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第四章 この宇宙の片隅で
4 覚醒
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少年はやっとのことで男をドームまで連れて帰った。
男によって破壊されていたドーム内の大きな《胎》は、すでにすっかり後片付けが済み、AIが修理を完了していた。もともと、筒の外殻はスペア品が常備されているらしい。がれきさえきれいに取り除けば、スペアを設置しなおして羊水を満たせばいいだけなのだ。
少年はAIや補助ロボットの手を借りながら、男の体をどうにかこうにか再びメインの《胎》へと移し替えた。
硬質化し、ひび割れた男の体表がゆっくりと軟化してもとの皮膚に戻っていく。少年はそれを、大きな《胎》の前で何日も眺めて過ごした。あんまりAIがうるさいので、しぶしぶ人間用の医療カプセルで手のひらの火傷だけは治療したけれども。
とは言え、ドーム内の仕事をいつまでも放棄しているわけにもいかない。ずっとそこにへばり張り付いてばかりはいられなかった。少年は「時間はかかるが大丈夫」と言うAIの言葉を信じて、仕方なく時々はそこを離れざるを得なかった。
◆
そうして。
以前と同じようでいて、少しばかり様相の違う平穏な日常が戻ってきた。
時おり仕事のために離れるけれど、基本的には《胎》のそばにいて時々話しかけ、その前で食事をして眠る。そんな毎日。
男の意識はなかなか戻らなかった。
前回とは違い、今回、男はみずから死を選んだ。そのため、身体をあの大樹に変貌させる前、どうやら精神面や意識を司る部分に自分で蓋をしてしまったらしい。何もかもをあきらめ、放棄して、すべてをこの惑星の土に還そうとしたのだろう。ただの「樹」や「砂」に、過去の記憶など必要ないのだから。
体がすっかり治ってからもしばらく男が目を覚まさなかったのは、恐らくそのためだろうと思われた。
しかし。
ある日、遂にAIが言った。
『《胎》からお出しして、外での看護に切り替えても結構です』
少年は大喜びで、即座に男の体を彼の寝室へ移しかえた。
意識のない男の体は、特に何をしなくても清潔だった。栄養補給のためのチューブが腕に挿入されている以外には、ただ眠っているようにしか見えない。
あの本当のパパである人間のヴォルフだったら、ちょっと放っておいたら「無精髭」が生えてしまうものらしい。けれど人間ではないこの男には、そういう無駄に見た目を損なうことも起こらなかった。根本的に体のつくりが違うのだろう。
また尾籠な話ではあるが、彼らは排泄もほとんどしない。人間であったらそのために使う器官が、そのまま性交や出産と結びついた器官であることも大きいのだろう。彼らが体に入れたものはほぼすべて、体内で燃焼され尽くしてしまうようだ。だから栄養と排泄用のチューブをつけておくだけで、ほとんど他の介護の手間なども必要なかった。
AIの教育プログラムによると、人間だったら寝たきりで放っておけばすぐに体に褥瘡というものができてしまうらしい。定期的に姿勢を変えてやるなどの介護は不可欠なのだ。しかしそれも、AIが時おり姿勢を変えてくれるだけで完全に回避できている。
どうしても風呂に入れたい場合には、再び《胎》へ入れてやりさえすれば完璧に用が足りた。まことに手がかからない。逆に言えば、最初からそのように設計された「人形」なのだから当然なのかもしれなかった。
考えてみれば当然だった。彼らはどこまでも、人間にとっての「道具」なのだ。そのように設計され、人類の勝手な願望のもとに造り出された存在なのだから。
AIによれば、それでも世話が大変になった場合はまたあの《胎》に戻してもいいらしい。しかし、少年は頑なにそれを拒んだ。これまでのような筒の壁を隔てて彼をじっと見つめている日々には、どうしても戻りたくなかったからだ。
意識がなくたって構わないのだ。こうしていれば、いつでも彼の手や顔に触れることができる。穏やかな寝息を聞いていることもできる。今は男の体表もすっかり治って、肌色は健全なものになり、人としての体温も戻ってきている。
少年にとって、それに直接触れないで過ごすという選択だけはなかった。
◆
男は長い長い微睡からようやくのことで目を覚ました。
(ここは……? 俺は)
気が遠くなるほどに長くて、ひどい悪夢をずっと見ていたような気がする。
弟が去り、あの子が去り。
どんなに追いかけようとしても、見れば自分の両足は無く。翼も捥がれ、飛ぶことも叶わずに地べたをはいずり、やがて地虫に体をもぞもぞと食われ始める。そうまでなっても死ぬことも許されず、半分以上も土に同化していながらなお、失われた存在を慕い求める。
……それは、まさに悪夢だった。
ひたすらぐるぐると無限に繰り返されるその悪夢が、眠っているにも拘わらず、ずっと男の精神を蝕み続けた。だから目覚めたときの解放感たるや、半端ないものがあった。
きっとそのせいなのだろう。覚醒してしばらくは、自分が一体どうなっているのかもすぐには理解できなかった。いや、頭上にあるのは見慣れた自分の寝室の天井なのだから、不審なことは何もないはずだったけれども。
しかし、眠る前のことがよく思い出せない。
思い出そうとすると頭痛と吐き気を覚えた。
「……う」
起き上がろうとしてみた途端、体じゅうが不平不満で一気にやかましくなった。
関節といわず筋肉といわず、滑らかに動かせるところがほとんどない。それどころか「なんでここまで動かさなかった」と全細胞が一斉に主に向かって文句を言い始めていた。ギギギと音がたつかと思うぐらいに全身が動かしにくい。
それでもどうにかこうにか、男は起きあがった。
部屋はいつものように光度を落とされていて薄暗い。
「……れは、どう……した」
AIに訊ねようとしたら、声帯までもが目いっぱいに不平をぶちまけてくる。
声はがさがさで、とても意思を伝えられるようなものではなかった。
男は低く唸ると、やれやれと顔を顰めた。
と、部屋の外からバタバタと人の足音が聞こえ、すぐに一人の青年が飛び込んできた。
「パパっ……!」
顔を歪め、大きく両手を広げた姿。
それは、あのフランにそっくりだった。
まあその呼び方で、すぐにあの弟でないことは知れたけれども。
(いや。ちょっと待て)
あまりの違和感に、くらりと眩暈を覚える。
顔じゅうで号泣しながら上半身を抱きしめてくる青年は、見覚えのあるあの少年の姿をしていなかった。
(なんだ……? これは)
青年はもう身も世もなく泣いて、ぎゅうぎゅうとこちらを抱きしめてくる。なにやら絞め殺されそうな勢いだ。今にも肺が押しつぶされそうである。
がくがく揺さぶられるままその背中を軽く撫でさすりながら、男はまだ半信半疑で、呆然と中空に視線を泳がせていた。
男によって破壊されていたドーム内の大きな《胎》は、すでにすっかり後片付けが済み、AIが修理を完了していた。もともと、筒の外殻はスペア品が常備されているらしい。がれきさえきれいに取り除けば、スペアを設置しなおして羊水を満たせばいいだけなのだ。
少年はAIや補助ロボットの手を借りながら、男の体をどうにかこうにか再びメインの《胎》へと移し替えた。
硬質化し、ひび割れた男の体表がゆっくりと軟化してもとの皮膚に戻っていく。少年はそれを、大きな《胎》の前で何日も眺めて過ごした。あんまりAIがうるさいので、しぶしぶ人間用の医療カプセルで手のひらの火傷だけは治療したけれども。
とは言え、ドーム内の仕事をいつまでも放棄しているわけにもいかない。ずっとそこにへばり張り付いてばかりはいられなかった。少年は「時間はかかるが大丈夫」と言うAIの言葉を信じて、仕方なく時々はそこを離れざるを得なかった。
◆
そうして。
以前と同じようでいて、少しばかり様相の違う平穏な日常が戻ってきた。
時おり仕事のために離れるけれど、基本的には《胎》のそばにいて時々話しかけ、その前で食事をして眠る。そんな毎日。
男の意識はなかなか戻らなかった。
前回とは違い、今回、男はみずから死を選んだ。そのため、身体をあの大樹に変貌させる前、どうやら精神面や意識を司る部分に自分で蓋をしてしまったらしい。何もかもをあきらめ、放棄して、すべてをこの惑星の土に還そうとしたのだろう。ただの「樹」や「砂」に、過去の記憶など必要ないのだから。
体がすっかり治ってからもしばらく男が目を覚まさなかったのは、恐らくそのためだろうと思われた。
しかし。
ある日、遂にAIが言った。
『《胎》からお出しして、外での看護に切り替えても結構です』
少年は大喜びで、即座に男の体を彼の寝室へ移しかえた。
意識のない男の体は、特に何をしなくても清潔だった。栄養補給のためのチューブが腕に挿入されている以外には、ただ眠っているようにしか見えない。
