SAND PLANET

るなかふぇ

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第七章 兄

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『お願い。もうやめて。お願い、だから──』
 フランがすすり泣きながら懇願する。
『僕のことは、好きにしていいって言ってるんだ。だから、許して。この子とこの人のことは……許して』

 男は鬼の形相で三人を見下ろしているだけだ。
 禍々しい腕こそ、今は刃の形を失っている。けれども彼の全身から殺気が引く様子はまるでなかった。
 フランはそんな兄を見上げてしばらく黙っていた。

『……ね。この子、まだ名前がないんだよ』
『なに?』
 唐突な言葉に、さすがの兄もやや面食らった顔になった。
『どうしてだかわかる……? アジュール』
『はあ? バカかお前は』
 その声は、完全に「知ったことか」と言っている。

 いまやヴォルフとフランは二人でしゃがみこみ、赤子を守るように抱き合っている。そのヴォルフの腕の中で、フランはさも愛おしげに赤ん坊に頬ずりした。こんな場面であってさえ、赤子からは乳くさくて甘い香りがしていた。
 それは人に、「幸せ」とか「愛」だとか、「平和」を運んでくれる香りだ。
 やがてフランがぽつりと言った。

『君に……つけて欲しかったんだ。アジュール』
『なに……?』
『この子の名前。ずっと前に……約束したでしょ? 覚えてない?』
『…………』

 それは、不思議な感覚だった。
 これまで空気すら焦がすようだったこの男の殺気のレベルが、やや下がったようだったのだ。それでも男の目は赤く光ったままである。不気味なその目はまじまじと自分の弟とその赤子を見比べるようにしていた。

『この惑星ほしに初めて生まれてくる子は、本当なら僕ら二人の子のはずだった。君、言ってたよね?「最初に生まれてくる子には、きっといい名前をつけてやるんだ」って。あの時のきみ、とっても嬉しそうだった……。もう百何十万時間も前の話だけど、ね』

(そういうことか──)

 ヴォルフも、それで色々と納得した。
 フランは子供が生まれても、これまで決して特定の名で呼ぼうとはしなかった。ヴォルフが「名前はつけないのか」と訊ねても、曖昧に微笑んでかぶりをふるばかりだった。要するに、こういう意図があったわけだ。
 なんだかちりりと胸の奥に痛みを覚えて、ヴォルフはひそかに眉根を寄せた。
 フランは複雑な顔になったヴォルフをちらりと見て、申し訳なさそうに苦笑した。「ごめんね」とまた小さな声が聞こえる。ヴォルフが「気にすんな」との意味をこめて軽く首を横に振ると、彼はうなずき、改めて兄を見た。

『君にも……この子の親になって欲しかった。できたら、愛してほしかった──』
『勝手な、ことを──』
 男の言葉は途切れ途切れだ。なんとなく、まるで息の仕方を忘れてしまった人のように見えた。
『なにをっ……勝手なこと言ってるんだ、お前は! 頭がどうかしたんじゃないのか? 言っただろう。そんなゴミ虫みたいなやつの子供など、俺には必要ないとっ……! そんな、ズタズタにする以外にどんな用があるというんだっ……!』

 いまや男は、人の形にもどった片手で頭を抱えて叫んでいる。きりきりと奥歯が軋る音が聞こえる。
 少し蒼さを取り戻しかけていた瞳がちかちかと、また不穏な赤い色をともしはじめている。

『ふざけるな。どうせ、ろくなことになるものか! そいつら人間は、人間どもはなっ……! そんな……そんな甘い奴らじゃないんだッ!』
『そんなことない』

 青ざめた顔ながら、フランはきっぱりと言いきった。

『人は……人間は、そんなひどい人たちばかりじゃないんだよ? 僕も、今回のことでよーく分かった』
 その翡翠色をした瞳は、悲しげではあったものの、どこまでも透明で優しい光を湛えている。その目がまっすぐ、兄を見ていた。
『そりゃ、確かにひどい人たちもいた。それは間違いじゃない。でもヴォルフとか、ほかの女の人たちだとか……いい人たちだってたくさんいるんだ。それが分かっただけでも僕、今回こうして良かったって思ってる』
『…………』
『そりゃ、君に黙ってやっちゃったことは、悪かったって思ってるけど……。この子を授かって、本当に良かったって。それは本当に思ってるよ』

 男は沈黙したまま、ひどく奇妙な表情でそんな弟を見つめている。

『それにこの子……ヴォルフの子だもの。きっといい子に育ってくれる。君を失望させたりしないよ、きっと。君のことだってきっと、家族として愛してくれる……』
「フラン……!」

 ヴォルフは思わず、赤子ごと彼の体を抱きしめた。腕の中で赤ん坊が、「むぎゅう」と変な声をたてる。
 フランはくすっと笑って、「ちょっと待ってね」と言うと、瞳を赤い色に変貌させた。
 次の瞬間、しゅるしゅるっと彼の背中からあの翼が生え出てきた。それがフランの体にそって前へくるりと折りたたまれて行く。見る間にそれがフランの背からはなれ、赤子を包むように収束していった。やがて赤子をすっぽり包んだゆりかごのような形のものが目の前に出現していた。
 蓋にあたる部分の縁は鳥の羽の形であり、全体がやっぱり卵型になっている。

「……疲れたでしょ。ちょっと眠っていようね、坊や」

 羽の先の部分がゆるゆると閉じられていくにつれ、赤子は眠る寸前のようにまぶたをおろして小さなまばたきをくり返した。
 そうして最後の瞬間、赤子はさも眠たげにふわあと小さなあくびをした。

「おやすみ。……いい夢を」

 フランが優しくその額にキスをすると、それはすっかり完璧な「卵」の形になって、フランの腕の中におさまった。
 卵の表面は、ニワトリのものよりもはるかに堅牢なものに見える。恐らくこれなら、少々高い場所から落としても、またこの男の刃が襲い掛かっても、すぐには壊れないのだろう。フランはとにかく、なんとしてでもこの赤子を守ろうとしているのだ。
 と。
 
『……お前に何がわかる。お前らに──』

 背後から地を這うような声がした。

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