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第八章 ハヤヒトの国
連鎖蜂起、別れと新たな旅立ち
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“乱は必ず起こる”――。
下関、火ノ山の頂上で草介が聞いた東堂靫衛の予言は現実のものとなった。
明治9(1876)年10月24日に勃発した熊本神風連の乱に続いて、同27日福岡・秋月の乱、そして28日長州・萩の乱と次々に不平士族らが立ち上がったのだ。
萩の乱で担がれたのは、やはり元参議の前原一誠。
隼人たちが坂本龍馬の文を届けようとした人物だ。
その書状にどれだけの力があったものか既に確かめる術はないが、いずれにせよ今や不平士族の武力蜂起は留まるところを知らない。
三人のM卿が機関直属として隼人たちに託した手紙も、そうした動乱抑止の願いを込めて届けられるべきものだ。
宛先は薩摩の村田新八。
御留郵便を統括するM機関メンバーの一人ではあるが、下野した西郷隆盛と共に今は鹿児島に在る。
M機関のみならず、政府もこの潮流が全国の不平士族に飛び火することを懸念しており、その最大の火薬庫が薩摩であるのは明白だ。
列島最強とも評される精強無比の薩摩士族に、名実共に英雄と称される陸軍大将・西郷隆盛がいる。
万が一、薩摩の勢力が牙を剝くことにでもなれば――。
それはもう「乱」の一言では済まぬ事態といえるだろう。
一刻も早く出来得る手を打たねばならないが、薩摩への早急な潜入は既に困難となっていた。
福岡には乃木希典連隊長率いる小倉の熊本鎮台分営兵・歩兵第14連隊が、萩には三浦悟楼少将の広島鎮台山口屯営兵400と三好重臣少将の大阪鎮台歩兵一大隊および砲兵一個小隊が出動したが、それぞれ鎮圧には一週間から十日程を要している。
海軍による海上封鎖も厳しく、かねてより政府への反感が醸成されている薩摩への人員派遣には慎重を期するようになっていたのだ。
したがって、隼人ら御留郵便一行は神戸港の明光丸で別命あるまで待機となっている。
もう一つ、これまで旅を共にしてきた由良乃だったが紀伊本国からの帰還命令により、神戸で一旦別れることになったのだ。
隼人によると由良乃の生家である瀬乃神宮での任務も重要で、今度こそ戦場になる可能性の高い地域へ派遣することはできないという判断が働いたものであろうという。
草介にとってももちろん異存などあろうはずがない。いかに優れた武人といえど、うら若い由良乃が死地に送られることなど望むわけがない。
ただ彼女にしばらく……いや、もしかするともう会えなくなるかもしれないというのはやはり寂しい。
由良乃が別船で神戸を発つ日。
明光丸に割り当てられた草介の部屋に、訪いを告げるノックの音が響いた。
「草介さん、おられますか」
由良乃の声だ。
まさかの訪問に「ひゃいっ」と変な声で草介が出迎えると、荷づくりをして出立の準備を終えた由良乃が神妙な面持ちで立っていた。詰襟の制服ではなく、落ち着いた色合いの着物姿だ。
「入ってもよろしいですか」
「ひゃい」
草介が椅子をすすめ、浅く腰掛けた由良乃は改まった表情で切り出した。
「あの、草介さん。実は……ずっと言えずにいたことがありまして……」
「はい…!? はい……!」
「その……あの、ですね」
「はい……!」
「“お師ちゃん”という呼び名なのですが」
「はい……?」
「実は気持ち悪くて……」
「……はい」
「できれば他の呼び方を希望します」
「……はい」
「わたしは……半端者です」
ふうっと息をついて表情を緩めた由良乃は、草介の知るおそろしく強い剣士のそれではない。
「東堂靫衛と剣を交えて、また一連の乱のことを聞いて、自分の無力を思い知っています。この帰還命令も女のわたしを案じてのこと。でも草介さん、あなたは違う」
由良乃はそう言って、まとめた荷から細長い包みを引き出した。
それをそっと草介に向かって差し出す。
「わたしはあなたが眩しい。草介さんのような強さはわたしにはありません。片倉先生のことをお願いします。生きて、二人とも無事に戻ってきてください」
解かれた包みから現れたのは、由良乃が携えていた彼女の刀だった。
「紀伊を出る際、気負って長いものを持ってきました。わたしには長すぎますが、草介さんには丁度よいでしょう。どうかわたしの代わりに連れて行ってください」
そう言って刀を差しだす手を、草介はがっしりと両の掌で包んだ。
由良乃がびっくりして目を見開く。
「お師ちゃんは半端もんなんかじゃねえ! てえした女だよ! おいら、はーさんと必ず帰るから! 紀伊で待ってておくんな。おいらぁ、お師ちゃ…あっ」
「さっきお師ちゃんは気持ち悪いと」
「はい……」
「“お由良ちゃん”のほうがまし」
