92 / 104
第十四章 北海の旧幕兵団
最果てのM卿
しおりを挟む
速い、速い、速い――。
とんでもない速さで原野をゆく小柄な老人に、草介はおろか隼人と由良乃でさえも追従するのがやっとだった。
御留郵便御用では俊足と謳われた隼人と由良乃に肩を並べるほど鍛え上げられた草介だったが、三人の先を行く老人の健脚はもはや神がかってすらいるようだ。
「……はっ、はぁっ……! ひいっ……! ば……化け物だぜ……!」
「なんて速さ……!」
「……むう…! まさに……“神足”……!」
明治14(1881)年6月。
隼人・草介・由良乃の三人は、北海道北見国の紋別に足を踏み入れていた。
今回の任務は配達ではない。集荷だ。
話はこの前年、隼人たちが郵便鉄道の実験車輛で東堂ら海軍特務の襲撃を受けた直後に遡る。
強奪された北海道資源地図は全巻ではなく、複数の測量者が作成したものがいくつか存在することが仄めかされていた。
東堂父子が提唱した北海道緩衝地帯化計画について、事態を重く見た政府は駅逓局及び軍部に残りの地図の確保を命じたのだ。
そのうち最重要とされる北海道全域の資源概略図が、紋別で秘密裏に保管されているのだという。
隼人・草介・由良乃はその確保のため派遣されることとなり、特務艦・明光丸にて一路小樽へと旅立った。
小樽・手宮から札幌までの約36㎞区間は、明治13(1880)年11月には既に鉄道が開通している。開拓使が運営する官営幌内鉄道だ。
隼人たち三人は、ある人物と接触するためこの路線で息つく間もなく札幌へと向かった。
目的の人物とは、御留郵便を統括するM機関の構成員であるM卿の一人だ。
切り拓かれたばかりの鉄道路線から見える北海道の景観は、三人にとって初めて見るものだった。
白樺やトドマツといった北方特有の原生林は凛とした厳しさで広がり、未知の植生は異質な印象として彼らの胸に迫る。
さしもの草介も、今回は鉄道にはしゃぐ気持ちになどなれず神妙な様子だ。
「なあ、はーさん。これから会う人が最後のM卿ってどういうこってぇ」
「文字通りだ。M機関は間もなく解散、御留郵便もほどなく御役御免になろう」
草介の質問に、片眉をぴくりと上げて答える隼人。
夏ではあるが北の大地では車窓に吹き込む風さえ冷涼に感じられる。
「やはり、これが最後の任務になるのでしょうか」
東京の郵便鉄道で合流してから行動を共にしている由良乃も、しんみりとした口調で呟く。
北海道資源地図なる機密文書受領という重大任務。精鋭として選ばれた三人だが、たしかに御留郵便自体はほどなくその役目を終えようとしている。
「正確なことは分かり申さぬ。しかし、此度の任が一つの区切りではござろうな」
札幌の駅は、“札幌停車場”と呼ばれるたった11坪の仮小屋だった。
本来、幌内鉄道は北海道中部の三笠から産出する石炭を小樽の港へ運ぶことに主眼が置かれており、札幌の駅も旅客のためのターミナルではない。
が、降り立った草介も由良乃も、思わずその街並みに目を見開いた。
広い。道が実に広い。
そしていずれの建物も悠々とした大きさだ。しかし豪雪に対するためか規模に比して平たく窓が小さいので、どことなく無機質な印象でもある。
隼人たちが指定された場所は、開拓使が建設した西洋式ホテル「豊平館」だ。
明治13(1880)年11月に本館が落成し、この当時は大通に面した一丁目あたりに建てられていた。
因みに豊平館はアメリカ式の木造洋風建築だが、内装には漆喰を駆使したりバルコニーの上に懸魚を配したりと、日本の伝統技術によって建設されている。
豊平館に至った隼人らがエントランスで名乗ると、ボーイは既に承知しておりすぐさまロビーへと通された。
瀟洒な室内には幾本もの蠟燭を灯したシャンデリアが下がっており、部屋全体がほんのりと暖かい。
夏とはいえ夕刻が迫る今頃は暖炉にも火を入れているようだ。
目当ての人物はすぐに分かった。ロビーのソファにちんまりと腰掛け、白いカップを口に運んでいる。
先頭に立って近付いた隼人は、カツンと踵を打ち合わせるとプロイセン式に挙手の敬礼をした。
「駅逓局・御留郵便御用、片倉隼人。以下、橘由良乃、草介。命により着任いたしました」
「おう、おいでたか。遠いとこえらかったやろに、おおきんな。わし松浦いいます。よろしう」
M卿・松浦武四郎――。
蝦夷地全域を探検し、“北海道”の名の原案を作ったその人だった。
