SAND PLANET

るなかふぇ

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第四章 地下世界

4 傷痕

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「なあ。どこまで行くんだ」
 ヴォルフがフランにそう訊ねたのは、歩き出してから三十分ほど経ってからのことだった。
「ん。あとちょっと。すぐそこだから」
 フランはそれだけ言って、またどんどん歩き続ける。

 相変わらずの、のどかで豊かな森の道である。だが、次第に勾配こうばいがきつくなり、今では本格的な坂道になっていた。最初は草地だったのだが、次第に足もとから緑が消えていき、今ではまばらに雑草が生えるだけの土と岩の多い地面に変わっている。
 やがて周囲の木々の数も減り始め、それに伴って空気に微妙に変わった香りが含まれだした。ヴォルフは鼻をひくつかせた。

(このにおいは……)

 その理由は、すぐに分かった。
 ぽかりといきなり眼前が開けたところに、それは湯気を立てて存在していた。
 それを背景に立ち止まって、フランがくるりとこちらを向いた。少し両手を広げて見せ、翡翠の瞳が嬉しげに微笑んでいる。

「ここに連れて来たかったんだ。君を」
「俺を……?」
「うん」

 大きな岩に囲まれて湯気を立てる、その泉。
 温泉だった。
 ヴォルフは目をみはって、しばらく呆然とそこに立ち尽くした。

(すげえな。この目で見たのは初めてだぜ)

 もちろん、知識としては知っている。火山活動の活発な地域には、地熱で温められた水が集まっている場所が生まれることがある。温度も含まれる物質もさまざまだが、中には人や動物の健康を促進する作用のあるものもあると聞く。
 湯気をたてる水面を凝視したまま動かなくなったヴォルフを見て、フランがにこにこ笑って言った。

「あの泉だけじゃなくてね。僕ら、ここも時々使ってるんだ。ここは体を洗うだけじゃなくって、傷や病気なんかを治療する効果もあるしね。もちろん、あんまりひどい傷だと無理なんだけど」

 そんなことを言いながら、彼はヴォルフの目の前でもう、着ていたものをぽいぽいと脱ぎ捨て始めている。何の屈託もない様子だ。

(おいおい──)

 ヴォルフは思わずしかめっ面になって目をそらした。
 もともと感じていたことだが、彼にはあまり羞恥心というものがない。
 服を着るのは飽くまでも皮膚を守るだとか体温を保つためであって、別に他人に裸を見られることが恥ずかしいからではないらしい。それが証拠に、局部も一切隠さない。
 実用第一主義というのか、何と言うのか。

「ね……早く。来て、ヴォルフ。気持ちいいよ」
 見る間に素っ裸になったフランは、湯舟に腰のあたりまで浸かり、こちらを向いて手をのばした。
「そんなに熱くないはずだけど、最初はゆっくりね。足もと、滑りやすいから気をつけて」
 その顔にはなんの底意もない。まるで幼い少年か何かのようだ。それでいて、実際は自分より優に百二十歳も年上だというのだから。
 考え出すと、めまいがしてくる。よくよく考えれば、彼は自分よりもはるかにの生き物なのだ。

(……ま、いいか)

 ヴォルフはしかし、早々にそんな逡巡を放棄した。
 どうせ、そのためにここへ来たのだ。
 彼の祈りにも似た望みを果たしてやるために。

 昨日、彼はこう言った。
 たったひとつだけ、ヴォルフにお願いがあるのだと。
 「もしも君が、イヤじゃなかったらでいいんだけど」と、一応は前置きをして。

──『僕を、抱いて欲しいんだ』と。

 こんな「人造人間」と直接肌を合わせるのがもしもイヤなら、単に遺伝物質を──要するに、平たく言えば精液を──少し分けてもらうだけでもいい。それで自分は、彼と自分との遺伝子を持つ子供たちを生み出すことができるから、と。
 その時の彼の表情を、どう形容したらよかっただろう。いまだにヴォルフにはよく分からない。
 静かに微笑んでいたけれども、あの時の彼はひどく複雑な表情をしていた。
 単に寂しいとか、悲しいとかいうようなものでもなく。
 何かを押し殺しているような、また諦めてもいるような。あるいは、小さな子供が泣き出す寸前に、必死にそれを我慢しているような。
 なんだか、そんな顔だった。

