剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第十五章 最後の御留郵便

その道の先

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霞む視界。
意識が引き戻された草介の眼に、ぼんやりと二つの人影が映っていた。
黒々とした総髪髷の、若き侍が互いに太刀を突き立てる姿。

朦朧とした頭でも、草介の知らないその若者たちが幻であることを理解していた。
だが次の瞬間、突如明瞭になった視界に捉えたのは両膝をつく東堂靫衛と、船べりからゆっくりと落下していく隼人の姿だった。

「はーさんっっっ!!」

駆け寄ろうとした草介だったが足腰に力が入らない。まろぶようにして伸ばした手は、隼人には届かなかった。
必死で這い寄り、舷側から身を乗り出す草介。
しかしそこには明光丸に密着した摩尼のデッキがあり、隼人はその上に倒れていた。

「待ってろはーさん……! いま、き上げて……やっから……!」

ずるずると足を引き摺りながら、草介は気力を振り絞って船べりを乗り越えた。
摩尼のデッキは明光丸より五尺ほど低い位置だ。
普段ならなんでもない高さだが、草介はどさりとそこへ落ちた。痛みも何も、もはや感じない。

「おう……はーさん、よう……戻ろう、ぜ……」

目を閉じて動かない隼人を何とか肩に担ぎ、感覚のない脚を叱咤して再び明光丸に上がろうとする。
だが、大の男一人を抱えて五尺の高さを登る力など、草介にはもう残されていない。

「そうだ……縄…縄、ねえかな……」

そう思い至った草介がゆるゆると首を巡らそうとした時、背後でゴトッと音が立った。
振り返ると、デッキの端に、全身を濡らした任那少佐が這い上がっていた。
瞬時に血の気が引く草介。
少佐は手に、ピストルのようなものを握っている。

草介と一瞬目が合った少佐は口の端を吊り上げ、銃を構えた。
だがその銃口は真上へと向けられ、そこから一条の白煙が高々と打ち上げられた。

「信号弾……?」

はっとして草介が視線を戻すと、引き鉄を引いたまま少佐はそこに倒れ伏していた。
ともかく、今は、明光丸に戻らねば――。

と、見上げた草介の視線の先に、白髪の老剣士が佇立していた。

「っぐうっ……!」

今度こそ心臓が止まるかと思い、呻きが口から出た草介。
だが東堂は、端を大きな輪にしたロープを、隼人を背負った草介に投げて寄越した。

「草介くん、両脇の下に通すのだ。片倉も一緒に」

唖然としつつ、その言に従う草介。東堂はぴんとロープを張り、舷側のポールにそれを通して片側の端を腕に巻き付けた。

「離すな。一度しかないぞ」

そう言って東堂はロープを握ったまま、摩尼のデッキへと降下した。
瞬時に理解した草介は、その機に合わせて床を蹴った。釣瓶のようにロープで引っ張られた草介と隼人。
着地した東堂がさらにそれを引き、草介は隼人共々ようやく明光丸のデッキに上がることができた。

再び気が遠くなる。仰向けに倒れた草介の耳に、下から東堂の声が届いた。

「草介くん、よく聞いてくれ。先ほど征士郎が撃った信号弾で、これまで静観していた諸外国の特務艦が動くはずだ。私はそれを止めにゆく。それで私たちのすべては終わるだろう。だが、戦の火種はこれからも尽きぬぞ。君たちがその時どうするか――草葉の陰で拝見しよう」

草介は薄れてゆく意識の中、断片的に東堂の声を聴いた。

機関前進全速――。弾薬庫全開放――。総員退避――。

最後の力を振り絞り、草介は船べりに身を起こした。
はるか水平線上、東堂の甲鉄艦が白い航跡を引いて特務艦の群れに向かっている。
やがてそれらの粒は一つに重なり合い、数瞬ののち巨大な火柱が立った。
爆風が遅れて明光丸まで吹き渡り、草介の頬を温かくなぶってゆく。

再びどさりと倒れた草介は傍らの隼人に目をやり、少し微笑んでゆっくりと目を閉じた。

あぁ……ねみぃや……。おいらぁ、ちょいと昼寝するぜ……。
なぁ、はーさんよう……。
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