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第四章 航路、“M”の七卿
海へと繋ぐ嶺
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白霧立つ暁闇の境内に三つの人影が立った。
いずれも袖と裾に赤い線の入った紺色の詰襟とズボン、そして前後をすぼめて折り畳んだような韮山笠を小脇に抱えている。
届けるべき書状はこれから受け取るため手回りの荷だけを負い、三人のうちの若い男はほぼ空身に近い軽やかさだ。
他の二人、燻し銀の短髪に口髭が目を引く男と、小柄な娘は細長い袋を背に負っている。加えて娘の方は四尺あまりの白木の杖を携えていた。
本殿に向けて参拝を済ませ、銘々に足ごしらえを整えて間もなく出立しようとしているところだ。
「せっかくあんだけ稽古したっつうのに、杖も棒も持っちゃいけねえなんて」
草介が不満そうに口を尖らせる。
「そう言うな草介。今は迅速に港へ向かうのが先だ」
なだめるように隼人が諭し、由良乃も後を受けて補足する。
「これから往くのは山の行者道がほとんどです。慣れぬうちはなるべく身軽な方がよいでしょう。今の草介さんでは杖を持つとかえって動きを妨げます」
表情を変えずに淡々と言ってのける由良乃に、草介はへえ、と頷くしかない。
勿論彼女の言う通りなのだが、草介はこの自分より年下の女師匠にすっかり頭が上がらなくなっている。
「海まででっけえ川ぁ流れてんだろ。舟下りって洒落込むわけにゃいかなかったのかい」
「川舟では万一襲撃されれば防御が難しい。由良乃どのに付いて嶺を駆けるのが確実だ」
紀伊北部には河内や和泉との境でもある山々が東西に横たわっている。
この尾根道は海のすぐ近くまで続いており、古い修験者たちの修行の道としても知られていた。
“M機関”といった御留郵便統括からのモールス書状には、紀伊北西端の加太という港で協力者と合流して九州を目指すようにとの指令が記されていた。
「では参ります。少し急ぎで駆けます」
道をよく知る由良乃を先頭に、三人の御留郵便御用は足を踏み出した。
まずは紀伊から河内へと抜ける峠越えの道を目指し、そこから東西に走る山嶺の尾根道へと取り付いていく。
気が付くと結構な高さを走っているものとみえ、よく踏み締められた行者道の空気はきりりと冷たく、樹々の間を縫うように続いている。
人並外れて脚の強い草介ではあるが、五十がらみの隼人と小柄な少女である由良乃の健脚さには改めて舌を巻く思いだ。
速度が乱れないのはもちろん、急坂や木の根が絡まる足場の悪い道もすいすいと難なく上り下りしてしまう。
これはそもそもの鍛え方が違うのだと喘ぎながら、必死で二人の後を付いていく。
尾根道のそこかしこには、修験者の行場らしく塚や神仏が祀られているのが散見された。
対して信心もない草介だったが、そうした路傍の小祠や石造物に隼人は必ず片手念仏の形で短く祈るのだった。
共に旅するうちに見知った習慣だったが、草介は一度だけ隼人の信心深さを茶化したことがある。
だが、
「供養だ」
という短い答えに黙ってしまい、それ以来何も言っていない。
幕末の動乱を生き抜いてきた隼人にとって“供養”なる言葉は、自分が想像できるものを遥かに超えた重みを持つのだろうと草介は思う。
「少し休んで中食にしましょう」
どのくらい尾根道を駆けた頃か、由良乃が立ち止まり負っていた荷を解いて包みを取り出した。
「熊野からの行者さんに教わった料理で“目はり寿司”といいます」
それは握飯を高菜の葉の塩漬けでくるんだものだった。紀伊南部でよく食べられる郷土料理で、杣人が山仕事に携えていったものだという。青々とした葉の色どりも美しく、何より巻き締めた飯が崩れないため山弁当に最適なのだ。
「うめえや!お由良ちゃ…お師ちゃんが握ってくれたってぇんなら、ことさらうめえ」
道を避けて車座となり、さっそく一つ頬張った草介が感極まったように叫んだ。
