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第11章 岩橋千塚と常世の仙果。龍追う人と幻の南葵楽譜
蛇に変じる
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1つめは友ヶ島に眠る大蛇のことだ。
加太の沖、淡路島との間にあるこの島は大戦中の煉瓦造りの施設がファンタジー映画を思わせることから、近年とみに有名になっている。
が、実は葛城修験の行の出発点である第一経塚があり、かつて役行者が凶暴な大蛇を封印したという池があるのだ。
小角はこの大蛇を封じるとき、「夜に笛を吹いたときだけ解放する」と約した。
以来、この辺りでは笛を吹くことが忌避され、夜に口笛を吹くことをタブーとする習俗のもとになったともいう。
裏三社の楽団は結界内で楽の音を捧げ、大蛇の封を限定的に解いてはまた鎮めることを繰り返してきたのだそうだ。
2つめは、人間の情念があやかしへと変じた哀しくもおそろしい話だった。
この地には「安珍・清姫」として知られる伝説があり、能楽の「鐘巻」「道成寺」といった曲の元となっている。
あらすじはこうだ。
昔、熊野参詣への旅の途次で老僧と若僧・安珍が一夜の宿を乞うた。
その家の娘・清姫は安珍に一目惚れし、思いの丈をぶつけるが参詣の身であることを理由に拒絶されてしまう。
清姫の激しい思いを持て余した安珍は参詣が終われば必ずここに戻ると偽り、帰途にはそこを素通りしてしまう。
騙されたことを知った清姫は怒り、蛇身に変じて安珍を追う。そして安珍が隠れた道成寺の鐘に巻き付き、鐘もろともに焼き殺してしまったという。
物語は、後に法華経の功徳で二人が無事に転生する流れとなっているが異説も多く、実はこれより古い伝承がもう一つ存在する。
それは『日高川草紙』にある「賢学・花姫」の物語だ。
賢学という青年僧が、ある時夢のお告げで将来結ばれる娘の存在を知る。
しかしこれを仏道修行の妨げと考えた賢学は実際にその娘に会いに行き、あろうことか幼い彼女の胸を刺して逃走してしまう。
時は流れ、賢学は京都・清水寺で出会った美しい娘に恋をし、二人は結ばれる。
が、娘は誰あろう、かつて賢学が刺した花姫その人だったのだ。
修行のため姫を捨てて熊野へと向かう賢学。
しかし花姫は彼を追い、そのうちに蛇へと化身してしまう。
鐘に隠れた賢学を引きずり出し、蛇となった姫はもろともに日高川の水底へと消えていったという――。
「……あんまりなお話ですね」
賢学と花姫のあまりに惨い伝説に思わずそう言ってしまったわたしに、
「私かてそう思うわ」
とユラさんが頷く。
「あやかしにはいろんな種類がいてるけど、友ヶ島の大蛇は太古からの神霊に近いもの。そして花姫みたいに、人間の情念が凝ってしまったものもあるんよ」
蛇に変じるくらいの想いなんて、哀しすぎるでなあ――。
ぽそりとユラさんが呟いた直後、会場で再び拍手がわき起こった。
ステージに琉璃さんのカルテットが登場し、いよいよあやかし封じのための曲を奏でるようだ。
「あのカルテットでは"笛"のオーボエが大蛇の封を解除、バイオリン・ビオラ・チェロの形をした楽器であやかしの荒魂を鎮めるんよ」
ユラさんが耳元でそう説明してくれたけど、ん?と引っ掛かる言葉があった。
「"の形"って?見た通りじゃないんですか?」
「そう。あれらは正確には"龍弦"っていう楽器なん。頼貞公がヨーロッパ留学時代に現地の魔術士たちとともに開発した、龍封じの霊器。西洋でも龍蛇は強力なあやかしとして、たくさんの伝説が残ってるんよ」
なるほど。それこそが裏三社神人たちの結界法、音楽によるあやかし封じの仕組みなのか。
琉璃さんたちが奏でだした曲は、今まで聞いたことのないものだった。
切なく長く響く主題が繰り返され、なんとも哀しい情感を起こさせるメロディだ。
ああ、そうか。
これは、鎮魂曲に近いものなんだ。
ヒトの営みの安寧のため封じられたあやかし。
また、心身の傷の痛みからヒトならざるものへと化生してしまった、元はヒトであったあやかし。