 あの彼の顔を思い出すと、ヴォルフはあの時と同じように、つい胸を掴まれたような気分になる。たまらなく、やりきれなくなる。
 だから昨夜そうしたように「そんなの、お安い御用だぜ」と答えてやりたい気持ちになるのだ。
 ……そう、何度でも。

 ヴォルフは自分もまた無造作に、着ていた物を脱ぎ捨てた。温泉の中からこちらを見上げて、フランが何となくまぶしそうな顔をする。
 ざぶざぶと湯を蹴立てるようにして中に入ると、彼の言う通り、そんなに温度は高くなかった。

「……あは。やっぱり、すっごい体だね」
 フランが目を細めて近づいてくる。ついとその片手が上がって、ヴォルフの二の腕のあたりに触れた。
「傷があるね、ここ。どうしたの?」
「おお。ま、フィールドワーク中に色々とな」

 気をつけているつもりでも、あっちこっちの危険区域に入り込んで生物の観察や採取をする際に、どうしても小さな傷ができてしまう。時にはちょっとしたへまをやらかして、大きな傷を負ったこともある。高い治療費を払えば痕も残さずに治せるのだが、そこまでするのも面倒で、基本ほったらかしのままが多い。
 と、フランがヴォルフの背後に回った。

「やっぱり、背中もだ。あっちこっちにある。すごいね」
「そうかあ?」
「これなんか、大きな生き物の爪跡じゃない? 痛かったでしょ。どこで?」
「さあな。そんなもん、いちいち覚えちゃいらんねえし」

 首をねじってくはは、と笑ってやると、フランもつられてにこりと笑った。

「こういうの、『勲章』って言うんでしょ? 船の中のムービーで見たよ。男の子の憧れなんだよね?」
「ふはっ。そんなご大層なもんじゃねえよ。単にドジ踏んだ記録だろ。『バカな青二才の失敗アルバム』ってなもんさ。いばるようなもんじゃねえ」
「ううん。……かっこいいよ」

(え?)

 ドクンと心臓が跳ねる。
 後ろから、フランがぴたりと背中に体をくっつけたのだ。そのまま甘えるようにして、頭をヴォルフの肩にもたれさせている。指先が優しい動きで、傷のひとつひとつを撫でている。

「それぞれ、思い出があるんでしょ? ……素敵だよ、そういうの」
「バカ言うな。いてえ思い出なんて、要らねえっての」
「そう? 素敵だと思うけどなあ。ちゃんと『生きてる』って感じがして」
「え……?」

 ほんの小さな声でぽつりと「羨ましい」、と聞こえた気がして、ヴォルフはやや半身になって彼の方に顔を向けた。
 が、フランは相変わらずにこにこ笑っているだけだった。

「要らない? 本当に?」
「ん?」
「傷。……本当に、要らないんなら──」

 つ、と背骨のあたりに触れたのは彼の指先だろう。ぞくりと痺れるような快感が走り抜け、ヴォルフの足の間のものをまっすぐに刺激した。

「……治してあげようか?」
「え?」

 と、フランの手がヴォルフの左の二の腕に、滑るように添わされた。
 そこにある五イーチ(約十二センチ)ばかりの傷痕の上を、優しく撫でるように往復している。
 そこになんだか不思議な温かさを感じて、ヴォルフはフランの顔を見つめた。

(なに……?)

 綺麗な翡翠の色をしていたフランの瞳。
 それが今、紅玉ルビーの色に変わってきらきらときらめいていた。
 もっと驚いたことに、フランの手がすっと退しりぞいたあとにはもう、さっきまでそこにあったはずの醜い切り傷の痕が消えていた。
 
 ヴォルフは完全に呆気にとられて、自分の腕とフランの顔とをバカみたいに見比べた。


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