大声で旨い旨いと連発する草介に呆れて隼人と顔を見合わせつつも、由良乃はついつい“お師ちゃん”という妙な呼び方を拒む機を逸してしまったのだった。
いずれも袖と裾に赤い線の入った紺色の詰襟とズボン、そして前後をすぼめて折り畳んだような韮山笠を小脇に抱えている。
届けるべき書状はこれから受け取るため手回りの荷だけを負い、三人のうちの若い男はほぼ空身に近い軽やかさだ。
他の二人、燻し銀の短髪に口髭が目を引く男と、小柄な娘は細長い袋を背に負っている。加えて娘の方は四尺あまりの白木の杖を携えていた。
本殿に向けて参拝を済ませ、銘々に足ごしらえを整えて間もなく出立しようとしているところだ。
「せっかくあんだけ稽古したっつうのに、杖も棒も持っちゃいけねえなんて」
草介が不満そうに口を尖らせる。
「そう言うな草介。今は迅速に港へ向かうのが先だ」
なだめるように隼人が諭し、由良乃も後を受けて補足する。
「これから往くのは山の行者道がほとんどです。慣れぬうちはなるべく身軽な方がよいでしょう。今の草介さんでは杖を持つとかえって動きを妨げます」
表情を変えずに淡々と言ってのける由良乃に、草介はへえ、と頷くしかない。
勿論彼女の言う通りなのだが、草介はこの自分より年下の女師匠にすっかり頭が上がらなくなっている。
「海まででっけえ川ぁ流れてんだろ。舟下りって洒落込むわけにゃいかなかったのかい」
「川舟では万一襲撃されれば防御が難しい。由良乃どのに付いて嶺を駆けるのが確実だ」
紀伊北部には河内や和泉との境でもある山々が東西に横たわっている。
この尾根道は海のすぐ近くまで続いており、古い修験者たちの修行の道としても知られていた。
“M機関”といった御留郵便統括からのモールス書状には、紀伊北西端の加太という港で協力者と合流して九州を目指すようにとの指令が記されていた。
「では参ります。少し急ぎで駆けます」
道をよく知る由良乃を先頭に、三人の御留郵便御用は足を踏み出した。
まずは紀伊から河内へと抜ける峠越えの道を目指し、そこから東西に走る山嶺の尾根道へと取り付いていく。
気が付くと結構な高さを走っているものとみえ、よく踏み締められた行者道の空気はきりりと冷たく、樹々の間を縫うように続いている。
人並外れて脚の強い草介ではあるが、五十がらみの隼人と小柄な少女である由良乃の健脚さには改めて舌を巻く思いだ。
速度が乱れないのはもちろん、急坂や木の根が絡まる足場の悪い道もすいすいと難なく上り下りしてしまう。
これはそもそもの鍛え方が違うのだと喘ぎながら、必死で二人の後を付いていく。
尾根道のそこかしこには、修験者の行場らしく塚や神仏が祀られているのが散見された。
対して信心もない草介だったが、そうした路傍の小祠や石造物に隼人は必ず片手念仏の形で短く祈るのだった。
共に旅するうちに見知った習慣だったが、草介は一度だけ隼人の信心深さを茶化したことがある。
だが、
「供養だ」
という短い答えに黙ってしまい、それ以来何も言っていない。
幕末の動乱を生き抜いてきた隼人にとって“供養”なる言葉は、自分が想像できるものを遥かに超えた重みを持つのだろうと草介は思う。
「少し休んで中食にしましょう」
どのくらい尾根道を駆けた頃か、由良乃が立ち止まり負っていた荷を解いて包みを取り出した。
「熊野からの行者さんに教わった料理で“目はり寿司”といいます」
それは握飯を高菜の葉の塩漬けでくるんだものだった。紀伊南部でよく食べられる郷土料理で、杣人が山仕事に携えていったものだという。青々とした葉の色どりも美しく、何より巻き締めた飯が崩れないため山弁当に最適なのだ。
「うめえや!お由良ちゃ…お師ちゃんが握ってくれたってぇんなら、ことさらうめえ」
道を避けて車座となり、さっそく一つ頬張った草介が感極まったように叫んだ。
大声で旨い旨いと連発する草介に呆れて隼人と顔を見合わせつつも、由良乃はついつい“お師ちゃん”という妙な呼び方を拒む機を逸してしまったのだった。
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