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終章

エピローグ

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「どうした。眠れないのか」

 耳もとで低い男の声がして、フランはふっと目を開けた。
 目を閉じて、敢えて静かな呼吸をするよう心掛けていたつもりだったのに。隣の男にはすべてお見通しだったようだ。
 大きな手が髪を撫で、背後からこめかみに唇が触れてくる。

「ううん。大丈夫。ちょっと夢を見てた」
「……昔の夢か」
「え?」

 意外な返しが来て、驚いて彼を見る。
 窓から差し込む衛星の反射光が、いかつく大きな男のシルエットをやわらかく浮かび上がらせている。盛り上がった肩の筋肉。太い腕。
 あの兄も決してひ弱な体躯ではなかったけれど、さすがにこの男ほどではなかった。この腕の中にいるだけで、どうしてこうまで心が凪いでいくのだろう。

「ちょっとうなされてるみたいだったぜ。少し起きるか」
「え?」
「何か飲もうぜ。気分が落ち着くだろ」

 言われてくすっとフランは笑った。
 見た目にそぐわず……なんて言ったら失礼だけれど、この男はひどく優しい。

「いいよ。ヴォルフだって疲れてるでしょ? また仕事も増やしちゃったし」
「そうでもないって。心配すんな」
「でも……」

 自分が小さな子供たちを次々生んで、このところヴォルフはどんどん仕事を増やしている。成人するのに三、四年ほどしかかからないとは言っても、食費だけでも相当な出費になるのだ。
 まあ、自分ひとりで子供が生めるわけではないし、ヴォルフ自身にも責任の一端はある。だから一方的に申し訳ないと思う必要はないのだろうと思うけれど。
 なにしろ自分は、十分な避妊をしなければほぼ百パーセントの確率で身ごもってしまう。それが証拠に、この二年ちょっとのことですでに三人も子供を儲けてしまっている。
 いや、正確には四人だけれど。第一子はいまあの惑星で、兄と共に生きている。
 実はあの宇宙艇の「胎」で軽く「設定変更」をすれば、妊娠のパーセンテージは下げることも可能である。宇宙艇内部のシステムを使えば、より有効な避妊方法も選択できる。
 しかし、ヴォルフ自身がそれを望まなかった。それに、一定の期間が過ぎたある日、宇宙艇は勝手にもとの惑星へと戻っていったらしいのだ。
 ヴォルフはとにかく「たくさん子供が欲しい」という。「お前と大家族を築きたい」と言ってくれる。

(……しあわせだ)

 じわじわと、心の底からそれを噛みしめる。
 こんなに満たされて胸の奥がぽかぽかするなんて、この数百年で味わったことのない感覚だった。
 それを「しあわせ」というのだと、自分はこの人から教わった。

 つい最近生まれた一番下の子はまだ幼児だ。
 それなのに、ヴォルフはもう「次の子が欲しい」と言いだしている。いくらなんでも気が早すぎる。普通の人間の女性だったら間違いなく、あり得ない頻度だろう。なまじ自分が丈夫な「人形ドール」で、無理な要求にも応えられてしまうのがいけないのだろうか。
 第二子であるセディはあと一年ほどで成人する。「そうなったら一生懸命働いて、家計を助けるからね!」というのが口癖だ。
 だがフランは、彼にもっとゆっくりと大人になって欲しかった。身につけるべき知識も習慣もまだまだ沢山ある。正直、学費はバカにならないが、フランとしては十分に彼のサポートをしてやりたいと思っていた。彼だけではない。生まれてくる子すべてにだ。

 こんな幸せ、あの兄には訪れているのだろうか。
 あの子と一緒に、見出してくれているだろうか……?

 そうであったらいい。
 そうであって欲しい。

「なに考えてる」
 ちゅ、と額にキスをされて目を上げる。
「……ん。なんでもないよ」

 ゆるく微笑んで彼の唇を自分から求め、太い首に腕を回す。丸太みたいな両腕が、しっかりと背中を抱きしめてくれる。
 次第に深くなっていくキスに目を閉じて、与えられる快感に身をゆだねる。
 もはや手の届かぬ人となった我が子と兄に向けて、ただただ祈ることしかできない。

 しあわせになって。
 どうか、君もしあわせに。

 フランの祈りは翼をはやし、無言の霧になって宇宙へとはばたいていく。





「……パパ。どうしたの」

 遠い遠い、宇宙の果て。
 砂嵐の吹きすさぶ大地の下で、フランによく似た声がそっと囁いている。

「眠れないの? どこか痛い?」
「いや。大丈夫だ」
「悪い夢でも見てた? なんだかうなされてたみたいだったよ」

 悪夢のなかでこだましていた弟の断末魔が、まだ耳の奥にこびりついている。
 と、思ったがそうではないことに気が付いた。

 遠くでふわああん、ふわああんと小さな赤子の声がする。

「あ。泣いてるね」

 ジュニアがそう言って隣から起き上がる。
 AIが基本的な健康管理はしてくれるので、離れた部屋で寝ていても問題はないのだ。このところ、ジュニアは十分な睡眠時間をとれていない。

「もうミルクの時間かなあ。やっと五時間ほど続けて寝てくれるようになったけど」
 ふわ、と欠伸をしながら目をこすっている。
「いい。俺が行く」

 そもそも、自分が生んだ子だ。
 基本的には自分が面倒を見るのが本当だろうと思うのに、ジュニアはそうは思わないらしい。

「ううん。僕がいくから。大丈夫」

 普通は生んだ方が「ママ」に当たるのではないのかと思うが、彼は完全に自分がそちらだと思っているようだった。
 まあ、自分たちに関して言えば、どちらも「パパ」でいいのかも知れないが。
 男は起き上がり、ちょっと足もとのふらついている青年の腰を横から抱いた。

「ん? パパ……?」
「一緒に行こう」
「でも……んん」

 まだ抗おうとする口を、強引に唇で塞いで黙らせる。
 そのまま暗い廊下を歩いた。

 赤子の泣き声が大きくなる。
 驚いたことに、生まれて来た子は女の子だった。
 なんとなく、勝手に男の子が生まれてくるものだと思っていたから、男は少なからず驚いた。
 ジュニアはいつか、彼女を「従兄弟たち」に会わせてやることを夢見ている。
 そしていつかは、彼女が選んだ好きな相手に添わせてやりたいとも。
 小さな命には、たくさんの未来への希望がつまっている。

 だが、男は知っている。
 フランを攫ったあの男も、このジュニアも。決して永遠の命の持ち主ではない。
 自分たちに比べれば、はるかに短い命をもつ人類の一人にすぎないことを。

 だが、もう何も怖くはないのだ。
 恐らくフランも、自分と同じことを考えている。
 
 いつか、彼らがどこかで土に還るとき。
 自分たちはそこで大きな樹となることだろう。
 そうやって、彼らを守りつづけるだろう。
 それは彼らの墓標となり、自分の命の限り、精いっぱい生きた証となる。

「あは。やっぱりオムツかな? あの泣き方は」

 腕の中で、愛する人がちょっと笑った。

 寂しい星に、砂の風。
 しかしその地下ではすでに、希望の光がきらきらと、
 明るい灯火ともしびとなってまたたいている。

 そうして寂しかった兄弟のかおを、温かく照らし続けるのだ。

              
                      了
 
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