こうした存在に対する哀悼の意が、この曲に込められていることを感じる。
それはよく耳慣れた"供養"という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
「――来やった…!」
ユラさんの呟きに視線を振り向けると、会場周囲に立った黒い膜の向こう側に、巨大な2つの影が近づいてきていた。
いつものようにわたしの鞄の中にいた猫のコロちゃんとカワウソのマロくんが、ぴょんっと飛び出してきて肩の上に乗った。
「友ヶ島蛇ヶ池のオロチさん。そして、蛇身の花姫さん――」
ユラさんの指し示すそこには、大蛇というよりはもはや龍と見える巨体が鎌首をもたげていた。
「この龍蛇さんたちは、裏雑賀の銃士隊が張った結界の"間"の中を進んできてるんよ。せやからルート上の市街地に影響はあらへん」
心配していたことを見透かしたように、ユラさんが説明してくれる。
岩橋千塚古墳群が守っている非時香菓を求める2体の龍蛇を一度引き寄せ、その上で音楽によって鎮魂するのがこの祭式の要諦なのだという。
哀愁を帯びた旋律が一際長く響き渡り、カルテットの演奏が終わった。
再び大きな拍手がわき起こり、琉璃さんたちは優雅にお辞儀をしてステージを去っていった。
が、次の瞬間、外から2体の龍蛇が結界めがけて激しくその身を打ち当てた。
会場全体がズンッと揺れ、間を示す黒い膜が圧迫されたように歪んだ。
「様子がおかしい!行ってみるわ!」
席を蹴って立ち上がったユラさんに付いて、私もコロちゃんマロくんを肩に乗せたまま一緒にステージ袖へと走った。
楽屋に飛び込むと、疲労困憊した様子の楽団員たちと琉璃さんが憔悴した顔で楽器の手入れを行っている。
「琉璃、これはどないなん……?」
「ユラ…。どうもこうもない。龍蛇さんらの鎮魂がでけへんのや……。紀伊の結界が弱まってるんと関係してるかもしれへんけど、私らの演奏が効けへんだ。せやけどみんなさっきの曲でごっそり霊力もってかれて、次は無理や。私が、なんとかするさかい」
そう言って立った琉璃さんだったけれど、血の気を失った顔でくらりと上体を傾けた。
ユラさんが咄嗟に抱き止め、琉璃さんを真っ直ぐ見つめて驚くようなことを口にした。
「わかった。こんな時のためのゼロ神宮や。あとは、私が弾く」
加太の沖、淡路島との間にあるこの島は大戦中の煉瓦造りの施設がファンタジー映画を思わせることから、近年とみに有名になっている。
が、実は葛城修験の行の出発点である第一経塚があり、かつて役行者が凶暴な大蛇を封印したという池があるのだ。
小角はこの大蛇を封じるとき、「夜に笛を吹いたときだけ解放する」と約した。
以来、この辺りでは笛を吹くことが忌避され、夜に口笛を吹くことをタブーとする習俗のもとになったともいう。
裏三社の楽団は結界内で楽の音を捧げ、大蛇の封を限定的に解いてはまた鎮めることを繰り返してきたのだそうだ。
2つめは、人間の情念があやかしへと変じた哀しくもおそろしい話だった。
この地には「安珍・清姫」として知られる伝説があり、能楽の「鐘巻」「道成寺」といった曲の元となっている。
あらすじはこうだ。
昔、熊野参詣への旅の途次で老僧と若僧・安珍が一夜の宿を乞うた。
その家の娘・清姫は安珍に一目惚れし、思いの丈をぶつけるが参詣の身であることを理由に拒絶されてしまう。
清姫の激しい思いを持て余した安珍は参詣が終われば必ずここに戻ると偽り、帰途にはそこを素通りしてしまう。
騙されたことを知った清姫は怒り、蛇身に変じて安珍を追う。そして安珍が隠れた道成寺の鐘に巻き付き、鐘もろともに焼き殺してしまったという。
物語は、後に法華経の功徳で二人が無事に転生する流れとなっているが異説も多く、実はこれより古い伝承がもう一つ存在する。
それは『日高川草紙』にある「賢学・花姫」の物語だ。
賢学という青年僧が、ある時夢のお告げで将来結ばれる娘の存在を知る。
しかしこれを仏道修行の妨げと考えた賢学は実際にその娘に会いに行き、あろうことか幼い彼女の胸を刺して逃走してしまう。
時は流れ、賢学は京都・清水寺で出会った美しい娘に恋をし、二人は結ばれる。
