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第三章 惑う心
6 白状
しおりを挟むだが。
そうは問屋が卸さなかった。
瑠璃殿下は独特の勘のよさでもって、すぐにその事実を嗅ぎつけられてしまわれたのだ。
「藍鉄。お前、私に隠しごとがあるだろう」
「は……いえ。左様なことは」
「嘘を申せ!」
ひと声叫ぶなり、殿下はパッと長椅子から立ち上がって大股に目の前に歩いてこられた。藍鉄は跪いたまま姿を現す。よほどの事情がない限り、透明のまま主人と話をするのは大いなる不敬と見做される。
目の前で仁王立ちになられて一度目を上げたものの、藍鉄はすぐに頭を垂れた。お声が刃物のように後頭部に突き刺さってくる。
「貴様。主人である私にこそこそと隠し立てなど、許されると思うなよ」
「…………」
「いいから素直に事実を教えよ。言えば何も咎めはせぬ」
沈黙は短かったが、それでも殿下を刺激するには十分だった。
「あまり私を馬鹿にするなら、今後、別の忍びをそばに置くぞっ! それでもよいのか? いいんだな? 藍鉄!」
閃くように怒りを放散されているときの殿下ほど、お美しい存在はない。それまで「美人が怒ると本当にきれいなんだぞ」などとほざく同僚の言を耳にしたことは何度もあったけれども。
いまや藍鉄は、日々そのことをわが身で確認させられている。この方の側近になってから、ずっとだ。
ともかくも。
殿下はさまざまな手管を散々に弄されて、藍鉄が心に秘していた事実をすっかり聞きだしてしまわれた。
「なんと……。イラリオン殿が」
殿下はそうおっしゃったのみで、長椅子にすとんと腰を下ろされた。そうしてそのまま細い柳眉をくもらせて、しばらく塞ぎ込んでしまわれる。
頬杖をつき、ぼんやりと庭を眺められる横顔をそっと見やって、藍鉄は自分の胸の奥にちくりと針が刺し込まれるのを覚えた。
(残念……で、いらしたか)
いや、まさかとは思うけれども。
あの男と、そういうご関係になる道が断たれたことを残念に思われたのか。
そんなにも──?
僅かに頭をふり、奥歯を噛みしめる。どろりとした黒く醜い感覚を、意識的に遠くへ追いやるように努めた。
溶岩のように熱いなにかが、針先でできた小さな傷からじわじわと滲みだす。
藍鉄は沈黙のままにそれを見つめつづけた。
周囲の肉が溶かされて腐り始め、ひりひりとした痛みを伴いつつ変色して広がっていく、その様を。
いまのところ、自分が名をつけるつもりのないその感情を。
◆
瑠璃は、きち、と爪を噛んだ。
(そんな舞台裏であったとは。……忌々しい御仁だな)
さも「何も考えておりませぬよ」とばかりあっけらかんとした顔をして。あんな風に爽やかににこにこ笑っておきながら。
つまりあれは実質上、自分への別れの挨拶だったわけだ。
(なにが『真実の愛』だ。バカなのか)
優美な硝子細工の杯をくいとあけ、音をたてて小さな円卓に戻す。喉を通り過ぎる澄んだ米酒が、かっと熱を発して腹の底へくだっていく。
(まったくバカだ。……愚かなことを)
あの男は、ただ逃げたかっただけだろう。
王族であることの重圧は、自分にだって十分わかる。一夫多妻を認めない滄海だからこそ自分は守られているけれど、そうでなければ恐らく境遇は似たようなものだった。
あちらのお国事情を考えれば、一夫多妻を敷くことも、王族が見も知らぬ女といきなり娶されるのも無理はない。だから、イラリオンの気持ちも理解できぬわけではない。
毒々しく広がる周囲の悪意に晒されて、あの男もあの明るい顔の下で、さぞやうんざりしていたのだろう。今まであの男の前では清純可憐に振舞ってきたのだろう妻たちが豹変し、どす黒い欲望を垣間見せたのだとしたら。しかもそういう女が、ひとりふたりではなかったら。
そういう気持ちはよくわかる。自分だって、あの右大臣派の面々で十分身に覚えはある話なのだから。
(でも……それでもあなたの気持ちは、『ちがう』。私は敢えてそう申しますよ、イラリオン殿)
あなたは単に、自分の置かれた環境から逃げ出したかっただけだ。
本来であれば、あなたに逃げ場などなかったはずだった。だがそこへ、今まで知られていなかった海の大国の存在が知らされ、そこにいる皇子を知った。
実の弟がその皇太子の配偶者になったことで、余計にその目が弟の皇子に向いたのだろう。この顔がまたいけなかった。この、無駄に女のように綺麗な顔が。
ただそれだけのことではないか。
あの御仁は、私のことなどほとんど何も知らない。
知らないままに「心から愛する」という言葉ほど空虚なものはないであろうに。
そのようなこと、実は心の底ではあの男とて分かっていただろうけれど。
(私は……違う。私は、兄上のことをよくよく存じ上げているもの。……ユーリよりも、きっと、ずっと)
だがそれも、兄とユーリの婚儀によってかしいで、ゆらいで。腐りかけた木製の橋のように、脆く儚くて。今もずっと、ぎいぎいと不快な音を立てて軋んでいる。
寝床の中で、おふたりはどんな話をするのだろう。そこで瑠璃の知らない兄の表情を、ユーリはどれほど知るようになっただろう。
あの逞しい腕で厚い胸にいだかれて、体の奥の奥まで兄上を受け入れて──
考えまいとすればするほど、そんなあさましい思いが溢れて止まらなくなる。
執着。
おそらく、これはそう呼ばれるものだ。
それもまた、「愛」とは呼ばないのかもしれない。
……わからない。
(だって……わからないよ。私は、父上と兄上以外のひとの『愛』なんて知らないもの。だれも、教えてくれなかったもの……!)
抱え込んだ膝に顔をうずめて瑠璃がぴくりとも動かなくなると、部屋の隅で藍鉄が静かに姿を消す気配がした。
(……え)
息を呑んだ。
腕の隙間からほんの一瞬見えた藍鉄の目は、なんだか恐ろしいほど鋭かった。
それは明らかにこちらを見据えて、睨んでいるといってもいいほどだった。
瑠璃は思わず腕の下で目をそらした。いつもだったら即座に叱責して、思いきり蹴りつけてやるぐらいのことは平気でやっているのだが。主人に対して、ただの忍びがしていい目つきではない。不敬の極みだ。当然の対応である。
しかし瑠璃も、最近はもうそういう真似はしなくなってきている。全然ではないけれど、かなり少なくなってきている。
なんとなく、この男にそういうことをしにくく感じる時があるのだ。
どうしてかは、わからない。
(……ふん)
腕の中に顔を埋め直して、瑠璃はまた密かに唇を尖らせた。
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