とんでもない速さで原野をゆく小柄な老人に、草介はおろか隼人と由良乃でさえも追従するのがやっとだった。
御留郵便御用では俊足と謳われた隼人と由良乃に肩を並べるほど鍛え上げられた草介だったが、三人の先を行く老人の健脚はもはや神がかってすらいるようだ。
「……はっ、はぁっ……! ひいっ……! ば……化け物だぜ……!」
「なんて速さ……!」
「……むう…! まさに……“神足”……!」
明治14(1881)年6月。
隼人・草介・由良乃の三人は、北海道北見国の紋別に足を踏み入れていた。
今回の任務は配達ではない。集荷だ。
話はこの前年、隼人たちが郵便鉄道の実験車輛で東堂ら海軍特務の襲撃を受けた直後に遡る。
強奪された北海道資源地図は全巻ではなく、複数の測量者が作成したものがいくつか存在することが仄めかされていた。
東堂父子が提唱した北海道緩衝地帯化計画について、事態を重く見た政府は駅逓局及び軍部に残りの地図の確保を命じたのだ。
そのうち最重要とされる北海道全域の資源概略図が、紋別で秘密裏に保管されているのだという。
隼人・草介・由良乃はその確保のため派遣されることとなり、特務艦・明光丸にて一路小樽へと旅立った。
小樽・手宮から札幌までの約36㎞区間は、明治13(1880)年11月には既に鉄道が開通している。開拓使が運営する官営幌内鉄道だ。
隼人たち三人は、ある人物と接触するためこの路線で息つく間もなく札幌へと向かった。
目的の人物とは、御留郵便を統括するM機関の構成員であるM卿の一人だ。
切り拓かれたばかりの鉄道路線から見える北海道の景観は、三人にとって初めて見るものだった。
白樺やトドマツといった北方特有の原生林は凛とした厳しさで広がり、未知の植生は異質な印象として彼らの胸に迫る。
さしもの草介も、今回は鉄道にはしゃぐ気持ちになどなれず神妙な様子だ。
「なあ、はーさん。これから会う人が最後のM卿ってどういうこってぇ」
「文字通りだ。M機関は間もなく解散、御留郵便もほどなく御役御免になろう」
草介の質問に、片眉をぴくりと上げて答える隼人。
夏ではあるが北の大地では車窓に吹き込む風さえ冷涼に感じられる。
「やはり、これが最後の任務になるのでしょうか」
東京の郵便鉄道で合流してから行動を共にしている由良乃も、しんみりとした口調で呟く。
北海道資源地図なる機密文書受領という重大任務。精鋭として選ばれた三人だが、たしかに御留郵便自体はほどなくその役目を終えようとしている。
「正確なことは分かり申さぬ。しかし、此度の任が一つの区切りではござろうな」
札幌の駅は、“札幌停車場”と呼ばれるたった11坪の仮小屋だった。
本来、幌内鉄道は北海道中部の三笠から産出する石炭を小樽の港へ運ぶことに主眼が置かれており、札幌の駅も旅客のためのターミナルではない。
が、降り立った草介も由良乃も、思わずその街並みに目を見開いた。
広い。道が実に広い。
そしていずれの建物も悠々とした大きさだ。しかし豪雪に対するためか規模に比して平たく窓が小さいので、どことなく無機質な印象でもある。
隼人たちが指定された場所は、開拓使が建設した西洋式ホテル「豊平館」だ。
明治13(1880)年11月に本館が落成し、この当時は大通に面した一丁目あたりに建てられていた。
因みに豊平館はアメリカ式の木造洋風建築だが、内装には漆喰を駆使したりバルコニーの上に懸魚を配したりと、日本の伝統技術によって建設されている。
豊平館に至った隼人らがエントランスで名乗ると、ボーイは既に承知しておりすぐさまロビーへと通された。
瀟洒な室内には幾本もの蠟燭を灯したシャンデリアが下がっており、部屋全体がほんのりと暖かい。
夏とはいえ夕刻が迫る今頃は暖炉にも火を入れているようだ。
目当ての人物はすぐに分かった。ロビーのソファにちんまりと腰掛け、白いカップを口に運んでいる。
先頭に立って近付いた隼人は、カツンと踵を打ち合わせるとプロイセン式に挙手の敬礼をした。
「駅逓局・御留郵便御用、片倉隼人。以下、橘由良乃、草介。命により着任いたしました」
「おう、おいでたか。遠いとこえらかったやろに、おおきんな。わし松浦いいます。よろしう」
M卿・松浦武四郎――。
蝦夷地全域を探検し、“北海道”の名の原案を作ったその人だった。
1
あなたにおすすめの小説
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる