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第一章 二人きりの惑星
3 発熱
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少年はそれからも、日に日に大きくなっていった。
あの日、子供じみた頑固さで「もう食事なんてしない」と言い放ちはしたものの、実際にそんなことができる道理がなかったのだ。もちろん、男が決して許さなかったというのが一番の理由だったが。
今では少年の背丈も、男の胸のあたりまで届いている。小さなころは立ったままで見下ろされるだけで少し威圧感を覚えたものだが、今ではそういうこともない。
自分が生まれて来てからそろそろ七百日になろうとしているのだということは、男から聞いて知っていた。
「一緒に風呂には入らない、ベッドでも寝ない」と宣言されてから、すでに三百日ほどが経過している。そうしてそれは、よほどの理由でもない限り、きちんと実行されてきていた。
「よほどの理由」というのはつまり、風邪などをひいてしまって看護が必要だったとか、少年があまりにひどい悪夢を見てしまって、とてもひとりでは寝られないとかいうような場合のことだ。
手足が伸び、知育訓練室での勉強がはかどるに従って、少年が男から任される仕事も増えてきていた。
この惑星の全体管理はおもにドーム内のAIが行っている。男は普段から、それをサポートする仕事をおこなっていた。
仕事の内容は多岐にわたる。
まず、ドームの周りの地下世界内部にある動植物の管理や観察。必要とあらばサンプルを採るなどしてAIの検査装置にかけ、なにか危険な病原菌に感染していないかなどを調査する。万が一、病に冒されている個体が見つかれば、必要な薬品を散布するなどの作業になる。
また地上では、どこかの地域で水脈を分断している、ちょっと都合の悪い岩盤層が見つかると、それを破砕することもある。
ドーム内にはやや小型の飛行艇と、大きめの宇宙艇のふたつが存在しており、惑星の調査の場合、ふつうはロールパンのような形をした飛行艇の方を使用した。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。そこいらのパネルに触るなよ」
「うん、パパ。気を付けてね」
飛行しているロールパン号の中に少年を残して、男は無造作に後部ハッチを開き、さっと空中に飛び出ていく。ハッチが閉じてから窓の外に目をやると、背中からあの素敵な白い翼を開いて目指す岩盤に向かって飛んでいく、勇壮な男の姿が見えた。
空を飛べるだけではない。男の両腕は彼の意思のまま自在に変形させることもできる。用途に応じて、時には非常に硬く鋭い刃になり、時には大きなハンマーのようなものになるのだ。その腕で、男は巨大な岩でもあっという間に移動させたり、破砕したりする。つまり彼は、こういう物理的な作業に大いに向いた人なのだった。
不思議なことに、少年がどんなに精神を集中させて頑張ってみたところで、背中にあの素晴らしい翼も生えなければ、腕が便利な道具の形に変わることもなかった。
どうしてかは分からない。とにかく自分は、ちっともあの男の助手として十分な働きのできる体をしていないのだ。これには正直、がっかりした。
そのくせ少年は、さほど食べない男とはまるきり違って、体が大きくなるにつれて食べる量も段違いに増えていた。燃費の悪いこと、この上もない。これでは役立たずもいいところだ。
実はそれで、一時期ひどく落ち込んだ。
少年の体は無駄に大きくなるばかりで、どんなに頑張ってみても翼の生える兆候などこそりともない。指先がほんのわずかに変形する予兆さえ見えない。そのうえ男は、「お前はそんなことをする必要はない」と、やり方すら教えてくれなかった。
少年は部屋のすみにうずくまり、背中をまるめてめそめそ泣いた。そんな時、男は決まって、半べそをかいた少年の頭をぽすぽすやった。そうして「まあ、気にするな」と言うのみだった。
「だって、もっとパパのお手伝いがしたいのに」と言って泣く少年を、男は困った顔で抱き上げて、抱きしめてくれるだけだった。そして必ずこう言った。
