカザトと貴志麻呂を彼女は顔色ひとつ変えず、決然と見送ったのだった。そんな彼女の強さを思う時、カザトは胸が掻き毟られるような思いに苛まれていたのだ。
貴志麻呂の姉が好意以上の思いを自分に抱いてくれていることは、カザトもよく分かっている。そして自身もまた、彼女にどうしようもなく心惹かれていることも事実だ。
しかし出仕の隼人と官人の令嬢とでは、それ以上どうなるものでもないのだ。それを承知で貴志麻呂はたった一人の肉親である姉を頼む、とカザトに頭を下げたのだ。
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