が、娘は誰あろう、かつて賢学が刺した花姫その人だったのだ。
修行のため姫を捨てて熊野へと向かう賢学。
しかし花姫は彼を追い、そのうちに蛇へと化身してしまう。
鐘に隠れた賢学を引きずり出し、蛇となった姫はもろともに日高川の水底へと消えていったという――。
「……あんまりなお話ですね」
賢学と花姫のあまりに惨い伝説に思わずそう言ってしまったわたしに、
「私かてそう思うわ」
とユラさんが頷く。
「あやかしにはいろんな種類がいてるけど、友ヶ島の大蛇は太古からの神霊に近いもの。そして花姫みたいに、人間の情念が凝ってしまったものもあるんよ」
蛇に変じるくらいの想いなんて、哀しすぎるでなあ――。
ぽそりとユラさんが呟いた直後、会場で再び拍手がわき起こった。
ステージに琉璃さんのカルテットが登場し、いよいよあやかし封じのための曲を奏でるようだ。
「あのカルテットでは"笛"のオーボエが大蛇の封を解除、バイオリン・ビオラ・チェロの形をした楽器であやかしの荒魂を鎮めるんよ」
ユラさんが耳元でそう説明してくれたけど、ん?と引っ掛かる言葉があった。
「"の形"って?見た通りじゃないんですか?」
「そう。あれらは正確には"龍弦"っていう楽器なん。頼貞公がヨーロッパ留学時代に現地の魔術士たちとともに開発した、龍封じの霊器。西洋でも龍蛇は強力なあやかしとして、たくさんの伝説が残ってるんよ」
なるほど。それこそが裏三社神人たちの結界法、音楽によるあやかし封じの仕組みなのか。
琉璃さんたちが奏でだした曲は、今まで聞いたことのないものだった。
切なく長く響く主題が繰り返され、なんとも哀しい情感を起こさせるメロディだ。
ああ、そうか。
これは、鎮魂曲に近いものなんだ。
ヒトの営みの安寧のため封じられたあやかし。
また、心身の傷の痛みからヒトならざるものへと化生してしまった、元はヒトであったあやかし。
こうした存在に対する哀悼の意が、この曲に込められていることを感じる。
それはよく耳慣れた"供養"という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
「――来やった…!」
ユラさんの呟きに視線を振り向けると、会場周囲に立った黒い膜の向こう側に、巨大な2つの影が近づいてきていた。
いつものようにわたしの鞄の中にいた猫のコロちゃんとカワウソのマロくんが、ぴょんっと飛び出してきて肩の上に乗った。
「友ヶ島蛇ヶ池のオロチさん。そして、蛇身の花姫さん――」
ユラさんの指し示すそこには、大蛇というよりはもはや龍と見える巨体が鎌首をもたげていた。
「この龍蛇さんたちは、裏雑賀の銃士隊が張った結界の"間"の中を進んできてるんよ。せやからルート上の市街地に影響はあらへん」
心配していたことを見透かしたように、ユラさんが説明してくれる。
岩橋千塚古墳群が守っている非時香菓を求める2体の龍蛇を一度引き寄せ、その上で音楽によって鎮魂するのがこの祭式の要諦なのだという。
哀愁を帯びた旋律が一際長く響き渡り、カルテットの演奏が終わった。
再び大きな拍手がわき起こり、琉璃さんたちは優雅にお辞儀をしてステージを去っていった。
が、次の瞬間、外から2体の龍蛇が結界めがけて激しくその身を打ち当てた。
会場全体がズンッと揺れ、間を示す黒い膜が圧迫されたように歪んだ。
「様子がおかしい!行ってみるわ!」
席を蹴って立ち上がったユラさんに付いて、私もコロちゃんマロくんを肩に乗せたまま一緒にステージ袖へと走った。
楽屋に飛び込むと、疲労困憊した様子の楽団員たちと琉璃さんが憔悴した顔で楽器の手入れを行っている。
「琉璃、これはどないなん……?」
「ユラ…。どうもこうもない。龍蛇さんらの鎮魂がでけへんのや……。紀伊の結界が弱まってるんと関係してるかもしれへんけど、私らの演奏が効けへんだ。せやけどみんなさっきの曲でごっそり霊力もってかれて、次は無理や。私が、なんとかするさかい」
そう言って立った琉璃さんだったけれど、血の気を失った顔でくらりと上体を傾けた。
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