「今のままのお前で十分だ。決して、俺に黙って勝手に空中に飛び出したり、崖から飛びおりたりするんじゃないぞ」と。
「今のお前にできることを、きちんとやってくれればそれでいい」。
どんなにそう言われても、少年の気持ちが明るくなることはなかった。
ところが、今日は少し様子が違った。
作業を終えて戻って来た男の顔色が、いつもとちょっと違ったのだ。
「パパ……? 大丈夫?」
「ん? ああ。別に大したことはない」
少し笑ってそう言った男の顔色は、明らかにいつもよりも悪かった。
そうしてその日、夕食をとるのもそこそこに、男は自室に引き上げた。
少年はいつものように自分の夜着に着替えて寝床に入ったものの、今日に限ってなぜかちっとも眠くならなかった。とくとくと自分の心臓の音ばかりが聞こえる。腕のところの産毛がなんとなくチリチリして落ち着かない。どうにも変な胸騒ぎがした。
仕方なく、少年は起きだした。足は自然と、男の寝室へと向かっていた。
もうこんなに大きくなったのに、夜中に勝手に男のベッドに近づいたりすれば、また叱られてしまうかもしれない。それでも、どうしても男の顔を見ておきたかった。
叱られた時の言い訳をあれこれと頭の中で展開させながら、少年は恐るおそる男の部屋の扉を叩いた。
「パパ……起きてる?」
返事はなかった。
何度か声を掛けてから、少年はついに扉の横の開閉パネルに手を伸ばした。
「パパ……?」
一歩部屋に入っただけで、少年はすぐに異変に気付いた。壁の薄暗い小さな常夜灯に照らされて、部屋の隅に男のベッドが見える。男はそこに横になり、掛け布を体にぐるぐる巻きにして丸くなっていた。
様子がおかしい。少年は男に近づき、ベッド脇に膝をついて男を覗き込むようにした。そろそろと男の体に手をのばす。
「パパ……!?」
びっくりした。
男の体が燃えるように熱い。かたかたと震えていて、よく聞いてみると、がちがち奥歯を鳴らしているのが分かる。歯の根も合わないほどの悪寒が襲っているらしい。ただ事ではなかった。
「寒いの? パパ、待っててね……!」
少年はそう言うと、ぱっと部屋から飛び出した。
あの日、子供じみた頑固さで「もう食事なんてしない」と言い放ちはしたものの、実際にそんなことができる道理がなかったのだ。もちろん、男が決して許さなかったというのが一番の理由だったが。
今では少年の背丈も、男の胸のあたりまで届いている。小さなころは立ったままで見下ろされるだけで少し威圧感を覚えたものだが、今ではそういうこともない。
自分が生まれて来てからそろそろ七百日になろうとしているのだということは、男から聞いて知っていた。
「一緒に風呂には入らない、ベッドでも寝ない」と宣言されてから、すでに三百日ほどが経過している。そうしてそれは、よほどの理由でもない限り、きちんと実行されてきていた。
「よほどの理由」というのはつまり、風邪などをひいてしまって看護が必要だったとか、少年があまりにひどい悪夢を見てしまって、とてもひとりでは寝られないとかいうような場合のことだ。
手足が伸び、知育訓練室での勉強がはかどるに従って、少年が男から任される仕事も増えてきていた。
この惑星の全体管理はおもにドーム内のAIが行っている。男は普段から、それをサポートする仕事をおこなっていた。
仕事の内容は多岐にわたる。
まず、ドームの周りの地下世界内部にある動植物の管理や観察。必要とあらばサンプルを採るなどしてAIの検査装置にかけ、なにか危険な病原菌に感染していないかなどを調査する。万が一、病に冒されている個体が見つかれば、必要な薬品を散布するなどの作業になる。
また地上では、どこかの地域で水脈を分断している、ちょっと都合の悪い岩盤層が見つかると、それを破砕することもある。
ドーム内にはやや小型の飛行艇と、大きめの宇宙艇のふたつが存在しており、惑星の調査の場合、ふつうはロールパンのような形をした飛行艇の方を使用した。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。そこいらのパネルに触るなよ」