二人は笑い合って、そして別れの時にはもう一度笑顔で手を振り合った。
そしてほどなく、隼人と草介には意外なところから薩摩への出動要請が届いた。
電文で受け取った指令書。そこには「警視庁」、そして「大警視・川路利良」の名が記されていた。
下関、火ノ山の頂上で草介が聞いた東堂靫衛の予言は現実のものとなった。
明治9(1876)年10月24日に勃発した熊本神風連の乱に続いて、同27日福岡・秋月の乱、そして28日長州・萩の乱と次々に不平士族らが立ち上がったのだ。
萩の乱で担がれたのは、やはり元参議の前原一誠。
隼人たちが坂本龍馬の文を届けようとした人物だ。
その書状にどれだけの力があったものか既に確かめる術はないが、いずれにせよ今や不平士族の武力蜂起は留まるところを知らない。
三人のM卿が機関直属として隼人たちに託した手紙も、そうした動乱抑止の願いを込めて届けられるべきものだ。
宛先は薩摩の村田新八。
御留郵便を統括するM機関メンバーの一人ではあるが、下野した西郷隆盛と共に今は鹿児島に在る。
M機関のみならず、政府もこの潮流が全国の不平士族に飛び火することを懸念しており、その最大の火薬庫が薩摩であるのは明白だ。
列島最強とも評される精強無比の薩摩士族に、名実共に英雄と称される陸軍大将・西郷隆盛がいる。
万が一、薩摩の勢力が牙を剝くことにでもなれば――。
それはもう「乱」の一言では済まぬ事態といえるだろう。
一刻も早く出来得る手を打たねばならないが、薩摩への早急な潜入は既に困難となっていた。
福岡には乃木希典連隊長率いる小倉の熊本鎮台分営兵・歩兵第14連隊が、萩には三浦悟楼少将の広島鎮台山口屯営兵400と三好重臣少将の大阪鎮台歩兵一大隊および砲兵一個小隊が出動したが、それぞれ鎮圧には一週間から十日程を要している。
海軍による海上封鎖も厳しく、かねてより政府への反感が醸成されている薩摩への人員派遣には慎重を期するようになっていたのだ。
したがって、隼人ら御留郵便一行は神戸港の明光丸で別命あるまで待機となっている。
もう一つ、これまで旅を共にしてきた由良乃だったが紀伊本国からの帰還命令により、神戸で一旦別れることになったのだ。
隼人によると由良乃の生家である瀬乃神宮での任務も重要で、今度こそ戦場になる可能性の高い地域へ派遣することはできないという判断が働いたものであろうという。
草介にとってももちろん異存などあろうはずがない。いかに優れた武人といえど、うら若い由良乃が死地に送られることなど望むわけがない。
ただ彼女にしばらく……いや、もしかするともう会えなくなるかもしれないというのはやはり寂しい。
由良乃が別船で神戸を発つ日。
明光丸に割り当てられた草介の部屋に、訪いを告げるノックの音が響いた。
「草介さん、おられますか」
由良乃の声だ。
まさかの訪問に「ひゃいっ」と変な声で草介が出迎えると、荷づくりをして出立の準備を終えた由良乃が神妙な面持ちで立っていた。詰襟の制服ではなく、落ち着いた色合いの着物姿だ。
「入ってもよろしいですか」
「ひゃい」
草介が椅子をすすめ、浅く腰掛けた由良乃は改まった表情で切り出した。
「あの、草介さん。実は……ずっと言えずにいたことがありまして……」
「はい…!? はい……!」
「その……あの、ですね」
「はい……!」
「“お師ちゃん”という呼び名なのですが」
「はい……?」
「実は気持ち悪くて……」
「……はい」
「できれば他の呼び方を希望します」
「……はい」
「わたしは……半端者です」
ふうっと息をついて表情を緩めた由良乃は、草介の知るおそろしく強い剣士のそれではない。
「東堂靫衛と剣を交えて、また一連の乱のことを聞いて、自分の無力を思い知っています。この帰還命令も女のわたしを案じてのこと。でも草介さん、あなたは違う」
由良乃はそう言って、まとめた荷から細長い包みを引き出した。
それをそっと草介に向かって差し出す。
「わたしはあなたが眩しい。草介さんのような強さはわたしにはありません。片倉先生のことをお願いします。生きて、二人とも無事に戻ってきてください」
解かれた包みから現れたのは、由良乃が携えていた彼女の刀だった。
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「お師ちゃんは半端もんなんかじゃねえ! てえした女だよ! おいら、はーさんと必ず帰るから! 紀伊で待ってておくんな。おいらぁ、お師ちゃ…あっ」
「さっきお師ちゃんは気持ち悪いと」
「はい……」
「“お由良ちゃん”のほうがまし」
二人は笑い合って、そして別れの時にはもう一度笑顔で手を振り合った。
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