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第四章 海に棲むもの
7 イルカの船
しおりを挟む「なあっ、なあっ!」
少年はシンケルスの腹のあたりをばしばし叩いて叫んだ。
「なんだよこれっ、どうなってるんだよっ!」
「……ああ」
男はようやく少年を見た。そうして自分のペンダントをひょいと指し示した。
「これもこいつの力だ。ある程度、周囲の重力を制御できる。とはいえ俺から離れるな。即座に海へ真っ逆さまだぞ。あまり暴れるなよ」
(ええっ……)
少年は驚きを隠せない。今まで以上に男の腰のあたりに必死にしがみついた上で、彼のペンダントと自分のそれをつい代わるがわる見つめてしまう。
男は少年を片腕だけでぐいと持ち上げ、自分の胴に腕を回すように指示して前からぐっと抱き直した。お互いに抱きしめあうような格好になる。
精悍な男の顔がすぐそばにある。鼓動がそのまま聞こえてきた。
(うう……)
なんだかちょっと変な気持ちになる。そんなことを考えている場合ではないのに、どうして自分は少しばかり──いやかなり──うきうきした気持ちになんかなっているのだ。
波の向こうにもう一度目をやると、もう完全に船の姿は見えなくなってしまっていた。
少年は急に心細くなった。これでは帰ることもできないではないか。
それに、船にいた調査隊の男らは無事なのか。
「……なあ。みんなは大丈夫か? あのまま沈んじゃったりしないよな?」
「心配いらん。この海域から離れさえすれば、この嵐はすぐに消えるはずだからな」
「ええっ?」
なんでそんなに確信を持って言えるんだろう。
「ここさえ抜ければウラムたちが待つ島まではすぐだ。ウラムに合流しさえすれば、あとは問題なく戻れるはずだ」
(そうか……。よかった)
そう思った次にはもう、あれほど荒ぶっていた波や風が急速におさまってくるのがわかった。あんなに分厚く上空を覆っていた黒雲もぶつぶつに途切れて、そのむこうから陽光がきらきらと差しこみはじめている。
みなが「アポロンの矢」と呼ぶ光の柱が雲間から海面へとまっすぐに投げおろされて、本数を増やしていく。
周囲が嘘のようにもとの穏やかな海に戻っていくのを、少年は呆然と眺めた。
「こ、……こんな」
こんなもの、まるで魔法ではないか。
いや、魔法なのだ。なにしろここはあの《神々の海》なのだから。魔女や魔人がうようよと生息している謎の海域なのだから!
それに、その流れで言えばこのペンダントだって十分魔法だ。人間は普通、こんなふうにふわふわと空中に浮かんだりできないはず。
そもそもなんなんだ、「ジュウリョクを制御する」って!
阿呆のように表情をなくしていたら、不意に周囲に影が落ちた。今の今までたしかに雲以外なにもなかった場所に、なにか大きなものが迫ってきたのだ。
「えっ……うわあ!?」
少年はびっくりして身をよじった。
いつのまにかシンケルスのすぐ上に、巨大なイルカのようなものが音もなく浮かんでいた。イルカとは言ったけれど、見ようによっては鳥にも見える。イルカにしては胸鰭が大きすぎるからだ。しかし鳥だと言うには首が太すぎる。
とはいえこれは明らかに生き物ではなかった。全体がつるつるした銀色の材質でできている人工物に違いなかった。少年はどこかでこんな素材をちらりと見た覚えがあるような気がしたが、「いやいや。そんなわけがあるか」と自分の記憶を否定した。
シンケルスは眉のひとつも動かさずに体の向きを変え、少年の腰のあたりをがっちりと抱えたまま少しずつ上昇しはじめた。つまり、そのイルカのほうへ。
「わ、わわ……なにすっ、シンケルスっ、やめ、やめてえっ!」
いやだ。あんなイルカに食べられたくない。
怖くて思わずじたばたもがいたら、さらにぎゅっと抱き込まれた。
てっきり「暴れるな」と叱られるものと思ったが、耳に囁かれたのは意外にも深くて優しい声だった。
「すまん。驚かせるつもりはなかった」
「シ、シン──」
「心配するな。仲間の船だ」
「ふ、船ぇ……??」
船というのは、海の上をいくものだろうに。
それに「仲間」だって……?
「船の上では説明している暇がなかったからな。俺たちはこれを《飛行艇》と呼ぶ。鳥のように、空を飛んで移動できる乗り物のことだ」
「え、えええっ……?」
乗り物。これが?
目をこれ以上ないところまで見開き、口もぽかんと開けたまま、少年はがっちりとシンケルスにしがみついてそれを見つめた。
空を飛ぶ。こんなにも大きいものが?
いったい何をどうしたら、そんなことができるんだ。
このペンダントの比ではない。これは恐るべき技術のはずだ。
いったいどういう技術なのだろう。
そしてこいつらはいったい……?
「あそこから入る。扉を閉じるまでは俺から離れるな」
男が目線で示した方を見ると、飛行艇の腹の部分にぽかりと楕円形の穴が開いていた。
男は自分のペンダントの上で微妙に指をずらしながら空中を移動していき、やがて少年とともに楕円形の口の真下にきた。
その時だった。
「わ、わああああっ!?」
急に上から強く吸い込まれるような感覚があった。ちょうど細い葦の茎で飲み物を吸い上げるときのような感じだ。
次に気がついた時にはもう、少年はシンケルスにぴったりと抱きついたまま、その《イルカ》の腹のなかに立っていた。
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