「うん、パパ。気を付けてね」
飛行しているロールパン号の中に少年を残して、男は無造作に後部ハッチを開き、さっと空中に飛び出ていく。ハッチが閉じてから窓の外に目をやると、背中からあの素敵な白い翼を開いて目指す岩盤に向かって飛んでいく、勇壮な男の姿が見えた。
空を飛べるだけではない。男の両腕は彼の意思のまま自在に変形させることもできる。用途に応じて、時には非常に硬く鋭い刃になり、時には大きなハンマーのようなものになるのだ。その腕で、男は巨大な岩でもあっという間に移動させたり、破砕したりする。つまり彼は、こういう物理的な作業に大いに向いた人なのだった。
不思議なことに、少年がどんなに精神を集中させて頑張ってみたところで、背中にあの素晴らしい翼も生えなければ、腕が便利な道具の形に変わることもなかった。
どうしてかは分からない。とにかく自分は、ちっともあの男の助手として十分な働きのできる体をしていないのだ。これには正直、がっかりした。
そのくせ少年は、さほど食べない男とはまるきり違って、体が大きくなるにつれて食べる量も段違いに増えていた。燃費の悪いこと、この上もない。これでは役立たずもいいところだ。
実はそれで、一時期ひどく落ち込んだ。
少年の体は無駄に大きくなるばかりで、どんなに頑張ってみても翼の生える兆候などこそりともない。指先がほんのわずかに変形する予兆さえ見えない。そのうえ男は、「お前はそんなことをする必要はない」と、やり方すら教えてくれなかった。
少年は部屋のすみにうずくまり、背中をまるめてめそめそ泣いた。そんな時、男は決まって、半べそをかいた少年の頭をぽすぽすやった。そうして「まあ、気にするな」と言うのみだった。
「だって、もっとパパのお手伝いがしたいのに」と言って泣く少年を、男は困った顔で抱き上げて、抱きしめてくれるだけだった。そして必ずこう言った。
「今のままのお前で十分だ。決して、俺に黙って勝手に空中に飛び出したり、崖から飛びおりたりするんじゃないぞ」と。
「今のお前にできることを、きちんとやってくれればそれでいい」。
どんなにそう言われても、少年の気持ちが明るくなることはなかった。
ところが、今日は少し様子が違った。
作業を終えて戻って来た男の顔色が、いつもとちょっと違ったのだ。
「パパ……? 大丈夫?」
「ん? ああ。別に大したことはない」
少し笑ってそう言った男の顔色は、明らかにいつもよりも悪かった。
そうしてその日、夕食をとるのもそこそこに、男は自室に引き上げた。
少年はいつものように自分の夜着に着替えて寝床に入ったものの、今日に限ってなぜかちっとも眠くならなかった。とくとくと自分の心臓の音ばかりが聞こえる。腕のところの産毛がなんとなくチリチリして落ち着かない。どうにも変な胸騒ぎがした。
仕方なく、少年は起きだした。足は自然と、男の寝室へと向かっていた。
もうこんなに大きくなったのに、夜中に勝手に男のベッドに近づいたりすれば、また叱られてしまうかもしれない。それでも、どうしても男の顔を見ておきたかった。
叱られた時の言い訳をあれこれと頭の中で展開させながら、少年は恐るおそる男の部屋の扉を叩いた。
「パパ……起きてる?」
返事はなかった。
何度か声を掛けてから、少年はついに扉の横の開閉パネルに手を伸ばした。
「パパ……?」
一歩部屋に入っただけで、少年はすぐに異変に気付いた。壁の薄暗い小さな常夜灯に照らされて、部屋の隅に男のベッドが見える。男はそこに横になり、掛け布を体にぐるぐる巻きにして丸くなっていた。
様子がおかしい。少年は男に近づき、ベッド脇に膝をついて男を覗き込むようにした。そろそろと男の体に手をのばす。
「パパ……!?」
びっくりした。
男の体が燃えるように熱い。かたかたと震えていて、よく聞いてみると、がちがち奥歯を鳴らしているのが分かる。歯の根も合わないほどの悪寒が襲っているらしい。ただ事ではなかった。
「寒いの? パパ、待っててね……!」
少年はそう言うと、ぱっと部屋から飛び出した。
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