14 / 37
第二章 惑星(ほし)にひとりで
6 逃避
しおりを挟む「逢瀬」の日がやってくる。
今回のそれは二人にとって、それぞれに特別な意味のあるものだった。
少年はハッチのそばで、いつものように服を脱ぎ捨て、ばちんと自分の両頬を手のひらで叩いて気合を入れた。
男は男で、《胎》の中ほどで浮かんだまま、少年を待ち構える。体はいまだに、やっと臍のあたりまで再生が終わったところだ。
やがてAIが《胎》の稼働停止を宣言し、少年はすぐに羊水の中に潜って底を目指した。
いつものように、男の腕の中に飛び込む。
力をこめて抱きしめあい、しばらく互いの唇を求め合う。すでに互いに、この程度のことなら遠慮はしなくなっていた。
やがて少年はそっと男から唇を離すと、真正面からその蒼い瞳を見つめた。
『ね……パパ。訊きたいことがあるんだけど』
『ああ。俺もだ』
男のほうでも、真っすぐに少年を見返してきた。
《胎》の中での音声は、空気を通す場合のように明瞭には聞こえない。水の中でのようにぼやけてしまうその言葉を、AIが仲介することで聞き取りやすく変換してくれている。
『このところ、随分様子がおかしいようだが。やっぱり何かあったんだろう』
『うん』ちょっと目を伏せ、少年が頷く。『パパ。訊いていい? ……僕の名前のことなんだけど』
『なに……?』
男の目が見開かれた。少年は構わず続ける。
『僕の、名前だよ。【フラン】っていうのは、もともと僕の名前じゃないよね?』
『…………』
男は思わず絶句した。まじまじと見返すと、少年の目の色がどんどん暗くなっていくのが見て取れた。
『……やっぱりそうなんだ』
零れるように出た言葉は、こぽりと吐息の泡になって上昇していく。
『いや……それは』
『いいんだよ。もう分かってるから』少年は眉をさげて寂しく笑った。『最近、地球の歴史の単元をかなり進めてたんだ』
『…………』
『そこで、見つけた。【ノア計画】のこと──』
男は絶句して、しばらくは穴があくほど少年の顔を見つめるしかなかった。
知られた。
この子に、知られてしまったというのか。
しかし──。
男の瞳には、そんな内面がありありと見て取れた。
『パパにとっては、【フラン】はとっても大事な人の名前だったんだよね? パパたちにとって、その名前はとても重要だった。その人はパパにとって、たった二人でこの惑星に世界を創り出す、大切なパートナーだったんだものね』
『フラ──』
『やめて!』
突然、少年は大声をあげた。が、驚いた男の表情を見て、すぐに後悔したように項垂れた。
『……イヤ、なんだ。今はその名前で……呼ばれたくない』
『…………』
男は何も言えず、しばし口を噤んだ。眉間のあたりに陰鬱なものを漂わせる。その表情を逐一読み取ろうとしながら、少年はゆっくりと口を動かした。
『……パパ。僕はなんなの。パパにとっての僕ってなに?』
どうして赤ん坊の状態から、あなたに育てられてきたの。
どうして僕に「フラン」なんて名前をつけたの。
あなたの「フラン」は、どこへ行ったの。
自分のことを「パパ」なんて呼ばせておいて、そのくせこんな、キスなんかして。抱きしめて、服を脱がせて……あの日は、それ以上のことまでしようとした。
それには、どういう意味があったの。
どうして、どうして、どうして。
あなたが欲しいのは、いったい誰なの──?
溢れ出す気持ちを全部、うまく言葉にするのは難しかった。訊きたいことは山ほどあるのに、それらは胸の中で渦巻いてぐちゃぐちゃに乱れ、ほとんどは喉のところにくるまでにねばっこく煮凝ってしまう。
石のように固くなったそれらが詰まって、ひどく息苦しい。代わりに鼻の奥が痛くなって、目もとが危うくなっていく。
男は非常に暗い瞳をして、じっと少年を見つめるだけだ。
『パパは、その人を……愛してたの』
頑張ったつもりだったが、最後のところはどうしても声が掠れた。
男の瞳がわずかに揺れる。たったそれだけの反応で、少年の胸は切り裂かれるような痛みを覚えた。
『じゃあ……僕はなに? パパのなに』
『…………』
男は眉間に深い皺を刻んで答えない。
空白の時間があればあるだけ、少年の胸にむなしい虚があいてゆく。
『パパ……パパ』
引きつれた喉からやっと出た声は、どうしようもなく歪んでいた。
『僕は、その人の……代わり、なの』
返事はなかった。
少年の胸に、細かな皹がぴしぴしと走り始める。皹は胸全体に広がって、ぱきぱきと金属製の音をたてた。
恐ろしい沈黙だけがその場を支配した。男はしばらく、ただ暗い瞳で少年を見返していた。が、やがて視線をふいとそらした。
少年の胸が、遂に破裂した。
(ああ……!)
目に見えない傷がぱくりと開いて、どくどくと真っ赤なものを噴きだし始める。
『フラン──』
『やだっ!』
次の瞬間、少年は男の胸を突き飛ばした。
あとはもう、一目散に羊水を蹴り、両手でかいて水面を目指す。ハッチの外へ出、咳き込みながら走り出した。
両目から熱いものが溢れて止まらない。それは、肺の中から羊水が排出されて空気と入れ替わることによる苦しみのためばかりではなかった。
少年は無我夢中で通路を駆け下り、階下の格納庫へまっすぐ走った。
(バカ。パパのバカっ……バカやろう……!)
自分の知りうる、ありとあらゆる悪態を吐きながら、少年は飛行艇に飛び込むと、操縦席のコンソールパネルを滅茶苦茶に叩きまくった。
「飛んで! 早く! 飛んでええええっ……!」
砂ばかりの惑星から、一機の宇宙艇が飛び出していく。それはあっさりと大気圏を離脱すると、即座に異空間航行へと移行した。
もやもやと現れた黒い異空間に溶け込んで、機影はすぐに見えなくなる。そうして何事もなかったように、異なる空間への扉は閉じた。
あとにはただ、瞬かぬ星々の撒き散らされた、真っ黒な宇宙空間が広がっているばかりである。
0
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる