ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第三章 海底皇国へ

10 尾鰭

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 そこから半刻もしないうちに、飛行艇は陸地を抜けて海上に出た。その後はしばらく、眼下には広い海原と、雲が見えるだけになった。

「ほら、ユーリどの。あのあたりが、そなたが遭難した海域だ。そばに岩礁帯があるだろう」
 玻璃が隣からそっと耳打ちをしてくる。低くて艶のある声が耳朶に滑り込んでくると、ユーリはいちいちびくっと体を硬直させてしまった。
「え、ええっと……どちらです? あそこですか」
 それを必死にごまかそうとすると、余計に変なうわずった声が出てしまう。
「そうだ。その真ん中あたりにある、あれがそなたを引き上げた小島だな」
 玻璃はそれに気づいたのかどうなのか、相変わらずゆったりとした笑みをたたえてあれこれとユーリに教えてくれた。

 かつては陸地が今の三倍ほどはあったと言われているが、今ではこの惑星の九割がこの海の底に沈んでいる。
 海底皇国の民たちは、もともとユーリたちの住む土地のあった大陸の東の端に存在していた。もとは島国だったというが、今はその土地のほぼすべてが海の下に没している。
 海面が急激に上昇していた時代、玻璃の先祖の民たちは必死で海へ逃げる方法を模索していた。幸い、他の地域とは違って高い科学技術を維持していたため、海底に少しずつ都市を建設することができたのだという。
 そうして彼らは可能な限り、地上からあらゆるものを運び込んだ。
 財産、資源、文物。そして多くの民たち。

「そのころすでに、地上では減少していく土地をめぐって激しい騒乱が起こりはじめていた。『滄海わだつみ』の者たちはそれを避け、いち早く海底へ逃れでた。地上の騒乱がやがて国や民族同士の激しい衝突になり、人口を激減させる殺し合いに発展する前にな」
「大陸側の人々は……どうなったのですか」
 ユーリが恐るおそる訊ねると、玻璃は軽く瞑目し、ゆっくりと首を横に振った。
「あらゆる物資には、限りがある。しかも、行く先は海の底だ。衣食住は当然だが、なによりもまず、空気がない」
「…………」
「受け入れられる臣民の数には、当然ながら限りがあった。当時、まだ建設途中だった海底皇国は、地上に残ったすべての人々を収容するにはあまりにも手狭だったのだ」
「そう、ですか……」

 胸の塞がれる思いがして、ユーリはうつむいた。
 ユーリたちの先祖にあたる人々はその当時、厳しさを増していく環境に放り出されて、さぞや辛酸を舐めたのであろう。

「しばらくは、我らは海底都市の建設に力を注いだ。こちらの施設が増えてくれば、いずれは地上の人々をこちらへ迎え入れることも可能になるだろう。そういう予測をもってな。しかし、そうはいかなかった」
「えっ。なぜです……?」
 ユーリの咎める視線を受けて、玻璃は困った笑顔を作り、わずかに吐息をついた。
「皮肉な話だ。海底で土地や住居を増やせば増やしただけ、こちらの人口も増えていった。高い医療技術があるゆえに、そうそう人が死なないこともあるしな。それに、思った以上に海底での建設は難航した。実際、多くの事故があった。何千、何万という人命がうしなわれたと聞いている」
「そ、そんなに……」

 聞けば、彼らはもとから人魚の体を持っていたわけではないのだという。当時は一般的な人間の姿のまま、潜水服などを着て海底での作業をするほかなかった。
 だが、様々な事故の経験を重ねるうち、遂に彼らはみずからの体をつくり変えることを決意した。つまり今の玻璃のように、水の中でも空気中でも呼吸できる体を手に入れることへと舵を切ったのだ。
 
「その……つまり、みなさんの魚の尾みたいなものは、着脱式ということなのでしょうか?」
「おっしゃる通りだ。なんなら、そなたのものも準備できるぞ」
「えっ?」
「そうさな。そなたには、桃色や橙など可憐な色のものが似合うだろう。戻ったらすぐ、『尾鰭おびれ開発局』の者どもに指示しておこう」
「いっ、いえ! とんでもないです。わたくしは──」

 なるほど、海底皇国には「尾鰭開発局」なるものがあるのか。ユーリはまず、そのことに驚いた。
 人の体にはかなりの個体差があるため、尾鰭は基本的にはすべて精緻にデザインされたオーダーメイドジオーナノ・ザカスであるらしい。

「だからこそ、あれはそれなりの身分が無ければ手に入れることのできない物なのだ。結局、一般庶民の中では、さほど普及しなかったしな」
「そうなのですか?」
「ああ。海底都市には、地上と同様に空気の循環する広い土地が存在する。人々はそこで、陸地とほとんど変わらぬ暮らしができるようになっている。畑を耕し、牛や羊を飼い、家を建てて家族で暮らす。木をって森林の手入れをしたり、狩りをして暮らす者もいるな」
「しっ、森林……!? 海の中に、森林があるのですか?」
 ユーリは素っ頓狂な声をあげてしまった。
「もちろんだ」
 玻璃はまた、にこっと笑った。

「我らはそもそも、人間だ。人間が、土や森から完全に離れて生きることは難しい。すでに数千年以上、そうやって生きてきたわけだからな」
「はあ……」
「もともと魚や海藻を食す文化は持っていたが、我らとて野菜や穀物を食さぬわけにはいかぬ。長年の研究の果て、わが国の科学者たちはそういう結論に行きついたわけだ」
「で、でも。海の中、なのですよね? どうやって──」
「まあ、『百聞は一見に如かず』と言うし。すぐに理由はお分かりになろう。そら、ご覧あれ。そう言ううちにも、もう海だ」 
「え? わっ!」

 言って玻璃が指さした先には、もう水面が間近に迫っていた。
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