あの本当のパパである人間のヴォルフだったら、ちょっと放っておいたら「無精髭」が生えてしまうものらしい。けれど人間ではないこの男には、そういう無駄に見た目を損なうことも起こらなかった。根本的に体のつくりが違うのだろう。
また尾籠な話ではあるが、彼らは排泄もほとんどしない。人間であったらそのために使う器官が、そのまま性交や出産と結びついた器官であることも大きいのだろう。彼らが体に入れたものはほぼすべて、体内で燃焼され尽くしてしまうようだ。だから栄養と排泄用のチューブをつけておくだけで、ほとんど他の介護の手間なども必要なかった。
AIの教育プログラムによると、人間だったら寝たきりで放っておけばすぐに体に褥瘡というものができてしまうらしい。定期的に姿勢を変えてやるなどの介護は不可欠なのだ。しかしそれも、AIが時おり姿勢を変えてくれるだけで完全に回避できている。
どうしても風呂に入れたい場合には、再び《胎》へ入れてやりさえすれば完璧に用が足りた。まことに手がかからない。逆に言えば、最初からそのように設計された「人形」なのだから当然なのかもしれなかった。
考えてみれば当然だった。彼らはどこまでも、人間にとっての「道具」なのだ。そのように設計され、人類の勝手な願望のもとに造り出された存在なのだから。
AIによれば、それでも世話が大変になった場合はまたあの《胎》に戻してもいいらしい。しかし、少年は頑なにそれを拒んだ。これまでのような筒の壁を隔てて彼をじっと見つめている日々には、どうしても戻りたくなかったからだ。
意識がなくたって構わないのだ。こうしていれば、いつでも彼の手や顔に触れることができる。穏やかな寝息を聞いていることもできる。今は男の体表もすっかり治って、肌色は健全なものになり、人としての体温も戻ってきている。
少年にとって、それに直接触れないで過ごすという選択だけはなかった。
◆
男は長い長い微睡からようやくのことで目を覚ました。
(ここは……? 俺は)
気が遠くなるほどに長くて、ひどい悪夢をずっと見ていたような気がする。
弟が去り、あの子が去り。
どんなに追いかけようとしても、見れば自分の両足は無く。翼も捥がれ、飛ぶことも叶わずに地べたをはいずり、やがて地虫に体をもぞもぞと食われ始める。そうまでなっても死ぬことも許されず、半分以上も土に同化していながらなお、失われた存在を慕い求める。
……それは、まさに悪夢だった。
ひたすらぐるぐると無限に繰り返されるその悪夢が、眠っているにも拘わらず、ずっと男の精神を蝕み続けた。だから目覚めたときの解放感たるや、半端ないものがあった。
きっとそのせいなのだろう。覚醒してしばらくは、自分が一体どうなっているのかもすぐには理解できなかった。いや、頭上にあるのは見慣れた自分の寝室の天井なのだから、不審なことは何もないはずだったけれども。
しかし、眠る前のことがよく思い出せない。
思い出そうとすると頭痛と吐き気を覚えた。
「……う」
起き上がろうとしてみた途端、体じゅうが不平不満で一気にやかましくなった。
関節といわず筋肉といわず、滑らかに動かせるところがほとんどない。それどころか「なんでここまで動かさなかった」と全細胞が一斉に主に向かって文句を言い始めていた。ギギギと音がたつかと思うぐらいに全身が動かしにくい。
それでもどうにかこうにか、男は起きあがった。
部屋はいつものように光度を落とされていて薄暗い。
「……れは、どう……した」
AIに訊ねようとしたら、声帯までもが目いっぱいに不平をぶちまけてくる。
声はがさがさで、とても意思を伝えられるようなものではなかった。
男は低く唸ると、やれやれと顔を顰めた。
と、部屋の外からバタバタと人の足音が聞こえ、すぐに一人の青年が飛び込んできた。
「パパっ……!」
顔を歪め、大きく両手を広げた姿。
それは、あのフランにそっくりだった。
まあその呼び方で、すぐにあの弟でないことは知れたけれども。
(いや。ちょっと待て)
あまりの違和感に、くらりと眩暈を覚える。
顔じゅうで号泣しながら上半身を抱きしめてくる青年は、見覚えのあるあの少年の姿をしていなかった。
(なんだ……? これは)
青年はもう身も世もなく泣いて、ぎゅうぎゅうとこちらを抱きしめてくる。なにやら絞め殺されそうな勢いだ。今にも肺が押しつぶされそうである。
がくがく揺さぶられるままその背中を軽く撫でさすりながら、男はまだ半信半疑で、呆然と中空に視線を泳がせていた。
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