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第一章 二人きりの惑星
2 距離
しおりを挟むそれは、ある日の夕食時のことだった。
「ちょっと聞いてくれ」と言われてカトラリーを持つ手を止めた少年は、男が淡々と言ったことをすぐには理解できなかった。
「えっ。パパ……?」
耳に入った男の言葉を何度も頭の中で反芻してから、少年はやっとのことで掠れた声を絞りだした。
「どうして? どうして大きくなったら、パパといっしょに寝ちゃいけないの……?」
そう言っているうちに、もう唇だけでなく、かたかたと体じゅうが震えだしている。喉のところがぎゅうっと締まって、余計に声が出なくなる。
「どうして、お風呂もいっしょじゃいけないの……?」
少年は、男と眠る夜が大好きだった。ドームを囲んでいるあの豊かな森に入れば、冷たくてきれいな水がいっぱいの泉やら、お湯の湧き出る素敵な温泉などがある。男に連れられてそこに行くのも、変化の少ないこの惑星の生活の中で、少年にとっての大きな楽しみのひとつだった。
だからその時はいつになく、必死になって食い下がった。もうスプーンなんてそこらに放り出して立ち上がり、男の服の裾にとりついて叫ぶ。
「やだ。ぼく、ぜったいにやだ。パパといっしょに寝る。いっしょにお風呂に入る。ひとりでなんて、ぜったいにやだ……!」
男はそれまで見たこともないようなしかめっ面になり、しばらく黙って少年を見下ろしていた。多分、困っていたのだと思う。
だから少年は、遂に訊いてしまったのだ。
「パパ……。ぼくのことがキライになったの?」と。
言っている途中から、もうぶわっと目の中からあの熱いものが湧きだして、男の顔は見えなくなった。少年は、何を言っているか分からなくならないようにと、飛び出しそうになる嗚咽を堪えるだけで精一杯だ。
ぐっと奥歯に力をこめると、かえって両目からはどうしようもなく、熱い雫がこぼれ落ちた。
「……バカなことを言うな」
男の声は、いつもと違ってひどく弱々しく聞こえた。
「もともと、そういうものなんだ。むしろ、お前が赤ん坊の頃から、きちんとそうしておくべきだった」
男の声にはその言葉通り、たくさんの後悔がにじんでいた。
「そんな──」
少年は拳をにぎりしめた。
ぐらぐらとお腹の底から、今まで感じたことのないものがせり上がってきた。
言ってはいけない。
ほんとうはこんなこと、言ってはいけない。わかっていた。
わかっていたけれど、少年はどうしてもその言葉が止められなかった。
だから、噛みしめた歯の間からそれを表に出してしまった。
「だったらぼく、大きくなんてならないよ」
「なに……?」
男は目を見開いた。
驚いた様子で、少年の表情を窺っている。
少年の心臓が、今にも口から飛び出てしまいそうなほどばくばくとうるさかった。
そして、一度堰を切ってしまった言葉は、あとは呆気ないぐらいにつるつると少年の口から流れ出てしまった。
「もうぜったい、大きくならない。ごはんを食べないと大きくなれないんでしょ? 前に、パパそう言ったよね。ぼくが『ソダチザカリ』だから、パパよりいろんなものを食べなきゃダメなんだって」
「いや、それは」
「だったら食べない! ぼく、もうごはんなんて食べないよ……!」
少年は、男の言葉など構わずに大声で叫んだ。
「だったらいいでしょ? パパといっしょにいてもいいでしょ……?」
「フラン──」
だから、と言って、少年はさらに男の服をぎゅっと握った。
「ぜったい、ぜったいに大きくなんかならないもん……!」
次の瞬間。
部屋に乾いた音が響き渡った。
男の手が、自分の頬を張った音だった。そう気づいた時には、少年はもう吹っ飛ばされ、どすんと床に尻もちをついていた。少し遅れて、張られた頬がじいんと痺れる。
「あ……」
思わずそこに手をやって、少年は体を硬直させた。何が起こったのか分からなかった。やがて、かたかたと全身が震え始める。
男は呆然としたように、自分の手と少年とを見比べていた。まるで自分の手が、自分の意思とは関係なく勝手なことをしてしまったと言わんばかりに。
「あ……、うあ……」
引きつった声帯が、歪み切った音を出した。
そこからはもう、とても我慢などできなかった。
「うわあああっ、ああああああ……!」
少年はただもうその場でへたりこんで、大声でわあわあ泣きわめいた。
まるで、小さな赤子に戻ってしまったかのように。止めようと思うのに、どうしても声が止められなかった。
男はしばらく困ったように、視線を床に落としていた。が、やがてついと立ち上がり、扉のあたりまで行って一度足を止めた。
背中をこちらに向けたまま、小さく「すまん」という声が聞こえた。
「そういう決まりなんだ。……わかったな。フラン」
結局、男はそれだけ言って、こちらを一度も見ないまま足早に出て行った。
少年はもう、ただ泣いた。
冷たい床にぺたりと座って、ただただひとりで泣き続けた。
バカ。
パパの大バカ、大きらい。
もちろん、事実はその反対だった。
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